第11話:静かな朝 ── 【Original Schema(原初設計図)】
谷の朝は、驚くほど静かだった。
昨日までの混乱が嘘のように、広い空間の中央に、
ぽつんと3人と1匹だけが集まっている。
冷たい空気が頬を撫で、岩壁に反射した光が淡く揺れていた。
春斗は簡易かまどの前で湯を沸かしながら、
まだ眠そうなしのんの頭を軽く撫でた。
「……おはよう、しのんちゃん」
「ん……はるとおにーちゃん……おはよ……」
美園は少し遅れて起きてきて、まだ疲れの残る顔で微笑んだ。
「おはよう……春斗さん。昨日は……ありがとうね」
「無理しないでください。まだ休んでてもいいですよ」
「ううん。もう大丈夫たい。……たぶんね」
美園は苦笑しながら、しのんの髪を整えていた。
その横顔には、使命感とも母性ともつかない、
静かな愛情が滲んでいた。
3人で簡単な朝食をとり、温かい湯気が少しずつ体をほぐしていく。
食べ終わった器を片付けようと持っていたしのんが、
首をかしげながら春斗を見上げた。
「はるとおにーちゃん、どうしたの?」
春斗は小さく息を吸った。
「……2人に、話したいことがあります」
美園が顔を上げる。
きらりは静かに尾を揺らしながら、
3人のそばに寄り添った。
春斗は、拾った日記帳を取り出し、
そこに思い出しながら書き足したメモを開いた。
◇◇◇
ページを見つめた瞬間、春斗の脳裏に、
病院での記憶がよみがえった。
――長期入院の退屈な日々。白い天井。静かな休憩室。
その休憩室で、缶コーヒーを振っていた男性がいた。
「やあ。君もここ、よく使うの?」
「はい。……暇なので」
「ははっ、分かるよ。僕も暇で良くここに顔を出してるよ。
僕はAIの開発してるんだけど、仕事に夢中になりすぎたら
いつの間にか倒れてしまって病院に運び込まれて……。
今は暇を持て余してるんだ。」
その一言で、2人はすぐに意気投合した。
男は春斗の話を興味深そうに聞き、
ふと、こんなことを言った。
「春斗くん、人間にも“OS”があるって知ってる?」
「OS……パソコンの、ですか?」
「そう思うよね。でも違う。
僕ら開発者の間で使う“コードネーム”なんだ」
正式な専門用語じゃないけど……
Original Schema(思考の設計図)って意味でね」
「思考の……設計図?」
「うん。人間の行動や判断の“根っこ”にある枠組み。
思想OS、本能OS、行動OS……それらを統合して構造化すると、
その人の本質が見えてくる」
男は缶コーヒーを一口飲み、少し照れたように笑った。
「まあ、開発者界隈の隠語みたいなものだけどね。でも、
心理テストよりずっと正確なんだよ」
その後、男は先に退院した。
だが――数日後、見舞いに来てくれた。
「うん。やっぱり君の話し方、考え方は……
“理解OS”の素質がある。
構造で物事を見る力は、武器になるよ」
「武器……?」
「うん。世界が変わっても、きっと役に立つ」
当時はただの励ましに聞こえた言葉。
――だが今は違う。
◇◇◇
春斗は日記帳を閉じ、2人を見つめた。
「……まず前提として、僕たちは“異世界に転移した
”可能性が高いと思っています」
美園が息を呑む。
「やっぱり……そうなんですね」
「はい。で、地球では心理テストで“考え方の癖”を
知ることができましたよね。
でも……“OS”っていうのは、もっと根本的な部分なんです」
「根本的……?」
「Original Schema。思考の設計図です。
人間の行動や判断の“根っこ”にある枠組み
……それがOSです」
美園は驚いたように目を見開いた。
「そんな……深いところまで……?」
「はい。そして……こういうシビアな世界では、
その“OS”が生存率に直結します」
春斗はページをめくり、3人のOSを書いた部分を示した。
「美園さんは“防衛OS”。危険察知が早くて、
守る方向に反応が強い」
美園は驚きながらも、どこか納得したように頷いた。
「しのんちゃんは……“純粋核OS”。
OSの最深部にある“核”の領域です。
感情や共感の純度が高くて……
人の痛みや喜びに、誰よりも敏感なんです」
しのんは意味は分からないが、
褒められたことだけ理解して胸を張った。
「はるとおにーちゃん、
しのんはすごいんだよ! ふんす!」
春斗は笑いながら、最後のページを示した。
「僕は“理解OS”。状況を分解して、
構造で考えるタイプです」
美園は静かに息を吸い、春斗を見つめた。
「……春斗さん。そんなに深く……考えていたんですね」
「生きるためです。僕たち3人で、生き残るために」
3人のOSは違う。だからこそ、お互いを補い合える。
◇◇◇
朝食を終え、3人は周囲の草木を伐採し始めた。
「くっ……、これ全然切れない……!」
「春斗さん、こっち手伝ってんね!」
「しのん、枝は危なかき、気をつけてね」
汗をかきながら、3人は必死に作業を続けた。
だが、広い谷の草木はなかなか減らない。
谷に、鳥のような鳴き声が遠くで響いた。
一息つくために、春斗は香り付けした温かいお湯を渡した。
「これ……ハーブティーみたいなものです」
美園は嬉しそうに飲む。
「……あ、落ち着くねぇ……」
しのんは一口飲んで、顔をしかめた。
「にがい……やだ……」
春斗は苦笑しながら頭を撫でた。
その時だった。
きらりが、3人の苦労を見て「キュルル……」と鳴いた。
次の瞬間――。
地面に潜らず、地表を滑るように移動し、
草木を一気になぎ倒し始めた。
「えっ……!?」
「すご……!」
「きらり……すごいよ……!」
30分後、中央から半径30メートルのエリアが、
まるで刈り込まれた庭園のように整っていた。
きらりは誇らしげに胸を張る。
「キュルッ!」
3人は唖然としながらも、その可愛さに
思わず笑ってしまった。
◇◇◇
夜の谷は、昼とは違う静けさに包まれていた。
夕食後、しのんは、美園の膝の上で眠りについた。
だが――夜半、突然泣き出した。
「ひっ……ひっ……! はるとおにーちゃん……!」
美園はしのんを抱きしめようと近づいたが、
連日の緊張が解けたせいか、ふらりと体を揺らした。
「ごめん……少し、疲れが出たとよ……」
春斗はすぐに支えた。
「大丈夫です。無理しないでください」
春斗は入院中の経験と、看護師の母親から聞いた
看護の知識を総動員して、2人を必死に看護した。
きらりは、しのんの耳元で優しい鳴き声を響かせる。
まるでASMRのように……。
しばらくすると、しのんの泣き声が少しずつ弱まっていく。
「……ありがとう、きらり」
きらりは誇らしげに尾を揺らした。
◇◇◇
翌朝。
春斗は料理番組の知識を総動員して
“おかゆもどき”を作ろうとしたが――。
「……なんか、違う……」
結局、果物を採取して食べさせることにした。
しのんは夜泣きの記憶がなく、
ケロッとした顔で果物を頬張っている。
美園の体調が戻った頃、春斗はふと
昨日の朝に見た“煙”を思い出した。
「昨日、遠くに煙が上がっていたのが見えました。
僕、様子を見てきます」
美園は不安そうに唇を噛んだ。
「……気をつけてね。
うちらは……ここで待っとるけん」
美園は唇を噛みしめ、それでも春斗を
信じようとするように小さく頷いた。
しのんは春斗の服をぎゅっと掴み、小さな声で言った。
「はるとおにーちゃん……いってらっしゃい……」
春斗は2人の頭をそっと撫でた。
「すぐ戻るよ。……きらり、二人を頼む」
「キュルッ!」
きらりは2人の前に立ち、まるで守護獣のように
尾をゆっくり揺らした。
「2人は、ゆっくり休んでいてくださいね」
美園は不安を押し殺し、それでも微笑んで頷いた。
「……はい」
春斗は装備一式を整え、手作りの小さなカバンに
探索用の道具を詰め込む。
深呼吸をひとつ。
(……僕が行かなきゃいけない。
この家族を守れるのは、今は僕しかいない)
そして、遠くに立ち上る煙の方向へと歩き出した。
谷に、ひときわ静かな風が吹いた。




