最終話
「お姉さま! 見て、雪よ!」
エルトミナとの境にある山脈から吹き降りる風が冷たくなり、池にうっすらと氷が張るようになった数日後。ヴァッシュランド王都に、初雪が降りました。
小さい粉雪がちらちら舞う様子は、育った南のダッカ領では珍しいものなので、ついつい見入ってしまいます。
「つもるかしら……」
「どうかしらね、積もってほしい?」
「そうしたら雪遊びができるわ!」
にこにこしながら冷たい窓に手をあてて、外を一生懸命に眺めているエリザベス様は本当に楽しそう。こちらまでつられてわくわくしてきます。
「雪遊びというと、雪うさぎとか?」
「そり滑りとか!」
「エルトミナでは雪と氷で小さい家を作って、中に入って遊ぶよ」
「――ラルフ!? 気づきませんでした、お出迎えもせずにごめんなさい」
午後、お茶をいただいている時間にラルフが帰宅するのは珍しいことです。
おかえりなさいませ、と驚く私を満足そうに見ると、ただいま、とにこりと笑いました。
「ちょうど会議も終わって空き時間があったんだ。だからまた、夕方には戻らなきゃないけど。レナード殿下からこれをエリザベスにって。長くは保たないからすぐに渡してくれって」
「まあ、綺麗……」
崩さないように持ってくるの大変だった、とわざと肩をすくめたラルフがそっとテーブルに置いたのは、銀盆の上に乗った見事な氷の薔薇。
淡く金色を纏ったそれは、冷気を保つように魔術で半円のドーム状に結界が張られています。
「わあ、素敵!」
「保たないのですか?」
「夜くらいまでかな、こういうのは難しいんだよ」
ひとしきり眺めた後、みんなにも見せてくる、と大喜びのエリザベス様が銀盆を持ってメグを連れて居間を後にしました。
残された二人で窓を向いたソファーに雪を見ながら並んで腰掛けていると、気を利かせたアニーの姿が見えなくなっていました。
ラルフは私の手に触れると軽く眉をひそめます。
「指が冷たい」
「窓にぴったりくっついて雪を見ていたの。子どもみたいでしょう」
なるほど、という顔をしたものの不満そうに両手を包み込まれました。
大きな温かい手にほっとします。その手で頬に触れるとこっちも冷たいと文句を言われ、近くにあったショールでぐるぐるに包まれてしまいました。
あの、部屋は暖かいですよ?
「あいつから手紙が来たよ、全部終わったって。また遊びに来いってさ」
「終わり……そうでしたか」
あいつ、というのはエルトミナの王太子殿下。終わったというのは第二王子の処遇のことなのでしょう。
ほんの二、三ヶ月前のことなのに遠い昔のことのようにも思えます。
結局、一番長く魔物と接触していたマクラウド伯爵が目を覚ますことはなく、その命で責を取ったかたちになりました。
一人息子である奥様の弟君に爵位は譲られ、表向き執政に不備があったとされた領地を幾つか王家に返すことで幕が引かれました。
没収された領地から上がる収入の一部は、出所がわからないようにして被害に遭った子どもたちの家庭に見舞金として支払われたそうです。
子ども達は順番に目を覚ましたものの、攫われた前後の記憶がありませんでした。
恐ろしい記憶に苦しむよりも良かったと言えましょう。
その上、高かったはずの魔力が平均以下まで減ってしまい、元に戻る様子はないのですが――今までその高い魔力に振り回され苦労していたので、本人も家族もかえって無くなったことに安堵していたと聞きました。
このことでアンガス様が気落ちしていらっしゃるのを、エリザベス様が一生懸命にお慰めする姿が、侯爵邸では一時よく見られました。
エリザベス様の、そのお姉さんぶりには少なからず驚かされたものです。
突然隣国で式をあげたことを、見たかったお祝いしたかったと言いながらも、エリザベス様は喜んでくれました。
その代わり、春になったらヴァッシュランドでも改めて結婚式をすることを約束させられてしまいましたが。
私がエルトミナへと行っていた間、魔術院で過ごすうち、ドレイク様と懇意になったエリザベス様。
最近は監察官の方が来るばかりでなく、こちらからも出かけるようになりました――奥様とご一緒に。
お二人の異常な魔力反発は調整できるものだ、とドレイク様が言われたのです。
十年以上も反発した状態で固定されていたので、時間はかかるだろうが、触れるだけで弾かれるようなことはなくせるだろう、と。
奥様とエリザベス様の間には、まだ緊張は残るものの、以前のように怯えることはありません。
侯爵様がなるべく一緒にいるようにされているのも、功を奏しているのでしょう。
もし許されるなら、隔たりを埋めてやり直していきたいと奥様は仰いました。
まずは挨拶を交わし、食事を一緒にするところから。
少しずつ、少しずつ歩み寄っていつかは手を取り合えるように。
「――そんなに遅くなく、ダッカに帰れそうだな」
「ラルフ……私、もう寒くないですよ」
「駄目、まだ冷たい」
ショールでぐるぐるに巻かれた私は、さらにその腕に閉じ込められました。
のぼせそうに暑いのですが、離してくれません。顔が赤いのは暖められすぎているせいです、膝の上に座らせられているからではありません、ええ、きっと。
結婚して、グレイス・サイレイスになりましたが、私は今も侯爵邸に住んでいます。
侯爵家の皆に引き留められたのもありますが、サイレイスの王都の邸宅はあまり使われないので最低限の使用人しか置いておらず、またラルフ自身も留守がちなので、侯爵邸の方が安心だから、との理由です。
私の自室は、あの魔物騒ぎの後、床を取り壊し一階の大広間とつなげて吹き抜けになりました。いくら修繕したとしても、魔物がいた部屋では落ち着けないだろうという侯爵様の計らいです。
今は薔薇園が見える側の棟にお部屋をいただいて、ラルフと過ごしています。
髪を撫でていた手が止まり呼ばれて赤くなった顔を上げると、オリーブグリーンの瞳にすぐ近くで見下ろされます。
近づく瞳にそっと目を閉じれば、聞こえるのは窓に当たるサラサラという粉雪の音だけ。
温かい手が頬から首の後ろに回り、そっと軽く触れた唇がもう一度重なろうとしたとき――
「お姉さま! 見て!」
「エリザベス様っ、ダメですよう、ノックしなきゃ……」
新しい銀盆に氷の馬を乗せたエリザベス様が、困り顔で息を切らすメグを従えて飛び込んできました。
大きく開かれた扉の向こうには、額をおさえるアニーの姿が。
私とラルフは、目を合わせたまま思わず吹き出すと、額をコツンとくっつけて扉の方へ向き直ります。
肩に雪をのせたまま、きらきらした目で新作を誇らしそうに持つエリザベス様。優しく手を引いて立たせてくださるラルフ……。
お母様。
小さい幸せと小さい哀しみが、少しずつ積み重なる日々が愛しくてなりません。できれば、小さい幸せの方が一つでも多くなる毎日を送れますように。
大好きな人達が笑って暮らせますように。
外で降りしきる粉雪に、季節外れの新緑の葉が混じっていたことを……知る人はいませんでした。
悪堕ち姫のお姉さま【了】
「悪堕ち姫のお姉さま」本編完結です。
初小説、初投稿、初完結という初づくしの拙い作品ではありますが、ありがたいことにたくさんの方の目にとめていただくことができました。
ひと時でも楽しんでいただけたなら、これ以上の幸せはありません。
このあとは番外編として、なんて事はない日々のお話をいくつかあげていきたいと思います。そちらもお付き合いいただけたら嬉しいです。
連載中から追いかけてくださった方
通りすがりに寄ってくださった方
完結後一気読み派の方
さらに感想などお寄せくださった方
すべての皆さまに、心からの感謝を。
2016.4.28 小鳩子鈴




