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16-1

ラルフォード視点(1/2)

 領地内にある娼館『華の館』に初めて足を踏み入れたのは、お披露目を終え学園への入学を翌年に控えた十三歳の時だった。

 当然、女を買いに行ったのではなく、仕事の一環ではあったが、名前の通り華やかな雰囲気にのまれた。


 夕闇迫る刻限。領内で二番目に高い三階建ての瀟洒な屋敷が、煌々と魔法灯で照らされるさまは一種異界のよう。


 辺境軍を指揮するサザーランド隊長に伴われ、屋敷内に一歩踏み入れる。

 活けられた豪奢な花の甘い香りが漂う広い玄関ホールには、艶やかなドレスを纏った何人もの女性がいた。

 長椅子にしどけなく腰掛け煙草をくゆらせる者、目配せをしながら愉し気に立ち話をする者……。


 辺りに響く柔らかいリュートの音の出所を探して首を巡らすと、ちょうど自分の頭の真上に、白い足の裏が揺れていた。

 ホールはぐるりと螺旋状の階段で囲まれており、その柵の間から裸足の片足を投げ出している人物こそが、そのリュートの奏者だった。

 乳白色の子どもらしいドレスを着て、黒い薄紗のベールで顔を隠した少女。

 思わず凝視した自分に気づいたようだが、演奏が止むことはない。甘やかに奏でられる音に心惹かれつつも、なんとなく面白くない……と、隊長に声をかけられた。


「ああ、今日は()()()がいるな。初めて来て会えるとは、坊ちゃんは運がいい」

「坊ちゃんはよせ。ちい姫とは、上のアレか?」

「そうそう。華の館の看板、グレイスの愛娘の『小さいグレイス』ですよ。リュート、上手いもんでしょう?」

「なぜそこで隊長が自慢するそこで。まあ、リュートは、そうだな」


 そんな話をしているうちに女将が来て、いつも使うという特別室に通された。

 やたら大きな寝台のある豪華な応接室といったその部屋は、入室に魔法による制限がかけられ、さらに防音結界まで張られているという、密談にもってこいの場所だ。


 飲み物を乗せた銀盆を持って入ってきた女性は三人。

 うち二人は、十代後半の清楚な令嬢といったところ。もう一人の、金茶色の髪に若草色の瞳をした二十代半ばくらいの一際目を惹く女性が、件のグレイスだった。


「隊長さま、昨日ぶりでございます。まあ、今日は若様もおいででしたの」

「さっきホールで、ちい姫に聞き惚れてたよ」

「あら。ふふ、初めまして『大きい方のグレイス』ですわ、以後お見知り置きを……娘は差し上げませんから」

「は? どうしてそうなる……ラルフォード・サイレイスだ。で、その二人がそうか?」


 俺の問いに、二人の女性の肩に手を置いたグレイスは余裕の表情で答えた。


「ええ、男爵令嬢までは確実にこなせます」


 ヴァッシュランド国の南端に位置する城塞都市ダッカ領。父であるサイレイス辺境伯が治めるこの地は、過去何度も侵攻を仕掛けてきた隣国から国境を守るために軍が置かれている。

 武力自体はたいした脅威ではないが、頻回にもたらされる小規模な侵攻に嫌気がさした祖父が力を入れたのが、諜報だ。

 そしてこの領内で唯一の公認娼館「華の館」は、その活動を裏で秘密裡に支える、重要な役目を担っていた。


「十分だ。今すぐ行けるか?」

「ええ、いつでも」

「大丈夫ですわ」


 隊長の問いかけに、二人は笑みで答える。

 表向きは娼婦としてここにいるが、その実、諜報員としての訓練を積んでいる。彼女達の指導役が娼館の女将と、このグレイスだ。


 それまでも男性諜報員を育てることはしていたが、十年ほど前に女将がどこからかグレイスを拾ってきて女性の諜報員を育てるようになってから、格段に成果が上がるようになった。

 グレイスは、没落貴族の放逐された娘という触れ込みだったが、家庭教師に恵まれたとかで水準以上の令嬢教育を身につけていた。

 それを若い女性諜報員に教え込むと潜入できる場所が増え、場合によっては直接、標的である貴族の懐へも入り込むことが可能になったのだ。


 先に情報を手に入れ、火の粉を被る前に消し去る。それにより現在は国境に目立った侵攻もなく、穏やかな状況が続いている。

 だからと言って軍の質を下げることはしないが、無駄な疲弊がないのは望ましい。

 これに注目した王宮が、もう一方の北の国境でも同じことを試している段階だ。


 その場を俺に任せ、隊長と諜報員となる二人は、詳細打ち合わせのために隣の続き部屋に移動した。

 残された自分と女将、グレイスで、任務の確認や次回の必要な人物像などについて話し合う。

 報酬についての話が終わると、なぜかグレイスの娘の話題になっていた。


「ええ、今年で九歳です。若様より四つ下になりますか」

「なぜ顔を隠しているんだ。見られては困るのか」

「見られない方がいいでしょうね、特に王都の方には」

「ふうん?」

「あの子は私の大切な宝物ですので。隠しておきたいのです……持って行かれないように」


 顔に傷でもあるのかと思えば、違う理由のようだった。

 一瞬だけ憂いを見せた顔を誤魔化すように、おどけた声でグレイスは俺に向かって宣言する。


「ですから、若様にだってあげませんからね」

「今日初めて会ったのに、あげるも貰うもないだろう。第一、顔も見ていない」

「ふふ、そういうことにしておきましょうか」


 グレイスが少し寂しそうに呟いた、『持って行かれないように』

 その言葉の本当の意味が分かったのは、それから随分が経ってからだった。




 暫く続いた雨がようやく上がり、気持ちよく晴れ渡った日の午後。

 俺は、会議の時間になっても現れなかったヴィンセント・フレイザーを探して領内を歩いていた。


 王都の騎士団から派遣されてきて、副隊長という立場に就ているにもかかわらず、彼はよくこうして気ままに行動する。

 それでも大して問題視されないのは、彼のその人柄のおかげだろう。


 先ほど行き合った食堂の主人が言うには、丘の方にいるらしい。

 普段はあまり行くことの無い、領内を見渡せるその小高い丘に向かえば、やはりそこに彼はいた。

 予想外だったのは、小さい子どもたちもいたことだ。

 娼館の子どもた達数人にぶら下がられたり、背に登られたりして団子のようになっている。


「ああ、坊ちゃんでしたか。どうです一緒に」

「遠慮しておく。だから、坊ちゃんはよせと」


 はしゃぐ子どもたちの後ろのベンチでは、つばの広い帽子を深く被った少女が、小さい女の子に花冠の作り方を教えていた。

 不躾に眺める視線に気づいたようで、小さい子に何か言って少女は一人でゆっくりとこちらに歩いて来ると、帽子を脱いで綺麗なお辞儀をする。

 ゆるく纏め上げた黒髪に青灰色の瞳、白い肌、穏やかな空気……素直に、綺麗な子だと思った。


「こんにちは、若さま。ヴィンセントさまをお引きとめしてしまってごめんなさい。久しぶりに晴れたから、みんな外に出られたのが嬉しくって」

「帽子、取って良かったのか?」

「え、どうして?」


 そう言うと形の良い口元を不思議そうに緩めたが、空を仰いでまた帽子を被りなおした。

 自分で言ったのに、せっかくの髪も目も隠れてしまったことにひどくがっかりした……なんだ、この感覚は。

 ヴィンス兄さまもう一回、と男の子たちにねだられてヴィンセントたちが向こうに走って行くと、二人だけが残された。


「……君は『小さい方のグレイス』だな」

「はい。前にお会いしました」

「ああ、先月行った」

「それより前です。ずっと前」


 ――ずっと前?

 驚いて記憶を探るが思い浮かばない。彼女を見ても、子ども達の方に向けた横顔は軽く綻んで微笑む口元しか見えず、表情は分からない。


「お忘れなら、それでいいんです」

「領内はよく歩くが……」

「はい。私が、あまり華の館から出ないから」

「これからも出ないのか?」

「そのほうが、母や女将さんが安心するので」

「……俺が呼んだら、来るか」


 考える前に口から出た言葉に自分でも驚いたが、グレイスはもっと驚いたようだった。

 ぽかんと開いた口をゆっくりと笑みの形に変えてこちらに向き直ると、帽子の下から静かにきらめく瞳が見えた。


「はい。来ます」



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悪堕ち姫書影
アマゾナイトノベルズ/イラスト:セカイメグル先生

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