二話 忍び寄る者ども
何とか間に合ったな! うん!
まぁ、主人公も妹も出てこないんだけどね。
――上手くいった。
グラオザーム王国に住む平民の男、ゲイスは密かにほくそ笑んだ。
「それにしても、本当にありがてぇです。あの魔族にはほとほと困っていまして……ええ、何時襲われるかと気が気じゃ無かったんですわ」
「まぁ、街の中にそんな連中がいれば不安だよな……。けど、安心しとけ! この勇者カズキに倒せぬ敵はない! ……なーんてな」
「ははっ、こいつは何とも頼もしい。勇者様が今日ウチの店に寄ってくれたのは、一生モノの幸運ってヤツですわ」
「おいおい、それは大げさだぜ?」
ゲイスの下手な煽てに肩をすくめて謙遜を――口元には隠し切れない笑みが浮かんでいるが――するのは、こげ茶色の髪と瞳を持つ青年だった。
彼はゲイスからとある頼まれ事――『貧民街に住み着く魔族の討伐』を受けて、ゲイスの先導で人通りのない薄暗い道を進んでいた。
彼の名をカズキ・キサラギといい、加えて彼は『勇者』だった。
『勇者』とは、異世界より召喚される人族の希望。人族の宿敵である魔族を滅ぼす使命を得て、聖神ヒューマが遣わした存在とされている。
約一月前に勇者召喚が成功したと国から通達があり、その後行われたパレードで、カズキと他四人の勇者が発表された。
国民は勇者の存在に大いに沸いた。これでグラオザーム王国の悲願を達成できる、と。
グラオザーム王国の悲願。それは『魔族の根絶』である。
大陸の中央部を大きく分断する『死血の大地』を挟んで東側に広がる魔族の住む領域、通称『魔界』の一番近い場所にあるグラオザーム王国は、建国当時から魔族との争いが絶えなかった。つい十五年ほど前にも魔王率いる魔族の軍隊が人族の領域に攻め入ってきた。
その時は人族の国々が力を合わせ、連合軍を結成しこれに対抗。数多の犠牲を出しつつも魔族の軍隊を『死血の大地』から出すことなく討伐することに成功した。
しかし、魔界に一番近いグラオザーム王国は連合軍が集結するまでの時間を稼ぐためにどの国よりも早く魔族との戦闘を開始し、その結果、連合軍に参加した国の中で最も多くの犠牲者を出す結果となった。
戦いが終わっても、人々の心に刻まれた傷はいえない。家族を失った者がいた。戦友が目の前で死に、自分だけが生き残ってしまった兵士がいた。愛する人が帰らず、心を壊してしまった者がいた。
故に、国民のほとんどが魔族という存在を憎んでいると言っていい。もし彼らの前で魔族を擁護するような発言をすれば、殺されてもおかしくない。
そして、ゲイスもまた、魔族に深い恨みを持つ者の一人だった。彼の場合、家族を守るために弟と一緒に志願兵として戦争に参加し、その弟を目の前で惨殺されたことで魔族に憎しみを抱くようになった。
その恨みの深さたるや、『髪と瞳の色が特殊なだけの子供』を『何の根拠もなし』に『魔族だと吹聴』。そして『迫害の対象になるよう』仕向けるほどだった。
ゲイスがその子供に何かされたわけではない。ただ彼は、自分たちとあまりにかけ離れた色彩の髪と瞳に、魔族を連想した。それだけの理由で、ゲイスはまだ年端も行かない幼子を迫害することに何の躊躇いも持たなかった。
子供の母親も貶し、救いを求め伸ばされた手を蹴飛ばし、思いつく限りの罵声を浴びせ、それを周囲にも伝播させる。そうすることで、魔族に対する鬱憤を晴らそうとする。そんな悍ましい行為に、ゲイスは暗く歪んだ快楽さえ覚えていた。
十年ほどの年月をかけて行われた悪意の草の根活動は実を結び、ゲイスの住む下町全体の住人はすでに、髪と瞳の色が特殊なだけの子供――すなわち、アディアとアリアに対して、大きすぎるほどの敵愾心を抱いている。
……しかし、これと同じ現象は、ゲイスが手を加えなくても別の形で発生していただろう。そのくらい、この国の魔族に対する恨みは深い。
そして今日、ゲイスの働いている店に、王城での窮屈な暮らしに嫌気がさし、お忍びで抜け出してきたカズキが訪れたことで、ゲイスはあることを思いついた。
――――そうだ、勇者にあの化け物どもを討伐してもらおう。
ここ最近はアディアたちが下町の方面にほとんど姿を見せなくなってしまったことで、彼らを虐げることで発散していた魔族への不平不満が内に溜まっていたゲイス。それが我慢の限界に来たことで、そんなことを考えるに至ったのだ。
もし、本当に勇者がアディアたちを討伐してしまえば、もう二度と鬱憤をぶつけることもできなくなるのだが……狂気にどっぷり染まったゲイスの脳にそんな考えは微塵も浮かばず、ただ苦しみに喘ぐアディアたちの姿を想像して仄暗い笑みを浮かべるだけだった。
「そいやぁ、その魔族ってのはどんな見た目をしてんだ? やっぱ、化け物みてぇなおっかねぇカンジなのかね?」
「いえ、その魔族共は狡猾でしてね。人族とそんなに変わらん姿をしてるんですわ。まったく、忌々しい奴らだ」
「ふーん、そっか。まっ、どんな奴だろうと負けねぇけどな」
そして、そんなゲイスの言葉を鵜呑みににし、意気揚々と『ただの子供』を討伐しようとしている勇者、カズキ・キサラギ。
彼は勇者として召喚されたことで、超人的な身体能力と圧倒的な火属性魔法への適正を手に入れた。日々の訓練でそれを着実に使えるようになっている。メインウエポンは腰から下げた両刃の直剣。総ミスリルで拵えられ、火属性魔法の威力を向上させる魔法陣が刻まれた業物である。
しかし、彼は他の世界よりやってきた存在。それに、カズキの暮らしていた元の世界は、長年戦争もなく、暴力とは無縁な平和な場所だった。カズキ自身も、軍役に付いたこともなければ武道を嗜んでいるわけではない、極々普通の一般人だ。
故に彼は、戦う覚悟も誰かを傷付ける覚悟もなく、ゲイスの頼み事も『頼まれたから、やってみる』という漠然とした理由で引き受けただけ。自分が討伐しに向かっている存在の詳細な情報も確認せず、何の根拠もない自信を漲らせている。戦いを生業としている者から見たら、論外と断じられるだろう。
また、本来戦いとは無縁だったカズキは、自分に宿った超人的な力に酔っているところがあり、なおかつその力を発揮してみたいと常から思っていた。今回の件はそんな彼にとって渡りに船といっても良かった。
一人の悪意と、一人の無知。それが巻き起こす事態が人族にとってどれほど深刻なモノになるのか……この段階では、誰一人として知る者はいなかった。
そうしているうちに、カズキたちは目的の場所にたどり着く。
「おっ、勇者様。ここですぜ。このあたりが、魔族共が住処にしている場所だ」
「うわぁ……壊れた建物と、背の高い草だらけじゃねぇか。これじゃあ、魔族が何処にいるのか分かんねぇぜ?」
「それはそうですが……そこはほら、勇者様のお力の出番でさぁ」
「うへぇ……魔力であたりを探知するのは習ったけど、俺アレ苦手なんだよなぁ……」
アディアとアリアが住処にしている……というか、他の住民たちに追いやられた結果、ここ以外に雨風をしのげる場所がなく、仕方なく住んでいる場所を見渡し、カズキは面倒くさそうに眉をひそめた。
だが、すぐに何かを思いついたような表情になり、カズキは腰に帯びた長剣を抜いた。
いきなり抜剣したカズキを見て、ゲイスは目を見開き慌てたように声を掛けた。
「ゆ、勇者様? いきなり剣なんて抜いて、どうかしたんですかい? もしかして、魔族共をもう見つけたんです?」
「……なぁ、アンタ。ここって他に住んでるヤツとかいるか?」
「へ? ……い、いえ。こんな辺鄙なところに住んでる物好きはいやせんし、それにここは魔族共の住処なんで……」
ゲイスの返答を聞いたカズキは、ニヤリと得意げな笑みを浮かべると、おもむろに魔力を高め始める。
ざわり、とカズキの纏う空気が揺らめく。彼は両手で持った長剣を大上段に構えると、ゲイスにちらりと視線を向けた。
「下がってな。怪我するぜ?」
「……な、何をするんです?」
「何って、決まってんだろ? 何処にいるか分からねぇ敵を闇雲に探してちゃ、相手にバレちまうかもしれねぇ。なら、選択肢は一つだ。相手に気づかれる前に……この場所ごと、吹き飛ばすッ!!」
そう言い切ったカズキに、一瞬思考が止まったゲイス。カズキはそれを無言の肯定と受け取ったのか、視線を戻し剣を握る手に力を込めた。
我に返ったゲイスが止めようとするが、間に合わない。
カズキは、高めた魔力を長剣に集め、渾身の力でそれを振り下ろす――――!!
「【紅蓮大斬】!」
長剣より放たれた巨大な炎を斬撃が、アディアたちの住処を蹂躙した。
こいつらは後で酷い目に遭います(断言)
カズキくんは更生の余地あり……? まぁ、彼次第だな。
次回はついに『あの人』が登場するかも……?