2-5 古代革命と大帝国連邦
教皇が死ぬと、ヒュージン派のスピナー教団の中で激しい後継者争いが起こった。この後継者争いを教皇争奪戦争と言い、長期戦となった。
新アストラル人民連合国で政治を担っていたゼフィルスは、死傷者の増加を止めるため、教皇争奪戦争を仲介で休戦し、ゼフィルス家が新しく政治を始める宣言をした。この宣言を休戦新政宣言と言い、教皇争奪戦争により、力を失っていたヒュージン派スピナー教徒はこれに応じた。
こうして、ヒュージン教国が滅び、ゼフィルスによる新政治が始まった。まず、アストラル一族を後ろ盾にして、各国との交渉を試みた。アメリア一族はすぐに応じ、統一の手助けをした。これに続いて、バートル一族、トライン一族もこれに応じる。しかし、トリトン一族は、スピナー教徒に対する報復として宗教をアストラル教に統一するべきだと考えていた。そのため、スピナー教徒の多いアメリア一族がいてはならないという理由でこれに応じなかった。
ゼフィルスは、その後、トリトン一族に何度も交渉をした。その内容は、アストラル教徒の地位を上げ、スピナー教徒の地位を下げる代わりに、宗教の自由を認めるという物で、やがてトリトン一族も交渉に応じ、アストラル諸島が再び、統一された。
その翌年、ゼフィルスを中心にゼフィルス大帝国連邦が建国された。ゼフィルスは、スカーレット島を中央区、アメリア島をアメリア区、バートル島をバートル区、トリトン島をトリトン区、トライン島をトライン区、ノースランド島をアストラル区として連邦制国家を作り出し、同時に最高地位を帝王として絶対君主制の政治を始めた。しばらく内乱が起こらなかったのは、ゼフィルスがアストラル一族を統一後も後ろ盾としていたからである。
ゼフィルスがヒュージン教国を滅ぼし、新たな政治を始めたこれらの動きをゼフィルス革命と言う。




