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日も明けきらぬ浴室の、湯船に浮かぶはちょうど盛りの梔子の花。控えめに魔法灯がともった浴室は花の甘い香りで満ちています。
おはようございます、グレイスです。
いよいよお披露目の当日を迎え、朝も早くからお風呂で磨かれております。
お昼前より集まり始めるお客様をお迎えするために、寝ぼけ眼で準備開始でございます。
身支度も何もかも、アニーを始め信頼できる侯爵家使用人の皆さんに丸投げですので、彼女たちにお任せしていれば私自身はいいのです。
ですが、予想通りと言えましょうか、招待客の数がものすごいことになってしまったので、邸中が準備に次ぐ準備で落ち着かない毎日でした。
お披露目に出席したい、との申し入れを断ることは社交上許されません。
スティーブンスさんの『王都中の貴族が来る』なんて言葉は本気にしていませんでしたが、どうも本当にそれに近くなったようで、苦肉の策として、同行者の人数に制限をつけたとのこと。
コナーさんからにこやかに渡された名簿を見て、明日からのお礼状書きを思い、頭が痛くなりました。
いつも以上に磨かれた邸内、届いたお祝いの品が積まれた専用の部屋。そこここに飾られた花々。初夏のきらめく緑で溢れるジョンの庭に並べられたテーブルセット……侍女も侍従もメイドさんたちも、これ以上ないくらい張り切ってくださって、侯爵邸はお祝いムード一色です。
そしてキッチンは戦場です。今日は決して近づいてはいけません。
「ねえ、皆。少しは休んでるの? なんだか最近はいつ見ても、ずっと働いてくれている気がするのだけど」
「ご安心ください。疲労と睡眠不足で失態をおかすような無様な真似は致しません。しっかり交替で休んでおりますよ」
「それに、いつ出会いがあるか分からないのに、休むなんてもったいなくて!」
「せっかく侯爵家で働いているのに、エリザベス様のお披露目まであと十年はこんな機会が来ることはないと諦めていましたので、もう、嬉しくてっ」
「あなた達、少しは濁しなさい。お嬢様、失礼致しました」
奥様もお茶会や夜会を催しますが、このように規模の大きいものは侯爵様ご夫妻のご婚礼以来だそうです。
普段も来客が多いわけではないので、あまり出会いのない使用人の皆さんは、逆に歓迎しているとのこと。それなら、少しは気が軽くなります。
「……皆も楽しんでくれているなら、いいのかしら」
「「もちろんです!!」」
楽しげに髪や体を磨いてくれる皆さんに身を任せながら、タオルを持つアニーに声をかけます。
「アニーも自分の支度をしてね」
「ええ、朝食の準備が終わったら、私は下がらせていただきます。しっかり付き添い役を勤めさせていただきますね」
本人の希望もあって、今日のお披露目にはアニーは侍女ではなく、本来の男爵令嬢として私の付き添いをしてくれることになっています。
正式に侯爵家に引き取られたとはいえ、私はもともと辺境の娼館育ち。生粋の王都貴族の皆様から、どういうふうに見られているかは言われずとも分かります。
そんな私のお披露目ですから……安心できる人に近くにいてもらえるのは本当に心強いです。
そうこうするうちに朝食も済み、髪も結い上がり、ドレスの着付けも終わりました。あとは、仕上げのアクセサリーだけ。
お披露目のドレスは白と決まっています。私に用意されたのは、デコルテが見えるくらいのネックラインのエンパイアドレス。
季節に合わせて袖は肘までの長さ。胸の下で切り替えて、足元までふんわり広がるスカート部分は、シルクサテンにたっぷりのチュールレースのオーバースカート重ねです。
あまり豪華な飾りは遠慮させていただきました。というのも、お披露目の一つとしてリュートを弾くので、演奏しやすい衣装にする必要もあったのです。
デザインがシンプルなだけに、布の素晴らしさやお針子さん方の腕の良さが引き立つ、とても美しいドレスになりました。
これを着るのが王宮の姫君ならともかく、自分にはもったいないくらいなのですが……やはり、綺麗な服を着られるのは素直に嬉しいものです。
せめてこのお披露目を無事にこなして、引き取ってくださった侯爵家に少しは恩返しができたら、と思うばかり。
身支度もほぼ終わり、落ち着かない気持ちで呼び出しの声が掛かるのを待っていると、部屋を訪れる人がありました。
「おねえさま、すっごくきれい! お姫さまみたい!」
「いやあ、こりゃ綺麗なもんだ」
「エリザベス様にヴィンセント様! 来てくださってありがとうございます」
「今日はおめでとう、グレイスちゃん。レナード殿下からこちらを」
ヴィンセント様がさっと差し出したのは、かすみ草の小ぶりなブーケです。
「『本日のお披露目おめでとうございます』と伝えてほしい、と仰せで」
「ありがとうございます……あ、あの、これっ」
受け取ってよく見ると、何本か、かすみ草に模した真珠の花が咲いているではありませんか!
細い銀の枝先に咲く、可愛らしいベビーパールの花……悪戯が成功した時のように、ヴィンセント様はにやにやされています。
「殿下が考えたんだよ。なかなか粋だよなあ」
「とてもきれいですけれど……殿下、まだ八歳でしたよね。末恐ろしいお方……」
「本人が直接渡したがったけれど、さすがに今日のこの状態じゃ、お忍びで来るのは無理だからな。俺が代わりに頼まれた」
「かなり人が多いですからね。御礼を申し上げていたと、どうぞお伝えください」
にこにこしたヴィンセント様が一歩さがり、次にエリザベス様が私の前に来られました。
「グレイスおねえさま。あの、あのね、このお花。髪につけていただける……?」
おずおずと言って、エリザベス様は背に隠していた髪飾りを前に出しました。エリザベス様は、今日の私の髪飾りを用意する、とずっと前から張り切っていらっしゃったのです。
髪型を決める為にアニー達だけは事前に見ていたのですが、私には今まで内緒にされていたのでした。
初めて目にする、その髪飾りに使われている花は姫百合。
でも、その色は庭に咲くオレンジや黄色ではなく。
「虹色……?」
「たくさん練習したの。まじゅついんの先生に教えてもらって、ジョンやレンにも手伝ってもらって。魔法で、がんばったの」
「エリザベス様……」
胸を張って言うエリザベス様に、思わず泣きそうになりました。
花の色を変える魔法は、繊細なコントロールが必要になります。しかも、虹色なんて。
お披露目が決まった頃から、私から離れて一人で庭に出ることが増えたとは思っていましたが、この髪飾りを作るのに、どれだけ練習したのか……胸が一杯で苦しくなります。
受け取ったその場で、淡く輝く虹色の姫百合は、ゆるく編み込んで纏めた黒髪の左下に上品に飾られました。
涙を堪えて、エリザベス様をぎゅうっと抱きしめます。
「とてもとても素敵な姫百合。世界一綺麗です」
「本当? グレイスおねえさま、よろこんでくれた?」
「ええ、もちろん。ありがとうございます、エリザベス様……ただ、ひとつだけ残念なことが」
心配そうに眉が寄せられました。
「え? な、なあに」
「……こうして髪に飾ってしまうと、私が見られないのです。それが残念で仕方ありません」
綺麗だからずっと眺めていたいのに、と言えば、ぱあっと笑顔になりました。
「だいじょうぶなのよ! えっとね、時間を遅くするっていうの? そういう魔法もかけたから、明日もあさっても、咲いてるの。あとでたくさん見て!」
「エリザベス嬢、よく頑張りましたね」
「あっ先生! こんにちは!」
その時、お部屋にもう一人のお客様が見えられました。魔術院の監察官長をなさっているアンガス様です。
エリザベス様もよく懐いていらっしゃる御方で、ご訪問に嬉しそうに挨拶なさいました。
「本当にずいぶん成長されました。私としても喜ばしい限りです」
「おや、アンガス様。まだ少し早くはないですかね」
「ヴィンセント君、久方振り。なに、お披露目が始まる前にエリザベス嬢の定期訪問をと思ってな。では、グレイス嬢また後ほど……とてもお綺麗ですよ」
部屋の入口で待つ監察官の方からも挨拶を受けると、アンガス様はエリザベス様を伴って部屋を辞していかれました。
入れ替わりに、薄水色のドレスに着替えたアニーが支度を終えて戻ってきました。
いつもはきっちり一つに纏める金髪も、今日は華やかに編み込まれています。
貴族らしいプリンセスラインのドレスですが、私に合わせてくれてパニエのボリュームは控えめ。すっきりとしたドレスがアニーによく似合っています。
「アニー、とても綺麗ね。……どうしましょう。こんなに素敵なアニーを見たら、きっとどこかの殿方に見初められて、今日のうちに連れて行かれてしまうわ」
「グレイス様、お戯れもほどほどに。さ、お支度の仕上げをしましょうか。皆も持ち場に戻って。だんだんお客様がお見えになる頃合いです」
はあい、と明るい返事で散っていく皆を見送ると急に部屋が広く感じました。
静かになった部屋でアニーは紅筆を手に取ると、そっと私の顔を上げさせ、薄桜色の口紅を直してくれます。
塗り終わると、私の目を覗き込み優しく微笑みました。
「大丈夫ですよ。いつもの通りのグレイス様でいらしてください」
……気付かれないようにしていた緊張も、アニーにはお見通しのようですね。つい、苦笑してしまいましたが、おかげでふっと肩が軽くなりました。
「アニーはやっぱり、私に甘いわ」
「それが私の仕事ですから」
ふふ、と笑い合うと、私を呼びに来る声が聞こえてきたのでした。




