桃太郎とその仲間たち
『バリバリ』『グチャグチャ』『ゴリゴリ』。
鮮明過ぎるぐらいの光景が、桃太郎の瞳に映る。そこにはあぐら()をかいて土間に腰を下ろし、一心不乱になにかを貪る者がいた。
『バリバリ』『グチャグチャ』『ゴリゴリ』。
肉を噛み裂き、骨を砕き、歯で骨を削る音。怖ろしい音だ。それは何モノかの命が奪われ摂り込まれる音。しかしそれは同時に、命を育み、己の肉体が生きる喜びを叫ぶ瞬間でもあるのだ。
(食べる者、食べられる者……)
桃太郎は恍惚の表情でそれを見守る。
(この後ろすがた、どこかで見たことがあるような?)
『バリバリ』『グチャグチャ』『ゴリゴリ』。
くだん()の何者かは、後ろで立ち尽くす桃太郎をまるで気にも留めず食事をつづける。よほど美味いものを、食べているに違いない。
(もっと、もっと近くに)
桃太郎はゆっくり、ゆっくりと、その歩を進める。
(見たことがある。あなたを。誰なのだ? あなたは……)
その人物の肩に手を伸ばし、何者かを問おうとした桃太郎だったが、
ハッと何かに気付き、すぐにその手を引っ込めた。
「お、おばあ様!」
なんということだろう! 謎の人物が夢中になって食べていたのは、あろうことかお婆さんだったのだ。
「な、なんと恐ろしいことを! お、おのれ、貴様!」
桃太郎は抜刀し、その切っ先をヒト食いのバケモノに向けた。
『ムシャムシャ』
桃太郎が抜刀したあとも、相手は意に介さず『食事』をつづける。
「こちらを向け! 成敗してくれる!」
桃太郎は一喝すると、背を向けたままの相手へ向かって刀を振り下ろそうとした。
が、それまで『食事』にあんなに夢中であったはずのバケモノは、無造作に立ち上がって、桃太郎の方へ振り向いたのだ。
「……そ、そんなバカな!」
斬りかかった桃太郎は、振り向いたバケモノの顔を見ると驚いてその動きを止めた。
「……き、貴様は……わ、わたし……?」
振り向いた『バケモノ』は、桃太郎と瓜二つの顔をしていた。
(ど、どういうことなのだ?悪い夢でも……)
とっさに目をこすり、なにかの見間違いではないかと確認する桃太郎。
「!」
目をこすり、今一度前を見ると、そこには誰もいなかった。
「ま、まぼろし……」
桃太郎が独りごつ。
「ハッ!?」
桃太郎の後方で轟音が鳴りひびいた。まるで、大地が裂けてしまったような音だった。桃太郎がその音を確認しようと振り返ると、そこにあったのは意外にも、
「……人間の骨!」
それも頭蓋骨だった。風もないはずなのにガイコツは地面を転がり、ないはずの目で桃太郎を凝視する。
その時、桃太郎のすぐ背後でなにかの気配がした。
警戒し急いで飛び退く桃太郎! そこに立っていたのは、
「出たなバケモノ!」
赤い、それも血のように濃い真紅のバケモノだった。
「……バケモノ?」
冷笑するようにバケモノが言葉をしゃべった。
「オレがバケモノ? ならお前はなんだ?」
「私は人間だ!」
桃太郎は即答する。その応答に、迷いはない。
「……そうじゃないだろう? それじゃあ答えになっていない。……おれはバケモノだ。お前から見ればな。だが、人間も他の生き物からみれば『バケモノ』でしかないのだぞ? お前はどうだ? なにも食べずに生きていけるのか?」
「うるさい!」
桃太郎は怒りに酔っていた。お爺さんは殺され、お婆さんは食われた。桃太郎は今、どんな言葉も吟味できぬほど、その大きなカラダいっぱいに怒りをたたえていた。一喝と同時に桃太郎は剣を右袈裟に振り下ろしていた。
が、鬼を斬り下げたはずの刀は空を切る。
「どこへ行ったバケモノ!」
桃太郎はらしくない激しい口振りで鬼をののしる。
「どこにも行かぬ」
右だ。いつ動いたとも知れぬうちにバケモノは移動していた。
「破っ!」
疾風迅雷、桃太郎は目ざとく鬼を見つけると、すぐさま体勢を整え剣を鬼へと閃かせた。
が、またしても刃は鬼に届かぬ。届かぬどころか、はたから見れば桃太郎はただ虚空にむかって剣を振り回しているに過ぎないのだ。
「くっ! 面妖な……! 出てこいバケモノ! 私と尋常に立ち会え!」
桃太郎は消えた鬼を求めてあたりを捜す。
「そこか!」
今度は前方に現れた鬼に、桃太郎は剣を横にして刺突をお見舞いする。狙いは、バケモノの喉元だ。
「はいやぁ!」
桃太郎は決めの気合をかけながら、カラダごと突っ込んだ。今度こそは、鬼も間に合わない。
が、あるのは虚しい手応えだけだ。
「ば、ばかな! 今たしかに……!」
当たった。今度こそはたしかに。当たれば必殺の喉突きであったが、鬼はそれを避けることもなく、ただそこにつっ立っていた。ならば、桃太郎の攻撃が外れるはずはない。
「通り抜けた……」
絶望的な心持だった。まるで実体がない、煙のようなもの。この鬼は、怪しい用術まで使いこなす真の『バケモノ』やも知れぬ。桃太郎はそう思った。
「無駄だ。お前はオレ。オレはお前だ。お前はオレを斬れないし、オレもお前は殺せない。真実を知るのだ。そして考えろ。お前自身を……」
鬼は禅問答のような事を言い、そのカラダの色はどんどん薄くなって消えていく。
「ま、待ってくれ! わたしが、お前? どういう事なのだ!? な、ならば、貴様の名はなんというのだ!」
消えゆく鬼に桃太郎はたずねる。
「鬼助……。それがオレの名だ……忘れるなよ。そして……また会おう。『鬼が島』で……」
霧が散じて晴れるように、鬼は消えた。最後に、自分の名を桃太郎に明かし『鬼が島』という地で互いの再会を約したきり…。
「鬼助……」
桃太郎は胸に刻み込むべく、その名を反芻した。
(『鬼が島』。懐かしい気がするのはなぜだ……?)
天が割れた。そう形容したくなるカミナリが、鳴った。空は暗く、雲も黒い。
そして雨が降り、桃太郎のカラダをそのしずくが打つ。
「……」
天を仰ぎながら、桃太郎はなにを思うのか。
暗がりの空、その一点が光った。光ったと同時に、その光は天から地へと一本の線を引き、その真上に立っていた桃太郎に直撃した。
「うわ~!」
……桃太郎は意識をうしなった。
「はっ!」
跳ね上がるように上体が起き上がり、その勢いが強すぎたのか、隣にいた者はそのせいでずい分と魂消てしまった。
「うおぉ!?」
聞きなじみのあるダミ声だ。
「お……おお~!」
ダミ声が快哉をさけぶ。
「も、桃~!」
「……弥兵衛さん? ……ここは、わたしの?」
「おう、お前さんのウチさ! 心配したんだぜ! ほんとによ! ……昨日からずっと寝てたんだぜ、桃」
弥兵衛は笑いながらも目には涙を浮かべている。
「そうだ。私はカミナリにうたれて……」
「へ? カミナリ?」
「ええ。たしか、私はカミナリにうたれて気を……」
「いや、お前さんはこの家の土間に倒れてたのさ。……なあ、本当に大丈夫か?」
(土間に……? じゃあ、結局あれは夢であったのか……? それにしては……)
桃太郎は、なにが現実で、なにが夢であったのか、自分でも分からない様な気持になった。ただ一つ、どうやら確かな事がある。それは弥兵衛に聞けばすぐに分かることだと思った。彼は今、真実を知ることが初めて怖いと思った。
「……おじい様とおばあ様はどうなさいました?」
桃太郎は恐る恐るきいた。
「あ、ああ……。もう、お前さんも分かっているとは思うけどよ……」
弥兵衛はうなだれ、桃太郎から目線をそらす。
「じっさまの方はよ、家の前に埋めておいたよ……。ただばあ様の方は……」
遺体が見つからなかったのだろう。無理もない。お婆さんは余すところなく鬼の胃袋の中なのだ。
「やはり……夢ではないのですね」
「ああ……、ほんとによ、夢ならよかったのにな……」
ズズと鼻をすすりながら、頬を伝い光る涙を弥兵衛はぬぐった。
桃太郎は、遠くを見るような表情。
「……じゃあ、おらっちはウチに帰っからよ。なにかあったら遠慮なく言ってくれ」
「よっこいせ」と言いながら重々しい動きで立ち上がると、弥兵衛はそのまま振り返らずに出て行こうとした。が、彼は戸に手をかけたまま振り返らずに、
「……そういやあ、村の連中も心配してたぜ。お前さんのことをよ。ありがとう、だってさ」
それだけ言うと、弥兵衛は出て行った。
「……」
桃太郎は返事をせずに彼を見送った。
「……」
弥兵衛は空を見ながら、ゆっくりと自分の家へ足を進めた。時刻はもう、日が傾き始めた時分だった。
ガリガリガリ、戸を爪で引っかく音がした。
(……山の獣か?)
家の中は真っ暗だった。気付けば、もう夜になっている。桃太郎は弥兵衛が出て行ってから上体だけを起こしたまま、ずっと一人でじっと何事かを考えていたのだ。
三人もいたはずの家には、もう桃太郎しかいないのだ。
ガタ、戸がほんのわずか、ひとりでに開いた。
「……?」
わずかに開いた隙間からは月明かりが差し込む。
(どなたか訪ねてきたのだろうか?)
桃太郎は一応確かめようとして、一日ぶりに布団から出た。立ち上がると、カラダが重い。
桃太郎はきっちりと両手を揃え、音もなく戸をあけた。いつもの彼らしい、ていねいな挙措だ。
「だれも……いませんね」
外には、風の音と風に揺らされてわずかに鳴る葉の音だけだ。
「おや? あれは?」
誰もいないと思った桃太郎だったが、実は一人の来客があったみたいだ。
「……正体はあなたですか」
わずかにほほ笑む桃太郎の視線の先には、暗闇に目を光らせてコチラを見ている一匹のタヌキのすがたがあった。
「……さて、ウチへ戻るとしましょうか」
桃太郎が踵を返した、その時だった。
『桃よ』
「!」
後ろで声がする。振り返るとそこには……!
やはりタヌキしかいない。
『ここだ』
「た、タヌキが……しゃべった!」
桃太郎が驚きの声を上げるのとは対照的に、タヌキの声は落ち着き払っていた。
『落ち着け。ワシだ』
「ま、まさか……『御山』さま!?」
『うむ。今日はお前に用があってな。この者のカラダを貸してもらい、お前に会いにきたのじゃ』
「……なぜ私に?」
『……こたびは残念なことになったな』
『御山さま』と呼ばれる謎の人物は桃太郎に慰めの一言をかけ、続けた。
『実はお前に話がある。暁の頃、私のもとへ来てくれ。……話はそこでする』
「『境界』をくぐり『異界』へ、ということでございますね?」
『そうだ。では暁の時に、また会おう……』
そう言うと、目を光らせて立っていたタヌキは「くぅーん」と甲高い声で鳴くと、そのまま森の中へ消えて行った。
(御山さまがわたしに……?)
桃太郎は次々と現れる急な事態に、ただひたすらめまいを覚えるのだった。
(……暁、か)
だが、夜はこれより、その闇を深くしていく時分だった。暁まで、まだまだ時間はある。
「たしか……ここだ!」
桃太郎は、山の頂上に近い所にいた。時は暁、約束の刻限だ。
(来るのは……五年ぶりほどか)
桃太郎は、大きな岩の前に立っていた。ここが『異界』への入口だ。
異界への入り口は、おおむねそのような所が多い。ある所は岩と岩のあいだ、森の中にある泉、川、木の後ろ、または島そのものetc.……。
そこに住む『モノ』達は、人間とも違うし、野生の動物たちとも違う。異界の種族は知能が高く言葉を理解し、それに加えて肉体的に人間より強く、なにより『異能』の持ち主でもある。彼らはあまり人間が住む世界にはやってこない。異界こそが彼らの故郷であり、そして終の住処であるのだ。
「この岩をくぐれば……」
桃太郎は、岩と岩が折り重なり、それがまるで『門』のような形をなしているその下ををくぐった。高さは、そんなにない。
明りが差す。温かい、日の光だ。暗闇に慣れた桃太郎の目には眩しすぎたくらいだ。『門』をくぐる前は薄暗い暁であったのに、そこではいつでも必ず朝日が拝めた。ここには、どこまでも広がっているように見える青々とした野原と、その中にぽつねんと生えている一本の木しかない。
(まったく、不思議な場所だ)
桃太郎は一直線に足を進め、そこただ一本しかない木を目指した。その前まで来ると彼は居ずまいを正して直立の姿勢をとる。
『よく来たな』
低く威厳に満ちた声がする。だが、どこか安心感を与えてくれる声だ。
「はっ。……お久しぶりでございます、御山さま」
桃太郎は深く、そして長い礼をする。その動作で、彼が『御山さま』に多大な敬意を抱いていることが分かった。
『うむ。……お前には色々と言いたいことがあるが、しかし、大事な用が先だ。単刀直入に言おう』
桃太郎は姿勢を真っすぐにして木を仰ぎ見る。
『実はな、昔この山に住んでいた方からお前に伝言を預かっておる。その方の名は、紫雲さまとおっしゃる』
「存じ上げております」
その存在と名は、お爺さんから何度も聞いている。
『だろうな。かつてはこの山の主でもあったお方だ。もとは人間でただの農夫に過ぎなかったが、ある日発心して【仙人】を志し、長い修行の果てに【神仙】におなりになり、五年前には遂に昇天し【天仙】へとなられた、まことに高く聖なる徳の持ち主じゃ』
桃太郎は、目を閉じて御山さまの話に耳を傾ける。
『その紫雲さまが昇天なさる数日前に、私に伝言を頼まれた』
「伝言を?」
『うむ。この地に現れし【異形の赤子】に桃太郎と名付けよ。そして彼が十五の時にある重大な転機が訪れる。その時が訪れたならば、山の頂上にある木、それに生る桃をもぎ、その桃と引き換えにその子は三つの助力を手にする。あとは、ただ招かれるまま【彼の地へ】赴くべし……。そう仰っておった』
「……赤子がわたし、してその転機が……いま」
桃太郎は、それが自分の事だと察した。
『間違いないだろう。……【彼の地】も、お前にはもう見当がついておるのだろう?』
「鬼が島……?」
桃太郎はつぶやく。
あの『赤い』バケモノ、鬼助と名乗ったバケモノは、たしかに自分にそう言った。
『……どうやら、心当たりはあるようだな。ならば、もはやワシが言う事はあるまい』
「御山さま」
桃太郎は、閉じていた目を開き、目の前にある大きくて威厳のある木を見据える。
「御山さまや紫雲さまをはこうなることを知っていたのでしょうか?」
桃太郎の声は小さかったが、しかしよどみのない口調できいた。
『……知っていると言えば、知っていた。知らないと言えば、知らなかった。ワシも紫雲さまも全知全能の【神】ではないのだ。ワシは紫雲さまの『神気』に長いこと接したお陰で自我を持つに至った『異界』に過ぎない。なんの能力も持たぬし、お前たちのためになにもしてやることができない。……紫雲さまにしても、修行によって悟りを得、己の中に『神気』をたくわえ、それによって聖なる存在にはなられたが、それでもやはり、他の異界のモノ達よりも少しばかり長い生と、この世の道理を修めているにすぎない。……あの方自身がワシによく話してくれた』
それを受け、桃太郎は黙ったまま『ぺこり』と頭を下げた。
「ありがとうございます。それと、御山さまに私から一つお願いがございます」
『なんだ?』
「おじい様の亡骸を、頂上の近くに埋めて差し上げたいと思うのですが」
『……そういうことか。よいだろう。翁は山からの眺めが好きであったしな。好きにするといい。それと、いつかワシに翁が話してくれたのだが、翁はお前が十八になり、その時にもしもお前が、人間としても大人になり、剣士としても一人前になったあかつきには、その印として『刀』を一振り授けようと考えていることを聞いた。家に戻ったら、囲炉裏そばの床板を叩いてみるがよい。音の違う場所があるはずだ。……きっとお前の役に立つことだろう』
「ご丁寧な心づくし、お礼申し上げます」
桃太郎は心から感謝の言葉を述べ、踵を返し、その背を見せる。
『……しかしな、桃よ。そのような事はすべて忘れ、ここでずっと暮らしてもよいのだぞ。今申したことはすべて、お前が望めばのことだ。お前はどこに行かなくてもよいし、それに何もしなくてもよい。人間の一生は短いのだ。……ワシには何もできぬが、ワシはいつだってこの山に住むもの達を見守っている。この山で暮らすモノは、鳥も虫も花も木も、そしてお前も、みなワシの子同然じゃ』
「……そのように仰って頂き、不肖桃太郎、歓喜の極みにございます。……されど、私にはどうしても確かめたいことがございます。私は、私がここではないどこかで生まれた者だという事を存じております。私には、自分の出生の起源を知る必要があるのです。それが今回の事に強く結び付いている気がしてなりません。それに、おじい様やおばあ様を手にかけ、私から幸福の日々を奪ったあの者達を、許せぬ気持が……この心から消えませぬ!」
いつになく強く激しい口調で桃太郎は胸の内を語った。その背を見せたまま。
『……』
「ですが、もしも……わたくしが全ての真実を知り、私がおじい様とおばあ様の仇を討つことができたならば、その時は」
桃太郎はわずかにうしろを振り返り、
「ここでもう一度、みなさんと平穏な日々を過ごすこができるでしょうか……?」
『……もちろんだ。ワシはいつでも待っているぞ』
それを最後に、桃太郎は『異界』をあとにした。
桃太郎は家に戻り、御山さまの助言通り床板をはずし、その下にある刀を手にした。その刀の横には粗末で古びた木箱が置いてあり、それを開けると中には巻物が三つと、お爺さんがつけた日記があった。巻物は剣の奥義を絵とわずかな文言で説明したものであり、日記はお爺さんが若い頃からつけていたものらしく、厚い紙の束が数十枚ごとにヒモでくくられ保管されていた。桃太郎はそれから三日間というもの、ただの一歩も外に出る事なく、それらとにらめっこを続けた。
「これで……全部か」
読み終わった時には、灯りの油も切れかけていた。
(おじい様とおばあ様の過去に、このような事があったとは)
記録に残されていたことはすべてが驚きの連続だった。
日記は物語風で、なんとも抒情的に記されたものだった。
内容は要約すると、
『昔々、ある所に、大和武士という一人の剣士がおった。この男はたいそう剣が強く、男は剣によって身を立てようとし、また剣こそが男の生き甲斐でもあった。男は近隣の荒武者どもを平らげたあと、さらなる強者を求めて旅にでた。だが、男の強さときたらあまりにもすさまじく、百戦して百勝、誰もがその剣技に舌を巻いたという。男は多くの勝利を重ねるうちに誰からともなく【日の本一の剣士】と称えられたそうな。男が戦いにも飽き、やがて自分より強い者はいない! との確信を抱きはじめる頃、道中『天城山』という場所の近くでひとりの女人に出会った。その女は男が見た事ないほどの美しさで、透き通るよな白い肌に、緑色の艶やかな黒髪、神さまが特別に丹精こめてお作りになったと思えるほど整った鼻目をそなえていた。男は「こんな美しい女世に二人といるまい」と、その女を見てそう思ったそうな。だが、その美しい容姿の女はひどく怯え、今にも泣き出しそうな顔をしながら必死で山を駈け下りてくるのだった。それもそのはず、美しい女のうしろからは、この世のものとは思えぬほど強面のバケモノどもが何匹もぞろぞろと、女を追いかけてやってくるではないか。「すわ、なにごと!」と男は剣を抜き放ち、女をかばうため怖ろしいバケモノたちの前に立ちはだかる。「やや、なにもの」バケモノが男にきづく。「やーやー、我の名は大和武士。義によってこの女人の助太刀をいたす」男はバケモノにそう言うと、流れるような剣さばきと足さばきでバケモノどもに美事な剣の舞を馳走してやった。「うわ~、まいった、まいった。こりゃ親分を呼ぶべえ!」バケモノの一人が勢いよく山の上へ向かって獣のようなうなり声を上げると地面を雷鳴のように強烈に踏み鳴らしながら猛烈な勢いでこちらへ駆けてくる者があった。「きた、きた。親分だ」バケモノ達はいっせいに賑わう。「どこのどいつだ、オレのかわいい子分どもをいじめたふてえ野郎は」どす()のきいた声を出しながらバケモノの親分はギョロリと男をねめつける。頭には二本の角、歯はするどく刃のようで、その肌は赤く岩みたいにゴツゴツしていて見るからに怖ろしい。「おめえか、ゆるさねえ!」バケモノは容赦なく男に襲いかかる。「おー、やるか! 刀のさびにしてくれる」と男も受けて立つ。『キンキンキンキン』刃が鳴る。『ジャキンジャキン』バケモノの鋭い爪牙も負けじとがんばる。だが二十合もたがいの刃を交わしたところでぽきり、と男の刀は真っ二つに折れてしまった。「オレの勝ちだ!」と雄たけびを上げるバケモノの親分。あわや、と思われたその時、「これを受け取ってくだされおサムライさま!」と女人が投げてわたすは、それはそれは立派な刀。「かたじけなし!」男は一言を発するや否や、ただの一刀のもとにバケモノを斬り伏せてしまった。「やられた、やられた。親分がやられた」バケモノたちはいっせいに騒ぎだし、斬られた親分を神輿みたいにかついでは逃げて行った。「ありがとうございます。わたしはこの山の異界に住む『羽人族』のものでございます。私の故郷はあの【鬼】どもにメチャクチャにされてしまいました。どうか、わたしを哀れとお思いになられるなら一緒に連れて行ってくださりませ」よーく見ると、その女人の着物のえりもとからは白い羽がちらとうかがえた。「あい、わかった。拙者でよければ、旅の道連れをお引き受けいたそう」男は女をはじめて見た時からその美貌にまいってしまっていたので、ふたつ返事で女のともを許したそうな。それからというもの、女は男を献身的に世話してやり、男の方もまた女に惚れていたので、ふたりはいつともなく、気付けば自然に夫婦のちぎり()を交わしていた。ふたりは長いこと諸国を歩きまわったが、ついにはある仙人がおわす山にたどりついた。ふたりはそこで小さくとも立派で頑丈な家を建て、女は洗濯や食事、それに縫い物やワラジづくりなどに精をだし、男は剣の修業をつづけるかたわら、山へ柴刈りに行ったり、畑をたがやしたりして暮らしたそうな。それから長い月日が過ぎ、ふたりは互いのことをジイサン・バアサンと呼び合う年になっていた。二人の髪がきれいに白く染まりきった頃、ある日山の仙人がふたりを訪ねてきた。仙人は二人にこれからやってくる赤ん坊を育ててくれと頼んで、その数日後には昇天してしまった。はたして、予言通り二人のもとには赤く岩のような肌をした赤さんがやってきた。それから五年後、この赤ん坊は仙人が残した桃を食べて人間になり桃太郎と名づけられた。それからは家族三人仲良く暮らしましたとさ……おしまい』
日記は、赤ん坊が『桃太郎』と名づけられたあたりで終わっていた。
「……うん?」
日記はこれで終りであったが、日記を箱に戻そうとすると、中に黒く小さな箱がすみっこにあった。
それを躊躇なく開けると、そこに黒い玉がひとつ入っていた。大きさは、親指の腹ぐらいはあるだろうか。
「……丸薬? のようだが」
それにしてはなんだか甘ったるい匂いがする。食べられ……なくもないような気がしないでもない。
「パクッ」
あろうことか桃太郎はそれをつまむとそれを口の中に放り込んだ。慎重な彼にしては、実に奇妙な行動だった。腹は、大丈夫だろうか?
「う……!」
腹か?
「なんだか……ねむ……い……」
言ったきり、桃太郎は虚空にもたれるようにゆっくり横になり、静かに寝息をたてはじめた。
「……ここは?」
目を覚ますと、そこは見たこともない森の中だった。少し暗くて、人間が一度も入った事のないような、そんな清浄さを思わせる森厳な森だった。
『お~、起きたか、桃太郎』
「はい?」
目の前にいきなり老人の顔が浮かんできた。
『ほお、驚かそうと思ったんだがな、つまらんやつ……。まぁ、それはいいとして、残念なことになったな。翁と嫗は』
「おじい様とおばあ様をご存知で?」
『よ~く知っておる。あやつらとはよく話をしたものよ。他愛のない話をいくつもな……』
「あっ! アナタ様はまさか紫雲さまではございませんか? お山の」
『ピンポーン! 正解じゃ。なにを隠そうワシが紫雲よ。ついでにいうと、お前の名付け親でもあるからの、桃太郎』
「はっ。おじい様からお聞きしております。……して、これは夢でしょうか? それとも、これも紫雲さまの術かなにかで?」
『うむ。実はお前が食べた丸薬には細工がしてあってな。お前が食べたくなるよう、そして食べたらワシに会えるようにしといたのじゃよ』
「そうですか……。道理で」
得体のしれぬモノを安易に口に放り込む下品なふるまいをしたことに、桃太郎は自分でも不思議に思っていた。
「それでなにゆえ紫雲さまが? やはり私にないかご用で?」
『うむ。とは言っても他からも色々聞いているとは思うがな。一応ワシの思念も残しておいて、念には念を、と思うてな』
「はぁ」
『お前の前にいるのはワシであってワシではない。ワシの残りカスみたいなものじゃと思ってよい。……で、お前はこれから結局どうするのじゃ?』
「……鬼が島に、参ろうかと思います」
『そうか。……だがのう、今のお前が行っても、出生の謎も、翁の仇討ちのどちらも叶わないだろうのう。あやつら鬼は滅法腕っぷしが強いからなあ。お前も腕にはおぼえがあるみたいだが、それでもあっちは多勢、お前は無勢。その上、向こうさんは一人でお前と渡り合える者もおる。結果は、やる前から決まっておるぞ』
「では、いったいどうすればよいのです? わたくしは知りたいのです、全ての真実を」
『強くなれ』
「強く、ですか?」
『うむ。強く、じゃ』
紫雲とかいう白ひげのジイサンは「そうだ」というように首をタテに振る。
『三年じゃ。それまでに己を誰にも負けぬよう磨き、鍛え、練り、強めるのじゃ! ……そのための手がかりも、翁はお前に残しておいただろう?』
桃太郎の脳裏には、日記と一緒に入っていた刀と巻物が浮かぶ。
「はい。たしかに」
桃太郎は嬉しくなった。刀と巻物に記された内容が、ではない。お爺さんの桃太郎を思う気持ちにだ。だが悲しいかな、それは同時に、自分からその嬉しさの源を奪った鬼というものへの憎悪を禁じ得ないのだ。いや、それどころか、その憎悪の感情をよりいっそう強めてくれる。
「強く……」
『そして三年が経てば、お山の頂上から桃を三つとり、それを持ち仲間を求めて旅に出るのだ』
「仲間? そのような奇特な方がいらっしゃるのですか?」
『うむ。すでに話はワシがつけて来ておいたぞ、喜べ』
「あ、ありがとうございます。言葉では言い尽くせないほど、紫雲さまには感謝しております」
桃太郎はぬかずいて礼を言う。
『なあに、よいということさ。……しかしな』
今までおどけた調子だった声を少し低くして、
『ワシは修行によって不思議な力を手に入れた。その一端として、少々ヒトの未来がわかるようにもなった。しかし、それはあくまでも、感じた、という程度のものなのじゃ。結局のところ、それがどういう結末を迎えるのかは分からぬ。……それだけでも普通の者にとっては信じられないことかも知れんがのう。……なあ桃太郎よ』
紫雲はぬかずいたままの桃太郎に、優しいまなざしを送る。
『別にワシの言う通りにしなくてもよいのだ。ほかにも【道】というのはゴマンとある。いや、ワシの言う事が間違っているとは言わん。しかし、お前が望むのなら、行く道は常に自由だ。誰もお前の道を決めはせん。それを……、よ~く覚えておくのだぞ』
「はい。私ごときにはもったいないお言葉でございます。……このご恩は生涯忘れませぬ」
『いや、忘れてよい。しかし、ワシが今申したことだけは、ゆめゆめ忘れるではないぞ。……おや、そろそろ時間のようだ。それじゃ、ワシは消えるぞ。じゃあな』
紫雲のカラダがどんどん透き通っていく。
「あっ! わ、わすれておった! 三年後、桃をもぐ時に、その木の下を掘れ! それとな、お主の仇の正体だが『赤鬼』と呼ばれる者じゃ! ……ふぅ~、あぶなかった……」
紫雲はそう言い残し、あとは霧のように消えていった。同時に世界は暗くなっていき、やがて桃太郎の意識も……。
「……天井だ」
ぱちくりと目をあけた桃太郎の前には見慣れた天井があった。それを見て、自分が夢からさめたことに気付いた。
(いやにハッキリとした夢だったな)
夢、とはいっても、それがただの夢でない事はちゃんと理解している。
「三年か……」
短いような、長いような、なんだかよく分からない時間だ。ただ、それまでにできることは山のようにある。
立ち上がると、桃太郎は戸の前まで歩いて行った。その足取りは力強い。
桃太郎は勢いよく家の戸をあけた。外はもう夜が明け、お日さまが元気な顔をのぞかせている。
「むん!」
腹に力をこめることで、自然と低い声がでる。桃太郎は朝の陽気をカラダいっぱいに浴びながら、素振りを開始した。
(三年だ! とにかく、そこに向かって精進あるのみ!)
桃太郎の満身は活力に充ちていた。新たな目的、新たな目標。矢は、的があってこそ狙う価値もあるし、その切っ先へ力を集めることだってできるのだ。
「はっ! はっ!」
お爺さんとお婆さんを失くした悲しみはもちろんある。それは生涯消えることはないだろう。だが、
「むん! ……破ぁ!」
ギュ、ギュ、と無駄な力を排しながらも、桃太郎は木刀を一振りするごとに両の手首を内側に締める。その度に、なんだか自分の中に新しいチカラがたくわえられるような気がした。それは気のせいなのかもしれないが、桃太郎にはそう『感じ』られたのだ。それは頭ではない、肉体が感じるものだった。そして、その若くて健康的な力強さに充ちた肉体が、彼の精神をも突き動かすのだ。
(動け、使え、オレを!)
肉体はさけぶ。
(爆ぜろ! 思うままにオレを……解放してくれ!)
肉体は感じるのだ! 考えるのではなく。
「ハァァぁああ!」
山に桃太郎の咆哮がこだまする!
ぱたりと、桃太郎は全身のチカラを使いきってしまったのか、そのまま地面に大の字になった。
その顔は、天に上るお日さまと同じように輝いていた。
その後、桃太郎はいつもと変わることなく畑を耕し、塾にも顔を出した。あんな事があったあとだから、弥兵衛も他の村人たちも驚いた。はじめは桃太郎が無理しているのではないか、とみながみなその顔色をうかがっていたが、それがどうやら大丈夫そうだと見てとると、みな安心した。
「やあ、よかった、よかった」
村人たちは口々にそう言い合った。だが、弥兵衛だけは桃太郎の変化に気付いていた。
(ど、どうしちまったんだ、桃のやつ!?)
みんなの見ている前では一見変わらない様に見えるが、その見えていないところでは狂ったような鍛錬をつづけていた。
「弥兵衛さんお願いします」
そう桃太郎に頼まれたので、弥兵衛は鍛錬に付き合うことになった。剣の組太刀や和術の組手などを、だ。
「わかった! オレっちにまかせな!」
と威勢の良い返事を返したのはよいが、あまりの人並み外れた鍛錬に、弥兵衛は早くも一週間で音を上げそうになってしまった。ただ、彼にも男としての意地があったし、それにいかな理由かはわからぬが、桃太郎が元気になった事は彼も嬉しかったので、辛さを押し殺して必死で桃太郎に付いて行った。
そんな日々が、休むことなく過ぎていった。
春になって芽が吹き、夏になって若葉が緑緑たり、秋になって木々の葉が華やかに粧い、冬になって世界が白に染まる。それを三回繰り返して、長いようで短い三年が、あっという間にやって来た。
「いや~、まさか、ホントに行っちまうなんてな~!」
「先生ホントに行っちゃうの?」
「……だからホントに行くっつーの!」
みんなが別れを惜しむ中、例のダミ声が宣言する。そうだ、桃太郎は今日旅立つ。『鬼が島』へ。
「はは、こんな大勢の方に見送られて行こうとは……なんだか恥ずかしい気が致します」
「いいってことよ。へへ……」
桃太郎は村人たちに言ったのだが、なぜか弥兵衛が照れた。まぁ実際、村人たちに桃太郎の出発を知らせたのは彼なのではあるが。
「桃太郎さま……」
村人たちの中から、可憐な声が聞こえる。
「おお、お松どの。あなたも来てくれたので」
お松とは、三年前に桃太郎が助けた、あの漁師の娘だ。あれから三年、娘は驚くほど美しく成長した。
「恋をしているのだ」
と、どんどんきれいになる娘をみて村人はささやきあった。事実、娘は桃太郎に『ほの字』であった。
「よければ、これを受け取ってくださいませ」
お松はきれいな布につつまれた何かをを差し出した。
「これは?」
「手甲でございます。私もアナタ様にお伴して旅に出とうございますが、女の細腕では足手まといになってしまいます。ならばせめて、私の代わりにこの手甲を……」
お松は桃太郎の目を『じっ』と見つめながら言うのだ。うるんだ瞳が、じつに愛らしい。
「ありがとうございます。では大事に使わせて頂きます」
『ぺこっ』と軽く頭を下げてそれを受け取る桃太郎。頭を下げながら、自然にお松からの目線をそらす。
なにもお松に見つめられるのが嫌だったわけではない。むしろ彼もお松が好きだった。それは青春期に誰でも経験する様な甘酸っぱいものではなく、じつに淡い恋心ではあったが、桃太郎にとっては初恋でもあった。目をそらしたのは、この男なりに照れていたのだ。
「おうおう! いいじゃないか桃! ま~ったく、羨ましいぜ!」
弥兵衛が空気の読めぬ冷やかしをいう。
「ははっ、頂いてしまいました」
桃太郎は苦笑しながら弥兵衛に応える。言いながらも、その目は弥兵衛ではなく、うっすらとお松の方を向いている。
「『鬼が島』かぁ」
日焼けした肌に白い口ヒゲがまぶしい老人が言う。
「とんでもない所に行きますなぁしかし……」
村人は、桃太郎がどこに旅立ち、そして何を求めて旅立つのか、すべて承知していた。それは口の軽……くはないが、うっかり者の弥兵衛がつい口をすべらせ、そのせいで話が露見してしまったのが原因だ。桃太郎ははじめ弥兵衛にだけはこと()の次第をしゃべったが、けっきょくはみなに知られることになった。
「でもなぁ先生」
お松の後ろに、父親の鉄さんが見える。
「先生は村の恩人だし、なによりこの村のみんなから好かれている。先生はこの村のために色々やってくれたしな。……だからさ、もう一度考え直してもいいんじゃねえか?」
「なに言ってんだ鉄さん! せっかく先生がこれからいよいよ旅に出ようって時になってさ、水を差すようなことを言うもんじゃねえぜ」
「うるせえ! ホントはみんなもそう思ってんだろ!? だったらダメもとで言ってみるぐらいいいだろうが!」
村人全員がいっせいに『シュン』となる。
「なあ、どうだい先生? 考え直しちゃくれねえかな?」
「……ありがとうございます」
「おお!」
思わぬ反応に村人からも声があがる。
「しかし、これはもう決めたことなのです。やはり私は、旅に出て自分の求めるものに行き着きたいと思います」
ああ……無念。
「そ、そっか……、そうだよなぁ」
鉄さんをはじめ、村人の顔には落胆の色が濃厚にうかぶ。
「はぁ→」
と大勢のため息が合わさり一つになる。
「お、おいおい……」
せっかくの門出なのに、みんなが暗くなってしまった。
『バチ~ン!』小気味の良い、かわいた音が鳴りひびいた。
「いっ……てえ! な、なにしやがんだ松!」
かわいた音は、お松が父親の背中を思いっきり右手で張った音だった。
「しゃきっとしてよおとっつぁん! これじゃ先生が気持よく出発できないじゃないの!それに、みんな勘違いしてるわよ。先生は、必ず帰って来るわ。だから……こんなに暗くなる必要なんてない……ですよね、先生?」
こくり、と桃太郎はうなずく。うなずいたその顔は、やわらかい笑みを浮かべている。
「ほらね! みんなも!」
お松ははやし立てる。
「そ、そうだな!」
「まったくだよお松っちゃん!」
お松の言葉にのって、他のみなも重くなった空気のふっしょくに努める。
「……そうだな。お松の言う通りだ。先生……、アンタが帰って来た時のために、せいぜい盛大な宴会でもできるように準備しておくよ。だから、なるべく早く帰って来てくれよな。そうすれば誰かさんに文句も言われず酒がたらふく飲めっからよ!」
漁師の鉄さんも元気よく餞別の言葉をくれる。
「……みなさん、本当にありがとうございます。みなさんのお陰で私もずい分と陽気な心地で旅立つことができそうです」
桃太郎は礼を述べ、それから頭上の太陽を見上げ、
「もう太陽が真上に。みなさんと話していると、いつまでもこうしてしまいそうです。…そろそろわたくし、お暇を頂きたいと思います」
桃太郎は餞別にもらった数々の品物を大きな風呂敷にひとまとめし、それを背におぶると、カラダを少しだけ皆の方へ向けて、
「ではみなさま、不肖桃太郎、行って参ります!」
と一言だけ告げると、そのまま背を見せたまま足早に去っていった。
「……行っちまったなぁ」
と鉄さん。
「行っちゃったわ……」
とお松。
「そりゃ行っちまうわな……」
と弥兵衛。
それぞれがそれぞれの思いを抱きながら、あの背が高く、おかしいくらい真面目で、異常に姿勢の良い青年の後ろ姿を、寂しい気持ちで見送った。