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ラクリマの群青  作者: 日輪猫
平穏だった日々へ
15/59

No.14 杖を求めて - 5

 


 そこは、今まで来ていた場所とは全く違う環境だった。


  数十段階段を登った先の層とは違い、その空間はただ広いわけではなく、階段を降りた玄関口の様な小さな空間からは細くて長い3つの道ができていた。その分かれ道を見ただけで、相当入り組んでいる層だと察する事が出来る。

  中層では複雑な構造の層であっても、2つの分かれ道が次々に出ているだけだったのでなんとなくで場所を把握出来ていたが、ここではそうはいかなそうだ。


 ──結構広いな。まぁ目印をつけていけば大丈夫か。


  そんなことを考えながら辺りをまじまじと見回していると、奥の方に白いたまがヒョコヒョコと動いているのがわかった。あの兎だ。分かれ道の右側の細い道を少しずつ進んでいる。


 ──追いかけたい、でもあの奥には自分が全くもって太刀打ちできないようなモンスターがいるかもしれない。

  ソーマはそんなことを考え、追いかけようとする足が止まり、もう暗闇に紛れかけている兎を棒立ちで見ているだけだった。

  しかしこれも彼女のためと、ソーマは1歩ずつ歩き始めた。

  印を付けるために腰からパチッと1本のナイフを外しながら。

 


  歩いていて気づいたのだが、ここは層全体が明るく照らされているのではなく、自分の周りしか明かりが灯らないという設定らしい。

  それによって先の方を遠くから確認することが出来なくなり、いつ奇襲を仕掛けられてもいいような状態になっていた。


  そして、何よりも中層と違ったのは──


「はぁ、一つ層を下がっただけだってのに、こんなに寒くなんのかよ...」


 ──という環境の差だった。

  息を吐く度に視界の一部を白く染め上げる吐息、息を吸う度に喉が少し凍ってしまうのではないかと不安になるほどの冷気。

  こんな気象状況は、中層にはなかった。

  そのせいで手足が強張り、思ったように体が言うことを聞かない。


  それでも少年を気遣う様子など微塵もなく、兎は前へと移動し続けた。だから、別の意味で体の震えが来たとしても歩みを止めることは叶わなかった。


  ソーマは、歩み続けた。今の所危機感という感情はほとんどない。

  どれ位奥に進んだのだろうか。まずこの層全体の広さがどれほどか分からないためになんとも言えないが、分かれ道の選択を2回ほど行った頃。

  道を抜けて次のフロアへ行くと他の道と繋がっている所もあり、迷いそうなので石で壁に印をつけておいてまた道を進んでいった頃。


  やっとモンスターに遭遇した。


「グリュリュ...」「グリュゥー..」


  うっすらと闇が光へと変わっていく道の中で、最初に遭遇した記念すべき下層モンスターの一種類目は、スプリンガーという魔獣だった。


  スプリンガーとは、人間の太ももよりも遥かに大きい足とそれよりかは細いが、長さは同じの腕を持ち、背中の羽と頭についた小さな角が特徴的の二足歩行のモンスターだ。

  よくファンタジーや空想上に出てくる、ガーゴイルの形を想像すればわかりやすいだろう。

  そのような怪物は、先程のような低い鳴き声を鳴らしながらソーマに威嚇してきた。


  数は2体。1本の道で遭遇したため向かい合ってはいるが初見のモンスターのため、とりあえず素早く首を狙ってみることにした。


「スゥー...──フッ!!」


  軽く呼吸を整えてから素早く息を吐き出し、それを合図に体の重心を前に走り始める。

 いつものような息遣いで、前に出ている方のスプリンガーに刃を突き立てていくソーマ。

  不思議と緊張はしていなかった。


  ナイフが届く距離まで行くと、それを見計らったようにスプリンガーが鋭い爪をたてて左の腕を奮ってくる。

  そのまま何もせずに突っ込んでいれば顔面に鋭い切り傷が5つ出来ていたが、それを瞬時の判断で見切ったソーマは、右手のナイフでそれをガード。


  「うぉぉぉぉぉっ!!」そんな叫びと共に、上半身をを右へ捻りながらガードしていない左手のナイフを一体の首に突き刺す。

  攻撃を仕掛けた左腕を弾かれ、バランスが崩れていたスプリンガーはその刃をまともに食らって「グリュォォォ!」

 という叫びを漏らし、ソーマはHPゲージを4分の1ほど削ることに成功した。


  そしてそれだけでは終わらず右へと勢いをつけた体を宙へと浮かび上がらせ、その勢いのまま回転しながら首だけを的確に割いていく。

  それによってそこからは赤い血が──ブシュブシュッと吹き出し、量が増える事に部屋に響く叫び声も小さくなっていった。


  そうしてその斬撃をより早くより強く放っていき、相手に攻撃をさせる暇すら与えないまま──、


「なんだ、出来るじゃねぇかよ..!」


 ソーマはほとんどHPゲージを減らさないまま、下層のモンスター2体を討伐することに成功した。それこそ経験値にはそこまで変化はないが、相当の自身がついた。


  その後、彼はどんどん奥へと進んでいった。小さな小さな兎に誘われて。杖を手に入れることに夢中になって。

  もちろん壁に印を付けることは忘れてはいなかったが、それでも戻るのには少しの時間を要すほどの所まで来てしまった。


  奥まで向かっている道中、スプリンガーだけではなくインプルという薄黒い小悪魔の集団や第39層にもいたゴブリンなどにも遭遇したが、いずれもソーマの長所である瞬発力とスピードで全て討伐していった。

  時にはジャーウォッカという、人型のような形をしていたり、虫のような形をしていたり、何が何だか分からない形をしているものもいる化物じみた影にも遭遇したが、それらは危害を加えてこなかったためにゆっくりと通り過ぎて行った。


  そうしてソーマはより一層自信がつき、足を止めることなく危機感など得ることもなく奥へ奥へと進んでいった。

  彼が今まで倒していたモンスターはすべて中級モンスターだと言うことは知らずに。




  まるで蟻の巣の中にいるかのような空間 第40層を気の赴くままに、なんの危機感もなく進んでいってからすでに40分以上が経とうとしていた頃。


「やっと捕まえたっ...」


  ソーマはこの階層を徘徊するモンスター達に道を阻まれ、近くまで来ていた兎がまた遠くに行ってしまうということが何度もありながらも、時間など気にもせず慎重に慎重に近づいていってとうとう兎を捕まえることが出来た。


  モコモコした白い毛玉を持ち上げる。彼がモンスターに襲われていて必死に討伐していた時、こいつが全く狙われていなかったのはこの小ささのお陰なのだろうか。両手で掴んでも余るほど小さい。

  いやしかし、狙われないのはこんなにも可愛い顔をしているからだろうか。こちらを見る赤い目がキラリと光る。持ち上げられても抵抗する様子はない。


  仮想世界で出来た偽物とわかっていても可愛らしい兎の口から杖を抜き出し、少しモフモフ感を楽しんだ後にそっとはなしてやるとその白い毛は目的を果たしたとでも言うように、一見嬉しそうに他のエリアへと消えていってしまった。

  結局あの兎はなんだったのだろう。


  そしてそんな展開があった後、ソーマはあることに気づく。


「あれ、ここ、どこだ?」


  彼が着いたのは今までに見たことのない、この層にしては幾分か広いエリア。そこだけは何故か全体が明るくなっていたためすぐにここは来たところではないとわかった。

 

「おかしいな、ちゃんと印に辿ってきたんはずなんだが...」


  ソーマの額に汗が浮かび上がる。

  もしかして、いやもしかしなくても迷ってしまったのではないかと。しかしそれでもおかしい。ちゃんと印はつけていたはずだ、と。

  彼は困惑した。

  その時やっと、調子に乗り過ぎたと気づいた。


  しかし、彼はこの時気づいていない。

  ここ、下層部の本当の恐ろしさを。

  もちろん、ソーマは元々ソロで活動しており、親しい間柄だったノエルとも下層の話なんて全くしていなかったために知らないのは仕方のないことではあるのだが。


  ここ、下層部の構造が複雑な層では、印なんてつけても意味は無いのである。それが1番恐ろしい所である。

  そんなものはつけずにちゃんとマッピングをして、それを参考にして進むのがこの層攻略の基本であった。


  一体なぜ、印をつけるのは意味がないのか。

  その印は中層部よりも遥かに頭の出来がよく作られているコブリン達やスプリンガー達が、見つけ次第消したり他の所に同じ印をつけるからだ。そのため、いくら印をつけても意味はないと言うわけである。


  ソーマはこれを知らなかった。

  だからこの罠にまんまとハマり、抜け出すのは困難な上に上層よりも死の危険が更に伴うこの層に独り路頭に迷ったのだ。


「完全に迷ったな」


  その事をやっと自覚した時、ソーマは焦らずに対処法を考え出した。

  比較的広い空間の中央付近に立って、周りなんぞ気にする暇もなく、必死に案を出しては却下を繰り返していく。腕を組んだり、顎に手を乗せたりして頭をフル回転させていく。


  そうして彼が思いついた最も良い対処法は、元来た道を出来るだけ思い出して近くまで行き、運よく出れるのなら脱出。それが無理ならテレポートで地上へ。と、言うものだった。


  やる事をしっかり固めた後、行動に移す前にHPゲージを最大までに戻しておこうとログをタッチして、メニューの中からアイテムを選択して、そこからポーションを出してグイっと飲み干した。

  そして、飲んだ瞬間に体の疲労も回復していくのがわかり、「よしっ」と気合を入れたその時。


  ポーションを飲み干すために上に上げていた首を元に戻し乱れそうになる呼吸を整えようと肩を上げ下げしたソーマは、目の前に長く出来ていた自分の影を視界に入れると、衝撃を受けた。


  自身の影が、何か大きな影に少しずつ、少しずつゆっくりと覆い尽くされ、最終的に自身の影がその大きな影へと変貌していったのだ。

  そして、その影の暗闇に自分がじわじわと飲み込まれていく度に、自身の心もじわじわと黒く、暗くなっていくのを感じた。


  大体何が起こったかは、察しがついた。

  3m~4mほどの巨体、まるで米俵でも詰めているかのような大きな筋肉。そんな姿形見た上に、アリスの話を聞いていれば、それがいったい何なのかなんて分かってしまうだろう。

  その上ソーマは1度何かしらの本でそれを見たことがあったため、より早く理解することが出来た。


  しかし理解しても、いや理解したからこそ体が震えて動かない。こんな恐ろしいことなど、こんな悪運など、あるのだろうか。


  そんな中でも、小さな少年はこれからどうしようかと頭を働かせようとしたが、これほどの状況下では何も浮かんでこなかった。


  唯一浮かんできたのは、この広い部屋はこの巨大な怪物と戦うために作られていた場所だったという、動かない足を見た時に気づいた新しい発見と言う名の新しい絶望。


  そして、その光景を目にしたソーマは、あまりの恐怖に涙を流すことすらも出来なかった。

  歯がカチカチとなり始める。これは寒さのせいではないというのは、本人もわかっている。

  そして、先程までは震えていたはずの手は動かなくなっていた。足も動かない。


  その後やっと全ての影に包まれ終えた時、ソーマは久しぶりに、今まで以上に、「あぁ、、死んだかも」という感情に誘われた。


  その時、ソーマはどんな顔をしていたのだろうか。

  影に覆われていたために見えなかったが、恐らく悲惨な表情を浮かばしていた事だろう。


  風は吹いていないものの寒気を感じるこの空間は、ソーマの吐息を依然として白く変化させ、それが上から下へと降り掛かってくる別の吐息とぶつかりそうになる。


 ──...終わった


  そうしてやっとソーマの耳元に、絶望の足音が響き渡った。


  あの兎は、絶望への案内人だったのだろうか。


 

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