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警察が現れなかったことは幸いだった。
いや、ただ単に遅れているだけかもしれない。
それともあまりにも堂々とした暴挙だったため、映画の撮影か何かと思われたのか。
なんにせよ、たとえあの場で殺されていたとしても、警察とは関わりを持ちたくない、というのがハーディの正直な気持ちだった。
……殺される。
ほとんど反射的に相棒の顔が浮かんだ。
連動して、忘れたくても忘れられない――いつもは厳重に鎖を巻き、施錠して、心の奥深くに沈めている――記憶が浮かんできそうになったので、慌てて思考にストップをかける。脳裏で再生されそうになった映像を、無理やり記憶の奥に押し込み、見ないふりをした。いわゆる拉致というこの状況で、不可抗力とはいえ、自分で自分を精神的に追い込むのはばからしいとしか言いようがないではないか。
気を取り直して、ハーディは乗り込んだ車の中を検分することにした。
一見したところ特になんの変哲もない、どこにでもある地上用車である。ただし、外見はともかく、内装は確実に上流階級仕様だ。
シートの照り具合は素人でもわかる本物の革を使っており、腰を落としてみたら、ソファーなみの柔らかさで驚いた。車内に搭載しているコンピューターは、専門家でないハーディにも最新鋭のものだと見当はつくが、これが相棒なら喜んで飛びつきそうな代物だと思った。そして何よりも驚いたのは、たかだか民間の地上用車に、精霊の叡智の端末と思しきものがはめ込まれていることだった。
ドライアド・システムは、リュネス因子と通称される細胞を核として組み込まれた、三つの疑似人格プログラムの総称である。各々別種の命題(思考パターン)を持ち、三者の「協議」で決断を下す。三者の「力」関係は基本的に均衡を保つよう設計されているが、使う側の行動や思考パターンに影響されることがあるため、三種のうちのどれかに判断基準が偏ることもある。
人間に絶対服従する汎用型人工知能と違い、ドライアドは思考するがゆえに提案し、抵抗する。協議し、反駁する。人間の僕ではなく、パートナーなのだ。それが疑似人格、もしくは疑似頭脳と呼ばれる所以だった。
正式な開発に着手しはじめてから現在まで、約七十年。システム自体は研究の余地がまだ多々あるが、おおまかな形は整ってきている。もとは軍事用に開発され、その途上で生まれた偶然の産物だというのも、よくある話だろう。想像に難くないのは、ひとつ作るのに大変高度な技術と莫大な費用を要し、消費される時間も決して少なくない。そういうわけで今に至っても、ドライアド・システムは基本、星系主星の綜合管理や、連邦宇宙軍の戦艦、それも旗艦クラスにのみ搭載されるもので、民間の宇宙船は当然のこと、地上を走る車にも不必要なものであった。
一方、リュネス因子自体がさほど入手困難でもないために、非合法の宇宙船では、非合法のドライアドを載せるものも後を絶たない(宇宙海賊や賞金稼ぎなどがいい例だ)。とはいえ本来、まともに善良な一般市民をやっていれば、間接的に恩恵に預かることがあっても、直接的にかかわりを持つことは一生ない代物なのであった。
それがまさか、中央銀河から遠く離れたこんな辺境惑星の、首都でもない都市の街中で、外見普通、内装一流の地上用車に、その接続端末にお目にかかれるとは。
一応はわからないようにカモフラージュしているが、それもわかる人間にはわかる申し訳程度。いったいなんのためにドライアドを装備する必要があるんだと、さすがのハーディも目を瞠った。
気づいたリーダー格の男は静かに言う。
「紅い幽霊船のキャプテン・ハーディでも、あれには驚くか」
「………」
セリフは問いかけだが、男は返事など期待していない。
といってからかっているわけでもない。素直に感じたままのことを述べただけだと口調からわかる。
男のその態度がハーディには妙にむず痒い。状況からして、明らかに男のほうが優位な立場なのに、さほど居丈高に感じられないのだ。
ハーディは、幽霊船じゃない! と、いやになるほど言い慣れたフレーズが口より転がり出るのを堪え、表面上、沈黙を返事に代えた。
リーダーの男に対するわずかな戸惑いを隠して。
車が走り出して二十分ほどで市街地から離れ、南北を結ぶ大陸縦断公路に乗った。
もともと荒野を切り拓いて作った都市なので、一歩そこから外れれば、黄色い大地が広がるばかりだ。
ハーディを乗せた車と、前後を一台ずつ走る計三台の車は、舗装された車道を真っ直ぐ北へ進む。
後部座席でリーダーの男と、彼の部下(仮にAと呼ぶ)に挟まれて、長身のハーディはやや窮屈そうだった。
年齢のわりにそれなりの場数を踏んでいる青年は、少なくとも現時点では相手のほうが一枚上手であることを認識している。
車に乗り込む直前、リーダーの男は自分の胸を指してみせた。黒いコートの上を、これ見よがしに赤い点が円を描く。離れた場所に、狙撃手が配置されていることを示していた。
念入りすぎやしないかと若干呆れながらも、ハーディは無言を貫いた。
「逃げようとは思うな」
勝ち誇るでもなく、感情の読みにくい声色で言ってよこす男の顔を、このとき初めてちゃんと見た。
ハーディを囲んでいるのは四人と、そしてリーダーの男。
マジック・ミラー仕様の車窓では車内を確認できないが、運転席に行こうとするものがいないので、運転手がすでに車内で待機していることは容易に想像できた。
ここで合計六人。
さらに狙撃手と思しき視線が、感知できるだけで五つ。きっと全員がレーザー照準器付きの銃を持っていて、ハーディに狙いを定めている。
車が動き出してからは視線を感じなくなった。代わりに後ろに車が一台現れた。
適度な距離を保って二台の地上車は走っていたが、分岐点で、西の道路からさらに一台合流してきた。
新しく現れた車は、ハーディが乗っているものの後ろにも横にもつかず、前に入ってきた。一見先導車の役割を果たしているようでも、ようするに警備だ。ハーディが何かをした場合に備えているのだろう。
若造一人にずいぶんなものものしさである。両手を拘束されていなければ、ハーディは頭を抱えたに違いない。
この青年はいまだ三十歳にも満たないながらも、数々の修羅場を潜ってきている。それに見合うだけの「実績」があるゆえに、表・裏にかかわらず人脈も広い。
特に何故だか裏の、カタギとは言えないような人種によく気に入られるので、今回のように、どうにも一般業者には頼みにくい仕事もけっこう舞い込む。
だからといって犯罪はもちろんのこと、犯罪まがいなことにも手は出さない。それがハーディの信条だった。端的な事実がどうであろうとも、ハーディはあくまで自分を一般人側に置くようにしているからだ。…一般人だと断言しないのは、まだそういった図太さを持ち得ない年齢のためか、はたまた単なる性格の問題なのか。
そんな一般人もどきが、一般人の身に起こりえないような状況に陥っている。
日頃の行いはそう悪くないはずなのに、この仕打ちはひどい。拉致なんて人生初体験になるわけだが、自ら進んで経験したいと思うものは、まずいない。
…せめて仲間が船にいて、ちゃんと連絡を取ることができれば、まだ状況はなんとでも打開できる。
ところが残念なことに、ハーディは地上に降りるとき、仲間に休暇を出した。
というのも、今回の依頼人から、依頼の品はハーディ一人で届けることと、陸路で来ることを条件として指定してきたからだ。
一年のほとんどを宇宙で生活するハーディたちは、ちょうどうまい具合に、しばらくスケジュールに空きがあった。これぞ渡りに船。久々に大地に足を下ろし、羽を伸ばそうという結論に至るのは自然のなりゆきといえた。
たとえうまく拉致犯の隙をついて、惑星上のどこかにいる仲間に連絡できたとしても、そこから仲間たちが合流し、船長奪還作戦の立案・実行となると、あまりにも時間がかかりすぎる。へたをすれば、仲間が対面するのは物言わぬ船長ということになりかねない。
助けに来てもらうという考えはありきたりでも、至極当然のことなのに、そんなわけで何故だか非現実的なのだ。そこがハーディをして現状に対し、いまいち真剣味に欠けると感じる所以でもあった。
何より黒尽くめの男たちの目的がわからない。
もちろん、ハーディの持っている依頼品を奪うことが最優先事項だろう。しかし、それにしたっておとなしすぎる。強硬手段に打って出ないことに違和感を覚えるのだ。
依頼品である平べったいケースは、今もジャケットの内ポケットに無傷で入っている。
てっとり早く男たちがハーディに銃を突きつけ、動きを封じれば、あっという間に奪えるのに。殺す・殺さないどころか、痛めつける労力すら必要ないほど簡単で、拉致というリスクも負わない。
彼らは武器があることをちらつかせ、拉致という犯罪を選んでやってのけた。にもかかわらず目的――この場合、ハーディの持っている依頼品がそうだ――のため、その力を行使しようとしない。そればかりか、彼らにはハーディを傷つけるつもりがないようにさえ思えた。
希望的観測だとわかってはいるけれど、これを抜きにしても、考え出すといろいろと腑に落ちないことが湧いてきて、男たちの行動には矛盾と綻びが見え隠れする。依頼品を隠れ蓑に、まだ何かありそうなにおいがした。




