第1幕 棺の中からこんにちは!
――暗い。
寒い。
そして、やけに騒がしい。
ゆっくり目を開けた。だけど、視界は真っ暗なまま。
ああ、そうだ。私は川で溺れて死んだんだっけ。
あの夜。映画館からの帰り道だった。シェイクスピアの悲劇『ハムレット』を題材にした、有名監督の新作。英文科卒の私は、かなり楽しみにしていた。
公開初日の金曜日。仕事帰りにウキウキで深夜上映へ。
――本当に、頭にくる内容の作品だった。原作破壊にも程がある。キャラクターへの敬意がないと感じた。
「許せない!」
ムシャクシャして居酒屋に立ち寄り、レモンサワーをグイグイあおる。
寒空の下、映画への酷評感想をSNSや動画サイトで漁りながら、ふらつく足で歩きスマホ。そして川沿いの道で足を滑らせ、私は堤防を転げ落ちた――
……だけど、死んだ自覚が一ミリもないのはなぜ?
だんだん、目が暗闇に慣れてきた。私は仰向けに寝転がって、箱みたいな狭い空間に閉じ込められているようだ。
ここは、ひょっとして……棺桶?
外から女性の声がする。
「ハムレットの、お嫁さんになって欲しかったのに……」
……ん? ハムレット? 期待外れの映画を憎みながら川に落ちた私は、死んでも死にきれず、シェイクスピアの作品世界を夢に見ているのだろうか。
『ハムレット』の主人公・ハムレット王子は、叔父クローディアスに自分の父を殺された。王位と母ガートルードを奪ったクローディアスに復讐するため、ハムレットは狂気のふりをしながらチャンスを狙う。
その間に、たくさんの人が巻き添えで死ぬ。
ハムレット王子の妃になり損ねて、命を落とした女性、と言えば……
そう、オフィーリアだ。作中でひどい扱いをされ続け、最期は川に身を沈めた悲劇のヒロイン。
「この花を、お墓へ撒くことになるなんて……!」
絞り出すような、悲痛な叫び。なるほど。花を撒いているのが、ハムレットの母、ガートルード王妃だな……
「待ってくれ、妹をもう一度、この腕に抱かせてくれ! 俺も一緒に埋めてくれ!」
今度は、半狂乱で泣き叫ぶ青年の声が響いてきた。
私に、兄などいない。いなかった……はずだ。
だが『ハムレット』のオフィーリアには……兄がいる。
レアーティーズという、名前からして美味しそうな、シスコンお兄様が。
レアーティーズは、父ポローニアスと妹オフィーリアを失ったショックで闇堕ちし、ハムレットに決闘を挑んで死ぬのだ。
彼の声で、寝ぼけた私の頭がスパーンと冴え始めた。
まさか私……『ハムレット』の世界に転生したの?
よりにもよって、薄幸令嬢のオフィーリアに。
それも、彼女の葬儀の場面で。棺桶の中へ、死に戻り。
「僕だってオフィーリアを愛してた! 何万人の兄がいようと、僕の愛にはかなわない!」
――は?
今の言い草。ハムレット王子じゃないか?
いやいや、ちょっと待て。愛してた、だって?
オフィーリアは、狂気を演じてたお前に散々暴言を吐かれて。父親まで、人違いでお前に殺されて。心を病んで水死したんだぞ。
それを、今さら何だ? 愛してた?
胸の奥が、カーッと熱くなった。指先がビリビリと震え出す。これはもう、棺の外へ出ていくしかない。殴り込みじゃ。調子に乗りやがって、ええ加減にせえよ。オフィーリアへの感情移入と怒りゲージがMAXを突破して、私は棺の蓋を思い切り蹴り上げた。
「ふっざっけんなあァァァ!」
ドカーンッ!
「ひぃッ……!」
墓穴の上に居並ぶ、参列者たちの悲鳴。
蓋をぶち破って吹っ飛ばし、私はむくりと体を起こす。
「……生きてるうちに言えやコラ!」
おびえた表情を見せた、金髪男と目が合う。こいつがハムレットだな。なかなか、顔がいいじゃないか。だが、その美しい容貌も、たちまち恐怖で歪み始めた。
「お、お、オフィーリアの幽霊ーッ⁉」
「誰が幽霊じゃコラァァァァ!」
私は棺から立ち上がる。墓穴はかなり深かったが、アドレナリンパワーで斜面をがむしゃらによじ登り、地上へと這い上がった。
周囲では、参列者が口々に叫び声を上げている。
気絶する者、腰を抜かす者、地に伏して神に祈り始める者まで。
「妹よ、生きていたのか!」
純朴そうな青年が駆け寄ってきた。レアーティーズお兄様だ。しかし、すぐに警戒の表情を浮かべる。
「いや、待て……俺のオフィーリアが、こんなに下品で乱暴なわけがない。まさか、悪魔が見せる幻か⁉」
「お兄様、落ち着いて。私、人間です。ほら、見て」
私はその場で、可愛くターンしてみせた。
「生者か、死者か、それが問題だ。オフィーリア。なぜ、墓場から蘇った……?」
ハムレットが震えながら、聞いてきた。
ひと呼吸置いて、私は彼をビシッと指差す。
「あんたの自己満足なセリフに、ムカついたからでしょうがァ! 何万人の兄が、どうしたって? 私の兄はただ一人、レアーティーズお兄様だけよ!」
「ひっ、ひぃッ!」
ハムレットは三歩後ずさり。地面に尻もちをついた。
「そ、そんな理由で化けて出るな……!」
「祟られる心当たりは、他にも山ほどあるでしょ!」
レアーティーズお兄様が、両目から歓喜の涙を溢れさせながら言う。
「間違いない。その声、その美しい指先。本物のオフィーリアだ……良かった。本当に、生きているんだな?」
「うんうん、生きてますよ。お兄様、ただいま!」
レアーティーズお兄様、優しい人だな。
よーし、こうなったら『ハムレット』の世界で、このお兄様と私だけでも、無事に生き延びてやるとするか!
原作冒涜にブチ切れすぎて一回死んだ私だけど、転生して当事者になってみたら、手のひら返しせざるを得ない。原作通りに事が運ばれたら、たまったもんじゃないわ。
映画もスマホも英文学もない、退屈な世界に飛ばされたんだ。その補償に、平穏で優雅な貴族生活を確保したって……罰は、当たらないよね?
◆◇◆◇
だけど私の復活劇は、レアーティーズお兄様以外の人たちにとって、喜びよりも恐怖の方が大きかったみたい。
私たちはエルシノア城へ戻った。だが、周囲の反応は冷たかった。
クローディアス王は表向き、優しい微笑を浮かべていた。だが、その蛇のような目つきは、全身全霊で「お前は邪魔だ」と言いたげだった。
「オフィーリア。無事で良かったねえ。ゆっくり休むといい……この国から、離れた場所でね」
「は? 追放ですか……?」
「いやいや、ただの旅行だよ? 気分転換とでも思って、暖かい土地でゆっくり過ごすといい」
絶対、追放じゃん。
実際、『ハムレット』の劇中でもオフィーリアは、支離滅裂な病的言動の中にも、クローディアスの罪に薄々気づいて、非難するような素振りを見せていた。
それに加えて、墓の中から這い上がってきた不気味さ。私を厄介払いしたくなるのも、彼の立場からすれば、無理はない。
「陛下。父を亡くしたばかりで、最愛の妹とも生き別れるなど、到底耐えられません!」
レアーティーズお兄様が猛然と抗議する。
「だが、川で溺れる前から、オフィーリアはずっと病んでいただろう? お前には、宰相代行を務めてもらう。妹の面倒は見切れまい。温泉地で療養させよ。これは命令だ。出発は明朝とする」
レアーティーズお兄様も、王命には逆らえなかった。涙を呑んで、私の療養地行きを受け入れる。
一方、ハムレットは……顔を合わせた瞬間に逃げた。
まあ、そりゃそうだ。「愛してた」と言った舌の根も乾かぬうちに「幽霊」呼ばわりした女と顔を合わせるのは、バツが悪いだろう。
――だが、むしろ好都合だ。
私は知っている。この先に訪れる悲劇を。
そして何より――
「お兄様だけは、絶対に守る! いや、もうこうなったら、他の人たちだって、出来るものなら全員助けたいよ!」
悲劇の粉砕を誓う、固い決意が、胸の奥から湧き上がってくる。
その夜、私はレアーティーズお兄様の部屋へ行き、そっと声をかけた。
「お兄様?」
「何だい、オフィーリア」
「イギリスに早舟を出して。ローゼンクランツとギルデンスターンに伝えて欲しいの。『国王陛下の手紙を今すぐ焼き捨てろ』って」
ローゼンクランツとギルデンスターンは、お目付け役としてハムレット王子と一緒にイギリスへ渡航した、『ハムレット』の登場人物だ。
船の中でハムレットは、クローディアスからイギリス国王への手紙を発見。その内容は、ハムレットの処刑を要請するものだった。
ハムレットはその手紙を、ローゼンクランツとギルデンスターンの処刑を要請する偽手紙とすり替えた。その後、船から脱出して祖国に舞い戻り、オフィーリアの葬儀に現れたのだった。
「……な、何だと? 陛下の手紙を焼く?」
レアーティーズお兄様の表情が凍り付く。
「実は封筒の中身を、ハムレット殿下がすり替えちゃってるのよ。あの二人は何も知らないでお供しただけなのに、このままじゃ殺されちゃう。手紙を焼き捨てたら、紛失の罪で牢屋には入れられるかもしれない。でも、命までは取られないでしょ」
「オフィーリア。なぜ、そんなことを知っている? それとも、また病気の妄想なのか……?」
「私はただ、クローディアス国王陛下とハムレット殿下のせいで、罪もない人が雑に殺されてくのが許せないだけ。これ以上、犠牲者を出したくないの。亡くなったお父様もきっと、そう願ってると思う」
お兄様は、驚いたように私を見つめた。
「オフィーリア。なんだか、性格が……」
「変わった? 私もそう思う! 一瞬死んでたからね!」
「ノリが軽いな!?」
お兄様が思わずツッコむ。
軽く笑うその顔を見て、私は気持ちがほっこりする。
「信じて、お兄様。私はもう、川に落ちる前の私じゃない。死んで、蘇ったの。悪魔でも幽霊でもない。これは、奇蹟なのよ。今の私には奇蹟の加護があるの」
「うっ、確かに……死からの復活は、疑うべくもない、聖なる奇蹟……」
「だからお願い。今からじゃ、間に合うか分からないけど……」
「任せてくれ。大事な妹の頼みだ。ローゼンクランツとギルデンスターンを助けるため、全力を尽くそう」
「ありがとう!」
ぎゅっと腕に抱きつくと、お兄様は照れて、目をそらした。
「そんな抱きつかれ方したら、ますます別れが辛くなるじゃないか」
「お兄様、かわいい」
「やめろ、恥ずかしい……!」
ふふ。マジでオフィーリアになりきってしまう。妹に甘いレアーティーズお兄様、大好きだ。
そしてきっと、ローゼンクランツとギルデンスターンが死なずに済めば、ハムレット王子の動きを止めるための、強力な手札になってくれることだろう。
◆◇◆◇
翌朝、私は馬車に乗せられ、国外の追放先……もとい療養地へ向かう。
見送りに来たレアーティーズお兄様が言った。
「オフィーリア。必ず、元気で帰ってきてくれよ。お前に何かあったら、俺は生きていけない」
「大丈夫。悲劇なんて、絶対ぶっ壊すから! 心配しないで」
「よく分からんが、気をつけてな」
馬車が動き出した。
私は窓から手を振る。
「じゃあ、行ってくるねー! 次に会う時は、もっと元気な私になってるから!」
「オフィーリア……」
お兄様は、また泣いていた。
けれど、私は懸命に笑う。
――悲劇なんて、許さない。
――これ以上、誰も死なせない。
――お兄様も、私も、全部守ってみせる。
だけど、この時、私はまだ知らなかった。
ハムレットの世界を旅する先で、「もう一人の王子様」と出会い、運命がさらにぶっ壊れていくことを……!
5話完結の短期集中連載です!
次回、「捨てられヒロイン、道ばたで拾われる」
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