2-4 スピナー教の宗派とアストラル分裂
教皇に追い出されたアストラル教徒はやがて、族ごとに別れて、それぞれで政治をするようになった。
アメリア一族はスピナー教徒が過半数を占め、ヒュージン教国への入国が許されていた。アメリア一族に対して、教皇は教国のスピナー教団への入団を提案するが、これに応じず、アメリア人民連合国が建国され、この国のあった島はアメリア島と呼ばれるようになった。アメリア人民連合国でも、スピナー教が国教となったが、宗派が違った。
アメリア人民連合国で生まれた宗派をアメリア派と言い、これに対して、ヒュージン教国での宗派はヒュージン派と言われる。ヒュージン派は邪教、アメリア派は正教とも言われ、ヒュージン教国はこれに対して、不満を持った。しかし、アメリア一族は、最近まで力を持っていアストラル一族と関係が深かった。そのため、アメリア一族を武力で従わせようとすると、アストラル一族の反感を買う可能性があった。それを恐れた教皇は干渉戦争に持ち込むが、アメリア派の激しい抵抗によりすぐに失敗した。
また、バートル一族はバートル人民連合国、トリトン一族はトリトン人民連合国、トライン一族はトライン人民連合国、アストラル一族は新アストラル人民連合国を建国し、全ての国がアストラル人民連合国での政治を基にしていた。
バートル人民連合国のあった島はバートル島、トリトン人民連合国のあった島はトリトン島、トライン人民連合国のあった島はトライン島、新アストラル人民連合国のあった島はノースランド島と呼ばれるようになった。
このように、教皇への対立から、再び、周りの島々に分かれたことをアストラル分裂と言い、島々に分かれた人々のことを反教皇スピリッターズと言う。




