No.34 歪んだ塔と蒼い剣 - 31
「ああ、本当、残念だな。『選ばれし者』さんよ」
聞こえていたはずの金属音が、まるで幻聴であったかのようにその言葉にかき消される。幻聴などではない。確かに鋭い波紋は広がったはずだった。
しかし彼の剣は何故かソーマの肉体に届いておらず、そしてその言葉は何の言い回しでもなく、本当に耳元で囁かれていたのだ。
その落ち着いた声が響いた瞬間に、彼は自らが思い描いていた夢と幻想からゆっくりと覚めていく。
「全ての戦を司りし神霊よ。今宵、我が戦友が汝の力を欲している」
そして、虚偽の世界から戻っていく微睡みの中で彼が最初に聞いたのは、微かな少女の美しく透き通った声音であった。
「汝、我が身とこの精神を礎にするのであれば、今ここにその力を証明し、今宵の盤上を覆せ」
──なんだ、この声は...
スローモーションの様にゆっくりと進んでいく体感時間の中で、その声の主から聞こえる謎の言葉達。それに彼は妙な親近感を抱いた。
つらつらと並べられていくその言葉を、彼は何度か聞いたことがあったからだ。
──そういえばこれ、魔法だったよな...
「激甚の嵐には、幾千の風を纏う精霊の加護を。憚る試練には、それを撃ち抜く一撃を授けよ」
そうしてその魔法の正体を暴く前に、彼の目の前が赤と青、その二つの色で彩られた綿毛のように柔らかい球体の光に包まれていく。鮮明になりかけていた視界がまた眩む。
そんな中で、彼はやっと魔法の正体を思い出した。
それは自分も何度か受けたことのある仲間を救う優しい魔法であった。
「エンチャントレス ─ ビエンド・フォルツァ」
魔法名が唱えられる。最後の一文字が紡がれた後に、その綿毛達はまるで一つの生き物のように、身体の周りをクルクルと囲い始めた。その様は、踊っているかのようにも思えた。
そうして、HPゲージの上部に二つのマークがつく。
平方四辺形の枠組みの中に、剣を抱いた龍と、風を纏った妖精の姿が表示される。攻撃力、そして速度強化を表したものだ。
しかし、そのマークは彼─スウェントルには付いていない。
やっと視界が鮮明になってくる。だか彼は別に目くらましの魔法をかけられたわけでも、脳の一部が損傷していたわけでもなかった。
ただ今現在の自分に降り掛かった現実を受け止めたくなくて、自ら見たものの認識を拒んでいただけなのだ。
数秒前。
ソーマは確かにスウェントルの策略に引っかかり、残り時間が少ない事に焦りを覚え、彼の歪んだ後ろ姿へ向けて全力で走っていた。
そしてその右腕にはしっかりと魔剣 クルシュピアが握られており、その時アリスはただの傍観者であった。
そこまでは種も仕掛けも嘘偽りもない、全くの真実である。
しかし、彼はソーマが近づくまで振り返る事はなかった。それが彼の敢えての行動であった訳ではあるが、その「敢えて」が命取りとなってしまったのだ。
ソーマが走り込んだ瞬間。アリスは杖を構えて速度、攻撃力向上のエンチャントをソーマにかけていた。何かあってからでは遅い、というアリスの心配性とも言える配慮があったからである。
先程スウェントルが聞いた例の声は、遅れてやってきたアリスの声だ。
そうしてソーマはHPゲージの上にその二つの能力向上を示すマークを付けながらも、足を止めることなく走っていったのだ。
彼自身、エンチャントが付与された事に気がついていなかったのかもしれないが。
ここまでが彼の見ていなかった、勝負の明暗を分ける一部始終である。
そして問題は次である。
スウェントルは確かに剣を振り返り、刃と刃を交え、最後はその力を緩めることなく振り切った。金属音まで聞こえたのだからそれは嘘ではない。
そして彼の予想では、そこで全てが終わっていたはずなのだ。
しかし、彼はいつの間にか真横にいた。一体何が起こったのか。
ソーマは、魔剣がスウェントルの剣に当たった瞬間に握りしめていた柄を離していたのだ。
スウェントルがソーマは焦ってこちらへ向かってくると予想していたように、ソーマは自分がスウェントルに斬りにかかった際に必ずなにかをしてくると予想していた。そして、その対処も走りながら考えていた。
焦っているように見せかけて、頭の中は先の先を読んでいたのだ。
スウェントルが何かをしてくることは彼の人柄を見ていればよくわかった。彼は計算高く成功しない事は実行しない、言うならば現実主義者である。
あれだけの自己アピールを聞いていれば、それに気づくのは容易であろう。恐らく彼が油断を見せた時には、この場にいる誰しもが何かあると思うほどだ。
だから、幾ら必死になっていようともそれは念頭に入れていたのだ。
そうして互いに先々を読みあって、短い時間で平然を装いながら策を練って。
そうして最終的に、ソーマは予想通りスウェントルが斬りかかってきて、刃が魔剣と重なった瞬間─、
彼が振り下ろす速度に出来るだけ合わせて剣を下げ、手を離した後、腰に巻かれていたソーマのメインウェポンを右手で1本抜きだして背後を取りに行ったのだ。
「はぁ...はぁ...ぁ......」
「スウェントル、もう、やめろ」
そうして、スウェントルの背後を取った後。ソーマはスウェントルの前髪を左手で素早くつかみ、ぐいっと頭を強引に上へと引き上げた。そして、右手に握られているナイフでピンと張られている真っ白な首へ刃を突きつける。
スウェントルは苦しそうに息を荒らげながら、悔しそうな表情を浮かべていた。こんな状況である為首を捻らせることは出来ないが、目線だけをソーマの方へと向けて、スウェントルはまた話し始めた。
「まだ...終わっちゃいない。見てろよ、きっとこの後大逆転が...」
「もういい加減にしろよ!!」
しかし、また同じような事を言い始めた矢先に。
そう言ってその言葉の続きを荒々しく遮るソーマ。
激しい動きと汗によって乱れた髪を更に乱れさせながら。そして額に薄らと青筋と更なる殺気をたてながら。
青年はスウェントルの髪をさらに強引に上へと引っ張り上げ、顔を真上に上げさせて見下ろす形で怒鳴りつける。
「もう終わったんだよ! いくら足掻いたって無理なもんはもう無理なんだよ! てめぇはここまで散々やらかして、いくつもの命を無駄にして、それでも何も出来なかったんだよ!!」
今まで誰にでも優しく、笑顔を見せていたソーマが、まるで別人のように血相を変えて叫ぶ。そんな光景を目にして、予想だにしていなかった姿に衝撃を受けたアリス。まだ共に過ごした時間が短いと言うこともあるが、彼が少しでも怒る所など彼女は1度たりとも見たことがなかった。
しかし、彼女の瞳には彼の表情がどこか悲しそうに写った。
「何でも一人で出来ると信じ込んで! 自分は特別だと信じ込んで!! そうやって動いた結果このザマだ! てめぇはどこまでやりゃあ気が済むんだ! どれだけの犠牲を払って! どれだけの時間を費やせば特別になれるんだよ!!」
罵声を浴びせ続ける。言いたいことを、すべて爆発させる。
「僕はっ、僕は...っ......」
「てめぇには...仲間が、いるんだろ?」
「っっ...!」
いきなりのソーマの変化と、彼の言葉に衝撃を受けて、言葉を濁らすスウェントル。そして最後に言い放ったその言葉を受けて、彼はもう何も言い返すことが出来なくなった。
そしてその言葉を聞いたアリスも、ソーマと同じような、なんとも言えない心苦しい悲しみを露わにする。
そうして──、
「お前だけが選ばれたんじゃねぇよ。みんな、選ばれたんだ。...悪い方にな。だから、争ってる場合じゃねぇんだよ...助け合わなきゃ、いけねぇんだよ」
その言葉を聞いた瞬間に、スウェントルは我に帰ったかのように大きく目を見開いて、そこから大粒の涙を頬へ伝わせた。
その透き通った涙は頬を伝って、一粒一粒地面へと落ちて行く。
歪み続けていた表情を、更に更に歪ませて。
スウェントルは膝をついて剣を落とし、一人でみっともなく泣き続けた。
そしてソーマは彼の拘束を解いた後、そんな彼の嗚咽を耳にしながらも、その言葉以降何も言わず、ただナイフをしまい落とした魔剣を拾って、身体にこびり付いた砂を払い、静かに歩いていった。
そして──、
「よし...次だ」
そう言って早足で移動を開始するソーマ。
そんな彼に何とか急いで追いついたアリス。彼女の瞳からも、まだ闘志は拭われていなかった。
タイマーの音がソーマのログから鳴り響いたのは、丁度その頃であった。
そうして、果てしなく長い90秒は儚く幕を閉じた。




