第七話 魔法対決
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演習場が、静寂に包まれていたあの夜…
教官たちは、表向きには「不慮の事故」として、その場を収めるしかなかった。
アーモンド率いる歩兵科の上級生たちは、泥の中で無様に身動きを封じられた…そしてこの光景を、たった一人で作り出したルーナ・ノーヴァ…
ルーナ・ノーヴァの
「あれは、ただの落とし穴と、昨晩の雨のせい… ですわ♪」
という白々しい言い分を、崩すことができなかったからだ。
彼らは、魔力残存を感知できなかったのだ…
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同日の夜。王立士官学校・学長室。
重厚な樫の扉が閉ざされた会議では、数人の男たちの苦々しい表情で満たされていた。学長、歩兵科主任教官、騎兵科の主任教官、そして魔法科の主任教官であった。
彼らは今回、「ルーナ公開処刑」の、シナリオを描いたはずであった。
「あの、小娘が…!」
最初に沈黙を破ったのは、歩兵科の主任だった。
彼の顔は、屈辱に赤く染まっている。
「私の駒を…卑怯な技で…」
「落ち着け。貴様の駒が、ただの『木偶の坊』だっただけの話… 泥沼化魔法など、戦術の基本中の基本… 魔道具でなんとでも予防はできるし、その対策ができていなかっただけでは…」
冷たく言い放ったのは、騎兵科の主任教官だ。彼は、窓の外の闇を見つめながら、忌々しげに続ける。
「やはりな。あの女は、『異世界人』の血を、色濃く継いでいる。いや、あるいは精霊術がある分、あの始祖よりも性質が悪いかもしれん…」
彼の言葉に、学長の顔が、苦々しく歪んだ。
彼らは、忘れていなかった。数十年前もこの士官学校で、たった一人の男が伝統と権威の全てを、その「異端」の戦術論で、完膚なきまでに論破していった… あの日の屈辱を…
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シュタインフェルト家…
その名は彼らにとって、自らのふがいなさを突きつけられる、悪夢の代名詞だった。
「あの女は、危険すぎる!」
学長が静かに、しかし強い憎悪を込めて言った。
「入学早々首席の座を奪い、あまつさえ我が校の華である『騎兵科』をないがしろにしあの『歩兵科』を選んだ。あれは我々この学園の伝統そのものに対する、明確な『反逆』だ…」
「このまま、野放しにはしておけん。シュタインフェルトの名が再びこの国の中枢に返り咲くなど、絶対にあってはならんのだ!」
沈黙が部屋を支配する…
やがて魔法科の主任が、口の端を歪めて笑った。
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「まあ、焦らないでください。次の『策』は、もう用意してあります…」
彼はまるでチェスの駒を動かすかのように、指先でテーブルの上をなぞった。
「もし彼女が魔法で小細工を使うのであれば、『魔法』には『魔法』をぶつければいい… 純粋な圧倒的なまでの、破壊の『力』を…」
学長が、その言葉の意味を理解し、顔を上げる。
「まさか、お前…」
「そうです…」
魔法科の主任は、楽しそうに、その名を口にした。
それはこの学校において「最強」の代名詞。
そしてシュタインフェルト家とは、最も相性の悪い「正攻法」の天才…
ルーナがたとえ虫など召還しても、
そしてたとえ火球を土壁で防御したとしても、
彼女の強大な業火に焼却されるだけなのである…
「次は、『炎の姫君』の出番だ!」
老獪なる狸たちの次なる一手は、既に盤上へと放たれていた。
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王立士官学校の、陽光が降り注ぐ女子寮の特別談話室。
女子学生たちが嗜む「焔の薔薇」の紅茶の香りが、満ち足りた午後の空気を彩っていた。
彼女の周りには、いつも通り、侍るべき人間たちが侍っている。取るに足らない会話に、優雅に相槌を打ってさしあげるのが、上に立つ者の務め…
「セラフィーナ様、お聞きになりました? 先日の新入生の野外演習のこと」
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子爵家の令嬢が、上気した顔でセラフィーナに話しかけてきた。
セラフィーナ・フォン・ローゼンベルグは、完璧な作法でティーカップをゆっくりと戻すと、上品に問い返した。
「なあに、クラリッサ… 何か面白いことでもあったのかしら?」
「それが… 首席で入学したという、緑の髪の平民ですわ! あの者が、歩兵科のアーモンド率いる上級生チームを、打ち破ったと!」
緑の髪… ああ、いたわね。そんなのが… 入学式の時に、不遜な態度で歩兵科などという泥臭い場所を選んでいた、汚らしい平民。
名前は… 覚えていないわ。 覚える価値もないもの…
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セラフィーナは、扇を広げて口元を隠し、くすりと笑った。
「それで? どのような『事件』を起こしたのかしら? その…『泥ネズミ』ちゃんは…」
「そ、それが… 地面を、巨大な沼に変えたと…」
サロンに、一瞬の沈黙が落ちる。
そして、誰からともなく、くすくすという嘲笑が漏れ始めた。
「まあ! 沼ですって? なんて下品で、芸のないやり方なのかしら!」
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そう、下品…
地精霊術など下品中の下品…
戦いとは、力と力が、美しくぶつかり合う芸術であるべき。
わたくしの「炎」の芸術ように…
全てを焼き尽くす、圧倒的なまでの純粋なエネルギー。それこそが、王族に連なる高貴なるローゼンベルグ家の魔法。
だというのに、地面に穴を掘って、泥水で相手の足元を掬うなど…それは戦ですらない。ただの、卑劣な子供の悪戯。
「ですがセラフィーナ様、その者は、一切の魔力反応を残さなかったとか…教官たちも、ただの『不運な自然現象』として処理するしかなかったそうですわ」
「当たり前でしょう」
セラフィーナは、扇を閉じて、パチンと小気味よい音を立てた。
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「そのような、まじない紛いの小細工、魔力の痕跡など残るはずもありませんわ。わたくしたちが扱う、高位の元素魔法とは、格が違うのですもの。土をこねて、泥団子を作るのと同じ。それを、少し規模を大きくしただけの話…」
そう。彼女のやったことは、ただの土遊び。
わたくし、セラフィーナがひとたび指を鳴らせば、その沼など、一瞬で干上がらせることができる。
その泥ネズミごと、ガラス細工のように焼き固めてさしあげることだって、容易いわ。
下劣な歩兵部隊たちは、この魔法部隊の支援をもとに作戦行動をするのよ…」
「そういえば、セラフィーナ様…」
クラリッサが、何かに気づいたように、声をひそめた。
「次の合同演習…わたくしたち魔法科と、歩兵科の対抗戦ですわよね…?」
ああ、そうだったわね。
セラフィーナの唇が、自然と三日月の形に歪む…
「奇遇ですわね。ちょうど、退屈していたところよ」
そう。退屈していたの。
力のない者たちが、力の差もわきまえずに、足の引っ張り合いをする、この学園に…
「いい機会ですわ。その泥ネズミちゃんに、教えてさしあげましょう」
セラフィーナは立ち上がると、窓の外に広がる青空を見上げた。
空には太陽が、絶対的な王として君臨している。
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「本物の『力』とは何か。そして、生まれながらにして決まっている、決して覆すことのできない『格』というものが、この世には存在するのだということを!太陽の力の前に!皆は膝まづくのです!」
微笑むセラフィーナの指先に、小さな炎が揺らめく。
それは、これから始まる「教育」を祝福するかのように、美しく、そして残酷に輝いていた。
「土遊びの時間は、もう終わり… そうでしょう? 皆さん?」




