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退屈から混沌へ転じるのは一瞬だ。
車が走り出してから二時間ほど経った頃。無声の旅に、緊急回線用と思しきブザー音が割り込んだ。
小さな赤いランプが点滅し、スピーカーホンから「来た!」という切羽詰った叫びが届く。と同時に、後続車がつんざくような悲鳴を上げてスピンした。
すぐさま運転手がハンドルを手動に切り替え、加速する。
反動でハーディの体が大きく前後へ振られ、直後、ドンッという爆発音を聞く。
後ろの車が爆発したのだろうか。ぐんぐんと加速していく車内からでは確かめるすべもない。
体勢を立て直す間もなく、ハーディの周りの音が急に大きくなり、髪を直接風が殴っていった。そこでようやっと顔を上げると、車の天井の一部が開いたのだとわかった。
ハーディを左手から挟んでいた部下Aが、天井から体を乗り出し、助手席にいた部下Bは全開した窓の枠に体を固定させている。どこから、いつ取り出したのか、二人とも手には中距離射撃用の銃器を持ち、リーダーが命じるまでもなく応戦した。
吸った息を吐き出すより前に、ハーディは再び背中を丸めることになる。リーダーの男に上から覆いかぶされたからだ。状況を把握しきれないまま、完全に身動きが取れなくなってしまい、視界も狭まる。体勢から守られていると理解したのは、一拍の間を置いたのちだった。
拉致犯のすることではないが、依頼品を守っていると思えば納得もいく。
すぐ横で爆発音が起こった。
辛うじて直撃を免れた車は舗道をはずれ、大きくカーブして、再び戻る。
黒尽くめの拉致犯たちもただやられているわけはなく、その間も反撃をしている。
相手がどこから攻撃をしてきているのか、ハーディには確認できなかった。それでも神経を研ぎ澄ませ、爆発音の向こうの音を拾ってみたところ、飛行機系の機械音は聞こえなかったので、ならば敵もこちらと同様、車なのだろうと推測した。
もしかすると敵は「味方」かもしれない。
ハーディの脳裏にその考えが浮かぶ。しかし、明らかにこちらを殺しにかかってきている相手が、たとえ敵でなくとも、味方にしたいと思う人間はまずいない。よって味方ではない、と、そう結論した。
ハーディは意を決して身をよじり、自分を守っている男から離れ、視線を合わせる。男の視界に拘束されている手首を入れて、叫んだ。
「これをはずしてくれ! 自分の身は自分で守る!」
舌を噛まないようにするために、言葉は途切れ途切れになった。
さまざまな音が轟く中、男の上にのみ沈黙が立ち止まる。
無理な体勢でもはずれないサングラスが、なんだか妙に笑いを誘う。笑えないのは、その奥で、まだ見ぬ男の双眸が、ハーディをじっと見つめていることがわかるからだ。
見られているほうも目を逸らさず、視線を受け止める。
二人とも身を屈めたままの状態なので、はたから見れば非常に珍妙な絵図だが、どちらも至極まじめであった。
先導していた車は、今ではハーディたちの後ろを走っている。
追い抜くとき、一瞬開けた視界の端で、体を乗り出していた一人が車から転がり落ちるのを見た。
生きているのか。――それは考えない。
何よりも自分が生き延びなければならない。
それはきっとこの男も同じく思っていることで、目的はわからないが、彼らに必要なのは生きているハーディであろうことだけは、一連の行動から薄々理解していた。…少なくとも現時点では、と限定されているのだとしても。
敵の攻撃を避けるために車は蛇行を繰り返し、その度レーザー砲の光が車の残像を掠めていく。
リーダーの男の逡巡はわずか数秒だけだったが、一分にも二分にも感じられた。
決断は行動によって示される。
盛大に揺れる車内で、男はどうにか電子手錠の暗証キーを入力し、最後に人差し指の指紋を読み取らせて開錠した。
さらに体を屈めたままシートの下を探る。
出てきたものに、ハーディは驚くやら呆れるやらで、絶体絶命な状況にもかかわらず、堪えきれず噴き出してしまった。
ずっしりと両手に乗ったのはレーザー・ハンド・キャノン。
近年では軽量化に重きを置く傾向にあるが、こちらは一見するだけで流行と相反するパワー重視型とわかる。ハーディの記憶では、確か実戦向きを謳った一昨年のモデルだったはずだ。鋼の鈍い照り返しが頑固な職人を彷彿させ、全体に重量がある分、従来のものよりもパワーが強く、弾の飛距離も長い。エネルギーをフル充填した場合、宇宙警察の巡邏艇すら一発で落とせると言われたものだった。
ハーディは場違いなほどの晴れやかな笑みを口もとに刻んだ。
最前まで体じゅうにまとわりついた緊張感がいい具合に抜けて、頭もどこかすっきりとした気分だ。
この感覚は知っている。
懐かしさに満ちた慣れ親しんだものだ。
どんなものなのだと昔尋ねられたことがあったので、アドレナリンが整然と隊列をなして行進している感じ、とたとえ話をしたら、微妙すぎて逆に想像しづらいと相棒に笑われた。
相棒がどう思おうと、かつてこういう気分のときに、負けた事実は一度もない。
ハーディは車の天井から上半身を乗り出し、武器を肩に担いだ。
この得物は旧友とは言い難くとも、二軒隣のご近所さんくらいには親しみがあるので、裏切られるとは露ほども考えられない。だから、やっぱり今日も負ける――死ぬ気がまったくしない。たとえ地上と宇宙とでは勝手が違っているとしても。
気配で、隣の部下Aがこちらを見ているとわかったが、無視した。
車のシートが柔らかいため、ハーディは足のベスト・ポジションを探し、しっかりと踏みしめ、攻撃態勢を整える。
同時に慣れた手つきでセーフティーをはずし、エネルギーを充填する。
風にあおられ、髪が暴れる。ちらちらと視界に入ってくるのは邪魔だが、気にしてもいられない。
敵の車は現状、四台。
こちらは二台。
合計六台の地上車がレーシング・マシンの如く疾走する。公道における法定速度を嘲笑うスピードだ。少しでも気を抜けば即自滅を招く。
それを落とさずに、運転手は不規則に直進や蛇行を繰り返して、敵の攻撃をかわしている。追われるほうが不利なのに、数で勝っている敵はいまだ目的を達せないでいるのは、運転手のドライビング・テクニックのおかげもある。
いい腕だとハーディは密かに感心した。照準を合わせるのに苦労するが…
「地上戦は守備範囲外だけど……」
誰ともなく呟いて、引き金を引く。
地上では滅多に経験できない揺れをものともせず、レーザー光線が飛び交っていることもものともせず、断続的に轟く爆発音にすら動じず、ハーディから放たれたエネルギーの砲弾は、寸分の迷いも狂いもなく敵車輌に吸い込まれ、弾けた。
残り三台。
紅髪の幽霊船長(あくまで他称)の手並みを見ても、リーダーの男は驚いたりしない。初めからその実力を知っているふうだった。
唖然としたのは部下A・Bのほうだ。今の状況下で、武器の反動や弾道の計算をしたうえで、これほど精確な攻撃ができることの難しさは、まさに同じことをやっている二人にはよくわかっていた。
それでも自分たちのリーダーがレーザー・ライフルを構えるのを見ると、我に返り、迫り来る敵の殲滅に再び神経を向けるのだった。
ハーディと男たちは、多勢に無勢ながらも敵の車を全台、完璧に沈めたあと、まるで何事もなかったかのように再び一路北を目指している。
二時間前と異なるのは、前を行く車も、後ろに続く車もないことだ。
リーダーの男は何も言わない。
仲間の生死の確認すらしない。
常識的に考えたら冷たいと非難される態度だが、ハーディはそうは思わない。
たぶん、立ち止まって仲間の安否を気遣うより、彼らにとっての最重要事項はハーディの安全、ないしハーディが所持しているものが無事であること。
ハーディは内ポケットの辺りを表からひと撫でした。
生地越しに感じる硬い感触。
特に形がひしゃげていることもなく、触っただけでわかるような傷もないことに安堵した。これならば中身もきっと無事だ。何しろそちらのほうが簡単に傷つく代物なのだと聞いていた。
ハーディの手首に、電子手錠はかけられていない。
戦いのあと、天井が閉まる車内で、ハーディは自分に逃走の意思がないことを告げた。何を根拠にかはわからないが、リーダーの男はこの言葉を信じた。
相変わらず男たちの真意はつかめないが、手が自由に動くのはありがたい。
首を掻くふりして、イヤーカフに触れる。デコボコとしたデザインに隠れた小さなスイッチを押す。
これで船との通信が可能になった。
ある意味、賭けでもあった。
何も気づかず向こうから声をかけられれば、車内という小さな空間では、その声は敵にもれてしまう。
一番好ましいのは、あちらがこちらの状況を不審に思い、ただちに音声をオフにすることだ。そうすれば船の声はもれることなく、こちらの音声をのみ届けられる。
逆に好ましくないこと――言い換えれば最大の難点――といえば、あの相棒に己の置かれている状況を知られてしまうことなのだが、この際、背に腹は変えられない。
相棒は船にいる。イヤーカフのスイッチを入れた時点で、覚悟した。
否応なくまた相棒の例の笑顔が目の奥を掠めたものだから、ハーディはついに抑えきれず、黒尽くめの男たちの前で露骨にため息をついてしまった。




