桃太郎とその仲間たち
「ここか……!」
桃太郎が村を出て、一週間以上が経過した。道中は意外にも楽しかった。辺りを山に囲まれた小さな村でず~っと過ごしてきたのだ。例え同じ『山の景色』が広がっていようとも、それは彼が未だ見たことのない山の景色なのだ。
(世界は、なんと広いのだろう!)
狭く小さな世界のみで暮らしてきた桃太郎には、どこまで行っても果てがないように思えた。
そうやって見たことのない景色で自らの目を楽しませてきた桃太郎だったが、その速く疲れを知らない若い足は、一週間とちょっとで最初の目的地である『火地火地山』に辿り着いた。
ここに、一人目の仲間がいる、と、竹簡には記されてあった(竹簡とは竹でできた札(簡)に字を書いたもの。桃太郎が持っているものには三人の仲間のいる場所がごく簡単にかかれている。これは紫雲が言った通り、桃をもいだあと、その木の下を少し掘ったところに、この竹簡が埋まっていたものだ)。
「ええと……入口は……と」
桃太郎は大きな二本の木を見つけ、その二本の木の間を通った。すると、
『ムワッ』と温かい蒸気が肌にまとわりついてきた。
「……ずいぶん湿気のあるところですねえ」
これは、刀によくない。
(できるだけ早くここを出よう)
桃太郎は『異界』に入るなり、早速その『仲間』とやらを捜索し始めた。
ずんずんと奥に向かって歩いて行くと、温かい蒸気はいっそう濃くなり、視界が白いも()や()に覆われていく。これでは、周囲が良く見えない。
「きえええー!」
突如奇怪な叫び声が聞こえた、そう思った瞬間、桃太郎は腰を沈めてカラダを右に開き体をさばいていた。
がつん! と右腕に感触があった。
「うぉ!?」
誰かがびっくりした声を上げた。
「なにヤツ!」
桃太郎はすでに右手を柄にかけ、声がした方へ問うた。
サァー! と不気味に白いもやが消えていく。
(……妖術か!?)
それほど不自然な晴れかただった。
「お~、いてて……。なんだ、案外腕は立ちそうだな!」
白もやが消えた先には、一つの影が浮かんだ。影は右手人差し指を天に向けて『くるくる』と回転させている。
「ひと…? いや、あれは……さ、猿!」
桃太郎はもやが消えてあらわになったその正体を見てそう言った。
「おいおい誰が猿だって?」
桃太郎の前に現れたのは、身長が五尺三寸(だいたい百六十センチ)ほどの小柄な人間……のような猿だった。顔は頬までが茶色い毛でおおわれ、ずいぶんと鋭い目つきをしている。だが、顔は猿なのに、人間のように腰を立て『ピン!』と背筋を伸ばしたまま立っている。それに、その猿のような者は黒い道士服のようなものを着用し、左手には六尺(百八十センチぐらい)ほどの棒をまっすぐにして握っている。
「てめえか? 桃太郎ってガキは?」
猿はただでさえ人相の悪い顔を、眉間にありったけのシワを寄せてすごみながらたずねてくる。
「はい。わたくしが桃太郎です。……私を御存じという事は」
桃太郎が言いかけると、
「おう! ……どうやらあのジジイが言ってたことは本当のようだな。まあ、仙人がウソをつくはずもないが、まあ仙人つっても、あのジジイはどこかふざけてやがるからなァ……」
猿はひとりごとを言うようにつぶやく。
「……」
桃太郎はそれを黙って聞きながら、目の前の『仲間』になるはずの相手をつぶさに観察する。
(これはどういう生き物なのだ?)
桃太郎は正直、困惑していた。顔は怖ろしげで毛むくじゃらの猿だが、言葉を理解しているのとそのいでたち()を見れば『異界種』であることが分かる。しかし、
(これではまるっきり『魔物』ではないか!)
どう考えても、清らかな存在には見えない。桃太郎にとっての『異界』といえば、人間が住む世界とは違い、手つかずの自然に、圧倒的な存在感をもって迫ってくる荘厳さ・静寂……そして神聖を有したものであったからだ。そこに住む『異界種』は、それに見合う達観したような価値観に、開悟した態度を持った清浄な者たち、という印象がある。お山さまが実際そのような感じであったし、紫雲さまもそうだった。あとから分かった事だが『羽人』であるお婆さんだって……! お山さまは『異界種』のことを、
「人間とは異なる役割をもった存在に過ぎん」
と言ってはいたが、その異能のチカラや知性を思えば、彼らはやはり特別な存在に思えた。
「……でよ、例のブツはどうよ? 持ってんのか?」
猿はアレコレ思考をめぐらしている桃太郎へむかってだしぬけに聞いた。見れば見るほど恐ろしい顔だ。子供が見たら即泣きだすに違いない。
「ぶ、ぶつ()ですか?」
「おうよ! ジジイはブツをよこす代わりに、てめえの手助けをしてやれって条件をつけてきやがったんだ。……っで、どうなんだ? 持ってんのか?」
「……え~っと」
桃太郎は少し考えた。
(ぶ、ぶつ? そのようなものが……)
「あっ!」
「なんだ、やっぱり今持ってんのか。ちぃーとばっかし見せてくれよ。イマイチ信用できねえからな」
「はい。おそらく……」
桃太郎は腰にぶら下げた小さな包みから、黄金色の果実を取り出した。
「これでは?」
「……おお!」
『仙桃』を見せると、猿は、
「これが欲しかったんだ!」
と言わんばかりの顔をした。まるでとびっきりのオモチャを前にした童のようだ。
「おお……」
猿は桃太郎の右手に『ちょこん』とのっかった桃に今すぐ飛びつきそうだった。その右手はだんだんと伸びて桃を……一つかみ!
「おっとと! いけねえ、いけねえ!」
猿は自分の左手で、自分の右手を『ピシャリ』と打った。
「約束だもんな。お前の手伝いを終えたら、こいつをちょうだいできる。そういう約束だ」
猿は桃太郎の目をまっすぐ見据えて言い放つ。……案外、まとも……なのだろうか?
「はい。わたくしも、そのように聞いております。では……」
桃太郎は面に実に爽やかな笑みを浮かべ、
「よろしくおねがいします。えっと……」
「火怒羅だ。そのままカヌラでいい。間違っても猿なんて呼ぶんじゃねえぞ?」
今にも飛びかかってきそうな形相でカヌラは言う。
「はいカヌラさん! よろしくお願いします。」
桃太郎はいつものごとく、深い礼をする。その所作は、ほれぼれとするほど折り目が正しい。
「おう! よろしくな! ……そうときまりゃあ、早速ここを出て次にいくぞ! ……まだ、ほかに行くところがあるんだろう?」
「はい。二か所ほど。その二つを巡り、後に『鬼が島』へ行こうと思います」
「なら、善は急げだ! ゆっくりしてるヒマなんてねぇ! 行くぞ!」
ドロン! とカヌラは宙返りをしたかと思うと、着地する頃には、あの怖ろしい姿から、なんとも可愛らしくて小さな手のりザルに変身した。合わせて棒と服も小さくなっている。
「おお!」
驚く桃太郎。
「へへ、どんなもんよ。まあ、この程度、『異界種』なら朝飯前だけどな。つーより、異界の外じゃあ、この姿でいないとな」
「そうなんですか?」
「ああ。もとの姿のままじゃ、無駄に目立つし、それにチカラを使い過ぎる。本来ならオレ達は自分の生まれた『異界』から長いこと離れられないからな。どうだ? 勉強になったろ?」
「はい。『異界』の方も大変なんですね……」
「ま、そうウマイ話はないってことだな、なんでも。欲しいモンを手にするのも……、まあそういう事だな」
カヌラのその言葉を肯定するように大きく桃太郎はうなずく。そうだ、何かを思い描き実現するには己の行動しかないのだ。
「行きましょう!」
「おう!」
カヌラは桃太郎の肩へ生意気な顔をしながら座り、
「おら急ぐぜ!」
とうるさかった。
(はは……)
小さな姿になっても小生意気な所は相変わらずのカヌラだった。
とにかく、これで一人目だ。
「……えっらい古い社だなぁ、こりゃあ」
「ほんとうですねえ……」
ふたりは口をあけてぽかんとしていた。
「ほんとうにいんのか? ここに」
「たしかにここです」
桃太郎は竹簡をカヌラに見せる。
「まぁ、ここで間違いねえみてえだな。……じゃあさっそく行くか。そいつもオレ達を待ってんだろ?」
「そうですね、行きましょう」
二人は社へ続く階段を上っていった。
階段を上り、社へ近づけば近づくほど、それが古いものだと分かった。
「……着きましたね」
「おう!」
階段はちょうど百段あった。上った先には社。
「……こうしてみると、ずいぶん古いなぁ。ここにいんのか、ほんとに?」
「自信がなくなってきました……」
カヌラと桃太郎がそう言うのも無理はない。この社ときたら、今にも崩れそうな、というよりは半ばすでに崩れていた。草木は伸び放題だし、それに、
「『異界』の気配が全然しねえな。こりゃ、ダメかも知れんぞ桃」
カヌラは絶望的なこと言った。いつのまにか呼び方も桃になっている。
「とにかく、ここが『異界』であるなら、入口があるはずです。手分けして探しましょう!」
「まぁ、いいけどよぉ……」
桃太郎が言うと、カヌラは歯切れ悪く言った。その様子を見る限りでは、どうも彼はすでにここをハズレとみているのかも知れない。
(とにかく、行動してみてからだ。それから考えよう!)
桃太郎はいつも通り前向きに事を考え、さっそく二手に分かれて、『異界』への入り口をさがしはじめた。
「……ありませんね」
「ねえな!(わかってたけど)」
すみからすみまで探したが、異界への入り口は見当たらない。
「あとは、あの中だけですね」
「おらよ!」
カヌラは社の正面にある扉のすき間から中に入って行った。
桃太郎もそれに続く。
押すとと建物全体が崩れるのではないかと思うほどけたたましい音を立てて、扉はひらいた。
「くら……いですね。カヌラさん?」
桃太郎はなにも見えない暗闇へ向かってカヌラを呼ぶ。
突然、闇の中に火が点る。火のもとは、カヌラの指先だった。いつの間にか、あの怖ろしい元の姿に戻っている。
「おい桃! ここは本当になにもねえぞ!」
カヌラが怒鳴るように言った時だった。
「アオーン!」
とオオカミの遠吠えが聞こえた。
「うん?」
「おっ」
桃太郎は後ろを振り返り、カヌラもなにかを感じ取ったようで、扉から顔を出して外を見る。
「なんだぁ、いるじゃねえか!」
カヌラは機嫌よく言う。
「えっ、どこに……」
桃太郎がカヌラに確認しようとした時、
なにか巨大な塊が空気の壁をぶちぬいてくるような乾いた音を出して、二人めがけて突っ込んで来た。
「やろう!」
「くっ!」
凄まじい音を立てて、社は吹き飛んでしまった。さっきまで暗闇だった場所も、今では青空が見える。
積もった社の残骸が崩れ、その下からゆっくり桃太郎とカヌラが出てきた。
「くっ! ふざけた真似しやがって……! やる気ならやってやらあな!」
「ガオオッ!」
地を這うような低い唸り声が上がる。そのもとをたどると、そこには銀色の毛を逆立たせた一匹のオオカミがいた。大きい。
それを見てとると、オオカミは大地をひと蹴りし、瞬間移動でもしたようにカヌラにむかって突進した。
「バカが!」
カヌラはののしりながら棒でそれを受け止める。
棒とオオカミの刀剣のようにするどい牙が衝突した、金属同士がぶつかった時のように甲高い音が辺りにこだまする。
「ふぅ!」
カヌラは息をひとつ吸って吐くと、それが火炎となりオオカミを襲った。
「ぐう!」
オオカミは後ろに退くと、そのまま地面にカラダをこすりつけ火を消そうとした。が、そんなことはお構いなしと言わんばかりにむしろ炎は勢いを増していくのだ。
「へん! そんじゃそこらの炎とはワケがちげえぜ!」
カヌラが得意そうに怒鳴る。
が、オオカミはなおも自分のカラダを地面に転げている。
すると、突然砂が不自然にオオカミのもとへ集まるように移動した。オオカミの周囲が砂で満たされる。
「なんだぁ!?」
カヌラは疾くとどめを刺そうと近寄ったが、その異様な光景に足をとめた。間違いない。『異能』のチカラだ。
サァー、と砂はすき間なくオオカミを包み、包むとこんどはすぐに散った。
「ほう」
火があとかたもなく消えてしまった。砂で消したのだろう。
「ひさびさにやりそうなヤツだな。……行くぜ!」
カヌラはそう宣言してから、小細工もなしに真っすぐオオカミへと突進を加えた。
「グガッ、グルル!」
子供がきいたら泣き出しそうなほど敵意むき出しの威嚇で、オオカミもそれに応戦する。
二体の強者がぶつかり合う、と思われたその時だった。
「待った~!」
と大音声がふたりを制止する。
「あん?」
カヌラと巨大なオオカミは足を止めた。
「これが、欲しいのではありませんか?」
声の主は桃太郎だった。右手には例の『桃』がたかだかと差し上げられている。
「あれは!? ……という事はまさか……この者たちが……?」
『桃』を見たオオカミは、ひとりで驚いてはカヌラの顔と桃太郎とを見比べ、見比べてもなお何か信じられないようすだった。
「……すまない。どうやら、私の勘違いだったようだ」
オオカミはカヌラに謝罪した。少し気の毒になるほど悄然としたようすだった。
「ちぇっ! なんだぁ、つまんねぇの。もう終わりか」
カヌラはオオカミが謝るのを見て、勇ましいセリフを吐き残念がった。
「やはり、あなたが」
桃太郎はどうやら『二人目』の仲間らしき者のもとへ駆け寄った。
「牙狼という。先ほどはすまなかった」
ガロウは心から申し訳なさそうにあやまる。三人はあれからのち、社から少し離れた所にある小さな祠までやってきたのだ。社と同じく、この祠も相当ふるい。
「いいえ、仕方のないことです」
桃太郎は努めて明るく言う。
「まぁしかし、お前さんもだいぶせっかちだなぁ。なにもいきなし攻撃するこたぁねえだろう? 俺たちじゃなかったら最初ので死んでたぜ?」
カヌラはガハガハ笑いながらガロウの背を叩いて言う。
「……すまなかった」
ガロウは重ねてそう言った。
(いやあ、間違えてしまうだろうなぁ)
桃太郎は陽気に笑いながらオオカミの背に慣れ慣れしく腕をまわす猿のバケモノの顔を見て思った。……どうひいき目に見ても、立派な悪人顔、闇の眷属にしか見えない。
(そりゃあ勘違いもしてしまうな……)
桃太郎は自分の場合を振り返る。……ガロウも、よもやこの妖猿が、神聖な仙人からよこされた仲間の一人だとは、とても思えなかったのだろう。
「……」
ガロウはひたすら粛々(しゅくしゅく)と申し訳なさそうな態度をとっていたが、とりながら桃太郎を横目でじっと観察していた。
(紫雲さまと名乗ったあの仙人様は、わたしに『数年ののち、ここに桃太郎という人間と供の者がやって来る。おぬしもそのチカラになってやってくれ。そうすればおぬしの望みを叶える不思議な『桃』をやろう』と言った)
「……」
ガロウは桃太郎の目の奥をのぞき込む。
(あのお方はたしかに『人間』と言った。しかしこの若者は……)
「で、あの社にはなんで異界への入口がねえんだ? そもそもお前は異界種なのか?」
耳元でカヌラがうるさく聞いてくる。なんだか酔っているように見える。
「わたしは……正確に言えば異界種ではない。元々はあの社の近くにある山に住むただのオオカミにすぎなかった。それに、あの社、『土々滅忌神社』には歴とした『異界主』もいらっしゃった。しかし十年ほど前に由あって先の『異界種』様がわたしに新しい肉体と『チカラ』を与えてくれたのだ。それからというもの、そのご恩に少しでも報いようと朽ちゆくあの社を守っていたのだ……。本来のあるじ()を失ったあそこは、もうじき消えてなくなることだろう。その時、前の『異界種』様から頂いたこの命も消え果てるであろう」
「ふ~ん……」
意外に真面目な顔をして、カヌラは話を聞いている。その右手には、いつどこから出したのか、酒の入ったひょうたんがぶら下がっている。
「じゃあ、前の『異界種』ってのが『還る』時に、お前さんに今のカラダを贈ってくれたってワケかい?」
「そうだ。あの方はそれが自分の『恵』だとおっしゃっていた」
「『恵』ですか?」
桃太郎が尋ねる。彼は、あまり『異界』について知らない。というよりも、小さな村の中だけででずっと過ごしてきたのだ、外の世界である『世間』というものも、そもそもよく知らない。
「なんだ桃、『恵』も知らないのか? まったくしょうがねえな。……ガロウ、説明してやってくれや」
「……わかった」
お前が説明しないのかよ! と、弥兵衛がいたらそう突っ込んでいたことだろう、と桃太郎は心の中で思った。
「『恵』というのは『異界』に住まう種ならば必ず持つもので、異界種の命が絶える時にこの世に起きる現象、のようなものをいう」
「はい」
「まあ、具体例を挙げるとよ」
ここでカヌラ先生が口をだす。
「オレの一族なら、死ぬ時にはよ、どこかの森にある木にでも雷を落っことすのさ。そうなりゃあ木が燃える。そうすりゃあ火が手に入る。……オレの種族は人間とは深い縁があるぜ。なんせ、人間が火を手にしたのはオレ達一族の『恵』のおかげだからな。火があれば、食物を焼き、灯りを手にすることができる。……どうよ桃、立派なもんだろう?」
カヌラは本当に『どうよ?』と言わんばかりの顔をしている。生意気、という言葉をそのまま体現したような顔でかなり腹が立つ。
「異界種にはそのようなチカラがあるのですね……! 本当にスゴイ。……ご立派です!」
桃太郎は感心しきりだ。
「へへ……、まぁ、照れやがるな……!」
カヌラはあれほど自分で自分の一族を持ち上げときながら、いざそれを褒められると見ているこちらが赤面してしまうほど照れてしまっている。酔っているせいもあるだろう。顔がもう猿の尻ほどに赤い。
「ではガロウさんも『恵』を?」
「いや」
問われてガロウは首を横に振った。
「わたしは『土々滅忌神社』にいらした先代の異界主さまからの『恵』のチカラにより『異能』を手にしたにすぎぬ存在だ。『異能のチカラ』こそ持ちはすれど、『恵』は持たぬ」
「ふーん……。でよ、なんでまたお前さんは先代さんに『恵』で新しいカラダをもらったんだ?」
カヌラは気軽にきいた。その顔はなにも考えていそうにない。
「……話してもよいが、なにも面白いことはないぞ?」
「な~に、それはこっちが決めることさ! ささ、話した、話した!」
カヌラはガロウを急かす。それを横で見ていた桃太郎は、その強引さと図太い神経が少し羨ましく思えた。
「……そうだな。あれはたしか、私が生まれて間もない頃だ。私は土々滅忌神社近くの山で生まれたオオカミだった。記憶もおぼろげだが、小さい頃はわたしと、父と母と、それに何匹もの兄弟があって、そこにほかの仲間もいた。だが、私が生まれてから初めて迎える冬で、わたしの家族は息絶え、ほかの仲間の家族も息絶え、あるいは別の場所を求めて旅立っていった」
「よっぽど厳しい冬だったのか?」
鼻をほじりながらカヌラがきく。
「ああ。もうほとんど覚えていないが、かなり吹雪いてな。わたしたちオオカミだけでなくたくさんの生き物たちがその猛烈な吹雪に耐えきれず死んでいった。暗くて、そのくせ辺りは真っ白い雪ばかりで、それに……」
ガロウは目をつむりながら、ゆっくりと語る。
「長かった。それこそ、永遠とも思えるほどにな」
ガロウは再び目をひらく。
「そして長い長い冬が去った時、わたしはひとりぼっちになっていた。山は春にむかって生命の光芒を世に引こうという時に、わたしはといえば、もう息絶える寸前だった。しかし、そこに一人の人間の童がやってきたのだ。その子は、山を下りた所にある里の子だった。親がきこりをしているせいもあって山に慣れていたのだろう。一人で山の中腹まできていた。コウタ……その子の名だが、コウタは衰弱しきったわたしを見つけ、わたしを温かい場所まで連れて行ってくれると、それから食べる物まで持ってきてくれた。里から私のいる所まで来るのは、子供の足ではずいぶん遠かっただろうが、コウタは親の目を盗んではわたしの所によくやってきてくれた。コウタとわたしは、言葉こそ分からなかったが、まるで親友、いや兄弟のような仲だった。しかしそれも、春が終わって夏が過ぎ、秋も暮れにかかった頃、突如としておわりを告げた」
「なにが起きたってんだ?」
カヌラは身を乗り出すようにして聞いている。すでに酔いはしたたかだ。
「ある日、コウタがわたしのもとを訪れなくなったのだ。……ぱったりとな。しかし、わたしは待ち続けた。冬もいよいよ深まり、吹雪もしたが、わたしは慣れていた。それよりも、もう一人になるのが嫌だったのだ。だから、わたしは待った。いつまでも……」
「……で、待ちくたびれたまんま、そのまま死んじまった、ってえワケか。罰あたりだな、おめえは。せっかく人間のガキに助けてもらったってのによ、それじゃ意味ねえだろ」
カヌラはひとりで納得している。
「……」
ガロウも黙ってうなずく。
「わたしがいた山の中腹と里のちょうど真ん中に、土々滅忌神社はあった。わたしは待ち切れずにそこまで下りて行ったのだ。しかし……すでにカヌラが言った通り、神社の前でいつの間にかこと切れていたのだ。私は小さかったし、それに心身ともに疲れきっていた。一人ではろくにエサにもありつけなかったからな」
「……」
桃太郎とカヌラは黙って聞いている。
「それを哀れと見て下さったのが、土々滅忌神社の異界種さまであった。異界種さまは残り少ない命だからと言ってわたしに新たな肉体を授けて下さった。そしてカラダだけでなく『牙狼』という立派な名までくれた。それ以来、わたしは先代の異界種さまのご恩に報いるために、あの神社を守ってきたのだ」
「……ガロウってのは父ちゃんや母ちゃんが付けた名じゃなかったのか。じゃあそのコウタってガキはおめえのことなんて呼んでたんだ?」
「……」
ガロウは少し黙ってから、
「……『ワンワン』だ。コウタはわたしの鳴き声からそう呼んでいた」
「……」
桃太郎とカヌラはそれを聞いてから一瞬顔を見合わせ、
「アッハッハッハ!」
と大笑いした。……もっとも、大笑したのはカヌラのみであるが。
「ひ~ひひっ! 『ワンワン』たぁ可愛い名だ。いっそのことガロウじゃなくてオレらも『ワンワン』て呼ぼうか、ええ、桃よ?」
「や、やめてくださいよカヌラさん。ま、真面目な話をしてるんですよ……」
桃太郎はカヌラの無神経ぶりに困惑していた。大笑いする化け猿をさとしながら、チラ、とガロウの方を見る。
「……事実だ、仕方あるまい」
ガロウはあくまで冷静だ。
「ハッハッハッ! いやまあ、しっかし珍しい鳴き声だな。『ワンワン』なんて鳴くオオカミなんてよ!」
「そうだな……。わたしもコウタと触れ合うウチに自然と、気付いたらそう鳴いていたのだ」
「ふーん……、まっ! それぞれに色々な人生、歴史があるってえワケだな、桃?」
「えっ、あっ、はい……」
突然カヌラは桃太郎に話を振り、強引に話をおさめた。本人は得意そうな顔をしていた。要するに、もうその話に飽きてしまったのだろう、と桃太郎は悪そうな猿顔の横面を見て思った。
「……別れはすんだのかよ?」
カヌラがきく。
「ああ……。この旅が終わる頃には、ここの『異界』も完全に消滅しているだろう。わたしも、もうここに戻る事はあるまい」
なにかふっきれたように、ガロウは言う。
「フッ」
ガロウは小さく息を一つ吐くと、みるみるカラダが小さくなっていき、オオカミの赤子の姿になってしまった。
「おいおい、それじゃあまるっきり『ワンワン』だぞ?」
カヌラが茶化す。
「そろそろ『ワンワン』はやめてくれ。鳥肌がたつ」
「オオカミがかよ!」
カヌラのツッコミが入ったところで、
「では、次の仲間のところへ参りましょう!」
という桃太郎の一声とともに一行は歩き出した。
「おっと! 忘れてた。そういえばよ、コウタってのはなんでおめえの所にこなくなったんだ?」
「社に参拝しにきた人間の話によれば、なんでも流行り病に斃れたそうだ。……人間とは、はかない()生き物だな」
「まったくだな。オレ()達()とは違うさ。なっ、桃!」
「……そうですね」
前を見据えたまま、桃太郎は返事をした。
「……」
あとに続いていたガロウは、桃太郎のその背を無言でみつめていた。
「ひえ~! こりゃあスゲエぞ!」
カヌラも思わずバカ声をはりあげる!
「『剣が峰』とはよく言ったものだな」
「ほんとうですね!」
「壮観だな」
相変わらずガロウだけは冷静だったが、それでもこの景色には驚いている様子だ。
「岩がまるで刃のようだぜ!」
カヌラの言う通りだった。ここは『剣が峰』と呼ばれる場所で、異界『風々(ふうふう)洞』があるとされる。
「こりゃあどうしたもんだ? あっこまで行くってなりゃあそうとう骨が折れやがるぞ」
カヌラが口惜しそうに言う。この猿はどこまでも面倒なことが嫌いなようであった。
「うーん……参りました」
桃太郎も本音がでた。たしかに、これではどうしようもない。
途中までは普通のなだらかな山道であったのが、急に険しさを増したかと思えば、だしぬけにそり立つ壁が目の前に現れ、そこからは草木が一本も生えずに岩肌が露出した峻厳で峻険な峰への道しかない。
だが道とは言っても、まさか壁をよじ登るわけにもいかない。それはなめらかで拠り所となるような突起物もなく、それにあまりにも高さがありすぎた。空さえ飛べれば可能だろが、一行の背には無論翼など生えていない。
「空が飛べりゃあな……」
カヌラはどうにもならない事を言う。
「この上に『異界』があるなら、入口が下の方にもあったりするなんてことは……」
断固違うとガロウが首を横に振る。ない、ということだろう。
「……そうですか」
「はぁ」とため息こそつかなかったが、桃太郎は心中ひどく落胆していた。
これでは、本当に空を飛ぶしか方法がない。
(そんなことできるわけが……)
と桃太郎が心ひそかに諦念の気持ちを強くした時、『ドドドドド!』と激しい地鳴りの音がした。地鳴りは遠くから聞こえる。
「うん? なんか地面が揺れてねえか?」
「……たしかに、揺れているな」
「……揺れていますね。それに音が……」
だんだんと大きくなる。いや、近くなってきているのか。それはもう徐々に大きさを増していき、ついには巨人が地団太でも踏んでいるのではないかと錯覚するほどであった。
「お、おい、なんか揺れが強くなってねえか!?」
「うむ! 足の均衡を保たねば今にも転んでしまいそうだ」
「あ、あれ!」
桃太郎が何かに気付き、その場所を指差す。 ……それは彼らの方をめがけ、やって来た。
「な、なんだ!? なんか来るぞ! 気いつけろおめえら!!」
カヌラがそう言うと、桃太郎とカヌラは横の草むらに飛び込んで難をのがれようとした。
「……」
なぜかガロウだけは悠然とかまえ、うごかない。
凄まじい轟音をあたりに響かせ、音の主は三人がいた場所を通りすぎて行った。その数秒後、
ブワ~ッ! と猛烈な突風の衝撃波が巻き起こった。
「……な、なんだっつーんだ!? 今のはよ……? ガロウ、見えたか?」
「ああ。実に大きな……鳥だったぞ」
「へ?」
カヌラと桃太郎は目を丸くする。
「と、鳥って……今のがですか? あんな地上スレスレを飛んでいたと……?」
「うむ。しかし飛んでいたというのは違うな。走っていのだ、それも猛烈な勢いでな」
ガロウはさらりと言った。
「鳥が……走る?」
「うむ、走っていた。それに、どうやら今の者は『異界種』のようだったぞ。何度か見たことがある。『土々滅忌』の上空を飛んでいるのをな。あの者、ここの『異界種』だったのか……。おそらくあの者に聞けば、どうにか話しが進むやも知れんな」
カヌラがあっけにとられた桃太郎の横腹を肘でつつく。
「ええ? しかし、あんなに素早い相手をどうやって……」
桃太郎がそこまで言いかけた時、
『ドドドドドドドド!』と地鳴りの音がまた聞こえてきた。
「ちょうどいい。どうやら向こうから来てくれるようだぞ」
ガロウは毛づくろいをしながら木にもたれている。彼の様子を見る限り、相手が自分たちに危害を加える気がないと見ているようだ。
「おっと……!」
ガロウは毛づくろいを止めて、
「カヌラ! 少しのあいだ草むらに隠れていてくれないか?」
「なんでだ?」
カヌラはすぐにガロウに問い返す。
「ワケはあとで話す。とにかく時間がないんだ。悪いようにはしない。頼む」
ガロウの話しぶりがあまりにも神妙だったせいか、珍しい事にカヌラは黙って草むらへ身を隠した。草むらからは、ブツブツと何事かをつぶやく声がする。
地を鳴らす音が再び一行の近くにこだまし、それが最大音量になったところで音はピタリとやんだ。
(お、おお~!)
桃太郎は声こそ出さなかったが、仰天していた。けたたましい地鳴りの音が止み、現れたのは、体長がゆうに十六尺(五メートルくらい)はありそうな『怪鳥』だった。それも、羽が七色に輝いた。
「めずらしいわねえ。こんな所になんの用? それにアンタたち『異界種』じゃないの!」
怪鳥はガロウと桃太郎に話しかけてきた。その態度からは友好的な感じを受けた。
「はい。実は『風々洞』にご用がありまして……」
「ウチに?」
『ウチ』というからには、やはりこの『怪鳥』は『風々洞』の者らしい。
「はい。『仲間』を探しに参ったと言えば、誰か分かる方がいらっしゃるかも知れません」
「ああ!」
怪鳥は目を輝かせてさけんだ! よほど嬉しいのか『バサバサ』と翼を羽ばたかせて虚空を打つ。空気の束が暴れるように風が猛烈に吹く。辺りの木々は大きくしなり、ガロウと桃太郎は今にも風に飛ばされそうになりながら大地足をこらえている。
「待ってたよ~! なんだ、アンタ達がそうなのかい!? ひぃ、ふぅ……、あれ? 紫雲のジイサマからは三人でやって来るって聞いてたけどさぁ、走るのに夢中で気付かなかっただわさ」
怪鳥はなんだかウキウキしていて、桃太郎にそう尋ねるようすもずいぶん楽しげだ。
「おお、なんだなんだ! コイツが『三人目』かよ!」
草むらでひとり様子をうかがっていたカヌラだったが、どうやら大丈夫と見て三人の前に姿を現した。
「ぎゃあああ! ば、ばけもの!!」
草むらから出てきたのは、まるで人間のような姿をした猿のバケモノだった。毛むくじゃらの顔に、見るからに地獄の山の妖猿どもを従え悪さを働く魔王にしか見えない闇の者がそこにはいた。……もちろんカヌラである。して、例の怪鳥はカヌラを見るなり絹がさけるような悲鳴を上げた。どうしてもカヌラを見た者はこういう反応をする。仕方がない。
だが、その後が悪かった。ぶうん、と怪鳥がその大きな羽をカヌラに向かって羽打つと、風が渦のようになり、あれよという間にカヌラへと襲いかかった。
「な、なにしやがるこんにゃろう!!」
カヌラはそれを間一髪避けたが、後ろを振り返ると暴風にあおられた嵐のあとみたいに木々が倒れていくではないか! 恐るべき威力だ。もしアレが当たっていたら……。
「やろう! やってやる!」
「なにさ! 猿のバケモノ、アタシが退治てやる!」
二人が火花を散らそうとした時、
「待って下さい!」
「まあ落ち着け」
とあいだに割って入った者がいた。むろん、桃太郎とガロウである。
「止めんじゃねえガロウ! 最初にヤりやがったのはアイツだぞ!」
「まぁまぁ」とガロウはあくまでもカヌラをなだめる。
「待って下さい。あの方も仲間の一人なんです。……ああ見えても」
最後の方だけはボソッと言い、桃太郎も怪鳥を落ち着かせる。
怪鳥は興奮冷めやらぬようすで翼を開いたり閉じたりしている。その度にまた大小無数の風が巻き起こるのだが、これがまたカヌラの火のような怒りに油を注ぐのであった。
「あ、あれがかい!? どう見てもありゃあ……」
その先は聞かなくてもおよそ想像がついた。『魔物』もしくは『闇の眷属』といったところだろう。
「これで、四人が揃ったってワケかい」
怪鳥は、もうすっかり落ち着きを取り戻している。
「で、どうするんだい? アタシはすぐにでも『鬼が島』へ行けるよ。善は急げさ」
頼もしいことを言う。
「そうですね。私としてもその方が嬉しゅうございます。それと……」
桃太郎はいつも通りていねいに相手に話しかける。この男はいつだってそうだ。
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか? ……いえ、その前にこちらから簡潔に自己紹介をしていきましょう」
そう言うと、桃太郎は居ずまいを正して、
「私の名は桃太郎と申します。この度は私事のためにみなさまのお力をお借りすることなるものです」
桃太郎は言いながら、いつも通り深い御辞儀をする。
「ハイよ! ……アンタ、男前だねえ。アタシ好みだよ!」
「はは……続きまして、こちらはカヌラさん。カチカチ山の方です」
「……」
カヌラはムスッとしたまま顔をあらぬ方向に向けたままだ。まださっきのことで腹を立てているらしい。
「はは……。続いて、こちらはガロウさん。土々滅忌神社の方です」
「よろしく」
「あら、『土々滅忌』の? アタシあそこよく通るわよ。よろしく」
怪鳥はガロウに返事をする。カヌラの時と違ってなんだかずいぶん愛想が良い。
「アタシの番だね。アタシの名前は『鳳嵐』さ! この……」
ホウランは大きな翼の先を使って峰の頂上を指し、
「『剣が峰』にある異界『風々洞』のモンさ。よろしく頼むよ、アンタたち!」
ホウランは陽気だ。
「じゃ、早速行くとしようかね! アンタら、アタシの背に乗りな!」
ホウランはクルッと振りかえってほかの三人に背を向けると、『さあ!』と言わんばかりに翼を左右に大きく広げてみなが乗るのを待っている。
「よ、よろしいんですか? 三人ともなれば結構な重さになりますよ?」
「へ―キさ! アタシをあなどるんじゃないよ! それに、ほかの二人は仮の姿になるんだろう? なら大したことないさ」
「そ、そうですか。ならば御言葉に甘えて……」
スッと足を踏み出すと桃太郎は優しくホウランの背へと乗り出した。気がつけば、いつの間にかほかの二人は小さな姿に変身し、桃太郎よりも早くホウランの背に乗っていた。
「準備はいいかい? 飛ぶよ!」
ホウランは申し訳程度に聞くと、すぐさま大きく翼を羽ばたかせた。
翼で起こした風が地面を打ち、その勢いでホウランのカラダが宙に持ちあがる。
「おお!」
背に乗っている三人も驚きの声を上げる。別に怖いワケではない。なんとなく嬉しいのだ。……空を飛べるという事が。
「う、浮いてるぞ桃! 俺たち……浮いてやがる!」
カヌラは大興奮だ。いや、カヌラだけではない。いつもは冷静なガロウでさえ、
「おお…! 宙に浮くとはこのような感じがするものか……! なんとも言えぬ心地がするものだな!」
少し興奮気味だ。
「飛んでいますとも! カヌラさん! ガロウさん!」
桃太郎は、裏返ったらしかぬ声を出して興奮している。
(か……感動でございます!)
桃太郎の胸の中は感激の嵐が吹き荒れていた。翼を持たぬ者が空を飛ぶなどは、普通はどんなに願っても叶わないものだ。
「はっはっ! 空は初めてかい、アンタ達!? じゃ、しっかりつかまっておくんだよ! ……アタシの背にね!」
強い風が顔に当たるのを感じながらホウランは空へと舞い上がっていった。背に三人の仲間を引き連れて。
ついに全ての仲間は一同に会し、『鬼が島』へと旅に出たのだった。
「フッ! フッ!」
短く、それでいて勢いよく息を吐く音。同時に、
ビュンビュン、と剣が風を斬る小気味よい音がする。ここは異界『鬼が島』。名の通り『鬼』と呼ばれる者たちが住んでいる。
「いやはや、毎日ご精がでますなあ、鬼一郎さま!」
「はっはっ! なあに、好きでやってるのさ。鶯鬼、お前が毎日昼時になると木の上で昼寝をするのとなんら変わらぬよ!」
「はは……なんとも」
鬼一郎にはそんなつもりはなかったが、鶯鬼は少しなじられたとでも思ったのかバツの悪そうな顔をしている。
「それにしても、ないことだな。お前が『水鏡門』に来るなど」
「なあに、『鬼王』さまへの謁見もかね、鬼一郎さまのご様子をおうかがいに参ったまでですよ」
鶯鬼は好々爺然とした表情で鬼一郎と語らう。普段は厳格な、鳥の頭を持つ老いたこの鬼も、鬼一郎という若者の前では甘い顔ばかり見せるのだ。鶯鬼は『鬼王』という鬼の総大将の昔からの右腕であり、鬼一郎はその『頭』の息子であった。しかし、幼少期からその息子の世話を鶯鬼がつとめたこともあり、鬼一郎にとって鶯鬼は育ての親であり、鶯鬼にとってもま息子、いや弟のような愛情を感じていた。鬼一郎はいずれ自分の君主になる者ではあったが、それでも単なる君臣関係以上のものを感じていた。
「父上に? なにか用でも?」
「いや、逆でございます。『鬼王』さまが私をお呼びになったのです。まあ、話と申しましても『これよりひと月のあいだは、『火の池』、『風の橋』、『土造門』、そして『水鏡門』の警備はそれぞれ、狐鬼、猿鬼、馬鬼、そして鬼一郎の四人に任せる』とだけ仰せになり、恐れ多くも私の耳にも一言いれておこう、という用件でございました」
「そうか」
「しかし、なんとも贅沢な衛士たちでございますなあ。今回任命されたのはみな『鬼が島』で武名の高い者ばかりでございますから……。正直に申しますと、私には少々おおげさな感がいたしまする」
鶯鬼は憮然とあごをさすっている。
「まあたしかに、な。お前が訝しがるのも無理はない。我ら四人が衛士に任命されたことはもちろんのこと、一ヶ月という期間もまた、普段の場合と比べれば異常に長いものであるからな……」
「左様。明らかにこれは尋常の事態ではございませぬ。『鬼王』さまは鬼王さまできっと何か御考えがあるにちがいませんが、みなは何事かあらんと騒いでおります」
「はっは! 心配はいらぬ。時々、父上殿は不思議な勘が働くようでもあるしな、今回もそうなのだろう。……我々四人が衛士に任命されたからには、どんな非常事態が起きようとも、火が燃え広がらぬうちにきれいさっぱり消してやるさ。それに、」
鬼一郎は右腕に持っていた刀の先を上に向ける。
「覚えているだろう鶯鬼。私が『羽人』の奥方を食した時、供養でもしようかと思って持って来た剣だ。……街に『サトリ』という、人間の母上を持つ鬼がいるだろう?」
「はい。たしか鍛冶屋の?」
「ああそうだ。あの者は母上が存命しているせいもあり、人間の世についてかなり明るくてな。それでこの剣を見せたのだが、どうやらこの剣には名があり『日照久』というらしい。かなりの業物だという話だ」
「そうでございましょうな。私は刀剣についてまったく存じ上げませぬが、その私から見ても、その刃の輝きは、なにやら心が妖しく惹きつけられる気がいたします」
「はじめは私も、この剣をあの奥方の腰布とともに弔い、供養しようと思ったが、鞘に収まったこの剣を抜き、その白刃を目にすると、なんだか一度はこの剣を振ってみたいという衝動に駆られてな。それで一振りすると『もう一度だけ』とまた一振り、また一振り、と気付けばあれから何年も経つというのに、朝夕にそれを繰り返し、もうこの剣が手放せなくなっていた」
「……」
「それにな鶯鬼。私にはこの剣を振るごとに、生に対する歓喜と儚さが感じられるのだ。それは他人の目には見えねども、私にはたしかに感じられるのだ。『どうだ! オレは強くなったぞ!』という歓喜、肉体が存分に躍動する機会を与えられた歓喜。そしてまた思い出すのだ。私の手によって命を奪われた、あの老いた夫婦のことを……! その両方の思いが、この剣を一振りするごとに募りに募る。だが、」
鬼一郎は白刃に魅入られたがごとく、その視線は妖しき刃に吸い込まれる。
「これも父上の言う通り『赤鬼』の血のせいなのか……。それは分からぬが、もし父上が何者かの侵入を予期して今回のような対策をとられたとしたならば、私は嬉しい気がしたよ。もしかすると、この剣を試す機会がきたのかもしれない、とな。相手の命を奪うかもしれぬのに、それを楽しみなどと言うのは至極不謹慎だろうが」
「『赤鬼』の血かは分かりませぬが、どちらにいたしても、こちらとあちらの両方が血を流さぬことを、この老いた鬼は願うばかりでございます」
「……そうだな」
鬼一郎は、少しだけ悲しげな目をしたあと、それからゆっくりと剣を鞘におさめた。
「でさあ、アンタたちはなんで『桃』がほしいのさ?」
ホウランは背に乗った二人に尋ねた。
「……私は、人間の里で人間と暮らしたい、そう思っている」
ガロウが静かにこたえる。
「へえ! なんだかワケありな感じだねえ!」
ホウランはやじ馬根性まるだしで、それをまったく隠す気がない。
「あの……」
桃太郎は右手を上げる。質問があるようだ。
「なんだい?」
「そのですね……はじめから気にはなっていたのですが。『桃』にはいったいどのような効力があるのですか?」
桃太郎は申し訳なさそうに聞く。
「えっ、ええ~!」
ほかの三人が一斉に声を上げる。
「なんだ、桃。お前そんなことも知らないのにオレ達を仲間にしてたのか?」
「ふむ。まあ、たしかに桃太郎にはあまり関係のないことではあるからな、紫雲さまもわざわざ言わなかったのかも知れぬな……」
「いやいや、それにしても『桃』のことを知らないなんて、アタシャやっぱり驚きだよ。まあ、紫雲さまとかっていうあの仙人が教えてないなら、知らないのも無理はないか……」
(はは……)
桃太郎は苦笑するしかない。
「まあ、ほら、その『桃』だけどさ。あの仙人が言うにはさ、『桃』を食べた者は『異界種』ではなくなる効能があるらしいのよ!」
ホウランはご機嫌だ。
「つまり、アタシを含めて、ほかの二人も、『異界種』としてではなく、なにかほかのモノになりたいってえ願いを持ってるんだろうよ!」
ホウランは、好奇心いっぱいの目をほかの二人に向ける。
「そうなんですか!?」
桃太郎はガロウとカヌラの顔を見る。二人はべつに、変わった様子を見せない。ガロウは、さっき自分で言っていたように、
『人間と暮らしたい』
という願いを叶えるために『桃』を欲しているようだった。ならば、カヌラは……。
「で、お猿さんはなんで『桃』がほしいんだい?」
「誰が猿だこのオカマの鳥公!」
ムスッとした表情で腕組をしていたカヌラが怒気をあらわにする。もうカンカンだ。
「誰がオカマの鳥公だって! アンタ口に気をつけなさいよ!」
「うるせえ! 先にケンカ吹っかけてきのはそっちじゃねえか! それを逆怒りしやがって! この棒で脳天に一発見舞ってやろうか!?」
「なんだってえ!? やってみなさいよ! その瞬間アンタら全員地上に真っ逆さまだよ! ほら、やれるんならやってみなさいよ! この猿公!」
二人はすっかり頭に血が上り、互いに口汚くののしり合っている。どうも、この二人は最初からウマが合わないらしい。
「だれが猿公だコラァ!」
「落ち着いてくださいよ二人とも!」
桃太郎が仲裁にはいる。ちらりと桃太郎はガロウに視線を送ったが『ぷい』とそらさらされてしまった。お前がどうにかしてくれ、というわけか。
「せっかくの仲間なのですから、仲良くしましょう! それに、カヌラさんもホウランさんも、口が少々過ぎます。どちらもいけませんよ」
桃太郎は柔和な口ぶりで二人をさとす。まったく、この二人は桃太郎の何倍も生きているというのに、このありさまだ。
「ふんっ!」
二人はののしり合うのを止めたが、互いにそっぽを向き、そのままだんまりをきめこんでしまった。
(つ、疲れる……)
はてさて、こんな調子で無事『鬼が島』へ辿り着けるのだろうか……。辿り着けたとしても、そこにはおそろしく強い鬼が待ち構えているというのに。