表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死刑制度廃止の日

作者: 真蛸

 弁護士が椅子に座っている。死刑囚が近づいていくと、腰をうかせ、軽く目礼を寄越した。死刑囚は金網入りの強化プラスチックの向こうに目礼を返しながらこちら側の椅子に腰掛けた。

 弁護士は青ざめた顔に無理に浮かべたような笑顔を貼り付けた。

「おめでとうございます」

 弁護士の言っていることは死刑囚も承知している。それはもはやニュースとは言い難かった。

「拘置所の中も今や快適でね。時間は決まっているがテレビも見られるし新聞だって読める。釈迦に説法かも知れないが」

「もうご存じなんですね」

「そりゃそうだ、もう三日も前の話じゃないか」

 まったく、こいつは何を言っているんだろう。拘置所の中の人間はもちろん、こんな場所とは縁のない一般の国民にだって、今いちばん関心のある話題だろうに。

「あんたにとってはめでたくないニュースだろう」

「どういたしまして。私も心から願ってきていて、今、喜びでいっぱいであることは、あなたもご存じじゃあないですか」

「そのわりには来るのが遅かったじゃないか」

「すみません、ちょっとやらなければならない仕事がありまして」

「ほう、俺の仕事が最重要という訳じゃなかったってことか」

 すると弁護士はまた笑みを――今度はどうやら心からの笑みを浮かべて、

「あなたに嫉妬して頂けるとは嬉しいですね」

「馬鹿を言うな。前はずいぶんと熱心だったから、ちょっと不思議に思っただけさ」

「なるほど。しかしとにかく、せっかくそのようなことまで言って頂けるようになったところで、残念ながら昨日限りであなたのご支援は終わりとさせてもらいました。急な話ですみませんが。しかしもう、大きな仕事はやり遂げたと言っても、お怒りにはならないでしょうね。何しろもはや、死刑になることはなくなったのですから」

「弁護士面談ではなしに、一般面会に来たから、なにかあるとは思っていたんだ。確かにずいぶんと急だな。俺を死刑にできなくなって、がっくり来たな?」

「またそのようなひどいことを。もう慣れましたが。むしろそのひどいお話が聞けなくなると思うと、ちょっと寂しい気もしますね」

「ふん、マゾだったのかよ、そうだと思ってたけどな」

「そのような軽口が出るようならば、お怒りということはないでしょうから安心しました」

「ああ言えばこう言う、口の減らない奴だ」


 弁護士は激烈な死刑反対派として世間一般にも名が知れていた。いや、もはや、であった、と言うべきか。

 極悪な事件が起こるたびにマスコミに登場し、とにかくどんな凶悪犯だろうが死刑にするな、と声高に主張した。冤罪を主張する者、再審の可能性の残されている者などはともかく、現行犯で逮捕された無差別殺人通り魔、自ら死刑になるために大量虐殺をしたなどと取り調べに対してうそぶく凶悪犯等、反省、更正の余地のない者まで一切の区別、差別なしに救えと繰り返した。その主張を支持する者もいたが、世間の大多数は反対した。

 また、世の中には単純な者がたくさんいて、「それならば自分の家族が惨殺されてもそんなことが言えるのかよ」などと言って、揚げ足を取ったつもりになっている。放っておけばよいものを、弁護士もバカ正直に、もちろんこれは自分の思想信条であるから、たとえ自分が殺されようと、その犯人を死刑にしてほしくない、などと発表した。これはしかし一部の人間の反感を買った。家族を殺されたときの弁護士自身の態度を問われているのに、回答を避け、はぐらかす行為であると。

 しかしその後も弁護士は「家族が被害に会った場合の自分の対応については明言しなかった。その話題への言及そのものを避けていた。その一方でテレビ出演などを続け、死刑制度反対への変わらぬ主張を繰り返した。「理不尽な犯罪被害者家族の会」などという団体の代表数人と公開討論を繰り広げたりもした。

 一般的な反応としては、死刑制度存続派が多数を占めていた。少なくとも声の大きい者たちは。凶悪事件が発生して、弁護士が目立つところに登場するたびに、ネットは弁護士を叩く意見で溢れた。またこいつか、安全地帯から被害者感情を逆撫でするロクデナシめ。


 ――その悲惨な事件が起こった背景はそんなところだった。


 弁護士の妻と子供が殺害された。犯行は休日の昼間、弁護士は講演活動で地方に出かけていた。バットで滅多打ちにされるという陰惨な殺害方法だった。

 犯人はすぐに自首をした(警察が動き始めるまえだったので自首が成立した)。

 そして世間のあきれ、驚いたことに、犯人は被害者の弁護士を自分の弁護人に指定したのだった。しかしその一方で、犯人の行動は歪んだ理ではあるものの、理にかなっているという意見もあった。そう、弁護士がかつて言ったように、死刑反対が弁護士の変わらぬ信念であるならば、自分の家族を殺した犯人であろうと、死刑回避のための弁護ができるであろう。被害者の家族が弁護人であるとは、犯人にとってこれ以上に有利なことはない。

 しかしさらに世間をあきれさせ、驚かせたのは、弁護士がその依頼を引き受けたことだった。いくら何でもまさか引き受けるとは誰も思っていなかった。通常、自身が私的に関わる件の弁護は認められないが、今回は犯人自身と弁護士自身の双方が強く望んだこともあり、特例として認められた。

 世間の見方のひとつとして、弁護士がわざと量刑が重くなる方へ誘導するのでは、というものがあった。しかしそうなったらなったで、犯人にとっては望むところで、つまりそれは弁護士の欺瞞を暴くことになる。犯行動機は実にそこにあったからだ。

 もっとも世間をあきれさせ、驚かせたのがその異常な犯行動機だった。

 犯人は死刑制度の存置問題じたいには興味があるわけではなく、弁護士が死刑制度廃止を訴えるのも、現行死刑囚の執行停止を求めるのも、特に気にしてはいなかった。世間の一部の人間のように、それに対して「義憤」を感じるようなこともなかった。

 犯人が怒りを感じた、と証言するのは、家族が殺されたらどうするか、という問いへのはぐらかしだった。問いかけに対して真っ直ぐに答えず、自分が殺されても、と論点をずらしたのだ。家族が殺されたら、という仮定に対して答えられないということは、つまりその場合、死刑賛成にまわることだってあり得る、ということである。しかしそのようなことを言う訳にもいかないので、問いかけの方をずらしてごまかしたのだ。

 だから弁護士の家族を殺してみたのだ。

 異常者である。

 しかし、殺害したのが二名であったということが、この異常者が計算高さを備えた異常者であることを示していた。一般に、一人であれば、まず死刑にはならない。三人であれば相当な情状酌量の余地がない限りは死刑である。二人はどちらにも転びうるのだ。

 公平に見て、弁護士は自分の家族を殺した犯人の弁護をよくやった。

 同時に、死刑制度廃止運動により一層の努力を払うようになった。それまで以上に講演を行い、精力的に政治家に会って法案提出を訴え、根回しをした。犯人の弁護をよくやったとは言ったが、こちらにかける情熱に比べると見劣りするほどだった。

 そして、そうした弁護士の、こちらもある意味において異常な努力にもかかわらず、犯行動機の身勝手さ、反省の様子の見られない点などから、結局犯人には死刑が言い渡されたのだった。

 弁護士は死刑囚となった犯人の再審請求をして時間を稼ぎ、そのあいだに死刑廃止のための努力をさらに続けた。世間ではそれを犯人よりも異常なのではないかというまなざしを持って見つめた。


 そして、先日とうとう死刑制度廃止が決定的になった。これに関してはもちろん現状の死刑囚にも適用され、すなわち死刑囚は死刑囚ではなくなった。

 これには、家族を惨殺されてなお、死刑廃止を主張した弁護士の意見が大きくものを言ったということもあった。事件ののちも態度、主張を変えなかったことが立派であると世間の高い評価を得て、世論が世の中を動かしたということである。


 しかしこの死刑囚――いや、元死刑囚は、異常なことに、弁護士に感謝するどころか自分が感謝されるほうである、と考えていたのだった。すなわち俺は結果的には弁護士の目的を達する手助けをしたことになるではないか。俺は死刑こそ免れたものの、死刑の代わりに設置される終身刑を喰らうことになるのは確実だ。弁護士の悲願を叶えてやるために、残りの人生を捧げてやったようなものだ。とんだ喰わせ物だ、この弁護士は。俺は礼を言われる方であって、礼を言う筋合いはないということだ、と。


「さて、では私はそろそろ行かねばなりません」

 弁護士はそう言うと、接見窓に写真を押し付けた。「最後に差し入れです。気をつけてごらんになってください」

 元死刑囚は眉をひそめてそれを見た。

 血まみれで顔の潰れた大人の女らしき顔だった。なんだ、今さら。最後だから、もう一度現場写真を見て反省しろとでも言いたいのか、と元死刑囚は思った。彼は今までに、弁護士に対して謝罪の言葉を口にしたことは一度もない。

 しかし写真は見覚えのある光景を写しているようでいて、微妙な違和感があった。

 弁護士がつぎの一葉を示す。今度は大人の男の、さっきと同様に顔をつぶされた写真だった。

 男……?

「おい、これはなんだ。俺の被害者……あんたの家族じゃないのか。誰だよ?」

「人殺しの家族などという烙印を押されると悲惨ですよ、特にあなたのような異常な殺人者の家族はね、もう大変な十字架を背負って生きていかねばなりません。それから解放してあげるのはむしろ慈悲だと思いませんか。思うでしょう? 感謝されてもいいくらいだ」

 弁護士がまた一枚めくると、元死刑囚はヒイッという悲鳴ともため息ともつかぬ声をあげた。

 そこには彼の両親が横たわっていた。まず無傷で、弁護士がめくっていく写真には、だんだんバットのような鈍器で殴られて顔が潰れていく様子が克明に収められていた。

「それから、復讐の連鎖を断つために、のちの憂いとなりそうな方々にも死んでいただきました。四親等、すなわちあなたのいとこ等までですね。合計で十四人になりました」

 弁護士はさらに、何人かづつが横たわっている写真を数枚さっさとめくってみせた。懐かしい、見覚えのある顔もいくつかあった。

「殺し方はそれほど残酷にするにはおよびませんので、毒殺としました」

「く、狂ってる……!」元死刑囚が言った。

 弁護士は薄く笑った。「ではさようなら。わたしはこれから自首します。すこしでも心証をよくするために。それでもどうせ一生刑務所からは出られないでしょうが、刑務所の中も今や快適でね」

〈了〉

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ