名(上)
この「名」では人形が登場します。人形恐怖症の方はご注意ください。
「白色金」シリーズ
-「名」(上)-
ここ数日晴れていたのに、今日はどんよりとした雲が空にたちこめ、
何とも言えない憂鬱な雰囲気をかもし出している。
そのせいか、
自分の体も心なしか重くなったような感じがするようだ。
いつも身に付けている金の装飾がなされた時計が、
くすんだ光を受けて輝いている。
冷たい風が吹き荒ぶ季節から、出会いと別れの季節に移り行く頃。
私はいつもの喫茶店で、ある出来事の資料を眺めていた。
下ろしていた髪をひっつめてクリップで止め、最初から書類を読み直しはじめる。
3ヶ月前の某日。
隣町を横切る大きな川から、一人の水死体が発見された。
かなり上流から流されてきたらしく、
引き上げられた時にはすでに事切れていた。
死亡推定時刻は午前6時頃。女性が身に付けていた衣類の中から免許証が出てきたことで身元が判明。
26歳女性。独身。身長157センチ。都内在住。
同じ都内に存在する上場企業に勤めていたが、遺体発見より2週間ほど前から無断欠勤をしていたようだ。警察が聞き込みを行ったところ、元々社交的な人物ではなく、無断欠勤が始まる前も休みがちになっていたと言う。交友関係は全くといってよいほど無く、実家の両親も女性が学生時代に既に亡くなっていた。兄弟姉妹もいなかったようだ。
調査の結果、事件性は無いと判断。女性の死は自殺と認定されることとなった。
これだけであれば、私が動くことになることも無かっただろう。
しかし遺体があがった際、女性があるものを抱きしめるようにして硬直していたことから、一部の関係者の間では少々話題になっていた。
女性が抱きしめていたのは、
一体の人形だった。
警察の友人を通じて内密に写真を見せてもらったところ、
どこにでも売っているようなフランス人形である。
写真では人形は、川の流れによって所々破損してしまっていた。その様態は初見では何とも言えない不気味さをかもしだしていたものの、よく見るとその素材からおそらくかなり昔に購入されたものであることと、よほど持ち主に大事にされていたであろうことが推察できるものであった。大きさは高さ50センチほどで、ほっそりした体にピンクのドレスのような衣装を身にまとっている。ドレスは独自の刺繍などが施されており、購入時に人形が身に付けていたものではなく、誰かが特別にあつらえたものらしい。
内情を知る者達の間では、
密かに「人形と心中した女性」と囁かれている。
これだけだと話題になるにはインパクトが薄い。問題になったのは、この「人形との心中」は今回が初めてではなかったためだ。
10年以上前、私がまだ学生であった時代のこと。
ある県の民家にて火災が発生。消防隊が駆けつけたが家屋は全焼。
この時、中から一人の成人女性の焼死体が発見された。
当時の資料によると、火災は家中にガソリンを撒いた上での焼身自殺によるもの。
この女性は両親と同居していたが、両親はこの時隣町の大型スーパーに買出しに出ており、その隙に女性が行動を起こしてしまった。
この女性も交友関係は少なく、家に篭りがちな人物であったという。
そして焼けた家屋の中から遺体に抱かれるように発見されたのが、今回同様、一体の人形であったというのだ。
この部分だけ聞いてしまうと、江戸の怪談「振袖事件」や、捨てても戻ってくる人形の怪談を思い浮かべてしまうだろう。しかしこの時のケースで発見されたのは、女の子が誰でも子供の時に買ってもらう有名シリーズの人形であった。今回の事件とは全く違うものである。
事件後、当時の警察が女性の両親から事情聴取を行った。
この時の記録によれば、女性は小さい頃から人形を妹のように可愛がっており、社会人になってからもそれは変わることなく、自分で衣装を造って着せるなどしていたという。
また、家屋から少し離れた門にある郵便受けの中から、女性が書いたと思われる遺書らしきものが見つかっていた。
そこにはこう書かれていた。
「愛するものと、一緒に行きます。ごめんなさい」
似ている。
二つの資料を見比べて、私は再度類似点を確認した。
稀に、大人になっても子供時代の趣味、愛好対象が変わらない人というのは存在する。
しかし、通常はそれと心中するまでいかないものだ。
二つの事件の間には直接的な繋がりは無い。
しかし何かが。何かが両者を同じような行動に駆り立てたとすると。
そのファクターとは何なのだろう。
取材というのは、いつも気が引ける。
特に、亡くなった方のご遺族にお話を伺うのは気が咎めることだ。
それでも、真実を追究するためには通らなくてはならない門である。
私は元警察官という肩書きも手伝ってか、普通の同業者に比べれば比較的すんなりとお話を伺えることが多い。しかし他人の、それも心に傷を負った方々のプライベートに踏み込んでいく時の、この感覚はいつになっても慣れそうにない。
10数年前の焼身自殺。
つまり、一度目に人形と共に亡くなった女性のご遺族は、
新しい土地に移り住んでいた。
私は警察の友人からの紹介で、無理を言ってお話を聞くためご自宅に伺った。ご遺族の2人は不躾なお願いにも関わらず、当時の娘さんの様子や、人形について淡々と話してくださった。その内容は、警察から得たものと比べて大まかな部分に差異は見られなかったのだが、いくつか、より細かい情報を得ることができた。
特に気になったのは、女性の人形への溺愛が、警察の調書に記載されている内容よりも尋常なものではなかったこと。
それも複数に対してではなく、ご両親が彼女が小学生の時に買い与えた人形一体だけを大切に保管し続けていた。兄弟姉妹のいなかった彼女はその人形に名前を付け、妹代わりに育った。ある時母親が掃除のため無断で人形を動かした際には激怒して詰め寄るなど、その執着心はご両親の目から見ても異常であったと言う。
愛するものと、一緒に行く。
彼女の遺書の中にあった「愛するもの」が、この人形のことであることは想像に難くない。しかし、一体彼女を自殺にまで追い込んだものは、何だというのだろうか。
残念ながら、ご遺族の話からその原因を明確に割り出すことはできなかった。
次に、私は3ヶ月前人形と心中した女性のことについて調べて直してみることにした。
こちらのケースは遺族が既に故人となっているため、別からアプローチするしかない。いくつかのコネを当たって唯一見つかったのは、女性が実家で暮らしていた際交流を持っていた同級生であった。幸いその同級生の女性は都内に上京していたために、話を聞くのはそう難しいことではなかった。
学生時代、自殺した女性の家に遊びに行ったことがあるという彼女は、その時の様子を思い出しながら語った。
部屋に入ると、白と淡いピンクに彩られた壁の前に一体の人形が飾られていたそうだ。おそらく、女性が最後まで離さなかったあの人形だろう。女性は同級生に対して延々と人形と遊んだ内容を話し続け、正直聞いてる側が引いてしまうほど異様な雰囲気であった。
最終的には人形の名前を呼び、さも生きているかのように二人の間に座らせたというのである。ここまで聞いて、私は一つ引っかかることがあった。
ねえ、その、人形の名前覚えてる?
試しに聞いてみると、
女性は記憶の中からかろうじて探り出すようにして、
一つの名前を挙げてきた。
そしてそれは、
奇しくも10数年前の焼身自殺を起こした女性が人形に付けた名前と、同じものであった。
偶然だろうか?
まあ、子供の時に人形に付ける名前など、大抵同じようなものだ。
私は丁重に礼を言い、彼女と別れて帰路についた。
すでに時刻は、夕刻にさしかかろうとしていた。
川沿いの道を歩いていていると、
どことなく寂しい気分になってくる。
この道はいつも、人が少ない。
ましてや黄昏時というのは、その時刻と周囲の雰囲気も相まって、不気味な何かを携えた空気が渦巻いているような錯覚に陥る。
緩やかな風が吹き、川べりに生える草をユラユラと動かしている。
暫く歩を進めていると、反対側から人が歩いてくるのが見えた。
シルエットから、女性であることがわかる。
相手との距離が近づくにつれ、黒く塗りつぶされていた輪郭に朱と白が混じり始め、その姿をぼんやりと浮かび上がらせていった。
どうも中年女性のようだ。
左腕で何かを抱えているように見える。
尚も歩を進めて距離が近くなってくると、その女性が抱えている物がはっきり視認できるようになってくる。
思わず体に冷たいものが走った。
それは比較的大きいサイズの、日本人形だった。
紺色を地にしたものにかすり模様が入った着物が着せてあり、赤い帯が締めてある。濡れたような艶を帯びた髪の毛が、風に揺られてサラサラと動いている。白い塗料で塗られた顔に、黒い瞳。市松人形とは少し違うが、典型的な日本人形であることは確かだった。
今の時代、むきだしの日本人形を持ち歩くことというのは、異質なものに思える。
しかもただでさえ、今私は人形に関する出来事を追っている最中である。
失礼なことと解ってはいても、得体の知れない薄気味の悪さを感じて、ゾワゾワと体に鳥肌が立っていくのを自覚する。
その女性は伏目がちに歩いていたが、すれ違うほどの距離になって、ふと唐突に顔を上げた。ちょうど私も無意識にその女性の顔を見ていた所だったので、自然と目が合ってしまう。
あ・・・。
少し驚いたような顔をして、人形を抱えた中年女性が立ち止まる。
私も気まずさと罪悪感のようなものを感じて、何となく立ち止まってしまった。立ち止まったところで何と声をかけていいのか解らなかったのだが。
どうも。
慌ててそんな当たり障りの無い言葉を発してしまう。
すると意外にも女性は微笑んで、挨拶を返してきた。その表情には、特に違和感は感じられない。女性は私の様子に気付いたのか、自分の抱えている人形を見て少し恥ずかしげな顔になると、言葉を続けた。
変に思われたでしょう?
これ、娘のものなんです。これから処分しにいくところなんですよ。
「処分しに行く」というニュアンスに違和感を感じ、少し立ち話をしてみることにした私は、女性の口から語られた内容を聞いて驚愕した。
同じだ。
私が追っている出来事と、系統が同じなのだ。
人形を溺愛する女の子。妹のように可愛がり、異常な執着を見せる。
何でも日本人形は娘さんの祖母にあたる人物が買ったあげたもので、いつしかその娘さんがあまりに人形を可愛がるようになり、友人とも遊ばずに家に篭りがちになってしまったそうだ。そこで将来を不安に思った両親が相談し、この人形を人形供養の寺を知っている知人に預けることにしたのだという。
可哀そうだと思ったんですけどね。
でも娘にもちゃんと、お別れをさせてきたんです。
この・・・・
・・・ちゃん、と・・・
最後の、少し小さくなった言葉を聞いて。
私は体の中を冷たい水が満たしていくような恐怖を覚えた。
日が落ち、闇に包まれつつある川の中から、
この世のものではない何かが自分の体を引きずり込もうとしているかのような。
ありもしない妄想が頭の中を支配していく。
こんな偶然の一致があって良いのだろうか。
いや、偶然とは思えない。
女性が最後に発した言葉は名前だった。
自殺した2名の女性が人形に付けていたものと、同じ名前だったのだ。
いつの間にかかすれ始めた声をなんとか搾り出し、
中年女性に別れを告げた後。
私達はそれぞれの方向に歩いて行った。
私は一度だけ女性を振り返った。
街頭の明りに照らされた日本人形の頭が、女性の腕からはみ出て見えている。
その目が心なしか自分をじぃっと見つめているような気がして、
私は足を早め、逃げるようにそこから立ち去って行った。
-<「名」(上)終>-
名(下)に続きます。