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手紙をコナーさんに預けると、たくさん書かれましたね、と少し寂しそうに気遣われてしまいました。
久しぶりでしたので、と心配をかけないように笑顔で辞すと、その足で中庭に向かいます。
庭師のジョンが丹精した秋薔薇が見頃だというアニーの勧めで、今日は東屋でお茶をいただくことになっていました。
私の私室のベランダも中庭に面してはいるのですが、部屋は屋敷の左翼側。薔薇の庭は反対の右翼側なので残念ながら部屋からは見られません。
屋敷の外に出ると、こちら側の庭を歩くのが初めての私を、ジョンが待っていてくれました。
「ありがとう、ジョン。楽しみにしていたの」
「そう言っていただけるとご案内しがいがありますね。こちらですよ、どうぞ」
この薔薇園は、お亡くなりになった侯爵様のお母様――大奥様の好みで作られたそうです。
色合いを重視した配置で、よく手入れされた健やかな株には、春の薔薇と勝るとも劣らない数の花が咲き誇っていました。
私がよく似ていると言われることの多い先代侯爵夫人は、馬車の事故でご夫婦揃って還らぬ人になられたと聞きました。
まだ子どもだった侯爵様は、お留守番をされていてご無事だったとも。
ご夫婦とも人好きのする方で、たくさんの方達が冥福を祈り、お墓にお花が途切れることはなかったそう。
「……グレイス様は、本当に大奥様に似てらっしゃいますね」
「皆がそう言ってくださるの。一階に肖像画がかかっていたのを見せていただいたのだけど、自分ではよく分からないわ。髪や目の色は似てると思ったけれど」
「肖像画は御婚礼の時のお姿ですからね。それに色だけではなくて、何というか……雰囲気が似てるんですよ。大奥様にお会いしていたのは私がまだ子供の頃でしたけどね、独特な空気感の方でしたよ」
「……独特」
「おや、いい意味ですよ」
顔を見合わせて笑いながら、目に付いた薔薇を説明してもらって歩きました。
毎日を庭で過ごすジョンの焼けた肌にはシワが深く刻まれ、栗色の髪の毛も陽に色を抜かれています。侯爵さまとは同じ歳のはずですが、五、六歳は年上に見えます。
先代の庭師について子どもの頃より働いてきたジョンの説明は端々に専門用語を挟むのですが、庭への愛情に溢れています。
フォーサイス家の庭木は手入れが行き届いており、花壇も美しく目に優しい。
無理に造形を整えるのではなく、あくまで自然のままで調和のとれた上品なバランスでつくられていて、とても素晴らしい庭なのです。
時間があったら一日中外にいたいくらい。
「秋にこれだけ鮮やかな薔薇を見られるなんて。ジョンは最高の庭師ね」
「仕事ですから」
「仕事にできる、ということが素晴らしいわ。私、ジョンの庭が大好きよ」
手放しに賞賛すると、居心地悪そうにされてしまいました。本職の方に向かって偉そうだったでしょうか。でも、ほんとうに素敵な庭なのです。
東屋ではジョンとアニーにもお願いして座ってもらい、三人でお茶を楽しみます。
本来、貴族が使用人とこのように近しくするのは、褒められたことではありません。知ってはいますが、つい先日まで平民だった私ですので。いいのです、知識としてはありますから。
目をつぶってくれるみなさんに甘えて、屋敷内では好きなようにさせていただいています。
ちなみに、服装も好きにさせてもらっています。
私が着ているのは柔らかな布地で胸下切り替えのエンパイアドレス。喪中なので色は濃紺か黒。布地は比べ物にならないくらい上質ですが、娼館にいた時と同じお気に入りの形です。
ウエストを締めたりせずゆったり着られますし、リュートを抱えるのもラクです。
アニーやほかのメイドさんはもっと貴族らしいドレスも着せたいようですが、コルセット苦手なのですよ……。
薔薇のあれやこれや、私のベランダから見える庭のことなどを話しながら、しばらくはのんびりと過ごしておりましたが。
突然後ろの茂みが揺れ、小さな悲鳴とともに何かが飛び出してきました。
「っ、やぁっ、」
「――まあ、エリザベス様?」
金髪のカールヘアをツインテールにした女の子が、ドレスを土まみれにして転んでいました。
大きな茶色の瞳からは今にも涙が溢れそうですが、その表情とはうらはらに荒々しい魔力が私にも分かる程全身から溢れ出て身の周りに渦巻いています。
制御出来ない魔力は、本人にも周囲にも危険です。アニーの顔色がサッと変わりました。
私を庇うように前に飛び出たアニーとジョンに、エリザベス様は身を縮こませました。転んで痛い思いをした上に、大人二人に立ちはだかられてはたまりません。
かわいそうに、すっかり怯えて、今にも泣きだしてしまいそうです。
立ち昇る魔力が不安定に揺れ出し――このままではいけない。
私は二人の制止を抜けて、エリザベス様の足元にゆっくり近寄りました。
「こんにちは、エリザベス様」
「……あ、」
「一度お会いしましたね、私はグレイスです。今、おいしいお茶をいただいていたのですよ。ご一緒にいかがですか?」
エリザベス様の少し手前に膝をついて、抱っこをするように両手を前に広げます。
驚いて見開かれた瞳をにっこり見つめてお待ちしていましたら、ハリネズミのようにピリピリと逆立っていた魔力がだんだん戸惑いにかわり――やがて、ほんのわずかにエリザベス様の腕が私に向けて持ち上がりました。
それを了承と受け取って、そっと脇の下に手を入れて抱き上げます。
……なんて軽いのでしょう。
小柄なことは見て分かっていましたが、華の館のマーゴと同じ歳とは思えません。
ぎゅっと私の服を握りしめる小さな体をしっかり胸に抱いたまま、ゆっくり歩いて東屋にお連れしました。
安定しない魔力をゆらゆら立ちのぼらせながら、エリザベス様は目をきょときょとさせ、小さく震えています。
緊張させて申し訳ないと思う反面……なんでしょう、この可愛らしい生き物は。
思い切り抱きしめて頬ずりしたくなりますが、これ以上刺激してはいけないと、我慢です。
……娼館の同じ年頃の子どもたちを思い出して、胸がきゅうっとなりました。
娼館では、小さい子のお世話は私が引き受けていました。
娼妓であるお母さまたちが仕事の間、食事をさせ、お風呂に入れて、一緒に眠って。
まるで姉妹のように、家族のように――いいえ、私には家族でした。
私が娼館を去る時は、泣いてしまって部屋から出てこなかった子も……皆、元気でしょうか。もう一度会いたいです。
東屋に戻ると、小さな子によくそうしていたように自分の膝の上に乗せて座りました。アニーとジョンはまだ青い顔で、どうしたらいいかと手を出しあぐねている様子。
エリザベス様の魔力はかなり強い上に、お小さいので制御が上手くいかないのでしょう。
優秀で、魔力値も高いフォーサイス家の使用人との間では、魔力干渉が厳しく出てしまうそう。そのため、エリザベス様のお近くに寄るのは難しい、とアニーから聞いたばかりです。
その点、私は魔力値が低いので、エリザベス様の魔力は感じるものの干渉は気になりませんでした。
「痛くしませんから、怪我がないかどうか診ても?」
泥のついたスカートを軽く摘みながら怖がらせないように笑顔で尋ねると、小さく頷いてくれました。
ジョンはハッとして、先ほどの茂みの具合を見るからと席を離れて行きます。
小さな子どもでも女の子ですから、男性の前で足を出すのは困りますよね、気遣いありがとうございます。
そっとスカートの裾を持ち上げました……よかった、平気みたいです。
「膝が少し赤くなってますが、血は出てませんね。足首も……大丈夫なようです。これを結んでおきましょう」
赤くなった膝にハンカチを巻いて、その上をくるくる撫でる私の手を不思議そうに見つめています。実に可愛らしい。
「痛いのなくなれ、早く治ーれ……ふふ、おまじないですよ」
「……」
薄く涙の膜を張った瞳がまあるくなりました。どうやら、こういうことはご存じないようですね。
「エリザベス様、メグはどうしました?」
気を取り直したアニーが少し咎めるように尋ねると、小さい肩が大きくビクッと震えました。
メグはエリザベス様の専属侍女です。
私より一つ歳下で家内の使用人では最年少の彼女は、身に持つ魔力が非常に少なく、エリザベス様の強い力に当てられにくいのを買われて、三ヶ月前より特別に雇われたと聞いています。
「っく、」
ああ、涙がポロポロと。
再度ぐるぐると魔力が荒れ始めたのが、力のない私にも伝わります。
「っ、グレイス様」
「大丈夫よ、アニー」
警戒する仕草を見せたアニーに、心配ないと微笑んでみせました。
私はお茶菓子の、真ん中に苺のジャムがのった小さい花型のクッキーを手に取ると、きゅ、とエリザベス様のお口に入れました。
すると思った通り、びっくりされて涙が止まります。
大きな目をパチパチして私を見上げるエリザベス様……可愛い。ついでに、髪に付いていた葉っぱを取りましょうか。
「美味しいでしょう? アニー、エリザベス様にもお茶をお願い」
「グレイス様……」
「エリザベス様、アニーのお茶はとても美味しいの。痛いことも忘れるくらいですよ。お砂糖も入れて、甘くしましょうね」
お願いするとアニーは少し戸惑ったものの、困ったように笑って、お茶を淹れてくれました。
ふうふうと息を吹きかけて少し冷ましてお渡しする頃には、魔力の荒れも落ち着き涙はすっかり引っ込みました。
小さな手にあまる大きさのカップを両手で支えて飲む姿は、なんとも庇護欲を誘います。
ただ、体が小さいだけでなく、これまでに二、三交わした言葉も拙いのが気になりました。娼館の子どもたちが皆、早生というわけではないと思うのですが。
「エリザベス様。転んだ時にお一人ですと、怪我の手当てが遅くなってしまいます。それに、痛い足で一人でお部屋に戻るのは大変ですよ」
「………」
「お散歩されたい時は、私に教えていただけますか? お一人がよろしければ、エリザベス様に気づかれないように、そうっと隠れてついていきますから」
膝に抱いたまま、後ろからお顔を覗き込んでゆっくり一言づつ話してお願いすると、大きな瞳がますます大きくなりました。
「……ほんとう?」
アニーの口振りから察するに、何度も侍女を撒いて抜け出しているのでしょう。
こちらを気遣うように見上げる瞳は、今も怯えを隠しきれていません。
「ええ。それと、かくれんぼをする時は、私のお部屋に隠れることをおすすめします」
「……こわく、ないの?」
かろうじて聞き取れた、絞り出すように溢れた小さな声。
『こわくないの』……それはきっと、自分が他人を傷つけることが。
――なんということ。
もしかして、という私の懸念は確信に変わりました。
自分の抑えられない魔力が誰かを害することを恐れて、この小さい子は毎日隠れているのでしょう。
見つからないように、傷つけないように、距離を置いて。
そうするしか、方法がわからないから。
膝の上の小さな体を抱く手にそっと力を込めました。
「ちっとも。秘密なんですが、私はとっても頑丈なんです」
お顔の脇に口を寄せてわざといたずらっぽく囁くと、一瞬何を言われたか分からないようでした。が、次の瞬間、ぱあっと花が開くように笑いました。
――よかった、まだ遅くない。
私はにっこり笑って、人差し指を立てて唇に置きます。
「内緒ですよ」
「うん! な、ないしょね!」
アニーとジョンが唖然としながら見つめる中、二人でうふふと笑いあっていましたら、庭の奥から疲れをにじませた声が聞こえてきました。
「エリザベス様ぁ、どちらにいらっしゃいますかー? お探ししましたよぅ……」
「ああ、メグ。こっちよ」
「ええっ、グレイス様! し、失礼しました!」
「エリザベス様、転んでしまわれて。軽く手当てはさせていただいたのだけど、お部屋でよくみてくれる?」
「は、はい!」
きれいにしてもらってくださいね、と乱れた髪を撫でながら微笑めば、膝の上で大きく頷いてくれました。
私の膝から降りて、バイバイと振ってくれる小さな手を名残惜しく見送ると、ほうとため息が出ました。
「お可愛らしいわ」
「……すごいですね、グレイス様」
「こんなにあっさり帰られるの、初めて見ましたよ」
アニーもジョンも何を言っているのかしら。
疑問が顔に出ていた私に、ようやく顔色に血の気が戻ったアニーが説明してくれます。
「一昨年、乳母が辞めてからエリザベス様は、毎日のようにお部屋を抜け出すようになりました。なにかと癇癪を起こされますし、お食事や寝起きの時間も気ままで……魔力にあてられて怪我をしたり、振り回されて疲れた侍女やメイドが何人も辞め――」
さすがに言いすぎたと思ったのか、アニーはハッとして口を噤みました。
今まで他人のことを決して悪く言ったことのない彼女が、こんなに感情のままに話すのは初めてです。きっと怪我をしたり辞めたメイドの中には、仲の良い方もいたのでしょう。
苦笑いしたジョンが続きます。
「庭で見つかっても、普段は戻るまでに一悶着ありますからね。癇癪を起こされると魔力も荒れますから、植え込みも芝も随分と駄目にされましたよ。剪定が終わったばかりの一角を消し炭にされてしまったり……ああ、春先に芽が出たばかりの球根を、周りの土ごとごっそり抉られたこともありましたね」
「まあ……」
予想以上の威力にどう言ったらいいか困ってしまいます。
風が出てきましたねとアニーが片付けを始め、私はジョンに送られて中庭を後にしたのでした。