7〈魔術院監察官長の閑話〉
他者視点です
私は王立魔術院で、監察官長の職に就いている。
魔術院はその名の通り魔力や魔術、魔物について観察、調査研究、対処などをする機関であり、魔力行使による犯罪の取り締まりや、実際に発生した魔物を排除する実働部隊も擁している。
そもそも魔力とは、生命エネルギーのようなものである。いわゆる「生物」は大きな動物から昆虫、植物に至るまですべて魔力を有している。
ただ、その内包する魔力量と発現の仕方に個差があり、人間でいえば体内魔力の量や、それを魔術として放出できるかどうかなどが違ってくる。
魔力が少なくても生きるのに全く支障はない。逆に平穏な時代が続く昨今、魔力干渉を生み出す分、多い方が生活しづらいと言えよう。
魔力が武力として有用だったために、大陸で戦争が頻発していた過去には魔力の高いものは重要な戦力とみなされ国や貴族たちに囲われた。
我が国も例外ではなく、魔力の高いものはほぼすべて国の管理下――つまり貴族に取り込まれたこともあり、現代では高い魔力を有するものは極偶の例外を除いては貴族に限られる。
女性よりも男性の方が魔力量が多いことも、大陸全体で共通している。
通常、成長とともに魔力は高まっていく。量が安定し術として体外に発現できるようになるのは十歳前後である。
そのため貴族の子ども達は、生後すぐと十歳前後の二度、魔力量の調査を受けることが義務付けられており、各々に必要なコントロール方法を学ぶようになる。
通常、初回は洗礼と同時に行う。
そのため、測定自体は神殿の管轄で行い、魔術院には報告が上がってくることになっていた。
生まれた時点の測定では魔力が「貴族的かそうでないか」くらいしか分からないのが通常である。
しかし何事にも例外というものは存在する。
我が魔術院のドレイク次席などがそのいい例だろう。十代の若き身で次席という異例のこの御方は、生後すぐから高い魔力を発現していた。
大陸有数の高魔力者であった当時の魔術院筆頭より、その時点で既に量では超えていたという。
家人でさえ近寄れぬ状態で魔術院預かりとなり、私も含めた数人がかりでその魔力を抑え、ようやく人並みの暮らしが送れるようになったのだった。
コントロールできない状態の高魔力保持者ほど、己にとっても他人にとっても危険なものはない。
近年は紛争も収まり一見平和な時代が続いているが、魔力が脅威であることに変わりはない。
高魔力保持者の事故や犯罪を防ぐためにも、私たち監察官がいる。
エリザベス・フォーサイス侯爵令嬢も、例外のお一人である。
生後すぐに測られた魔力量は成人男子のそれに匹敵した。
だが、魔力が体外へ発現していないこと、フォーサイス侯爵家での管理が可能とされたことから、魔術院預かりとはせず経過観察の措置が取られた。
二ヶ月に一度、魔術院から監察官が訪問していたが、生後二年くらいから状況に変化が見られた。
体内魔力値がさらに高まり、感情が揺れた時など勝手に発動し使用人や施設に被害が出るようになったのだ
本来ならこの時点で魔術院預かりとするか、監察官を常時傍に置く必要があるのだが、フォーサイス侯爵家の力がそれを拒んだ。
相手は我が国有数の大貴族である。外聞を慮ったのか事態は隠され、監察官の訪問を増やすに止まらざるを得なかった。
以来改善の兆しは見えず、逆に緩やかに悪化が進んだエリザベス嬢の状態に、急激な変化が訪れたのは四歳の時。
散見される被害と、エリザベス嬢自身の心身の未発達に対する不安。これ以上は看過できないと懸念を持った監察官たちが、次回の定期訪問に決定権を持つ役職に就く私の同伴を依頼した。
私に否やはなく、筆頭より「強制も可」との言質を取り付け、事前通告無しにフォーサイス侯爵家に向かったのだが。
――まず、屋敷の雰囲気が違った。
使用人の表情は一様に明るく、側付きの侍女の顔にも疲れが見えない。
毎回来ている部下達は、一ヶ月前との変化に驚きを隠せないでいる。
さらに、普段の面談はまずエリザベス嬢の所在を探すところから始まるのが常だが、それも違った。
案内された私室には、いつになく落ち着いた状態のエリザベス嬢がおり、その隣には微笑んで寄り添う美しい少女――濃紺色の柔らかなドレスを纏う、真っ直ぐな黒髪に青灰色の瞳。
凛とした姿はかつて焦がれた令嬢を彷彿とさせ、その刹那私は思わず自身の過去に引き込まれた。
「はじめまして。先月より侯爵家に参りました、グレイスと申します」
「わたしの、おねえさまになったのよ」
花がほころぶようににこりと笑みを浮かべた挨拶に、慌てて我に返り返答する。
――声までも似ていると思うのは、気の迷いか。
先日、フォーサイス侯爵家に引き取られた庶子がディナリア神の加護持ちだった、との報告を神殿から受けてはいたが、この事態は予想外だった。
わざわざ大神官自らが足を運んできたくせに、なにか言いたげにしては結局なにを言うでもなく帰ったのはこの事だったのか。
令嬢から目が離せず言葉も継げずにいる私に、彼女は片手を自分の頰にあて少し困ったように微笑んだ。
「私、そんなにアメリア様に似ていますか? 皆さん、よくそうおっしゃるのです」
「っ、いや、これは……失礼しました。少々驚いてしまいまして」
エリザベス嬢は、新しくできた姉の膝にぺたりと張り付いて安心しきった表情を見せている。
屋敷とエリザベス嬢の変化は、グレイス嬢の影響だということが分かった。
まだ完全に安心とはいかないが、危機的な状況は回避できた――そのことが肌で伝わり、隣に座る部下が深く安堵の息を吐いた。
部下がエリザベス嬢の魔力を隣室で調べている間、不在の侯爵に代わり家令を交えて現状の確認と今後の予定を話していく。
本来ならば、強制的にでも魔術院に迎える予定であったことを明かせば、グレイス嬢は顔を青くした。
「エリザベス様のためにも必要なことだ、というお話は分かります。ですが……この頃は落ち着いてきましたし、魔力暴走も少しずつですが減ってきています。できれば、もう少しだけお時間をいただけませんでしょうか。まだ、たった四歳なのです」
「貴女が今のようについていてくださるなら、様子も見れましょう。ただし条件として、こちらからの訪問回数は増やします。そして、有事の際の連絡を怠ってはいけませんよ」
「はい、お約束します」
思えばこの四年の間、エリザベス嬢の親である侯爵夫妻との面会が叶ったのは数えるほどである。
夫人に至っては、私は一度もお会いしていない。貴族の家では然程珍しくもないが、こういった家庭環境が魔術院預かりの要因の一つであったことも確かである。
侯爵はアメリア様の息子ではあるが、父親に似て情というものを表に出しにくい性質のようだ。
もし、祖母であるアメリア様がご存命でいらしたらエリザベス嬢もこのような状況には陥っていなかったのでは……などと、詮無いことを何度も思った。
しかし今はグレイス嬢がいる。
似ているだけで本人ではないと頭では理解しているのに、感情は勝手にもう大丈夫だと告げる。
いい大人が孫ほどの歳の少女になんと重たい責を、と自嘲も滲むがどうしようもない。
故アメリア・フォーサイス――その人柄と人望で、陰ながら国を支え隣国との戦争までも回避させた、たおやかな貴婦人。
数多の人の心と命を救った本物のフェア・レディ。
馬車の事故で夫婦揃って亡くなられた際は、件の隣国からも弔問が途切れず、王宮までも半年の間喪に服す特例の措置が取られるほどだった。
彼女の血を濃く顕すグレイス嬢を見守ることができる……それだけで、この長い喪失に耐えた甲斐があるというもの。
フォーサイス家を辞した後、私は魔術院ではなく神殿へと馬車を走らせた。
……グレイス嬢の立場は危うい。
アメリア様と見紛うばかりの容姿と存在感、さらに加護持ち。遅からず彼女を欲する者が多く現れるのは容易に想像がつく。
彼女に関しては、庶子という枷などないに等しい。
得られなかった宝物に対する執着心は分かりすぎるほど身に覚えがある。侯爵家の盾をもってしても抗えない者が出てくる可能性もあるだろう。
――久し振りに、腹を割って旧友と話をせねばなるまい。
しかし、出来うるならば……アメリア様の影とならずに生きていってほしいと、そう願う。こんなにも重ねてしまう私が言えたことではないのは重々承知しているが。
誰かの人生を曲げてしまうことは、彼女が最も憂慮したことであったから。
読んでいただいてありがとうございます。
次回からまた主人公視点に戻ります。