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話しかけて下さる方が途切れることはなく、侯爵様と私は別々の人の輪に囲まれています。
微笑んで、頷いて、ダンスはひとまずご辞退申し上げてと、とりあえず失礼のないように応対するので精一杯。
いい加減頬が引きつりそうになった時、私を取り囲んでいた輪が切れて、王弟殿下御夫妻が近づいて来られました。
礼を取る私に、殿下は微笑んで手を差し出されます。
「素敵なダンスでしたね、ぜひ私と一曲」
「私からもお願いしますわ。可愛らしいお嬢さんとお披露目の席で踊るという、このおじいさんの夢を叶えてあげてはくれない?」
王弟殿下ご夫妻はお子様に恵まれませんでした。もとよりお断りなどできない御方のうえ、妃殿下からこうも言われてしまい恐縮です。
「……私でつとまりますならば」
王弟殿下――オーガスト・ヴァッシュランド様の手にそっと重ねれば、ごく自然に広間の中央へ導かれました。
またぽかりと空間があいた中を緊張して踊り始めると、殿下はため息とともに話し始められます。
「いやあ、実によく似ているね。ああ、もう言われすぎてるだろう。気を悪くしないでくれると助かるが」
「アメリア様ですね」
王弟殿下方とアメリア様は同年代です。きっと交流もあったことでしょう。
ですから、話題に上がること自体は、特に不思議にも思いませんでした。が。
「彼女が生き返って若返ったみたいだ。披露目の祝辞としては無粋だが……くれぐれも気をつけてくれ」
「え?」
髭に白いものが混じり始めた口元は弧を描いたまま。
あくまで笑顔の表情とは裏腹に、潜めた声は真剣そのもの。周りに気取られないように、という配慮でしょう。
でも、一体何のことを……。
「君はグレイスで、アメリアその人ではないと分かってる。だが、そう見ない者もいる。彼女は、何というか……特別な人だった」
「特別、でございますか?」
「そうだね、そう言うのが一番ぴったりくる。影響力のある人で、彼女を神聖視するような者もいた。そういう者達が、今の君をアメリアの身代わりとして利用しようと考える可能性を捨てきれない」
「そんな、私はただの、」
似ているとは言われます。でも私はアメリア・フォーサイスではありません。
今はこうして綺麗なドレスを着て、美しい広間で高貴な方と踊っているけれど「ただのグレイス」でしかないのに。
王弟殿下は、すまなそうに言葉を続けました。
「君の身の安全のために王宮で保護することも考えたのだけれど、目立つことをするのもかえってよくないしね。それに君自身や、君の妹もそれは望まないだろう」
「殿下……」
「ヴィンセントの言うことをよく聞いて、身の回りには十分気をつけなさい。そして、決して一人で行動しないこと」
戸惑いながらも頷くと、どんな小さなことでも、気になることがあったら必ず相談するように、と釘を刺されました。
「もちろんサイレイスの父子も安心して頼るといい。なに、心配はいらないよ。暫くは大丈夫。そうなるように彼が鎮めたから……ラルフォードがね」
――ラルフが。
声を落とされた殿下が告げる名前に、胸が締め付けられました。
「ああ、そんな泣きそうに笑わなくてもいい。怖がらせてしまったが、知っておかないといけないよ。守れるものも守れなくなるから……エルトミナ国に注意を。さあ、後は今の話を忘れて楽しみなさい」
殿下が一段と声を低めて最後に告げると、ちょうど曲が終わりました。
『エルトミナ』――それはこの国の北側に在る鉱山の国。
行ったこともなければ、エルトミナ出身の知り合いもいません。
……どういうことなのでしょうか。
わざとゆっくり礼をして、顔を上げるまでにどうにか表情を取り繕います。
広間の真ん中から下がると、殿下はヴィンセント様に私を預けて控室へと向かわれました。
「グレイス、あっち見てみな」
ほら、と示された方向に顔を向けると、懐かしい顔がありました――ダッカ領のサザーランド隊長です。
「隊長様!」
「やあ、グレイス! ちょっと見ない間に綺麗になったなぁ。よし早速、踊ろうか」
「何言っているんですかね、隊長。次は俺で決まっているんですよ」
「まあ、ヴィンセント様」
軽口を交わして笑い合うと、ざわついた心も落ち着きました。
「ヴィンス、久し振りに『ちい姫』の手を取らせてくれよ。ブレアからも、自分の代わりに抱きしめてくるようにって言われてるんだから」
「女将さんが……」
肩を竦めたヴィンセント様に見送られ、サザーランド隊長様に手を預けダンスフロアへ戻ります。
そうしてしばらくの間、踊り続けたのでした。
時間が経つにつれ、人の流れはご馳走が並ぶテーブルが用意された庭へと自然に移っていきました。
私もアニーに飲み物を取ってもらい、人気のないバルコニーへと逃れます。
「お疲れになりましたでしょう、グレイス様」
「そうね、さすがに喉が渇いたわ。アニーも大変でしょう?」
「私は大丈夫です」
王妃殿下方が直々に祝ってくださったので、娼館育ちの庶子の私をあからさまに揶揄する方はいませんでした。
それでも不躾な視線は多く、多少見られることに慣れてはいても、正直なところ立っているだけでも疲労は溜まります。
「あの……差し支えなければでよろしいのですが、サザーランド隊長様方が、グレイス様を『ちい姫』と呼ばれるのは、なにか理由が?」
「ああ、そのこと」
隊長だけでなく、ダッカ領にいた頃の私を知っている人からそう呼ばれました。
王都では呼ぶ人がいなかったので、アニーが知らないのも当然です。
「ごめんなさい、隠してたわけじゃないの。あのね、私の亡くなった母の名前も『グレイス』なの。だから呼ぶときは『小さい方のグレイスちゃん』を縮めて、ちいちゃんって最初は呼ばれていて」
たった二年前なのに、とても遠い昔のよう……懐かしいです。
見上げた空は、ダッカより薄い夏の青。祝いの日のはずなのに、少し切なくなりました。
「そこからきていると思うのだけど。でも、どうして『姫』になったのかは分からないわ」
「まあ、そうだったのですか」
「姫って呼び出したのは兵士たちだよ。『華の館でリュートを奏でる、小さい姫君』ってね」
突然降ってきた低い男性の声に、思わず振り返ります。
バルコニーに張り出す樹の枝陰から現れたのは、端正な黒の正装に身を包んだ長身の男性でした。
「ただいま、グレイス」
覚えのある声に、心臓が早鐘を打ちます。
少しだけ長いアッシュブラウンの髪の毛を風に流して、隙のない眼差しをふと緩めると、その人は穏やかに微笑みました。
纏うのは、冬の身を切る風のような魔力。周りのすべてが色を失くす、圧倒的な存在感――こんなひと、ひとりしか知りません。
「ラルフ……」
最後に会った時よりまた高くなった背、少し大人びた表情……少しも変わらない、私をまっすぐに見つめるオリーブグリーンの瞳。
どんなに長い間会わなくとも、忘れられるはずのないその双眸から目を離せません。
音もなく近づくと、そっと、力強く手を取られ、流れるように指先に口付けられました。
「遅くなって悪かった」
「……っ、」
「アニーだね。君の主人を少し借りるよ。フォーサイス侯爵には了解を取ってあるから、心配はいらない」
「え、あ、はっはいっ」
す、と私の手からグラスを取り上げると、狼狽えて真っ赤な顔のアニーに渡し、そのままバルコニーの扉前に下がらせます。
それをぼんやり見ていた私は、気付けば彼が先程現れた樹の陰にいました……しっかりとその両腕に抱きしめられた状態で。
「グレイス」
「……はい」
「会いたかった」
「……はい。私も」
もっと、伝えたいことがあったはずなのに。
抱き寄せられた胸は満たされているはずなのに、オリーブグリーンの瞳が見えないのが苦しくて。
ぎゅっと押し付けられた布越しに、耳に響く鼓動は彼のものか私のか――確かめたい、これは夢でないと。
「なんだ、泣かないで待つ約束だろう?」
「は、い」
「ちゃんと顔を見せて」
私の背中に回していた手が片方だけ顎の下に回り、顔が上がりました。
堪えていた涙を指先で拭われたらもう、溢れる雫を止めることはできません――宥めるように頬に添えられた手が、温かくて、切なくて。
「とりあえず、向こうでの任務は完了した。これからは国内だから」
「……はい」
「グレイス、さっきから『はい』しか聞いてないよ。……声が聞きたい。何か話して」
「……っはい」
本当に。気の利いた一言も言えない自分が情けないです。
話そうと思えば思うほど、言葉も気持ちも溢れて音になりません。
ああ、もう、本当に。
「……お、かえりなさい……」
見たかったその笑顔。
「ただいま、グレイス」
できるなら、ずっとそばで。




