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通されたのは、天井以外、赤茶色の岩肌をそのまま利用した部屋だった。
ここまで来るのに四日かかった。おまけに旅の最後は、トレジャー・ハンターのようなことをもさせられ、目的地に着いたときは汗びっしょりだった。
結論から言うと、グイードをリーダーとする一団は敵ではなく、ハーディの希望的観測が幸運にも的中した形となった。
そんなグイードのボス――別の言い方をすれば今回の仕事の依頼人――を前にして、ハーディはこの四日間、頭のてっぺんから足のつま先まで忙しなく昇降した様々な感情が、一気に身体から抜け出していく脱力感と戦った。戦わなければ、地面にへたり込んで、立ち上がれなくなりそうな気がした。
「よく来たな」
老人は、闊達に笑う。
ハーディは幾分大げさにため息をついてみせる。自分より三倍は長く生きている人生の大先輩相手に、どう格好をつけても滑稽にしかならないから、素直な感情のままに言葉を吐き出した。
「あんたはいったい何がやりかたったんだ、グランパ・トト」
文句であり、苦情でもあった。
往年の大宇宙海賊に向かって、三十にも満たない若造がきける口ではないし、仲間以外の人間が気軽に使っていい呼び名でもない。老人が老人であるからこそ、ハーディの態度は本来、看過できざるものであった。
これがほかの人間であれば、老人の傍らに恭しく控えているグイードが即座、懐に忍ばせている銃を抜いていたことだろう。だが実際には、彼は眉ひとつ動かさなかった。
老人も若者の無礼に気を悪くした様子はなく、手を差し出す。
「言いたいことはたくさんあるだろうが」
そこでいったん言葉を切り、眼前の配達屋の青年に意味ありげな視線を投げかける。八十路の坂をとうに越えた老人とは思えない力強さと、八十年生きた人間の老獪さが共存する双眸がハーディを捉える。
「ひとまず依頼の品を見せてもらおうか」
紅い髪の配達屋は、黙ってジャケットの内ポケットから、例の薄い金属ケースを取り出す。大きさは掌から少しはみ出るくらいで、厚さは二センチもない。
老人はそのケースの表面を大事そうに、愛しげに撫でた。
「中身は見たか」
「見るわけないだろう。こっちは信用が第一の商売なんだ」
蓋がスライド式のケースには封がなされていない。開けようと思えば指ひとつで開く。
それなのに老人は、どこか躊躇いさえ感じさせる沈黙で、ケースの表面をゆっくりと撫でるばかりだった。
年寄りは感傷に浸るものだが、依頼品をきちんと届けたことを確認してもらわなければ、ハーディとしては仕事を完遂したとはいえない。
少し焦れはじめた頃、ようやっと決心がついたのか、老人の指が動いた。
現れたのは一枚の紙。
離れて立つハーディにはそう見えたが、実際は違う。見てみろと渡され、遠慮せずに受け取って見ると、初めてそれが写真だとわかった。
今の世の中では写真といえば三次元立体写真を指すが、フォトペーパーに現像する二次元写真も決して淘汰されてはいない。
そこに写っているのは、濃い金髪の二十代半ばの女性と、ベビー・ベッドで玩具を片手にした赤ん坊。二人とも笑顔で、女性はカメラに向かって、赤ん坊はカメラの外に向かって笑っていた。フレームの外、カメラを構えているのは男性だろうか。
老海賊にとっても配達屋の青年にとっても、なんとも現実離れした、いたって普通の幸せと呼ぶべき情景といえた。
ハーディは女性の顔にひっかかりを覚えた。どこかで会ったような気がしたからだ。
けれども写真の女性は明らかに初めて見る顔で、いくら眺めても、なんら記憶を呼び起こすに至らなかった。
「曾孫だ」
老人は言った。
あ、とハーディは声を上げそうになった。
確かに写真の女性には会ったことがないが、彼女によく似た人間になら会った。
老海賊の依頼で金属ケースを受け取る際、手渡してくれた初老の女性がそうだ。その女性も思い返せば、眼前の老人と印象がつながる。
何をやりたかったのかとハーディは老人に尋ねたが、写真一枚で答えが見えた。――ついでにグイードの「暴挙」の意図も読めた。
写真を返すと、老人はそのままグイードにも見せた。眦を下げ、側近にまで曾孫自慢する姿は、とてもかつて宇宙を席捲した大海賊には見えない。この表情は市井のどこにでもいる、ごく一般的なお年寄りそのものだ。
もっとも、すでに八十歳を過ぎているにもかかわらず、七十代…へたをすれば六十代にすら見えるくらい、実に矍鑠とした元気なお年寄りではあるけれど。
ケースの中には写真以外にも、メモリー・チップらしきものが入っていたようだ。老海賊もその側近もにわかに表情を改め、一瞬ふたつの視線が鋭く交わる。
ハーディは声をかけられるのを待った。自分に関係ないのはもちろんだが、正しい配達屋とは、依頼人のプライベートには踏み込まないものである。
メモリー・チップとともに、孫娘と曾孫の写真を再びケースに戻すと、老海賊は眦に皺を刻んで、紅い髪の青年に笑顔を向けた。
「すまなかったな、大変な目に遭わせちまって」
「俺の仕事は完了でいいんだな」
「ああ。よく届けてくれた。礼を言うぜ」
そこでハーディは腰を下ろすようすすめられるが、グイードが立っているから、なんとなくはばかれる感じがして、少し躊躇った。
老海賊はおもしろそうに目を眇める。孫と年が近い青年の頭の中などお見通しなのか、かまわず座るよう言い、こう付け加えた。
「おめえらは今回が初対面だったよな。ずいぶんと仲良くなってるじゃねえか」
仲良く、とはずいぶん語弊のある言い方だ。何よりも、からかってくる老人の口ぶりにげんなりする。
「俺は年長者は敬うたちなんだ」
言っていることがあまりにも子供じみているという自覚はあったが、相手は曾孫までいるような人生の大先輩である。たとえ自分が五十歳であったとしても、子供扱いされるのがおちだ。実際、あの初老の婦人は五十代くらいなのだから、まさしくそのとおりでしかないのだろう。三十が射程距離圏内の男としては、いささかどころでなく複雑である。
案の定、老人は微笑ましそうにハーディを眺めるばかりで、芸のないセリフを聞き流している。代わりに言ったのは次のような言葉だった。
「おめえも思うとこがいろいろあるだろうが、この老体に免じて、こいつらの無礼を許しちゃくれねえか」
これにはハーディが口を開く前に、グイードが驚き、慌てて一歩進み出た。
「グランパが謝られる必要はありません。すべては俺の独断です」
「そうは言うけどよ。黙認したのは俺だ」
独断で黙認ですか……
ハーディはちょっと目が遠くなった。
「ま、俺が自分で行くのが一番手っ取り早いんだけどさ…」
「それはまかり間違ってもやめてください」
「――だ、そうだ」
すでに隠居の身とはいえ、往年の大海賊に動かれては警護のほうが大変だ。
ハーディがこの隠れ家まで来るのに要した時間は四日。その間に遭った襲撃はすべて、老海賊の弱点と思われる依頼品を手に入れるため、もしくはこの隠れ家を突き止めるためのものだった。
四日という日数も、そういった敵から隠れ家を守るためであり、ひとつのルートを使わず、陸路と空路を繰り返し、遠回りした。
グイードが白昼堂々と拉致行為に出たのも同様の理由である。敵にわざと自らの存在を見せつけ、おびき寄せたのだ。そうすることで、これまで水面下で策を弄していた連中を誘い出し、その正体を暴き、一気に殲滅をはかった。
ハーディの知らない裏で、様々な策謀や暗闘があったことは想像に難くない。
写真にしてもそうだ。電子メールに添付して送れば至極簡単なことなのに、わざわざ銀塩写真にしている。電子メールにしろ立体写真にしろ、データが残ることを危惧したからにほかならない。特に電子メールのほうにはハッキングの恐れも常に付きまとうため、なおさら使えない。たとえどれほどセキュリティを万全にしていようとも、愛する家族の顔が敵に知られる可能性がわずかでもある限り、誰だって試しはしないはずだ。
情報通のハーディですら「疾風怒涛のサルヴァトーレ」に血縁者がいることを知らなかった。もしかすると写真の女性も、自分の祖父の名を知らないのかもしれない。それだけサルヴァトーレは徹底的に家族とのつながりを世から隠し、絶ってきた。守るために。
改めて老海賊を見る。
お願いですからもう少しご自分の立場を考えてください。
気づかれるようなヘマはしねえって。
そういう問題じゃありません。
地上は厭きんだよ。
我慢してください。
だってつまんねえし。
わがままはいけません。
などなど。
サルヴァトーレの武勇伝は宇宙に掃いて捨てるほどある。どう考えても作り話でしかないような逸話も数々残っている。本人はきっぱり足を洗ったつもりでも、連邦政府からすればそんな理屈は通じるはずもない。そのため、いまだ生死不問の手配書が活きたままになっているので、いつまで経っても賞金稼ぎから首を狙われている。
生ける伝説とも言うべき人間が、今ハーディの目の前で、ところどころ微妙に聞くに堪えない軽い応酬を側近と繰り返している。こうしたやり取りを楽しんでいるふうに感じられた。その光景は不思議であると同時に、なんだかとても微笑ましかった。
老海賊の言うように、ハーディとグイードは初対面だ。そもそもサルヴァトーレの側近に、グイードという名の男がいることも今回初めて知った。二人の互いへの接し方を見る限り、とても一朝一夕の付き合いには思えないのに、である。
いったいこの男は何者だろうか。
そんなハーディの視線に気づき、老海賊は足を組み替えて、大げさにホールド・アップして見せた。
「ま、こういうわけだ。こちとら年寄りなもんで、今じゃ拳にものを言わせても、若いのにゃ勝てやしねえ」
年は取りたかねえや。そう言ってしみじみと頭を振る老海賊は、背も曲がっていなければ、滑舌もしっかりとしている。だいたいこれほど威勢のいい物言いをテンポよく繰り出す年寄りなど、見たことがない。これで八十を過ぎているというのだから、側近や警護の苦労がしのばれる。
そう思うも、ハーディは敬意を表して、小さく笑うにとどまった。




