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初雪とココア

作者: 高橋 光太
掲載日:2026/03/06


 「あっ! 弟くん、雪だよ、初雪!」


 あの人が空を見上げて、歓声をあげた。その拍子に、白い息がふわりと上がる。その先をたどると、確かに、灰色の空からふわふわと、風に揺られながら降ってくる雪が見えた。


「弟くん、弟くん、雪だよ、見てる?」


 僕の周りをくるくると回っていた彼女は正面でピタリと止まり、少し下からの目線で僕の顔をじっと見た。


 近い、近い。


「はい。っつか先パイと同じトコにいるんスから、見えてて当然ですよ」


 一歩後ろに引きながら答えると、彼女は満足したように、ふにゃりと笑った。「かまくらー雪だるまー雪合戦にー」と歌うように指折りながら、またくるりくるりと回りはじめる。僕はそんな、大人げない彼女に対して呆れている風を装いながら、寒さだけではなく赤くなってしまったであろう頬を、諫めるように軽くたたいた。


 僕は、あの人ほど幸せそうに笑う人を見たことがない。占いが一位だったとか、卵の黄身が双子だったとか、今日はいい天気だったから早起きした、なんて、日常の些細な出来事を僕に話しながら、幸せそうに笑う。そして僕は、彼女の笑顔が向けられる度に、あたかもその幸せは僕に向けられているかのような錯覚を覚える。



 勘違いも甚だしい。僕らはあくまでも、「弟くん」と「先パイ」だというのに。


 うつむいた拍子に目にかかった前髪をよけようと、ずっとポケットに突っ込みっぱなしだった左手を出すと、目ざとく見つけた彼女に両手でつかまれた。


「うおおおお……っ、あったけー。弟くんの手ホッカイロー」


 対する彼女の手は、手袋もはめずに雪をつかもうとしていたものだから、すっかりと冷えきってしまっていた。その冷たさは僕の手のひらから体内に侵入してきて、激しく脈打つ心臓の横に固くこびりついているモノを刺激してくる。近くに自販機があったから、左手にあの人をぶら下げたまま、右手で一番安いホット缶を買った。


「はい、先パイどーぞ。俺の手よりもこっちのほうがあったかいっスよ」


 目の前でココアをちらつかせると、正直な彼女の手は簡単に僕の手を離し、缶を両手でやさしく包んだ。彼女はそのまま缶を顔に近づけ、頬や額につけては幸せそうなため息をつく。


 「あったかぬくぬくー。弟くん、ありがとね」

「別に。一番安いヤツですし」


 それを聞いて、彼女はまた幸せそうに笑う。


 「弟くんてさー、金パツだしガタイ良いし、いっつも眉間にしわ寄せてるから見た目ヤンキーだけど、すごく優しいよね」


 先パイと出会うまでは、いたって普通の少年だったんですよ、という言葉はのみこんだ。何も言わずに足元の石を蹴る。てんてんと少し先に転がっていった小石を目で追いながら、彼女は言葉をつづけた。


 「じゅんぺーセンパイだったら、絶対『おもしろいから』って理由で、高くてもおしることかよこすよ」


 一度やられたことがあるのか、一等幸せそうに思い出し笑いをする彼女。僕は、冷えてしまったのに汗ばんでいる、矛盾した左手を強く握りしめて、そのまま何も掴まずにポケットへと突っ込んだ。として、あたかも自分も楽しいことを思い出したかのように、がんばって笑う。


 「兄貴は無害そうな顔して、実はいたずら好きですからね。俺も前、コーヒーとおしるこの缶、中身入れ替えまでしてだまされたことがあります。ま、匂いで気付かなかった俺も俺ですけど」

「あはは、じゅんぺーセンパイらしいわー。本当、見た目は地味なインテリ眼鏡なのに。君たち兄弟は第一印象を裏切るのが好きなのかね。あー、センパイ元気かな」

「いたって元気みたいっス。年末には寮閉まるから、こっち帰ってくるって言ってましたよ」

「マジかー! 帰ってくる日分かったら教えてね。弟くんが、じゅんぺーセンパイの遺言通り『先輩を敬って』毎日部活帰り送ってくれること、報告しなきゃだし」


 遺言て、兄貴まだ死んでませんから。そうツッコミを入れたところで、僕たちは駅に着いた。じゃーねー、と手を振って、別々の電車に乗る。帰宅ラッシュ時間なのに割とすいている車内、僕はわざわざドア脇に立った。ぼんやりと外を眺めれば、まだちらついている雪と、その手前に情けない顔の自分が見える。




 僕も、あの人も、それぞれの先輩を想っていて、それはどちらも一方通行。兄貴は彼女の想いには気づかないくせに、僕の想いには気づいていて、「先輩命令」と称してお膳立てをしてくれたけど、僕とあの人のベクトルが互いを指すことはないだろう。兄貴と似ているとよく言われる見た目を、不良ぽくしてまで変えたのに、あの人は、血縁関係というどうしようもないもので僕に兄貴の影を見ている。彼女がどれだけ幸せそうに笑っても、それは僕の中の兄貴のもの。


「……兄貴、帰ってこなきゃいいのにな」


 むしろ、婚約者でもつれてくれば良い。


 けれど、兄貴という影がなければ、きっと僕の存在はあの人の中から消えてしまう。現に、名前はおろか、苗字ですら呼ばれたことがない。所詮僕は、兄貴の「弟くん」でしかないのだから。


 兄貴の名前を呼んだだけで、いつも以上に幸せそうに笑った彼女。そして、プルタブをひかれないままだったココアを思い出す。きっとあの缶も、冷めてしまえば、笑いかけられることなく流しに捨てられるんだろうな、と思った。



 外はいつの間にか、本降りの雨に変わっていた。



お読みいただきありがとうございました。

「雪」「ココア」「弟」のテーマで書け、みたいなお題だったと思います。

※昔書いた小説を再投稿しています。



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