17〈レナード殿下専属護衛官の閑話〉
殿下付護衛官の視点です
「今日は行けるか?」
レナード殿下の朝は、必ずと言っていいほどこの挨拶で始まる。
「午前中は講義、午後は公務が二件入ってございます。残念ですが、本日の外出は難しいかと」
「またか……最近はそればかりだな。いつなら大丈夫そうだ?」
「来週になれば、少しは」
来週か、とため息をつきながらも、講義の支度を始められる。
継承権を持つ王子としてごく幼い頃から多方面にわたる教育を受けられているが、どの講師からもその優秀さは折り紙付き。
今年、十三歳になられてすぐにお披露目を済まされて以降は、公務も格段に増えたが、前向きに取り組み、現国王の後継者として頼もしい傑物と目されている。
私は、レナード殿下が五歳の頃よりお仕えしている。
たしかに最初から優れたお方ではあった。しかし、不敬を承知で申し上げれば、そつなくこなすのが上手い、ただ賢いだけの子どもであった。
それが、ここ数年の成長ぶりには目を見張るものがある。
受け身だった講義への姿勢も変わり、講師と対等に議論してはさらに理解を深めるようになった。
時には複数の講師を同時に招聘し、垣根を超えた討論をさせ、その結果思わぬ効果を広げたりもしている。
近くでは、街道と医療の関係について論じさせ、その相互有用性に都市整備という名の研究班が学園内で立ち上がったほどだ。
また、魔力制御に対しても成長著しい。
王族男子の例に違わず高い魔力を保持されているが、今では魔術院の指導官が舌をまくほどの腕前だ。
これに関しては、本人はまだまだだと不満を零しておられる。
それもそうだろう、遙かに上回る魔力を自在に操る人物が身近にいるのだから。しかも相手は歳下だ。
ヴァッシュランド王国現王の直孫であり継承権三位という自覚を持ち、自ら貪欲に学び成長しようとする姿勢は頼もしく好感が持てる。
弟殿下もいらっしゃるが、今の殿下のままでいらっしゃるなら、継承争いが起こる事はないだろう。
殿下がこのように変わられたのは、ある姉妹との出会いがきっかけだった。
――フォーサイス侯爵家の、グレイス嬢とエリザベス嬢。
もともとエリザベス嬢は年齢の近い侯爵家令嬢ということで、早くから殿下の婚約者候補と目されていた。
しかし、生まれつき女児には稀なる高い魔力を有しており、その制御に不安があり身の危険が拭えないことからずっと保留の状態であった。
名前だけは候補に上がる令嬢、という認識をされていたエリザベス嬢だったが、ある時から格段に魔力制御技能が上達したという。
魔術院の監察官たちが驚くほどの変貌ぶりに興味を持った殿下は、突発的にヴィンセント騎士団長のみを連れ、お忍びでフォーサイス家に行ったことがある。
帰城した殿下は実に楽しげで、その後足繁く侯爵家に通われるようになった。
二回目に侯爵家を訪れた時、同行したのは私である。
お会いしたエリザベス嬢は愛らしく、グレイス嬢は不思議な方であった。
グレイス嬢はフォーサイス侯爵の庶子である。国境を守る辺境都市ダッカにある娼館の生まれだが、亡くなった母親は貴族の出であるという噂だ。
フォーサイス現侯爵の母である故アメリア夫人に生き写しと言われる容姿に、国教神であるディナリア神の加護持ち。
どんな高慢な令嬢が出てきてもおかしくないと覚悟したのだが、当の本人のあまりにも穏やかな雰囲気に驚かされた。
柔らかな物言いは決して押し付けがましくなく、しかし伝えるべきことはしっかりと譲らず。
エリザベス嬢の全幅の信頼を受け、控えめに軽やかに立ち回っていた。
娼館で培われたのか、国境という土地で育ったせいか、考え方が柔軟で多岐にわたり見識が広い。
また、それら知識を噛み砕いて幼ない子でも分かるように聞かせる話術には恐れ入る。
私も、護衛の立場を忘れて聞き入ってしまうことが多々あるほどだ。
故アメリア夫人を直接知らない年代の私だが、大神官様や魔術院の監察官長達のグレイス様への入れ込みぶりを見ていると、外見だけでなく先代侯爵夫人を彷彿とさせるものがあるだろうことは疑いようもない。
殿下はそんなお二人と交流するにつれ、特別なにを言われたというわけでもないのだが、ご自分の立場を一層自覚されるようになった。
話し言葉も「僕」から「私」へと変わり、より公私の区別をつけるようになられた。
グレイス嬢には姉を慕うような信頼を向けるようになり、年齢よりはやや精神的に幼く、その分純粋なエリザベス嬢には特別の関心を寄せるようになられたのだった。
講義を受ける部屋へと向かおうと立ち上がりかけた時、訪いを告げるノックが響く。
「やあ、おはようございます、レナード殿下。いい朝ですな」
「ヴィンセントか。剣の訓練の時間はまだだろう。騎士団で何かあったのか? 団長を辞めるとかいう話なら聞かないぞ」
片手を上げて意気揚々と入室してきたのは、騎士団長であるヴィンセント・フレイザーだった。
団長職に就いて二年になるが、事あるごとに降格を願い出ている困った御仁だ。彼以上の適任者はいないというのに。
ダッカ領の国境守護隊にもいて、その頃からグレイス嬢と交流があり、家を開けることの多い外相のフォーサイス侯爵に代わって、彼女達と王宮の連絡役のようなこともしている。
「長っていうのは肌に合わないんですがねえ。まあ、そのうち勝手に引き継ぎますんで。それで殿下。三日と開けず通っていたのに、ここしばらくご無沙汰だって聞きましたよ」
「……私だって、行きたいのを我慢している」
からかわれたのが分かって、殿下は憮然と答える。ヴィンセント団長相手だと年相応に戻るらしい。
「それはいいとして、最近やたらと某伯爵家が妃候補をねじ込んできていますがね、どうするんですかい?」
「私の希望は、既に陛下へも父上にも伝えてある。その気持ちに変わりはない」
「だとすれば、エリザベスちゃん次第ってことだな……で、どうです反応は?」
ごん、と大きな音がして見れば、殿下がマホガニーの机に突っ伏していた。
「それ以上は言ってくれるな。……リズが、グレイスを好きすぎるのが悪い」
「ははっ、グレイスが相手じゃあ仕方ないな!」
やけに朗かな笑い声が室内に響き渡る。殿下はまだ机に額をつけたままだ。
残念ながら、殿下の恋心が想い人に伝わっていないことは、周囲によく知られている。
お二人のお立場なら政略での結婚も簡単だが、そうではなく、心を通わせて一緒になりたいと――ご両親の王太子御夫妻もたいそう仲睦まじいので、殿下がそう思われるのは自然なことだろう。
公式に婚約を結べるようになるのは、両者のお披露目が済んでから。
まだ時はあるとはいえ、エリザベス嬢のお披露目よりも先に、口約束だけでも取り付けたいと涙ぐましい努力をなさっているが。
「まあ、グレイスのことはラルフォードも頑張っていますし。あの二人がまとまるまで、もうしばらくの我慢ですよ」
「そんなことを言って、当のサイレイスをまた出国させるのだろう……北がキナ臭い」
「バレてましたか。そっちも宥めなきゃないんでね、俺も結構忙しいんですよ。だから殿下、これに署名してください、サラサラーって一筆」
少しは発散しないとやってられないよなと、さらりと書類を取り出して机の上に置く。
……恐ろしい文字が見えてしまった。
「なに……『騎士団と魔術院の合同練習許可願』……おい、ヴィンセント。前回ので懲りたと思ったのに、今度は死人を出すつもりか!?」
「いや、この前はちょっとやり過ぎたと反省している。だから『訓練』じゃなくて『練習』にしてみた。なのに事務方が受け取ってくれなくってなー」
「そんな言い訳が通用するかっ! 合同のは、魔術院側の申し出があったときのみ検討することにする」
「あ、じゃあ、ドレイクに言っておきますね」
……彼なら大丈夫、持ってくることはないだろう。
恐ろしいほどに強大な魔力持ちであるがゆえに、他人との接触を避けているドレイク次席。ヴィンセント団長が次席によく絡んでいるが、近付くだけで魔力干渉に襲われる自分には到底出来そうもない。
用事はそれだけかとぐったりとした殿下が問えば、ああ、そういえばと、ついでのように騎士服の胸元から白い封筒を取り出す。
「本題を忘れるところでしたよ。どうぞ」
見慣れた筆跡で書かれたそれは。
封筒の裏には「エリザベス・フォーサイス」のサイン。
では、と団長が退室したのにも、殿下はお気付きにならないようだった。




