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16-2

ラルフォード視点(2/2)

 それからは、時間を見つけては何度も会った。娼館に迎えに行くようになり、場所もあの丘だけでなく城塞や娼館の中庭などに増えた。


 本人の言う通り、グレイスは随分な箱入りだった。

 最初に会った時のように、常にベールや帽子を被っているわけではなかったが、不用意に人に会わぬよう外出はかなり制限されている。

 自分が外に連れ出すときも、戻ってくる刻限を女将に約束させられるのが常だ。

 それに常に誰かと一緒にいて、一人でいる時がない。


 帰宅の時間を僅かに過ぎてしまったことが一度あるが、その時は女将の静かで強烈な怒りに晒された。

 半月もの間手紙一つ取り次いでもらえず、そこまでする必要があるのかと抗議すれば、時間も守れない奴に女が守れるわけがない、と返されぐうの音も出ない。


 グレイスに課せられる制限の数々。それに釈然としないながらも、彼女が衆目の目に晒される心配がないことに安堵を覚えている、どうしようもない自分がいることも確かだった。

 息苦しさを感じるはずの生活。しかしグレイスからは、気にしたこともないと呑気な答えが返ってくる。

 それに、この束縛には期限が付いている、と。


「母と女将さんが、私に隠していることを教えてくれる時までだと。それまでは母達を心配させないように、言いつけを守ります……大事にされてますね、私」


 王都の学園に入学してからは他の令嬢とも関わりが増えたが、グレイスはその誰とも違った。

 娼館で母親より教え込まれているようで、礼儀作法などは引けを取らない。それどころか年下の彼女のほうが、より優雅に見えるほどだ。

 でも、そんな表面的なことではなく――根本的に違うのだ。休暇でダッカ領に戻るたびに実感する。


「また明日には戻るのか……面倒だ」

「ラルフォード様ってば、そんなこと。王都はあちらの方角でしたか」


 帰省の最終日、グレイスを丘に連れ出した。

 眼下に広がる領地の端を指先で示し、彼女は広い帽子のつばの下で青灰色の目を眇める。そうしたら王都までも見られるかのように。


「でも、学園には大きな図書館があるのでしょう? 羨ましいです」

「グレイスは本があればいいものな」

「はい。本とリュートがあれば、何時間でも楽しめますから」

「……王都に行きたいと思うか」

「王都ですか? いいえ、特には。あ……ラルフォード様が戻ってしまわれるのは、寂しいと思いますけど」


 こちらを見て話すその顔に嘘はない。

 そう、どこまでも正直なのだ。自分の心に、相手の心に。

 表情や感情をを隠すことはあっても、決してその場限りに取り繕うことはしない。


 そんな彼女が、ようやく最近になって、少しずつ甘えるようなことも言うようになってきたのが嬉しい。


「ラルフだ」

「え」

「ラルフォード様、じゃなくて」

「……そのうちに」


 染めた頬を隠そうとする両手を掴んで下に降ろす。行き場をなくされて彷徨った目は、名を呼べばしっかりとこっちを見た。

 好かれているとは思っている。

 でも、自分の想いの強さと同じだけでないことも分かっている。

 ――それでも絶対、離さない。


「先月、王都で友人のご母堂が亡くなった」

「? はい」

「葬儀の日は雨だった……思い出したよ。君だったんだな、グレイス」


 彼女は小さく息を呑むと、困ったように微笑んだ。


「……忘れたままでいてくださってよかったのに」

「実際、忘れていたさ」

 


 もとより体の弱かった母が亡くなったのは、八歳の時だった。

 葬儀の日の夜半、屋敷を抜け出して墓地に行くと、誰もいないはずの母の墓前に黒髪の小さい女の子が花を持って立っていた。


 夜更けの墓地に幼女が一人で立っているなど、普通に考えたらおかしなことだ。

 しかし、その時の自分は母が亡くなったショックで、ぼんやりとしか物事を認識できていなかったらしい。

 だから、普通に話しかけた。


『……君、何してるの?』


 俺に気付いていなかったらしい少女が驚いて振り返る。

 泣いていたのであろう、眦を拭うと母が好きだったヒナギクを持ち上げてこちらに見せた。


『……おくさま、だいすきだったから……さよならしに』

『そう。ありがとう、母さんも喜ぶよ』

『おくさまは、おにいちゃんの、お母さま?』


 少女の隣まで歩を進め、墓の前にしゃがみこんで顔も見ずに頷くと、花を墓前に供えた女の子はぎゅっと僕の首に細い腕を回した。

 そのままなにも言わず、ただ長い間抱きしめてくれた。

 ずっと我慢していた涙が零れて止まらなくなった自分を、雨が降り出してきてもずっと。



「屋敷は弔問客でごった返していたから、落ち着かなくて。一人になりたくて墓地に行ったのに、先客がいた」

「……すみません」

「いや、いいんだ。いてくれてよかったんだ」


 気付いたら朝で、自分の部屋のベッドの上だった。

 しかも葬儀の日から既に二日が経っており――墓地で雨に濡れて倒れていたのを運ばれて、そのまま発熱で寝込んでいたのだ、と父と祖父にひどく怒られた。


 高熱が続いたせいかその時の記憶は曖昧で、次第にあれは夢だったと思うようになり、記憶の底に沈んでいった。

 あの黒髪の女の子にはそれまでもそれからも、一度も会ったことがなかったから。


「……娼館の小父さんが、私について来てくれていて。気を失ったラルフォード様を、屋敷までお連れしました。まだ華の館の中だけで過ごしていた私のことは、伏せたのだと思います」

「おかげですっかり夢だと思ってしまった」

「奥様は母と仲が良くて、華の館にも時折遊びにいらしてくださっていました。ラルフォード様のこともよくお話に……だから私は、いつかお会いしたいとずっと思っていたのです。奥さまの『宝物』だというその方に」

「その母によく言われたよ、小さなレディを守れるような男になりなさい、と。一般論だと思っていたが、母が引き合わせてくれたんだな」

「ラルフォード様」


 決して解かれないように、片手をしっかりと持ち直す。

 あの日、自分を繋ぎ止めた小さな手。この手を離したくない。


「ラルフだ」

「……はい。ラルフ」

「そう――待っていてほしい、グレイス」




 二日前、家督を父に譲り、隠居していた祖父が久しぶりに訪れた。

 母が亡くなってからすっかり男所帯になった城塞の住居部分で、父と祖父が酒を酌み交わすのを眺めていると、話題は華の館に移った。


「ブレアか。あれもようやる。儂より十ばかり年下なだけなのに、いつまでも元気なもんだ」

「私より若々しいくらいですよ。女性は強いものですな」

「……小さいのは、ますます似てきたな」

「そうですね。いずれ隠していられなくなるものと」

「いっそ、王都に送った方が安全かもしれんが……いや……」


 それが「小さいグレイス」を指していることは何となくわかった。

 しかし一体、誰に似ているというのか、それに安全とは――疑問に思い訊ねると、祖父は暫く躊躇ったのちに重い口を開いた。


「そうだな……ラルフにもそろそろ話しておくか。あの子は多分、いや、確実にアメリアの血筋だ」

「アメリア?」

「儂に、情報と諜報を説いた人物だ」


 攻めて来るのを押し返すことだけが長く続いていた国境。なぜ情報を集めないのか、というアメリアの一言が、祖父に諜報の道を拓いたのだと言う。

 祖父は昔を思い出すようにゆっくりと独り言つ。


「まだ幼いとはいえ、あまりにも似ている。髪も瞳もまるで生き写しだ。あれで血の繋がりがないというなら、生まれ変わりとしか思えん」

「王都というのは?」

「アメリアは、ディラン・フォーサイス侯爵の妻君だった」

「……それはまた、大物ですね」


 『フォーサイス』――侯爵家ながら王族に次ぐ権威を持つ、我が国有数の大貴族。

 特に外交で重要な位置におり、父と同年代の今代の当主フレデリック・フォーサイスも非常に優秀と聞く。


「父親はフレデリックで間違いないだろう、グレイスは絶対頷かないだろうがな。ハロルド、彼はお前の後輩だったな?」

「いえ、父上。確かに学園で見かけたことはありますが、彼は広範に人付き合いをする人間ではありませんでしたから。学年も違いましたし、面識がある程度ですよ」

「そうか」


 父の返事に、祖父は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「おじい様。グレイスのことを侯爵閣下はご存知なのでしょうか」

「知らんだろうな」

「父親なのでしょう。教えないのですか?」

「侯爵は既に伯爵家との縁組が成っておる。そもそも、母親のグレイスが全く望んでおらん」

「はは、父上はアメリア様の忘形見を近くで愛でたいだけでしょうに」


 くつくつと笑う父にからかうように指摘されても反論しないところを見ると、どうやら図星のようだ。


「ふん、たいして探しもせずに諦めた若造にあの子を任せる気はない。……とはいえ、まあ、いずれ時機を見てな。ここで守れる間は守ってやれ」


 その含んだ言い方が気に入らなくて、なかば挑むように噛みついた。


「何から守るというのですか。フォーサイスが引き取ろうとしたところで、おじい様が後ろ盾になって拒めば、侯爵家とはいえ無理強いはできないでしょう」

「グレイスが心配しているのはフォーサイスだが、問題は侯爵家ではない。エルトミナだ。あの国はアメリアにずっと執着していたからな」


 突然、北の隣国の名前が出て驚く。

 祖父は、まだ疑問を浮かべる俺に向かって話を続けた。


「見つかって連れ去られたら、権力争いの駒にされて二度と戻れないだろう。我が国でアメリアに縁のある王都の年寄り連中は、力のある者ばかりだ。王都のほうが守りやすいだろうが、あそこは北に近い。今は少しでも距離があったほうがいい」

「……グレイスは、アメリアではありません」

「似ているだけで意味があると信じる者がいるのだ」


 後は自分で調べろと、グラスを揺らす祖父はそれ以上話す気はないようだった。


 ――顔を隠すベール、滅多に出歩かないグレイス。常に彼女の所在を気にかけている母親と女将。

 もたらされた情報で全ての疑問が解けたわけではないが、「小さいグレイス」の身辺が決して安全ではないと思われていることは理解できた。




 サイレイス家の諜報には定評がある。実際、自分も学生の身分ながら、王宮依頼の任務をこなしている。

 明日領地を発ち学園に戻れば、極秘の潜入捜査が待っていた――行き先は、エルトミナ国。


 少し冷たくなった白い指先に唇を寄せる。


 たとえ娼館の生まれだろうと、誰にも文句を言わせるつもりはなかった。それが侯爵家の庶子に変わったところで同じこと。

 彼女が生きやすいように、打てる手は全て打って迎えに行くと決めている。この先ずっと自分の隣で本を読み、リュートを奏で、笑って居させるために。


 ……いいだろう。相手が貴族だろうと、エルトミナだろうと。

 グレイス、君を煩わせるものは全て取り除いてみせる。



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アマゾナイトノベルズ/イラスト:セカイメグル先生

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