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 ガタゴトン、ガラガラガラ……

 現在(わたくし)は、馬車に乗っております。

 初めての長旅、移動も五日目を迎えました。上等な馬車とはいえ溜まった疲れについうたた寝をしてしまい、いつものおじいちゃんズの夢を見ていたようです。


 小さい頃から繰り返し夢に出てくる二人のおじいちゃんは、いつもにこにことしています。

 大きな手で頭を撫でてくれる、長い頭に長いあご髭のおじいちゃん。

 ぎゅっと抱きしめてくれるとぶつかる大きなお腹がボヨンっとなって楽しい、ちょび髭のおじいちゃん。


 実際には会ったこともないはずの、言葉は交わさないけれど柔らかい眼差しの二人の夢を見た後はいつも心もほっこり温かく、それでいて少しだけ寂しい気分になります。

 寝起きのぼんやりとした頭のまま、馬車の小さい窓から秋の気配を感じる外をそっと伺うと、向かいに座る初老の男性から声がかかりました。


「グレイス様、もうじき王都に入ります。お疲れでしょうがあと少しですので、ご辛抱ください」

「大丈夫ですわ。お気遣いありがとうございます」


 返事はにっこり、はっきりと。

 こんにちは、グレイスです。

 国境に近い辺境の地方都市、ダッカ領の看板娼館『華の館』で、私生児としてこの世に生まれ早十三年。

 育った環境のせいか、生まれながらの性格か。やけに大人びているとか、手がかからないとか言われながら、女将さんやおねえさま達に可愛がっていただいておりました。


 この夏の終わり、母が病で亡くなりました。

 悲しみの中、女将さんの手を借りて葬儀をしておりますところに、王都からお客様がいらっしゃったのです。

 私は侯爵さまの庶子であるので王都に連れて行く、と思いもよらぬ事をおっしゃって。


 御使者曰く、母は弱小地方貴族の末娘で、侯爵さまが母の住む領地に立ち寄れらた折にお手がついたのだとか。

 妊娠が分かったあと、事なかれ主義の母の父(私の祖父になりますね)は父親が誰かを確かめることもせず、未婚の母という醜聞を嫌って母を放逐。

 領地を追い出され、行き倒れたところを女将さんに拾われた母は、そのまま娼館で生きていくことになったこと。

 病を得て死期を悟った母が、最期の望みと、亡くなる直前に私のことを侯爵さまに託したこと。


 母の出した手紙には、当事者でなくては知り得ないことが書いてあり、さらに同封したカフスボタンには侯爵家の紋章がついていました。

 (はかりごと)とも思えない内容に、侯爵様はダッカに人を遣わしました。それが、今目の前にいらっしゃる、侯爵家に長年務める執事のコナーさんでした。


 母は美しい人でした。淡く金の入った栗色の髪は艶やかに波を打ち、肌は白く、瞳は春の柔らかな緑色。

 薔薇色の頬に幾つか散るソバカスがチャームポイントで、娼館一の売れっ子でした。私を産んだのも十七歳の時なのでまだまだ若く、落籍を願う殿方も多かったのです。


 旦那さまはいらないわ、家族は娘の貴女と女将さんで充分、と笑顔で誘いを断り続けた母。

 母と同じ「グレイス」という名前と温かい思い出を私に残して、この世を去りました。


「……大奥様に、よく似ていらっしゃる」


 コナーさんは私を見ると一瞬息を止め、懐かしそうに目を細められました。

 真っ直ぐな黒髪に青灰色の瞳。母に似たのは肌の白さだけ。そんな私をつくづくと眺められ、近づくとそっと手を取られます。


「手と爪の形は旦那様ですね……間違いありません、フォーサイス家の血です」


 ただ一人、母から全ての話を聞いていた女将さんは、私を侯爵家に託すことに迷いはありませんでした。


「グレイスが床の中から手紙を書いた時に決めていたよ。迎えが来たら連れて行ってもらおうってね。ああ、泣くんじゃないよ、お前が邪魔なわけないだろう? 大きいグレイスも小さいグレイスも、二人ともあたしの可愛い娘さ……幸せにおなり。娼館(ここ)よりもいいところだよ、きっと」


 ここでも充分幸せにしてもらっていたと言う私を宥めて、その日のうちに荷を纏められてしまいました。

 館を留守にしているおねえさま方にお別れも言えないまま、出立の準備は整います。

 王都は遠く、気楽に行き来できる距離ではありません。


「手紙を書きます。……女将さん、あの、」

「分かっているよ。ここにいない皆にもグレイスのことは伝えておくから。ジーナにも、()()()()にも」


 訳知り顔でウインクをする女将さんが、もう一度ぎゅっと抱きしめてくれます。

 涙を浮かべて別れを言い合い、小さな子達と何度も抱きあって、生まれ育った故郷と娼館を後にしたのでした。


 引き取っていただくにしても王都の侯爵家邸などではなく、領地のどこかでそっとしておいてはもらえないか、という私の申し出は却下されてしまいました。

 貴族の子として一度はお披露目をせねばならず、そのための教育を王都で受ける必要があるそうなのです。

 道中ではこれから向かう王都のこと、私の父というフォーサイス侯爵様のことなど色々教えていただきましたが……正直不安だらけです。


 ただ、私を見るコナーさんの目がとても優しいのが心の拠り所でした。

 白髪が混じった金髪を短く整え、細い体を黒の執事服できっちり包んだコナーさんは、代々フォーサイス家の執事の職に就いているそう。

 呼び捨てで、と何度も言われましたが、年上の方を呼び捨てには出来ません。その度に繰り返し訴えて、さん付けで許してもらっています。長い攻防でした。


「旦那様は六年前に奥様を娶られまして、今年四歳になるエリザベスお嬢様がいらっしゃいます。グレイス様にとっては妹君になりますね」

「……私などを連れ帰っては、奥様もエリザベス様もご気分を害されるのではないでしょうか」

「お母上のグレイス様とのことは、奥様とご結婚されるより随分前の事です。なにより、旦那様がそうお望みですので」


 柔らかくそう返されてはそれ以上続けられず、ご迷惑にならないように致しますと告げるのが精一杯でした。

 王都の外門が見えたところで、小窓のカーテンを降ろされてしまいます。

 たくさんの店が軒を連ねる街並みを見てみたかったのですが、防犯のためと言われては従うしかありません。


 馬車は石畳の道をしばらく進んだ後、一度停まりました。

 馭者の方の声が聞こえ、コナーさんがそっと小窓のカーテンを開いてくれます。


「もうよろしいですよ」


 窓からは、蔦模様の大きな門が見えました。門番さんと窓越しに目が合いましたので、普段通りににこりと笑って軽く頭を下げましたら、ひどく慌てたご様子。

 お仕事の邪魔でしたでしょうか、申し訳ないことをしました。


 馬車が門を通り、敷地に入りましてもまだ道は続き、一向に停まる気配はありません。

 小川を超え木立を抜けて行った先にようやく、大きな館が見えました。


 美しい白亜の壁、中央の三階建てを挟んで左右に扇のように広がる形。優雅でいて、凛とした佇まいの豪奢な館です。屋敷前の庭も素晴らしい。

 離れていても窓枠や屋根瓦の一枚まで、精緻な意匠が施されていることが分かります。


 ……あの、もしかして。


「コナーさん、お城が見えます」

「フォーサイス侯爵家に到着でございますよ」


 お母さま。これまで侯爵様に絶対連絡しなかった貴女の決断に、全面的に賛成致します。

 王都にこれだけ広い敷地を構えるなんて、どれだけの大貴族ですか。


「王宮はもっと大きいですよ」


 優しく微笑むコナーさんを前に、とんでもないところに来てしまった、と身のすくむ思いで背中に汗を感じたのでした。


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悪堕ち姫書影
アマゾナイトノベルズ/イラスト:セカイメグル先生

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