三話 兄だから
くっそ辛かった。辛かったです。
何が悲しくて愛しい我が子(主人公たち)を虐めなきゃいけないんだ……!
――アディアがそれに気づけたのは、ほとんど偶然だった。
突如、住処の近くで発生した魔力。攻撃的な思念が込められたそれは、間違いなく攻撃魔法を放とうとしている合図だ。
アリアと抱き合いうたた寝をしていたアディアはその魔力を感知し、即座に飛び起きた。そして、大きく目を見開く。
「な、何なんですか、この魔力は……!?」
感知した魔力は、只人が保有する魔力量の水準を大きく上回るモノだった。街の住民のモノとは比べることも出来ず、冒険者だった母の魔力よりも大きいソレは、アディアが生まれてこれまで一度も感じたことないほどに強力で凶悪。無意識に体が震えてしまうほどだ。
だが、恐怖に震えている時間など、今のアディアにはなかった。とにかく早くアリアを起こし、ここから離れなくては――そう考えた瞬間、アディアの魔力感知能力が最悪の答えを告げてくる。
膨大で強力な魔力は、明確な指向性を持っていない。それは相手がアディアたちに気づいていないことだが、同時に攻撃的な意志の向かう先がこの場の全域であることを示していた。
つまり、放たれる攻撃魔法の性質は――――『範囲攻撃』。
そのことに気付いたアディアはとっさに『この状況でアリアを護りつつ自分も無傷で済む』ための打開策を思考する。
何故攻撃魔法が放たれたのか、一体誰がこんなことをしたのか……気になりはするが、そんなことを考えている余裕はない。
危機的状況にフル稼働し始めた思考回路が、次々に思い浮かぶ打開策への回答を叩きだしていく。
回避――不可。
防御――不可。
迎撃――不可。
この状況を犠牲なしに打開する策――皆無。
そうして出た結論は、非情なモノだった。しかし、アディアは絶望せずにさらに思考を回す。最善の結果を得れぬのなら、次善の結果を得るために動く。
すなわち――アリアだけでも無傷で護り抜く。そう決意すると同時に、アディアは行動を開始していた。
まず、未だに夢の中にいるアリアを包み込むように抱き締める。そうした際にアリアが目覚めたが、アディアに現状を説明している余裕はない。
「アリア! 今すぐに魔力を全身に纏いなさい! 早く!」
「ふぇ? お、お兄様……? 一体何が……」
「早くしなさいっ!!」
「は、はいっ!」
寝起きで状況が理解できていない様子のアリアだったが、アディアのあまりの剣幕にすぐさま言われたように魔力を体に纏った。その魔力量は一般人よりは多く、アリアの年齢を考えれば十分すぎるモノだったが……彼らの放たれようとしている魔力には、遠く及ばない。
アリアの魔力量では放たれる魔法を完全に防ぐことはできないと悟ったアディアは、自身も魔力を放出すると、その半分以上を使ってアリアの纏った魔力の上に被せる。
それによって、アリアは何とか攻撃魔法を受けても大丈夫だろう。多少の怪我は避けられないが、それでも五体満足で生き残ることが出来る。
その代償に、アディアの身体にはほとんど防御が施されていないが、彼はそれを一切気にしていなかった。
――これで、アリアを護ることが出来る。それで……それだけで、十分です。
小さく微笑み、アリアを抱きしめる腕に力を込めたアディア。
そして、次の瞬間。
「【紅蓮大斬】!」
巨大な炎の斬撃が、辺り一帯を薙ぎ払った。
――アリアは初め、何が起きているのか理解できなかった。
きつく自身を抱きしめる、一番安心する温もりに目を覚ますと、最愛の兄が酷く焦った表情を浮かべていた。
困惑もしたが、それ以上に普通じゃないアディアの様子に、諸々の疑問は飲み込んで言われたように全身に魔力を纏うと、その上から兄の魔力が覆いかぶさってきた。
そして、兄が自分を抱きしめる力が僅かに増した刹那……。
――膨大な熱を伴った真紅が、アディアに直撃した。
「ぐぅ……!」
「お、お兄……さ、ま?」
アディアに抱きしめられているせいで、視界はほぼ塞がっているので、何が起きているのかを見ることは叶わない。だが、魔力越しでも感じる熱と、住処の全域にまき散らされた見知らぬ魔力の残滓から、炎属性の魔法攻撃が行われたことは理解できた。
一緒に、その攻撃をいち早く察した兄が、自身の身を顧みずにアリアを護ろうとしていることも。
「ッ! お兄様! すぐにワタシに纏わせている魔力を止めてくださいませ! このままでは、お兄様が……!」
「く、くひひっ……い、いくら……可愛い妹の……うぐっ……た、頼みとはい……え……うぅ……そ、それは……き、聞けませ……ん……ね……? ……あぐぁ!?」
「お兄様ぁ!」
燃え盛る炎は容赦なくアディアの体を焼いていく。苦しみに喘ぐ兄の姿にアリアは悲痛な声を上げた。
アディアの腕から抜け出そうと藻掻くも、彼は決して腕から力を抜かない。アディアがどうやっても離す気がない事に薄々気が付くも、アリアはそれを認めるわけにはいかなかった。
「もういいです! もういいですから、お兄様! このままじゃ、このままじゃお兄様が死んでしまいます!」
「……わた……しは、死にま……せん、よ。だ、だいじょう……ぶ、です……か、ら……ぅあ……」
「ちっとも大丈夫じゃありませんわ! 離してください! 離してぇ!」
「くひ……ひ……だぁ、め……ですよ。ぜぇったい、離しません……から……。アリアを護る……のが、私の役目……です」
「だって……だってぇ……いやぁ……だめです……だめ……おにいさま……いやだぁ……やぁ……」
ふるふると、駄々をこねるように首を振って、涙声で「嫌だ」と何度もいい募るアリア。
そんな妹の姿を見て、アディアは微笑もうとする。しかし、鋭く走った痛みのせいで、浮かべられたのは引きつった歪な笑みだった。
――――ああ、だめですね、私は。こんなにも、アリアを泣かせてしまった。これじゃあ、兄失格じゃないですか。
――――『兄は命を賭けてでも妹の笑顔を護るモノ』でしたっけ? すみません、お母様。どうやら私では、命を賭けても妹を泣かせてしまうようです。
――――それにしても……くひひっ、一体誰なんですかねぇ。こんな真似をしたのは。
――――殺されかけるのは慣れているので、いいのですが……アリアを泣かせる原因をつくったことだけは、本当に許しがたい。
――――何処の愚か者か知りませんが……絶対に許しません。何時か絶対に、報いを受けてもらうことにしましょう。
――――報いは無論、命で支払ってもらいましょう。ええ、遠慮せず、存分に……苦しんで死ね。
痛みと熱で朦朧とする意識を、ただ『妹を護る』という思いと妹を泣かせた原因である襲撃者への殺意で必死につなぎとめるアディア。しかし、それも長くはもたない。
けれど、アディアは、どれほど痛みに喘ごうが、どれだけ熱が身体を焼き焦がそうが、意識を失いそうになろうが、アリアを護る魔力を微塵も揺るがせることはなかった。アリアはそんな兄の腕の中で、ただただ涙を流す。魔法を放った者と、何もできない自分の無力さを呪いながら。
そうしているうちに、だんだんと魔法が効果を失っていき、炎の勢いが弱まっていく。
魔法に込められた魔力が尽きるまでにかかった時間は十分ほど。アディアたちの住処は背の高い草の生え茂る廃墟群から、黒焦げた広場にその容貌を変化させていた。
そして、その広場の隅にうずくまる影が二つ。
一つは、全身が煤けており、軽い火傷を腕や足に負っているが、意識もはっきりとしているアリア。
そして、そんなアリアを護り抜いたアディアは……辛うじて、命『だけ』は助かっていた。
「……お兄様お兄様。目を覚ましてください、お兄様」
アリアは兄の側に寄り添いながら、何処か虚ろな声で呼びかける。だが、アディアがその言葉に返事をすることはなかった。
ずっと炎を浴びていた背中は酷く焼きただれ、ケロイドが全面に出来ている。ところどころ黒ずんでいるのは、すでに炭化してしまっているのだろう。
しかし、一番酷いのは右足だった。運悪く火力の高い場所に長く曝されてしまった結果、右足の膝したは完全に炭化し、崩れ始めていた。効果の高い霊薬でも使わない限り、アディアは二度と自分の足で歩くことはできないだろう。
それ以外の箇所にも火傷が広がっている。浅く息をしてはいるが、いつ命を落としてもおかしくない。
アリアは、そっとアディアの頬に手を添えると、青紫色に変色した兄の唇に自分のそれを重ねた。
いつもなら、柔らかくて暖かな感触が返ってくるはずなのに。今は、凍えそうなほど冷たくて、何も返ってこなかった。
「お兄様……お、にぃ……さ……ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!??」
虚ろだったアリアの瞳に、大粒の涙が浮かび、それが次々に雫となって零れ落ちる。そして、天を割くような悲痛な叫びが響き渡った。
「ああああああああああああッ!!? お兄様、お兄様ぁ! 死なないで、死なないでぇ!」
アリアが、叫ぶ。されど、アディアは返事を返さない。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 絶対に嫌だ! やぁ……嫌だよぉ……。目を、覚ましてよぉ……! お兄様ぁ……!」
アリアが、泣く。けれど、アディアは目を開かない。
「お願い……ずっとずっといい子でいるからぁ……ワタシを……一人にしないでよぉ……!」
アリアが、願う。だが、深く傷ついたアディアの意識は――――
「……………………あ、り……あ?」
「ッ!!? お、お兄様! お兄様!?」
うっすらと、アディアの瞼が開かれ、ぼんやりとした瞳がアリアを捉えた。
書ききれなかったので、次回も我が子虐めから始まります。悲しみの涙をぬぐう『あの人』よ、早く現れてくれ……!
なお、二人が生き残れたのはカズキくんの魔法の完成度が低かったからです。魔法とかの設定に関しては作中に書くかあとがきにちょこちょこ乗せる予定。