落し物
どうしようもない、雨だった。
6月半ばの梅雨前線は本州のほとんどを覆い、どんよりと盛り上がった雨雲が、もう1週間も憂鬱な雨を降らせていた。
靴下が濡れて歩きにくい。洗濯物は乾かない。朝に直した癖っ毛が大暴れする。
今以上にお天道様が待ち遠しい季節はないだろう。ひと月経って梅雨が晴れれば、今とは正反対のことを言いだすに違いないのだけれど。
傘を片手に水色のヘッドフォンで音楽を聴きながら、彼はそんなことを思いながら、くしゃくしゃになった癖っ毛をわしゃわしゃと掻いた。
七分丈のジーパンに、オレンジの柄が入った白シャツ。梅雨の時期にしては少し涼しすぎるくらいのいでたちだが、坂を登る彼の額には大粒の汗が浮かんでいた。
あと、5分……この坂を登りきれば、あとは平地。
こんな山の上に大学を作るなよという文句も、もう三年目になると言い飽きてきた。それでも、やはり言わざるをえまい。なんといっても、中学以来まともに運動していない彼の身には、15分の上り坂は苦行だった。
その上、気温こそそれほど高くは無いもののこの湿度だ。滝のような汗を流しながら、これはもう傘をさしてもささなきても同じなんじゃないかと思えてきて、思わず笑えてくる。
笑えない。
聞いていた音楽の終わりと一緒に、坂の終わりが見えてきた。ここからさらにあと10分。クールダウンにもなりそうにないが心なしかゆっくりと進む。
ふと、透明な傘の向こう側に、特徴的な赤色の髪留めが目に留まった。何かの花をモチーフにしているのだろう。彼には、それが薔薇ではないということくらいしかわからなかった。
雨に濡れて誰も座っていないベンチの上。道行く人に素通りされながら、その赤い花は佇んでいる。彼は、髪飾りに吸い寄せられるようにベンチの方へ向かい、手に取った。
落し物か。
教務に届ければいいのかな。
流石にそのまま持って行く気にはなれず、ハンカチに包んで手提げカバンのポケットに入れた。
授業が始まるまでには、時間がある。少し遠回りになるが、先に落し物を届けていっても問題はないだろう。そう決めると、彼は歩き始めた。
いらない世話だろうか?
それとも、誰かの助けになれるだろうか?
いろいろなことが頭に浮かんでは、シャボ玉のように弾けて消えた。
それは、いつもと違う感覚で、遠回りしなくではならないはずなのに、少しだけ足取りが軽くなった。