五話 バラクエル・リリン・イブリース
いよっし、今日は間に合ったな。さぁて、魔王も出たし、ヒトゾクスレイヤーへの道を着々と進んで行くぞー!
絶句。
バラクエル・リリン・イブリースと名乗った少女へまっすぐに視線を送るアリア。告げられた言葉を上手く処理できず、黙りこくってしまう。
固まってしまったアリアに、バラクエルは首を傾げる。
「……む、どうした? もしや、先程の言葉は嘘だったのか?」
そう問われるも、思考回路の復旧にだいぶ手間取っているアリアに、返事をする余裕はなかった。
二度も無反応を返されたせいか、バラクエルは不機嫌そうに瞳を細める。
「それとも……『魔族』のいうことなど、信用できない……と?」
「ッ!! いえ、そうではなくて……ま、魔族の方を見るのは初めてだったので、つい驚いてしまって……申し訳、ございません」
僅かに漏れ出た怒気に、ようやく復活したアリアが頭を下げる。すると、バラクエルは面食らったように目を見開き、まじまじとアリアを見つめた。
「……ふむ、わたしを前にしても、恐怖も拒絶を感じられんな。人族のくせをして、珍しいを通り越して、在り得ないといってもいいぞ。……まぁ、それはどうでもよい。それで? お前の兄を助ければ、お前は何だってするんだな?」
「――はい。ワタシに出来ることなら」
バラクエルの言葉に、アリアは一も二もなく頷いた。そして、膝に乗せていた兄の頭を一旦、地面に戻すと、バラクエルの正面で姿勢を正した。
「身体を差し出せと言われたらそうしましょう。この場で首を掻っ切って見せろというならためらわずにそうしましょう。魂を寄こせというのなら喜んで奪われましょう。ワタシはどうなってもいい。ですので、どうか……どうかお兄様をお救いください……!」
そして、何のためらいもなく両手を地面につけ、深々と頭を下げる。そこに、相手が自分と同い年くらいの子供だとか、人族の敵である魔族だとか、あろうことか魔族の中で一番危険だとされている魔王だとか、そういった『どうでもいい』ことは一切含まれていない。
あるのは、ただ『兄を救いたい』という眩しいほどに純粋な一つの願い。
彼女の髪の如く、透き通るほど白く真っ直ぐなアリアの姿に、バラクエルは誰にも分からないほど僅かに、口角を持ち上げた。
すぐにそれを元に戻したバラクエルは、こほんと咳払いをしつつアリアに声を掛けた。
「……頭を上げろ。その覚悟はしかと受け取った。……お前の兄を助けてやろう」
「……ッ! あ、ありがとうございます!」
「礼を言うのはまだ早い。とりあえず、そいつの容態を見せろ」
ぶっきらぼうにそう言ったバラクエルは、横たわるアディアの体を真剣な瞳で観察し始めた。数秒ほど眺め続けたバラクエルは、顎に手をやり一つ頷いて見せる。
「ふむ、酷いな……。全身の半分以上に火傷が広がっている。特に酷いのは背中と……右足か。完全に炭化し、膝から下はすでに崩れかけてる……骨まで焦げてるだろうな」
それを聞いたアリアが、くしゃりと顔を歪ませた。改めてはっきりと言葉にされると、その悲惨さを強く感じてしまったのだろう。真紅の瞳がまた潤み始める。
「……ッ。や、やはり、足は治りませんか……?」
不安げに尋ねるアリアをじろりと睨み、バラクエルは小さく鼻を鳴らす。
「ふんっ、治らないだと? そんなワケないだろうが。それともあれか? お前はわたしが欠損の一つも治せない無能だとでも言いたいのか? だったら、その認識はすぐさま消し去るがいい。『九曜の大魔女』の名をあまり甘く見るのはよしてもらおうか」
「そ、そう言われましても……ワタシは、貴女のことを知りませんし……」
「…………それは確かに。まぁ、安心しろ、この程度の怪我、わたしの前では怪我と言わん。むしろ、怪我する前よりも健康な状態にしてやろう」
肩を竦めながら言うバラクエル。そんな彼女に、アリアは不思議な感覚を覚えていた。
口調はぶっきらぼうで、表情もほとんど動かない。その身から漏れ出る魔力は強大で、側にいるだけでもの凄い威圧感だった。
けれど、アリアはバラクエルのことを怖いとも嫌だとも思わなかった。それどころか、逆に安心感のようなモノを覚えていた。
まるで身に覚えがないような、それでいて良く知っているような……何とも言えない感覚に、アリアはそっと胸を抑えた。
手のひらに魔法陣を浮かべ、何やら魔法を使ってアディアの容態を調べているらしいバラクエルをしばらく眺めていたアリア。
「……なんだ、何か用なのか? そう見つめられると、落ち着かないんだが……」
「あ……も、申し訳ございません。ただ……貴女を見ていると、なんだか不思議な感じがして……もやもやするような……落ち着かないような……でも、悪い気はしないような……一体、何なんでしょうか?」
「…………な、なななぁ!?」
素直に思ったこと、感じたことを口にするアリア。その発言を聞いたバラクエルは、ぴしりと固まり、言葉にならない叫びをあげた。褐色の頬がみるみる赤くなっていき、視線はうろうろと虚空をさまよいだす。
……どうやら、魔王様はアリアの言葉に、少しばかり桃色な想像をしてしまったらしい。今までのどこか冷たい雰囲気は見る影もなく、見た目相応の乙女のよう。
その姿はバラクエルの名乗った『九曜の大魔女』や『魔王』といった物々しい称号とはかけ離れていたが……『バラクエル・リリン・イブリース』という一人の少女には、とても似合っているな、と。アリアは微笑ましい気持ちになった。
「……なんだ、その目は。その如何にも『なんかこいつ魔王っぽくなくない?』的な目をやめろ。すぐやめろ。即刻やめろっ。あと、わたしはノーマルだからな!?」
「何のことか分かりませんが……」
慌てたように言うバラクエルに、アリアはそう返すと、ふっと零れ落ちるような笑みを浮かべた。
「貴女を見ていると、これまで耳にした魔族の噂が、全てまやかしに思えてしまいますわ」
「なんだそれは……ちなみに、人族の間では、魔族はどんな風に言われているんだ?」
「そうですねぇ……『化け物』とか『残忍極まりない』とか『この世のモノとは思えないほど邪悪で残酷』とか『同じ生き物だと思いたくない』とか……まぁ、あまりいい噂ではないことは確かですね」
「……はぁ。人族は魔族をどんな化け物だと思っているのやら。その噂に当てはまるのなんて、ほんの一握りしかいないというのに……」
「ひ、一握りはいるのですね……」
「そんなの当たり前だろう? 何故かは知らんが、無駄に破壊が好きだったり、殺しを楽しんだり、他人を虐げて喜んだり……そういう阿保はぶっ叩いても吹き飛ばしても後から後から湧いてくる。どの時代、どの種族でもそれは変わらんさ。……というか、その噂にもっとも当てはまるのは、人族のような気がするがな」
そう言ったバラクエルは、薄く微笑みを浮かべてアリアに視線を投げやった。まるで、『なぁ、人族のお前はどう思う?』とでも言いたげに。
その笑みを見た瞬間、アリアの胸中に仄暗いナニカが湧き上がってきた。これまで人族たちから受けた仕打ちが、走馬燈のように脳裏を過っていく。
――ああ、なるほど。
アリアは、バラクエルに微笑み返す。だが、それは笑みというには余りも暗く、黒く……言うなれば『怨笑』とでも表せる笑顔だった。
「…………確かに、そうかもしれませんね」
「お、おう……? そ、そうだろうそうだろう! うむ、なんだお前、なかなか話が分かるじゃないか。褒めて遣わす!」
「くすっ……ええ、ありがとうございます。魔王様」
「う、うむ……お、おっと。そろそろ治療に集中せねば……」
まさか同意を得られるとは思っていなかったのか、ちょっと慌てたように誤魔化すようなことを言うバラクエル。
そんな彼女を見つめながら、アリアは無言で微笑みを浮かべ続けた。
――――その裏で、胸の内で蠢くナニカを、はっきりと自覚しながら……。
早く種族転生させたい……チートで無双させたい……人族をぼっこぼこに殺したい……
話をもう少しスムーズに進めるかなぁ