第八話 総合力
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合同演習の数日前。
王立士官学校は、前代未聞のスキャンダルに揺れていた。
『次期王妃候補、セラフィーナ様の「下着」盗難事件』であった。
犯人は、驚くほどあっさりと捕まった。
歩兵科に所属する、気弱そうな男子生徒。先日、上級生たちにいじめられていた、モブ新入生の一人、モビオ・ムッツォリーニオだった。
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モビオは、教官たちの厳しい詰問に対し、涙ながらに
「出来心でした… セラフィーナ様のあまりの美しさに、つい…」
と、意味不明な供述を繰り返すばかり…
もちろん、真相は違っていた。
そもそもモビオには盗んだ記憶すらなかったのだった…
◇
ー少し時間をさかのぼった男子寮の一室ー
「ひっ…! な、なんで…なんで、僕のところに、こんなものが…!」
モビオは、机の上に置いてあるレースのついた高級そうな布切れを見て、喜びながらも腰を抜かさんばかりに震えていた。
というのも、私、ルーナが、モビオがそれを自室の机の上に発見したと同時に、彼の自室に踏み込んだからだ。
「さあ? わたしにも、わからないわ…」
ルーナは、心底不思議そうな顔で首を傾げてみせる。
「ただ事実として、今、あなたの手元に『それ』がある… そして、まもなく寮監が見回りに来る時間… あらあら、大変ね?」
「ち、違う! 僕じゃない! 僕は何もしていない!」
「そう… あなたは何もしていないかもしれないわ… でも、誰がそれを信じるのかしら…」
ルーナはしゃがみ込むと、恐怖に震えるモビオの瞳をまっすぐに見つめた。
「いいこと? これから、あなたは、罪を認めるの。あなたが『犯人』になるのよ…」
「『出来心でした』。そう言えばいいわ。おそらく男子寮では、ちょっとした英雄になるでしょうね… なぜならこれは、あのセラフィーナ様のモノだから…」
◇
「!!!!!!」
モビオの顔は驚愕に歪んだ…
「近日中に、どういうわけか、魔法科との魔法戦闘実習が組まれたことは、よく知っているわね?」
「そして、あなたは今、こう考えているかもしれない。『本当のことを告白すれば、もしかしたら許してもらえるかも』…と」
「ひっ…!」
図星を突かれ、モビオの肩が大きく跳ねる。
ルーナは心底可笑しそうに、くすくすと笑った。
「甘いわね… 本当に、甘くて、愚かだわ」
「いいこと? あのセラフィーナという女は、『女王様』なのよ。彼女にとって最も重要なのは、真実がどうか、ではないわ。彼女の『プライド』が、保たれるかどうか、ただそれだけ…」
「たとえ、あなたが無実だと分かったとしても、セラフィーナはあなたを許さない。なぜなら、あなたはどう足掻いても、『次期王妃になる、セラフィーナに、泥を塗った、万死に値する大罪人』になるだけだから…」
「ああ、もちろん、この私が裏で糸を引いていた、なんて、ありえない妄想を口走った場合は… どうなるかしらね? ふふっ、あなたのご家族が、どうなっても、わたくしは知らないわ… 消し炭になるか、石像となるか、どちらが幸せでしょうね…」
◇
モビオの瞳から希望の光が消えた。
完全な絶望がその顔を覆う。
「わかったかしら? あなたに残された道は、ただ一つ…」
ルーナはモビオの耳元で、最後の宣告を囁いた。
「『哀れなパンツ泥棒』を演じきり、私の『駒』として、生き延びなさい。 間違っても、あの女に、許しを請うなどという、愚かな真似はしないことね♪」
「『女王様』はプライドを傷つけられら、どれほど無慈悲で残酷になれるか…」
「その目で、よぉく見届けるといいわ♪」
これは、決して脅迫などではない…
既に決定された「未来」の宣告なのだと。
「わかり… ました…」
モビオは涙を流しながら、震える声でそう答えるしかなかった。
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この事件の報は、瞬く間に学園を駆け巡った。
そして、セラフィーナ・フォン・ローゼンベルクが、完全にブチ切れているという噂も…
セラフィーナにとって、これは単なる盗難事件ではなかった。
自らの神聖な領域を、最も卑しい形で泥まみれの平民に汚されたこと。
そして、その事実が学園中の笑いものになっていること。
その全てが、彼女のプライドをズタズタに引き裂いていた。
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「私に…このわたくしに、恥をかかせた平民ども!!!!」
「許さない…! 明日の演習で歩兵科のクズどもを、一人残らず消し炭にしてやる…!!」
セラフィーナはもはや冷静さを失っており、歯止めが効きそうになかった。
◇
そして、運命の演習当日。戦場に現れたセラフィーナの瞳は、当然のように憎悪と屈辱で充血しきっていた。
演習開始の甲高い笛の音が響き渡る。
それは、地獄の釜の蓋が開く合図だった…
「はじめなさい!!」
セラフィーナの、冷静さを装った震える声が飛んだ。
もはや、美学も戦術もそこにはなかった。
彼女の取り巻きである9人の魔法使いたちが、必死に一斉に魔法を詠唱する。
「死になさい! 汚らわしい泥棒ども!」
「身の程を知れ、下民が!」
数十、数百というファイヤーボールが雨あられとなって、歩兵科学生の陣地へと降り注いだ。
それは、演習などという生易しいものではない。
ただの一方的な八つ当たりの、暴力だった。
「うわああああ!」
「助けてくれ!」
モブ学生たち、パニックに陥り逃げ惑う…
その光景を見て、セラフィーナは、恍惚とした笑みを浮かべた。
「ハ、ハハハ! そうよ、燃えなさい! 全て、灰になればいいのよ!」
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だが、その狂乱の中で彼女たちは気づかなかった。
ルーナ・ノーヴァが、その地獄絵図を楽しそう顔で見つめていることに…
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敵本陣に煙が漂う中、セラフィーナ達がその安否を確認しようとしたところだった。
ブゥゥゥゥゥンンンンン…………
そんなセラフィーナたちの元に、突如不気味な音が唸った…
その不快な羽音と共に、彼女たちの背後から突然姿を現したのは、ヒトサイズはあろうかという黒い巨大精霊(巨大G)たちの姿だった…
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思わぬ奇襲… 魔力を消耗し、警戒が薄れてしまったのだろうか…
魔法科の生徒たちが、その生理的嫌悪感を催させる光景に顔を引きつらせる中、セラフィーナだけは、それを見て確信に満ちた笑みを浮かべた。
「怯えることはありませんわ! あの虫どもは「油」まみれですわ!」
そう… 巨大だからと言って、あの巨大Gは結局は黒光りする
虫
なのである…
彼らの最大の、そして致命的な弱点であるはずの「炎」。
それを操ることにおいて、この学園で、いや、この国でセラフィーナの右に出る者はいない…
「あらあら、下品なこと。自ら弱点を晒して、ただ数を揃えるだけですの?」
セラフィーナの瞳が、残忍に輝く。
セラフィーナにとって、この光景はもはや勝利宣言と同じだった。
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「さあ、お掃除の時間ですわ! 喰らいなさい!
こ れ が
|極 大 火 焔 魔 法!!」
セラフィーナの極大魔法が、10の火球となって、巨大Gへと正確に降り注ぐ…
凄まじい爆炎が、戦場を飲み込んだ。
これが鋼鉄をも溶かすという、セラフィーナの十八番であった…
◇
あの場にいる誰もが、あの黒い巨体Gが、一瞬で消し炭になったと信じて疑わなかったでしょう…
そう、通常であれば、巨大Gは、あの強力なファイヤーボール一発で消し炭になったことでしょう…
でも、ザンネーン! 私、ルーナは先回りして、巨大Gには、耐火魔法を、十分にかけておきました♪
煙が晴れた時、現れたのは、変わらず悠然と炎を纏いながら蠢く10匹の巨大Gでした!
「え…?」
セラフィーナの、凍りついたような声が、静まり返った戦場に響いた。
王国一の極大の魔法は
「効果を為さなかった」
その理解不能な現実が、セラフィーナの精神を根元からへし折った。
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「「「「「バサバサバサバサァァァァァl!!!!!」」」」」
次の瞬間、焔を身に纏った巨大Gが一斉に、セラフィーナたち10人の女性魔術師へと襲いかかった。
「い、いやああああああああああっ!!」
「こ、来ないでええぇぇぇ!!」
そこから先は、戦いですらなかった。
ただの一方的な、絶望的な鬼ごっこだった。
極度の恐怖が、彼女たちの身体の最後の箍を、無慈悲に外した。
太ももを伝う温かい液体…
その屈辱の匂いを嗅ぎつけた巨大Gは、明らかに、その追跡の執拗さを増している…
「あ… ああ… いや… いやあああ…!」
自分が失禁してしまったという事実と、その屈辱の匂いに巨大Gが引き寄せられているという二重の絶望…
セラフィーナの心は完全に、修復不可能なほど粉々に砕け散った。
しかし身体だけは、本能的な恐怖に突き動かされ、意味をなさない絶叫を上げ、ただひたすらに走り続ける…
それはもはや、次期王妃候補の姿ではなかった。
ルーナは、その地獄絵図を高台から見下ろしていた。
小さな笑い声で、自然と呟いてしまう…
◇
私だって、魔法科上級生の集団に真っ向勝負を挑むほど愚かではない。
魔術の組み合わせ…
例えば土魔法などの精霊魔法も正しく使われれば、虫など対処はむしろ容易い… というか、彼女らは相手も魔法使いであることを忘れてしまったのだろうか…
自分の才に溺れる者…
他の選択肢を封じられ、
考えることすら放棄するよう仕向けられた者…
突然の事態に他の選択肢が思いつかなかったもの、
そして恐怖に呑まれ、思考を失った者には…
その「容易さ」は存在しない…
私は、卑怯と言われても構わない。
勝つこと…
それが、私に課された使命…
私が合図すると、学長やセラフィーナのところに放っていた蟲たちも帰ってくる… 彼らが、今回の作戦の立役者です♪
「あなた方ももう少し魔法や諜報に対する知識や対処法が増えれば、もう少しは良い勝負になるでしょうね…」
この声は、逃げるように走り続ける哀れな女王の耳には、届かなかった…




