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1)のんきに始まった話だけれど、既に事態は進行している。

 「馬鹿モンがぁ! 早う、水から上がらっしゃい!」


 いきなり後ろから怒鳴りつけられて、慌てて振り返ると、カンカンになったジジイが、頭から湯気を立てていた。

 俺は瞬間的に、ポケットに手を伸ばしそうになっていたが、緊張を解いて手をくつろげた。

 ジジイは山仕事の帰りらしく、作業着・軍手・背負い籠という、野外活動第一種正装の渋いいでたちだ。


 俺と一緒に騒いでいる川口は空手の有段者だし、井村は元柔道部員。

 かく言う俺も、腕力には少々自信がある。


 ただし、いざという時に俺が使うのは、腕力ではなく真鍮しんちゅう製の魚釣り用のおもり、一個3/8オンス 11g弱のブラスシンカーだ。

 ズボンのポケットに四個収まっている。


 戦力外の三島を除いても、仮に乱闘になったとして、枯れたジジイ一人に負ける要素は無い。


 しかし、本気で怒っている人間の迫力というものは、魂にビンビン伝わるもので、しかもこっちが祟り伝説の沼の中でドタバタやっていたという引け目もあるから、俺たちは顔を見合わせると、スゴスゴと岸へ向かった。


 あーあ、情けない。


・・・・・・・・・・・・・・・


 A沼探訪の話を持ち込んできたのは、現代美術を専攻している三島玲子だった。

 聞くところによると、A沼には、人の頭蓋を握り潰す悪鬼、あるいは頭を喰らう物のが棲むと言う。

 たかが伝説だとしても、あまり関わり合いには成りたくない場所だ。


 三島は、こっちが気後れしてしまう程の美貌の持ち主で、言う処の「高嶺の花」なんだが、奇妙な趣味を持っている。

 その趣味というのが「心霊スポット」探訪だ。


 まあ、そんな不思議ちゃん結構いるよ、と思われるかもしれないが、三島が通常のオカルト女子と違うところは「心霊スポットに、幽霊が出ない事を確認しに行く」点だ。


 なんでも彼女が小学生の時に、親から偉人伝を集中的に読まされ、その中にあった福沢諭吉のエピソードに感銘を受けたのが発端なのだそうだ。

 諭吉少年が、ほこらの中身をダミーと入れ替える悪戯いたずらをしたところ、大人たちがそれ気付かず、ただの石ころを一生懸命拝んでいるのを見て、諭吉はゲラゲラ笑っていたのだとか。


 なんて嫌味なガキなんだ。

 だが、このエピソードが、三島の人格形成に大きな影響を与えたらしい。

 

 だから、彼女を交えてデンジャラス・ゾーンに踏み込む時は、肝試しというよりは、探訪・探索といったテイストが強い。

 と言うか、俺も川口も井村も、本来肝試しという趣味・嗜好を持ち合わせてはいないのに……。


 俺たち屈強だが冴えないトリオが、準ミス・キャンパスの三島とツルんでいるのを見て、事情を把握していない外野連が、女神様と三人の親衛隊と揶揄やゆするのは、客観的に見れば無理のないことだろう。

 が、白雪姫と三人のドワーフじゃないっつーの。


 巻き込んで来たのはのは、三島の方からだ。

 俺たちの白雪姫は別にいる。


・・・・・・・・・・・・・・・


 俺たち三人は、大学で「非科学事態研究同好会(略称 非科学研)」なるサークルに所属している。

 その非科学研は、そこそこ歴史はあるのだが、所属という言葉を使うのがおこがましいほどの緩いサークルで、不定期に「飲み会のお知らせ」メールが来る以外には、普段目立った活動をしていない。


 サークルの発端は、ヴォクトの傑作『宇宙船ビーグル号』のファンクラブからだ。

その作品については、あまりにも有名なので説明は不要と思うが、要は様々な分野の専門家を乗せた大型宇宙船が、難敵相手に冒険と戦闘とを繰り広げるという内容のSFだ。

 ビーグル号の名前を知らない人でも、モンスター好きなら、敵役の猫型宇宙獣『クァール』や物質透過生命体『イクストル』には何らかの記憶が有るに違いない。

 (ちなみに、主人公は情報総合学の専門家という設定で、チート風味の主人公だ。異世界チート好きには波長の合う物語だと思う。ハーレムは無いけど。)


 そこでファンクラブの有志が、学部や専門の垣根を超えて知恵を出し合う非公認の情報総合学会を作っちまおうぜ! と盛り上がったのが、「非科学事態研究同好会」の生い立ちだ。


 会員は、分からない事や困った事に直面したら、会長に問題点を相談する。

 会長はその問題を、自然科学・人文科学・社会科学の各部門長に投げかける。

 各部門長はスペシャリストに、自らの専門分野で考えられる解決策の策定を依頼する。

 これを、飲み会のノリで実行しようという訳だ。


 今でこそ、ネットで不特定多数の人材に相談を持ち掛けることは難しくなくなったが、昔は繋がりの無い人や専門外と思われる人にまで、意見や解決策を聞くのは困難だったから、この緩いコミュニケーション・サークルは相当面白いものだったようで、今では偉いサンになってしまったOBが、いまだに書生のノリで飲み会に乗り込んで来たりする。


 こんな規律とまとまりの無い会だから、舵取り役の会長(サークルでは「船長」と呼ばれている)は、ジェネラリストの才覚と知性とが要求される上、人間が練れていないとつとまらない。

 それだけに、会員の船長に対する信頼感は代々高い。


 現船長兼連絡係の谷口千鶴は、黒髪ストレート・ヘアで、度の強い近眼鏡を装着した一見パッとしない外見の持ち主だ。

 年齢より幼く見えるため、飲み会の帰りに補導されそうになった事も有る。

 しかも、大学受験の高校生ではなく、高校受験の中学生と間違われての事らしい。

 そんな外見だが、頭のキレは抜群で、指示の的確さと仕切りの巧妙さとで、個性の強い会員連中から一目置かれている。


 しかし谷口は、その高い調整能力に反比例して、自身の装飾には無頓着むとんちゃくな所がある女性だ。

 例えば、開襟シャツの袖の奥に、腋の黒いモノをのぞかせていたり、スカートからスラリと伸びた長い足に、産毛(すね毛と言ったらさすがに失礼だろう)が生えていることがあったり、とか。


 俺と井村には弟しかいないし、川口は一人っ子。

 その上三人とも、仕方なく硬派を自称せざるを得ないような、モテない高校時代を送ってきたから、「女性とは、よく分からんが頭髪以外は無毛の生命体である。ヘアヌードなどは異世界の出来事。」と勝手に認識していたので、谷口の自分達と同様にナチュラルな体毛を観測して、鮮烈なカルチャーショックを受けたのだった。


 そんな具合に、一般的な価値基準から言えば、ちょっと「?」な部分も有る女性だが、惚れた弱みというヤツか、彼女の頭脳に敬服しているせいなのか、俺たち三人は「外見に無頓着なところが、また微エロで良い。」という共通認識に至っている。


 お察しの通り、俺たちの白雪姫は、三島ではなくて谷口船長なのだ。

 ただ谷口と俺たちの名誉のために、念のために述べておくと、非科学研には谷口の他にも女性は多いし、皆それぞれに魅力的だ。

 無人島に女性一人、というシチュエーションではないのだよ。


・・・・・・・・・・・・・・・


 俺たちが谷口船長LOBEならば、三島なんかを構っていないで、放っておけば良いじゃないかと思われるかもしれない。

 それは正にその通りで、俺たちと言うか少なくとも俺は、出来ればそうしていたかった。

 しかしながら、成り行き上とでも申しますか、世の中思う様には行かないもので、最初の三島護衛を命じて来たのは、他ならぬ谷口なのだ!


 そもそも三島は非科学研の会員ですらない。

 人文科学部門の会員を通じて、我がサークルに協力依頼をかけてきたオブザーバーだ。

 それも「Iホテル跡廃墟の心霊現象の確認」なる、珍妙な内容の用件だった。

 Iホテル跡は、そっち方面に興味の無い俺でも知っている、オカルト雑誌でも定番の心霊スポットだ。


 情報総合学の旗を掲げている非科学研の通常活動内容とは、いささかおもむきを異にする事案なのだが、例の飲み会で、酔っぱらったOBが「面白そうだから、やれ、やれ!」と力押ししたために採用となってしまった。

 もちろん、その酔っ払いを止めようとしてくれたOBもいたのだが、酒の席だと真面目な意見より、勢いのある意見の方が通りが良い。

 散会後に、一之瀬さんという真面目な方の先輩は、わざわざ現役組に「スマン。変な案件通させて。」と頭を下げてくれたのだけれども。


 まあ、非科学研というネーミングが悪いのが原因な訳で、成立過程を知らない人間からすれば、いかにもそんな事をしていそうな名前ではある。


 かくして

アタック隊 ワンゲル部員2名+三島   計3名

保安隊   俺たち3名+谷口      計4名

サポート隊 日本史・哲学・法学 各1名 計3名

の総勢10人から成る戦闘集団カンプグルッペが編成され、車両3台に分乗して現地へ向かった。

 戦闘指揮官スコードリーダーには谷口がついた。


 俺たちが三島に会ったのは、この時が初めてだ。

 噂には聞いていたが、三島は確かに美少女フィギュアみたいな外見だった。

 あらかじめ谷口船長の魅力にやられていなかったら、一目ぼれした可能性も無くはない。


 俺はこの時の作戦に、谷口から応用化学分野のスペシャリストとしてではなく、保安要員として呼集されていたのが、いささか哀しくはあったけれど、船長の盾となるのならそれもまた良し、と意気込んでいたのだが、当の谷口はサポート隊と共に入り口付近に残って全体の指揮を執る事となった。

 ああ無情。


 俺たち残り三人の保安隊は、先頭を切って廃墟に踏み込み、幽霊以外の例えばちょっとした不良の方々などが、中で良からぬ事をしていないのを確認、状況によっては穏やかに退去してもらって、アタック隊を待つ。

 心霊現象以外の安全が確保されたら、ワンゲル部員とロープで繋がって不測の事態に備えた三島が前進し、納得が行くまで内部で調査を行うという段取りになった。


 調査時の光源も、電池式のライト以外に、ブタンガス・ランタンとケミカル発光のライトスティックを携帯。

 各自、ヘルメットを被り、虫よけスプレーをたっぷり浴びてから、作戦行動に移った。


 結果は、まあ、想像は付くと思うが、廃墟内では全く何も起こらなかった。

 レーザー式の表面温度計では特異点は見いだせず、デジカメやビデオカメラにも変なモノは映らず、ボイスレコーダーに謎のうめき声が録音されるという事も無かった。


 心霊スポットに幽霊など出ない事を確認したい三島には、大層満足のいく結果だっただろう。

 俺には、単なる徒労だったとしか思えない。

 谷口がどう感じたかは、聞いていない。

 ミッションを、事故無く無事に終わらせたという、達成感くらいは有るかもしれないが。


 唯一有った不審な事と言えば、アタック隊と保安隊が内部で活動している間に、外のサポート隊の所には、夕涼みと思しき車が一台、近付いてきたらしいのではあるけれど。

 ただし、こちらの車両群とサポート隊の面々とを見て、慌てて引き返して行ったそうだ。

 これは心霊現象とは全く無関係だろう。


 ちなみに、言い忘れていたが、この時はサポート隊の連中にも、保安隊に負けず劣らずゴツイ体格をしている者が選ばれていた。

 そんなヤツらが、ヘルメットを被ってマグライトを振りかざしていたりすれば、善意の訪問者が君子危うきに近寄らずと判断するのは、全面的に正しいのではあるまいか。


 この回も、谷口の仕切りは手堅かった。


・・・・・・・・・・・・・・・


 この後も俺たち保安隊要員は、「E海岸の地縛霊の確認」や「D峠山岳出張作戦」「旧Iトンネル潜入作戦」という三つの三島案件に動員された。

 参加メンバーは、E海岸の時には釣研の磯師、D峠では山岳部員、旧Iトンネルの時には冒険部のケービング野郎など、毎回有志が入れ替わったが、谷口を含む保安隊カルテットと発案者の三島は、全作戦に皆勤している。

 相変わらずスペシャリスト枠ではなく、保安要員としての招集だが、心霊スポット攻略の全作戦に呼ばれたということは、谷口から多少の信頼感を勝ち得ているのだと思えば、少し嬉しい。


 全ての案件が何のトラブルも無く、スムーズに実行出来たのは、谷口による毎回の人選の確かさと手配りの妙味によるものだろう

 これは、恋のフィルターを通すことで曇った俺の眼で見た感想というばかりではなく、客観的に観てもそうだろうと思う。


 しかし三島は、その辺の所が良く分かっていないのか、あるいは谷口の人材起用を研究・学習した上での事なのか、今回は非科学研を介さず、直接俺たちに接触してきた。

 三島はあの美貌だから、非科学研とは関係の無い独自の取り巻き連中を持っているらしいので、自前の観測隊くらい楽に編成出来そうなものだと思うのだが。

 もしかしたら俺たちトリオの事は、安全で使い勝手の良い番犬くらいの認識なのかもしれない。


 非科学研は互恵主義だから、メンバーの能力を当てにすることが出来る代わりに、われれば自分のスキルを惜しみなく提供する。

 義務としてではなく、権利として。

 それが俺たちのサークルの楽しみ方であり、またモチベーションにもなっている。

 だから三島がサークルに混ぜて欲しいと思えば、そう言えば良いだけの話で、拒否する者は一人もいないだろう。

 しかし彼女はオブザーバー参加の立場に、利点を見出しているようだ。

 利用はするが利用されるのは嫌、ということなのだろうか。


 まあ、人間は己が好きなように生きれば良いわけで、三島の価値観にとやかく言うつもりはない。

 ただ、あまり親しくない美人から、接触されるのに慣れていない俺たちには、若干の困惑があるというだけの話だ。


・・・・・・・・・・・・・・・


 先方からの呼び出しにもかかわらず、約束の時間になっても三島が現れないため、学内の軽食堂でコーヒーをチビチビめていた俺たちだが、間が持たなくなって追加オーダーを入れた。

 俺がプリン・アラモード、空手家川口がチョコパフェ、柔道家井村がフルーツみつ豆という選択だ。

 俺と井村は、ちまちま時間をかけて食することが可能だが、チョコパフェは時間と共に融解し、急いで食べてしまわないと悲惨な事態に陥るのは分かり切った事。

 三島がやって来たのは、川口のパフェがゾル状に変化し、ヤツが戦術眼の甘さを思い知った時分だった。

 愚かなり川口。


 「お待たせしました。遅れてしまってごめんなさい。」

 三島は軽く謝罪すると、アイスティーを注文してから四人席の空いた椅子に腰を下ろした。

 一日の最終コマの終わりでは、実習や実技が長引いたり、ブレインストーミングに熱くなったりして、上りの時間が遅くなるのは有り勝ちな事なので、別に三島に腹を立てている訳ではない。


 俺たちが急に黙ってしまったのは、彼女がどういう心算つもりなのか、下着の透けそうなタンクトップと物凄いタイトミニだったからだ。

 こんな服装、文系キャンパスでは希少種として、出現例が報告されることも有る様だが、理系キャンパスでは、ついぞ見かけた事が無い。


 眼福眼福と喜んでいられるような余裕など、俺には無い。

 これまでに会った時には、彼女も綿シャツにスキニージーンズという屋外活動に適した服装だったから、綺麗な人だなとは思っても、ドギマギする事は無かった。

 もっとも、彼女にとっては、今の服装の方が普段着なのかもしれないが。

 現代美術専攻、恐るべし。


 これが谷口相手ならば、いつも彼女の着用しているのが、少年みたいなボタンダウンと綿パンか膝丈スカートなので、超個人的な興味を除けば、直ぐに用件に入れるのだが、今の三島の服装で目の前に座られると、まず視線をどこに向けるかという問題から、解決しなければならない。


 俺は強引に視線を三島の顔に固定すると、ようやく声が出せた。

 「いえ、お疲れ様です。今日はどういった御用件でしょうか? メールにはA沼を観察したいとのことでしたが。」

 三島からの強烈な先制打を受けて、川口は解けたパフェをスプーンでつつき回しているだけだし、井村は目をつむっておひやを飲んでいる。

 なんだよ。お前らも、何かしゃべれってーの!


 三島はニコッと笑みを漏らすと、

「千葉県のA沼付近は、里見氏と国人衆が小戦闘を繰り広げていた時代からの、古戦場の一つです。国府台合戦のような、大規模戦闘があったわけではありませんが、国人衆の一つ加治神かじがみ氏が殲滅戦に遭って一族郎党全滅しています。」

 なるほどね。予想していた通り、新しい心霊スポット調査案件の相談という訳か。


 「出るという噂があるんですね?」

 俺の質問に、三島は満面の笑顔になると

「はい。恨みを呑んだ鎧武者が、悪鬼と化して。」


 安房里見氏の勃興期だったら、太田道灌の活躍していたのとだいたい同時期の話だろうから、甲冑は戦国の当世具足よりも古いはず。

 怨霊は、主将級で大鎧、徒歩武者は胴丸という装備であろうか。

 もっとも、敗軍の死者は身ぐるみがれるのが普通だから、もし幽霊が出るならば全裸でないとおかしい気もする。

 鎧武者よりふんどし一丁の鬼の方が、実態に即しているようにも思えるけれど、考え過ぎかな?


 「悪鬼ですか……。」

 褌一丁のオヤジではないですか、とは流石に聞けない。


 三島は舌の先で、下唇したくちびるをペロリと湿らせると、

「こう言ったそうですよ。『一族の 無念が眠る この沼に 不敬を為せば 身の終わりとぞ知れ。』……惜しむらくは、最後字余りですね。」

「辞世の句という訳ではなく、警告文なんだから、そこの所は大目に見ても良いんでしょうが……。しかし相当古い話みたいだし、歴史探訪としては面白いかもしれませんが、三島さんの守備範囲とはベクトルが違っているんじゃないですか?」


 三島は、背もたれに身を預けるようにして、脚を組んだ。

 視界のすみに、タイトミニが捲れ上がるのが、ちらりと映る。てえへんだ!てえへんだ!

 いや惑わされるな。集中しろ、集中!


 「その後も鬼神は、たびたび祟りを成したのだとか。近世になってからも、祟りを馬鹿にして肝試しに水練を行った旗本が狂死したという記録もあるそうです。その後もいろいろ有って、忌み地になって現在に至ると。」

 「『八幡の藪知らず』みたいなものですか。藪知らずは、やんちゃ時代の水戸光圀が探検したという話も有りましたね。」


 三島は我が意を得たりというように、組んでいた脚を解いて身を乗り出し、嬉しそうに大きく頷くと

「光圀は、藪知らずの中で鬼神から『今回ばかりは見逃すが、二度目は無い。』と警告され、中で観た事を話さなかったと伝えられていましたね。藪知らずや将門の首塚でも、ホントは調査を行ってみたいんですが、街中の史跡がらみの有名スポットだと、管理者の方とかと心霊現象に関係の無いトラブルが起きるリスクが心配で、皆さんにご協力をお願いする事が出来ません。だから、穴場である忌み地を探していたのです。」

 確かに『大学生、深夜の神域で悪ふざけ』みたいな、地方ニュースの埋め草記事には、なりたくない。


 しかし今重要なのは、そこではない。

 実は、身を乗り出した三島のももが自然に(?)開いて、奥のショーツの様なモノが露わになっている。

 注意喚起してあげるべきか、気が付かないふりをするべきなのか、あるいは開き直って凝視するのか、それが問題だ!


 不意に、隣に座っていた井村が立ち上がると、ゼンマイ仕掛けのブリキの玩具おもちゃみたいに、巨体をギクシャク動かして歩き始めた。

 逃げる気か? 井村!

 しかし井村は、カウンターまで行くと、か細い声を出して「コーヒー4つ、追加お願いします。」とオーダーを出して、またギクシャクと戻って来た。


 ほっとして三島に視線を戻すと、何時の間にやら、彼女は居住まいを正して、脚もちゃんと閉じている。

 さすがは柔道家井村。相手との間合いの取り方が上手い。


 軽食堂のおばちゃんからコーヒーを受け取り、代わりにテーブル上の空いた皿を返却しながら、遂に川口が口を開いた。

 「三島さんの提案は分かりました。会長に伝えてみますよ。」

 ……川口の気持ちは分かる。確かに三島は、俺たちには手強てごわ過ぎる。

 しかし、谷口を頼ってばかりというのも、心苦しい訳で……。


 そんな俺の心の内を、読んでいたかのように、三島が退路を塞ぎにかかって来る。

 「私、谷口さんに頼ってばかりなのが、申し訳なくて。しかも、谷口さんの所まで上がってしまうと、安全で間違いが無い事は分かっているのですが、話が大きくなって、ご厄介をかける方が、大勢になってしまいますでしょう?」

 それなら、独自に自前の調査隊を編成すればいいのに……。


 「だから今回は、この四人で予備調査に行ってみたいんです。本調査をする価値が有る場所かを確かめる上でも。アクアラインを使えば、そんなに時間はかからないはずですから、今から行ってみませんか?車は私が出しますから。」

 おい、おい! マジかよ。ちょっと待ってくれよ!


 困惑している俺と違って、ここでも井村が再び上手く間合いを取った。

 「今日のところは、三島さんが野外向きの服装じゃありませんし、僕たちも救急キットや、暗くなった場合のライト類も持っていませんから、日を改めましょう。少なくとも、防虫スプレーや足ごしらえは絶対に必要です。」

 ナイス! 井村。


 川口も、すかさず二の矢を放つ。

 「そうですよ、三島さん。予備調査なら、明るい内にやったほうが良い。不案内な土地での、周辺の状況確認は暗くなったら難しいですよ。それに野郎三人と三島さんとじゃあ、三島さんの身に危険が及ぶ可能性も……。」

 途中までは良かったが、最後になんて事を言い出すんだオマエは!


 三島は薄く笑うと

「不足の装備は、行きがけにドラッグストアで購入しても良かったのですが、じゃあ、明日は土曜日ですから、朝から出発しましょう。8時に正門前ということで。」

 見事というか何というか、流れを操られて、予備調査実行を決められてしまった。

 三島玲子、見かけによらず、あなどり難し。いや、老練な『チャーム』の使い手と言うべきか。


 三島は俺たちに反撃の隙を見せることなく、テーブルの上の伝票を摘み上げると

「それでは、時間厳守でお願いします。それに、念のために申しますと、私はお三かたを信頼こそすれ、全く危険なものを感じた事がありません。襲われる心配など皆無です。……むしろ、その逆を心配されては如何いかが?」

 そう言い残すと、伝票を取り返す暇も与えず、颯爽さっそうと出て行った。


 呆然としている俺たちのグラスに、おばちゃんがお冷を注ぎながら

「あんたがた、図体の割に、小心者ばかりだねぇ。」

 俺は、ぐっとお冷を飲み干すと

「見られちゃってました?」

 「聞いてたよ。あたしだけ、じゃあないみたいだよ。」

 おばちゃんにうながされて入り口方面を見ると、なんだか分からんが、野次馬が鈴なりになっていた。


 あちゃー……。三島は学内有名人だからなあ。

 「彼女の最後の発言、どういう意味なんでしょう?」

 「さあねぇ。知らないよ。」


・・・・・・・・・・・・・・・


 野次馬が散るのを見計らって、軽食堂の外に出た。

 明日に向けての準備もあるから、今日は解散と言う事になった。

 ただ、三島がどんな車に乗って来るのかが分からないから、車は川口の中古の軽で行く事に決めた。

 ボロいが四駆なので、狭い悪路でも具合が良い。


 三島へは、ジャンケンに負けた川口が、メールを入れる事とした。

 井村が川口に、メールにはついでに沼地の探訪だから、念のために着替え一式と長靴とを用意しておくのも注意喚起しておくよう、念を押した。


 疲れた顔の二人と別れた後、俺は谷口に連絡しておかねば、と思いついた。

 オブザーバーからの非公式協力要請だし、受けて良かったのか、不味かったのか。

 まあ、口実を設けて、厄落としに谷口の顔が見たいという気持ちがあるのは、否定出来ない。

 川口、井村。俺の卑怯な抜け駆けを許せ。


 『今、学内?』とショートメールを入れると、直ぐに

 『図書館です。早々に出ますから、入り口の所で。』

と返事がきた。


 早足で図書館に向かったが、入り口の前では既に、谷口が飄然ひょうぜんと空を見上げている。

 忙しいヤツなのに、悪いことをした。全力で走って来ればよかったか。

 「スマン。忙しいのは分かってるんだが。」

 谷口は目を細めると

「マイクロフィルムを漁るのに、少し疲れたところでしたから、渡りに舟のタイミングでした。」

 やっぱり、谷口は優しいなぁ。


 「それじゃあ、糖分を補給しながら、話を聞いてもらおうか?」

 並んで歩きながら提案すると

「良いですね。軽食に行きますか?」

 いやいや、軽食堂はマズい。また、おばちゃんに、やり込められてしまう。


 「駅近の甘味屋さんは、どうだろう? 今日はもう上りだろ?」

 図々しい提案だろうか。頑張り屋の谷口は、まだ作業を続ける心算かも知れないのに。

 「その提案に乗りました。冷やし汁粉にするか、冷やし甘酒にするか、悩みますね。」

 「両方とも、がベストチョイスじゃないかな?」

 脳が大量のカロリーを消費するのか、谷口は標準体型より、かなりか細い。


 俺のさりげない視線を、察知したのか

「私、胸部以外は、そんなに痩せてはいないんですよ?」

 谷口にしろ、三島にしろ、女性とは何故にこんなに、勘が鋭い生き物なのだろうか!


・・・・・・・・・・・・・・・


 「……ご報告の件、了解しました。非科学研は、個人の交友関係に干渉するものではないので、ご報告下さらなくても、問題なかったのに。」

 谷口は、追加で温かい善哉ぜんざいをオーダーした。

 彼女の前には、既に冷やし汁粉と冷やし甘酒の、空いた器が鎮座している。


 谷口に会えたのは、むやみに嬉しかったのだが、明日の件は流石に話し辛く、俺はつっかえつっかえ報告を済ませた処だ。

 俺の目の前の水羊羹は、まだ手付かずのまま残っている。

 「なるだけ、サークルマターまで上がらないよう、明日で決着をつけて来る。何時も谷口に負担ばかり掛ける訳にいかないもの。」


 「困った時に助け合うのが目的の会だから、気になさらずとも良いのに。それに私も、お三かたには何度も保安業務で、ご助力お願いしています。ご負担をかけていたのは、私の方です。本来のスキル以外の事で協力要請を受けるのは、面白くないだろうな、と感付いてもいたのですが、お三かた以上の適任者を思いつかなかった為、甘えていました。」

 俺は慌てて

「いや、俺たち楽しんでやってたし、そこのところは、むしろウェルカムだから!」

 むしろ、もっと傍にいる時間が欲しいくらいだ!


 「そう言っていただけると、少し気が楽になります。」

 谷口は瞬間、ホッとした表情になったが、次に少し心配そうな目になると、

手練てだれのお三かたですから、無用の助言かも知れませんが、決して沼の中には入らないで下さい。」

 「予備調査だし、入る事は無いと思うけど……。」

 心配してくれたのは、すごく嬉しいが、もしかしたら伝説を気にしているのかな?


 「A沼は存じないのですが、千葉県というのが、少し気に掛かります。」

 ???。

 俺の不審げな表情を読んだのか、谷口は解説を入れてきた。

 「上総掘りの、突き抜き井戸の可能性があります。突き抜き井戸というのは、江戸時代には大阪掘りという方法で作られていた自噴式の水源ですが、江戸末期から明治にかけて上総掘りという改良工法が採られ、名前に残っているように、上総国で多く掘られました。」

 「なるほど。水源が、湖底の自噴式井戸だったら、沼が浅く見えても井戸部分だけは底無しなのか。」

 「はい。印旛沼の佐久知穴伝説も、芦原修二の『川魚図志』では突き抜き井戸説を指摘しています。赤松宗旦の『利根川図志』では『大さわたり三間計、深さ知るべからず。』と記載されています。佐久知穴に吸い込まれると、地下水脈を流されて、銚子沖に溺死体が上がるとか。安房里見の勃興期からは、だいぶ時代に隔たりがありますが、井戸に対する注意を促すために、祟り伝説が使われた可能性も捨てきれません。」

 「それは怖いな……。約束する。沼が浅く見えても絶対に入らない。」


 谷口は俺の顔を見て、表情を和らげると、元気に二度頷いた。


・・・・・・・・・・・・・・・


 土曜の朝、俺が正門に到着した時には、既にそこに川口と井村が立っていた。

 井村は何時もの様に泰然たいぜんとしているが、川口は少し憮然ぶぜんとした表情だ。


 谷口へ報告した件は、昨夜のうちに二人にメールして、井村からは『感謝。俺もどうするか困っていた。』、川口からは『俺は未熟だ! 船長への報・連・相を失念するとは。』と返信が来ていたから、俺の抜け駆けに腹を立てているのでは、ないだろう。

 「どうしたんだよ。何かあったのか? 三島ドタキャンとか?」


 俺の質問に、川口が吐き捨てるように

「いや、そうじゃないんだ。お前が来る少し前にな、妙な野郎が寄って来て『三島に近づくな。』と、言うんだよ。昨日の軽食での一件を、見張っていたヤツじゃないかと思うんだが。」

 「もしかして、三島の取り巻きか?」

 面倒な話だな。俺たちが好んで近づいてる訳でもないのに。


 俺と川口のやり取りを聞いて、首を振りながら井村が口を挟んだ。

 「そうじゃない、と思う。そいつは正確には『三島には深入りしない方が良い。』とだけ言って、どこかへ行っちまったんだ。」

 まだ腹立ちの収まらない川口は、「同じ事だろ?!」と言っているが、確かにニュアンスの差を感じる。

 『三島に近づくな。』だったら、三島と俺たちとの接近に対する拒絶だが、『深入りしない方が良い。』というのは、接近の危険性に対する注意喚起だ。


 「警告してきたのは、どんなヤツだった?」

 俺の問いに、少しは冷静さを取り戻した川口が

「そう言われると、ケンカを売ってくるタイプでは、なかったな。」

 井村も頷いて、

「そうなんだよ。真面目そうな男で、俺は事情を聴いてみようか、とすら思ったよ。何だかちょっと、しんどそうな感じでもあったし。」

 ふむ。善意の忠告である可能性も有るのか。


 俺は、どうしても谷口と比較してしまうから、三島に対して若干の偏見があるのかもしれないが、三島には微妙に危うさの様なものを感じている。

 それは、スニーカーの内側に紛れ込んだ砂粒に似て、気にならない時には気付きもしないが、一度感じてしまうと、ずっとその存在に引っかかってしまうものだ。


 しかし、井村の指摘は、俺の懸念とはベクトルの方向が違っていた。

「なあ、もしかしたら三島には、俺たちの知らない所で危険が迫ってるんじゃないか? 恨みをかっているとか、何か。性格のせいか、美貌のせいかは分からんが。」

 なるほど、そういう考え方もあるのか。


 川口も俺と同じように、井村の意見に感ずるものが有ったようで

「身の危険を感じて、非科学研保安隊に保護を求めてきたという可能性もあるのか。それならそうと言ってくれれば、行き帰りの身辺警護くらい、お安い御用なのに。それに、腕っぷしの強いヤツらが分担すれば、長期間でもへっちゃらだろ? 準ミスの身辺警護だと言えば、志願者に整理券を配らなきゃならんくらい、人手は集まるよ。」

 井村は首をかしげると

「三島はプライド高そうだからな。守ってくれなんていう依頼は、し難いんじゃないかな?」


 一理ある。しかし……

「三島には、親衛隊というか取り巻き連が、既にいるんだよ? 新たに警護隊を編成しなきゃならない理由があるか?」

 俺の反論に、井村は「そう言われると、その通りだな。」と納得したが、川口は

「親衛隊の中に、不穏分子が紛れてるんじゃないか? 不穏分子が特定出来なければ、外部に助けを求めざるを得ない。」

と譲らない。

 「でもな、親衛隊全員が怪しいって事はないはずだ。一回当たりの警護を複数の人間に頼めば良いんだよ。」


 この件については、結論が出なかった。

 と言うよりも、問題の本質と詳細とが不明なんだから、結論も解決策も出しようが無い。

 三島が詳しいことを話す気になるか、学内で警告男を捕捉して詳しい事情を問い質すまで、棚上げせざるを得ない。


 そうこうしている内に、三島がやって来た。

 時計を見ると、8時ジャストだ。ドイツ軍の砲撃みたいに、時間厳守だな。

 「おはようございます。今日はよろしく。!」

 長袖の綿シャツにジーンズ。髪は一まとめにしてキャップを被り、ナップサックを背負っている。足元はキャラバンシューズ。

 昨日とは打って変わった装いで、これなら俺たちでも逆上せずに、安心してエスコート出来るというものだ。


 俺たちの間で、予め決めていたように、俺と井村が後部座席に座る。

 川口が三島をナビシートにいざない、

「本当なら、三島さんには後席奥に座ってもらうのがエチケットなのですが、見ての通りの小さな車ですから、後ろには野郎二人を押し込みます。助手席のシートは、うんと後ろに下げてもらって構いません。」

 おいおい、それじゃあ井村が潰れちゃうよ。

 「お気遣いありがとう。でも、私には十分ですから、これで。」

 三島がシートを通常位置より前に出したから、潰れかけていた井村も少しは楽になった。


 出発してしばらくの間は、今日の天気とか現在の国際情勢など、定番の世間話をしていたが、品川を過ぎた辺りで、気になっていた今朝の件を川口が話題にあげた。

 「三島さん、近頃身の回りで、困った事とか起きたりしていないですか?」

 「いえ、特には何も。」

 「そう。それなら良いけど、俺たちで力になれる事だったら、相談に乗りますよ?」

 「ありがとう。今日も無理言って、お付き合い頂いてますし、また何かあったら、ご相談させて下さいね。」

 うーん。川口の言い方じゃ、迂遠うえん過ぎて三島に伝わらないようだ。


 「実は、三島さんの到着前に、僕たち、ちょっとした警告を受けましてね。」

 ズバリと切り込んだのは、井村だ。

 「三島さんとは、あまり親しくするなと言うような内容だったのですが、僕たちはともかく、三島さんに何か影響が無いかと、少し心配しているところなのです。ちょっとした心当たりでも、気掛かりがあれば話してみてはもらえませんか?」

 三島は少しの間、何かを考えているようだったが

「警告してきたのは、どんな男性でしたか?」


 井村は警告してきた人物の性別には触れていない。

 『どんな男性でしたか?』と聞いてきた以上、警告者に何らかの心当たりがある、とみて良いだろうか?

 それとも、俺たち(まあ、その時俺はその場に居なかったのだが)に警告を言うぐらいだから、女性ではないだろうと判断したのか。


 井村の三島への返事は、具体的だった。

 「身長175㎝くらいで、体重は60㎏程度、ノーフレーム眼鏡の真面目そうな男性です。話しかけてきた時にも、ケンカ腰というのではなく、理性的な感じでした。ただ、言うだけ言うと、僕に質問する間も与えずに立ち去ってしまいましたが。」

 重くなってしまった車内の空気を、何とかしようと思ったのか川口が

「そう。普通の男でしたよ。鎧武者ではなかったし、鬼神や怨霊っぽい雰囲気もありませんでした!」

と馬鹿なヨタを飛ばしたが、ヤツの発言はただ滑っただけだった。


 「その人は、私に手出しをする事はありませんし、お三かたにご迷惑をおかけする事もありません。ご心配いただいて恐縮ですが、大丈夫です。ありがとう。」

 三島は男の正体について、何も話してはくれなかったが、なぜか若干嬉しそうだった。


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