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「まあ、コナーさん。お手紙がたくさんね」
「グレイス様にお会いしたいという方々からですよ」
両手に溢れるほどの手紙を持ったコナーさんは、にっこり笑って驚くようなことを言いました。
「お披露目の招待を希望する手紙です。日にちを公示した途端にこれですからね、まだまだ届くでしょう。賑やかな会になりそうですね」
「ええ、私たちも張り切らせていただきますわ!」
いつの間にか後ろに来ていたアニーにまで驚かされました。引き攣りそうになる頬を両手で押さえます。
「な、なんだか大変なことになっていない?」
「グレイス様のお披露目は、王都で今一番の話題ですから」
「そんな……怖くなってきたわ。ダッカに帰ってもいい?」
「お、お嬢様っ」
「冗談よ、アニー泣かないで」
王都のフォーサイス侯爵家に引き取られて約一年半。私のお披露目の日が二ヶ月後に決まりました。
「お披露目」というのは、貴族籍に生まれた子が、貴族社会の一員として認められるための儀式。たとえ十五歳の成人を過ぎても、お披露目を済ませていなければ、社交も結婚も、婚約すら公には認められないという、貴族にとってとても重要なものです。
基本的には十四歳の王立の学園入学までに、もし学園に通わないのなら十六歳までにお披露目をするのが普通です。
私も庶子としてでも侯爵家に引き取られた以上、今後どのように生きていくにせよお披露目は必須なのです。
毎日これでもかと詰め込まれた令嬢教育は、なんとか及第点を取れた程度。
とはいえ、十五歳になった私はタイムリミットに足をかけた状態で、これ以上のんびりとしていられません。
お披露目の日が決まると王宮に届け出ます。その情報を得たほかの人達は、招待状をもらえるよう動くのです。
招待を希望する手紙の数は、その家の力と子どもの将来への期待を表すと言います。私の場合は、突然湧いて出た娼館育ちの庶子を見たい、との好奇心からが大きいでしょう。
「きっと王宮からもお客様がいらっしゃいますよ」
「……レナード殿下なら大歓迎なのですが」
「殿下はつい先日もいらしたばかりですからね。それ以前に、殿下ご自身がお披露目前ですし」
お披露目前の子どもは、たとえ王族といえども未成年の扱いなので、社交の場に出ることはありません。残念ながら、公式にはいらっしゃらないでしょう。
「王弟殿下ご夫妻でしょうか」
「そうですね、アニー。それに、王妃殿下は大奥様と仲がよろしかったですから、お孫様会いたさに離宮から出ていらっしゃるかもしれませんよ」
「そんなことになったら、私の心臓が持ちません!」
御歳六十を超えられた陛下はまだまだ現役ですが、数年前に足を悪くされた王妃殿下は公務の多くを王太子妃にお任せになり、ご自身は離宮に居をお移しになられています。
公務からは一線を引き幾分自由のきく御身上とはいえ、一介の女児のお披露目においでになるわけがありません。
「ご心配はいりませんよ、グレイス様」
「そうです、どなたがいらしても大丈夫なようにしっかりお支度します!」
……いらっしゃること前提で話が進んでいるのはなぜなのでしょう?
そうはいえ、これだけ張り切ってくれているのです。私もしっかり準備をしなくては。
「……では、失敗しないように。今日も練習しましょうか」
「そうでしたわ。参りましょう、グレイス様」
皆と別れてアニーと向かったのは音楽室。これから、お披露目で踊るダンスの練習です。
靴を履き替えていると、ノックの音も軽くスティーブンスさんが部屋に入ってきました。本番では父である侯爵様と踊るのですが、今もなお、お忙しい身。
どうしようかと思っておりましたら、スティーブンスさんが、侯爵様と背格好が近いから、とダンス練習のパートナーに自ら名乗りを上げてくださったのです。
「お待たせいたしました、グレイス様」
「いいえ。家令のお仕事も忙しいのに、度々付き合わせてごめんなさい」
「とんでもない。休暇より楽しみにしているのですよ。おや、今日はエリザベス様はご一緒ではないのですか?」
離れている時間が徐々に増えてきたとはいえ、エリザベス様と私は相変わらずペアの扱いです。いいのです、可愛らしいですから。
本当に最近は年相応な振る舞いも増え、ちょっとした悪戯までするようになって……それも、私の机の引き出しを摘んだ花でいっぱいにする、というような、微笑ましいものばかりですが。
「ええ。ジョンと約束があるとかで、朝食の後早々に庭の方へ」
「ああ、なるほど」
「私には内緒、なのだそうです」
頷くスティーブンスさんは心当たりがあるようでしたが、それ以上は教えてくれませんでした。
向かい合い、礼をして手を取り、アニーのピアノに合わせてステップを踏み始めます……始めの一歩は毎回緊張してしまって、何度練習しても慣れません。
スティーブンスさんの上手なリードのおかげでなんとか形になっていますが、いつ足を踏んでしまうか気が気ではなく、楽しむ余裕はまだありません。
本番は侯爵様と踊るのですが……大丈夫かしら、私。
この一年半で侯爵様とお会いした回数は、片手を少し超えるほど。
しかもその殆どが屋敷内で偶然に行きあったりしたもので、きちんと顔を合わせてお話しをしたのは、初日のほかは立った二回。学園への入学をどうするかということと、お披露目についてのことのみ。
これでもコナーさんは、侯爵様が帰宅される回数が格段に増えたと喜んでいるのです。
……話には聞いていましたが、王都の貴族の方々は家族に対して淡白なのですね。
ダッカでは、ご領主様も隊長様も親しみやすいお人柄でしたので、なかなか馴染めません。
「郷に入っては郷に従え」が女将さんからの教えですが、もう少し打ち解けられたらと思ってしまいます。
私はともかく、エリザベス様ともっと関わっていただけるといいと思うのです、侯爵様も奥様も。あんなに可愛らしいお嬢様なのですから。
かといって、私がしゃしゃり出て上手くいくとも思えませんし……。
こんな時、アメリア大奥様ならさっと鮮やかに解決されることでしょう。
似ていると言われても、お話を聞くたびに遠いお人だと実感して、なにもできない自分が情けなくなるばかりです。
そんな事を考えているうちに、一通り踊り終わっていました。ぼんやりしていてもこなせたのは、スティーブンスさんの素晴らしいリードのおかげですね。
「最初から筋はよろしかったですが、本当にお上手になられました。もう二、三曲レパートリーを増やしてもよろしいのでは?」
「お願い、これ以上は無理よ。演奏しているほうがよっぽどいいわ」
スティーブンスさんは褒めてくれますが、私はこれで精一杯。子どもの頃から弾いているリュートを抱いているほうが、どんなにかリラックスできます。
「お嬢様のリュートでは皆さんが聞き惚れてしまって、ダンスどころではなくなってしまいますよ」
「アニーは私に甘いわ」
「事実ですから」
頼れるお姉さんだったはずのアニーは、この一年半ですっかり私を甘やかすのが上手になってしまいました。
コナーさんやスティーブンスさんは言うに及ばず、おかげで怠惰な自分と戦う毎日です。
「……私のお披露目に、本当にそんなにたくさんの方がいらっしゃると思う?」
「一階の大広間では収まらないでしょうね。幸い天候も安定している時期ですし、庭も開放しようとコナーやジョンと話しております」
自信たっぷりに話すスティーブンスさんの顔を見つめたまま、絶句してしまいました。
「きっと王都中の貴族がこぞって押しかけますよ。ああ、ダッカ領のサザーランド隊長殿がご出席なさると聞いております」
「まあ、隊長様が?」
懐かしい名前にダッカでの思い出が蘇ります。現金なもので、急にお披露目が待ち遠しくなりました。
「サイレイス辺境伯もお越しになりたいようでしたが、辺境伯と隊長、国境警備のトップお二人が揃っては離れられないということで」
「ええ、そうでしょうね」
威厳がありながらも気さくな辺境伯様。お会いできたらどんなにか嬉しいことでしょう。
でも、難しいことも分かっています。いつか、私がまたダッカに行けるといいのですが……。
「閣下の名代として、辺境伯ご子息のラルフォード様が出席予定と伺っています」
「……!」
思いもよらぬ名前を告げられて、息が止まりました。
「辺境伯のご子息というと、ラルフォード・サイレイス様? ラルフォード様は既に子爵位もお持ちですし、名代をお勤めになるのに何も問題ございませんですけれど……たしか、隣国へ留学中では?」
「ええ、ですから『帰国が間に合えば』というお話しでした。まだ内密に願いますよ。それにしても、詳しいですね、アニー」
「私は専属侍女として、グレイスお嬢様に関わる事でしたら、どんな小さな事でも把握する必要がありますから。もちろんお育ちになったダッカ領の事は言うに及ばず。それにしても、ラルフォード様が……お嬢様、どうなさいました?」
「いえ、あの……ごめんなさい、少し疲れたみたい。戻ってもいいかしら」
息は止まったものの心臓は止まらなかったようで、やけに煩いです。とっさに口から出てしまった「疲れた」という言葉に二人が慌ててこちらを窺います。
それにしても、アニー、ちょっと妙な方向に力が入ってはいないかしら。
「これは気づかずに失礼しました。今日は予定は入っておりませんから、どうぞ休まれてください。この時期に体調を崩されたら大変です」
「そうです、グレイス様は少し頑張りすぎです。お昼食は部屋まで運びますから」
そうして、あっという間に音楽室から自室へと戻されました。
随分ぼんやりしていたみたいで、気付けば着替えさせられ、まだ昼前なのに寝台に入れられて、手には温かいミルク……苦笑するしかありません。
「アニーってば、心配性のお母さんみたいね」
「ええ、グレイス様を甘やかすのが私の仕事だと心得ております。少しお休みになってください、本当にお顔色が……」
カーテンを半分閉め、心配そうに眉を下げて寝室を出て行くアニーを見送ると、そっと瞼を閉じました。
本当に眠るつもりではなかったのですが……そのまま意識は深く沈んでいったのでした。