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ヴァッシュランド国の中でも北寄りに位置する王都は、夏の盛りの今も過ごしやすい気候です。
日差しはそれなりに強いのですが、南に位置するダッカ領とは違って吹く風が涼やかなのです。
たくさんの方々がいらしたお披露目から一ヶ月が過ぎ、侯爵邸はすっかり元の落ち着きを取り戻しました。
私は、侯爵家の中庭の東屋にいました。
芝生では大きなブリムがついた帽子を被ったエリザベス様が、レナード殿下と楽しそうに遊んでいます。
今日は、足元に置いた大きなタライに作ったシャボン玉の液に魔力を通し、色々な形を作って見せ合い、大きさを競い合い、と楽しんでいるのです。
先ほどまで私も一緒にいたのですが、少し陽に当たりすぎたのでアニーとメグに任せて日陰に戻ってきました。殿下の護衛は反対側から少し離れて見守っています。
冷たく冷やした果実水で一息ついていますと、東屋を訪れる人がありました。
私の斜め前に座ったのは、黒髪に涼しげな青い瞳の壮年の男性……侯爵様です。
「いつもあのようにしているのか」
「はい、この頃は魔力を使って遊ぶことが多いです。エリザベス様も殿下も、魔力を多くお持ちですから。でも、ただ走っているだけの時もありますよ。追いかけっこだったり、かくれんぼだったり」
「そうか」
「雨の日など、邸内では読書が多いです。エリザベス様はお絵描きを好まれますが、殿下は本がお好きで、王宮から色々な本を持ってきてくださるのです」
「……そうか」
お披露目のダンス以来、少しずつですが侯爵様ともお話をするようになりました。
それで分かりましたけど、侯爵様って本当に言葉が少ないのです!
二言以上の返事が返ってくることは、ほとんどありません。
スティーブンスさんやコナーさんとお仕事の話をしている時は流暢に指示を飛ばしているのですが、私やエリザベス様が相手ですと途端に寡黙になられます。
でもそれはきっと、嫌いとかそういうことではなく……。
今日は珍しく日中に屋敷にいらっしゃった侯爵様を、お仕事が一段落したら庭にいらしてください、とお誘いしておりました。
レナード殿下もいらしてたので、お断りされることはないだろうと思ってはいたのですが、本当に来てくださったことに少し驚いたのは内緒です。
雲一つない抜けるような青空の下で遊ぶお二人を眺めながら、珍しいことに侯爵様がぽつりぽつりと話し出されました。
「エリザベスには、悪いことをした。……本当は魔術院に預けたほうが、あの子の為だと分かっていた。でも、できなかった」
手元に置いておきたかったのだ、と独り言のように言われました。
「君の言う通り、私の持つ魔力は精神系に特化している。コントロールをしてはいるが、近しい間柄であればあるほど影響は免れない。特に若い頃は制御も甘くて……友人や仕事仲間の何人かは壊れていったよ。いや、私が壊してしまったのだが」
低く響く苦い声に、膝の上で両手を握りしめました。
「……奥様は、ご存知なのですか」
「私の魔力は機密扱いだ。結婚する前は知る由もなかっただろうし、今もはっきりとは告げていない」
私のように、気付かれる分には仕方がないが、こちらから言うことは決してない、と侯爵様は仰います。……そうですね、家族にこそ知らせてはいけない類の機密ということなのでしょう。
「とはいえ、あの子を見て、思うところはあるだろうな」
侯爵様の視線の先は、こちらに背中を向けて遊ぶエリザベス様。
両手を広げ、シャボン玉を大きな蝶々の形に変えて頭上高く飛ばしています――ふわりふわりと風に浮かぶ虹色の蝶は夢のよう。
レナード殿下は手のひらサイズの花の形をいくつも作り、蝶のそばへと送ります。
「エリザベスが生まれてすぐ、私の力が継がれてしまったことに気が付いた。それ以来、余計どう接したらいいのか分からなくなった。自分はこの子もいつか壊してしまうのではないかと、そればかり思っていたよ。仕事を言い訳に家へ帰りもせず……ああ、要は逃げていたんだ」
そこで一度言葉を切った侯爵様は、私を見ました。
……いいえ、私を通して別の誰かを見ていました。
「それでも手放せなかった。私は、一度手を離して永遠に失ってしまったことがあったから」
お披露目の後、それまで口止めされていたコナーさんが教えてくれました。
母と別れて王都に帰った侯爵様は、再度母を訪ねたといいます。
けれど出会いの地に既に母はおらず、家長には母の名を彫った新しい墓を見せられたそう。
尋ね聞いた人たちの話も、母の死を裏付けるものばかりで……。
「……母は。小さかった私が父のことを聞いた時も、いつも笑っていました。もとより婚姻を望んだ恋ではなかったと言って、ただ愛しただけで満足なのだと。父なる人を責めたことも嘆いたことも、一度もありませんでした」
「言い訳にもならないが、君がお腹にいたことも知らなかった。死んだという言葉だけを信じ込んで、その後は探しもしなかった。むしろ避けたと言っていい……私のやっていることは、間違ってばかりだな」
苦し気な告白は、侯爵様が本当に母を愛して、失ったことを後悔しているからこそ。
お父様はいないの、と尋ねる私の頬を両手で挟み、微笑んだ母の顔が浮かびます。
――グレイスは、寂しい?
――さみしくないわ、お母様がいるもの。みんなもいるし。
「私は、母にとても愛されて育ちましたから、寂しいと思ったことはありませんでした。ダッカの皆にも可愛がってもらえて……だから私に関しては、侯爵様が気に病むことはなに一つありません」
ぱちんとシャボン玉の蝶がはじけて、残念そうに笑う二人の声が聞こえます。
消えちゃった、次は何を作ろうか。
そんなことを言う二人がこちらを振り返ったので、私も小さく手を振りました。
お二人は顔を見合わせて何やらこそこそ話すと、次々シャボン玉を作り始め、両手を持ち上げてどんどん頭上に溜めていきます。
楽し気な背中は、かけがえのない今の現実です。
「もし、侯爵様が母と私を見つけていらしたら、エリザベス様はこうしてここにはおられませんでしたでしょう。だから、これでよかったのです」
「……そう思うか」
「はい。よかったと思います」
低い雲のようになった、たくさんのシャボン玉。
おねえさま、おとうさま、と呼ばれ、東屋の外に出ると、二人は揃って持ち上げた手をこちらにふわりと振りました。
シャボン玉の雲が震え、七色に揺らめく泡玉が一斉に雨のように、花吹雪のように落ちてきます。
あっという間に私達は無数のシャボン玉に包まれました。
……不意に、遠くに新緑の葉の残像が見えました。
懐かしいような気さえして、胸がきゅうっと音を立てます。
シャボン玉の間を抜けて、エリザベス様が嬉しそうにこちらへ走り寄ってきます。
「きれいね、おねえさま」
「本当に……夢の中にいるみたい」
「おとうさまも、どうでしたか?」
まだ少し、エリザベス様は侯爵様の前では緊張が残ります。
でも、頬に朱を走らせて縋るように見上げる顔は、親の愛情を求める子どもそのもの。
ぱちりぱちりと割れてゆくシャボン玉を名残惜しそうに目で追いながら、侯爵様はゆっくりとエリザベス様に合わせて腰を落としました。
「エリザベス……そうだな。よかったよ」
そっと頭を撫でられて、それは幸せそうに目を細めるエリザベス様。
そんな父子お二人の姿を、少しだけ面白くなさそうに眺めるレナード殿下。
残り少なくなったシャボン玉は、さっと吹いた風に乗って高く上がり、やがて青空に吸い込まれていきました。




