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微笑みの娘

 章一は、閑静で人気のない住宅街の一角にある小さなマンションに暮らしていた。ごく平凡な毎日の繰り返しではあったが、趣味のミニチュア収集や、アニメのフィギャア収集などおタク的な所もあり、インドア派であった彼は、多忙に時間を潰して生活していた。勿論、定職にもついて、日中は、印刷会社に勤務し、きちんとノルマを果たすことも忘れない。そんな章一に、ある日から、ある変化が起こった。

 彼のマンションの隣室に、ある日突然に、引っ越してきた者がいたのだ。

 ある日のことである。章一が、勤務から帰宅して、自宅の居間で、休暇の日に通販で購入した攻殻機動隊のフィギャアを専用のラックに並べて、ひとり悦に入っていると、誰か玄関のチャイムを鳴らしている者がいた。今頃、誰だろう、こんな夕方に、と訝しげに玄関へ向かい、扉を開けた。

 扉の外に、暗闇の中で誰か立ちすくんでいる。

「はい、どちら様ですか?」

と、尋ねても、返事がない。おかしいなと思って、もう一度尋ねながら、よく目を凝らした。

 すると、暗闇の中で、ひとりの若い娘が、満面に微笑みを浮かべて、立っている。身なりもきちんとして、白いニットのセーターに紺のロングスカートを履いて、黙ってこちらを見ている。そして、やはり、微笑みを浮かべたまま、静かに口を開き、

「あのう、夜分に誠に失礼します。私、今日、隣に引っ越して参りました牧野と申します。なにぶんとご迷惑と存じますが、どうぞよろしくお願い致します」

 見れば、なかなかにチャーミングで、美人だ。魅力的だな、と章一が見惚れていると、娘は、手に提げた袋を遠慮がちに差し出して、

「これ、つまらないものですが、引っ越しのご挨拶代わりにどうぞお受け取り下さいませ」

と、来た。章一は、嬉しさを隠して、それを、お礼を言いながら受け取ると、そのまま、娘が去っていく後ろ姿を未練がましく見つめていた。

 部屋に戻った章一は、しばらくの間、茫然自失であった。綺麗な娘だったなあ、あんな子が隣に来たのか、これは堪らん。あらぬ妄想が次々と沸いてきて、章一の頭を駆け巡る。何とか、もう一度会えないものか、と思っていたところへ、ぐうと腹の虫が鳴る。ヤバい。腹が減ってきたようだ。

 そこで、章一は、食卓に皿を並べて、焼き肉の炒め物と、マーボー豆腐と冷や奴と飯の大盛りで腹を満たすと、またフィギャアの整理に追われる。次は、ドラゴンボールのフィギャアだ。整理していても、章一の頭から先刻の面影が消えないようだ。それにしても、別嬪だったなあ、何とか話せればなあ。いかん、いかん。

 気分転換に、寝室で、ベッドに寝転がってテレビを見る。そのうちに少し眠くなってきた。それで、ウトウトと居眠りしているうちに、そのまま寝入ってしまった。呑気なものである。

 翌日は、土曜である。行かなくてはならない会社が休日とあって、章一は、久しぶりに羽を伸ばした。朝から、テレビをつけっぱなしにして、寝転がり、スナック菓子とコーラ片手に画面に見入る。テレビに、名女優の吉高由里子のCMが映る。そう言えば、あの娘、彼女に似てるな。彼女を若くしたような感じだよな。また思い出した。何でこうなるんだ?でも、まあ、いいか。

 午前中は、音楽鑑賞をしてみる。とは言っても、聴くのは、今流行りのadoだ。このロック調の過激なメロディーが章一にとっては、ちょうどいいストレス解消になっている。聴いていると、会社であった嫌なことも吹き飛ばしてくれる気がする。しばらく聴いていると、また昨日のように玄関のチャイムが鳴った。

 セールスかよ、堪んねえ。それで、向かう足取りも重く、玄関の扉を開く。

「あの、セールスなら.........」

 外に立っていたのは、何と昨夜の牧野さんである。相変わらず、微笑んで、ニッコリと立っている。また片手に袋を提げていた。章一は、嬉しげに、

「はい、何でしょうか?」

と、ウキウキして答えると、牧野が、袋を差し出して、

「あの、差し出がましいとは思ったんですが、うちの実家から、蜜柑の箱を送ってきたんで、ちょっと、お裾分けでもと思いまして」

「そんな、いいんですのに」

とは言いながら、牧野さんから貰う嬉しさと、彼自身、蜜柑が好物である嬉しさで章一は内心、大はしゃぎである。彼はジッと牧野を見つめた。やっぱり綺麗な娘だな?彼氏いるのかな?

 それにしても、贈り物である。彼自身、悪い気がする訳がない。それで、ありがたく頂戴した。それで、礼を言うと、牧野が、

「それでね、山根さん、その実家から、蜜柑と一緒に、親が気を利かせて、映画のチケットを2枚送ってきたんです。いい人でもいたら一緒に行ってこいって言うんでしょうね。親心って言うんですか?でも、私、そんなモテないし、いい人もいないで困っているんです。それで、もし、山根さんさえ良ければどうですか、一緒に行ってみますか?いかがです?ごめんなさいね」

 章一は、驚愕と同時に歓喜に震える思いである。蜜柑は貰えるは、映画に行こうと誘われるはと、いいことづくしである。何かの裏でもあるんじゃないかと疑ってしまうような勢いである。

「いえいえ、...............、ああ、明日の午後ですね、映画の上映。別に構いませんよ、予定もないし。ご一緒しますよ、僕で良ければ」

と、言ってのけた。すると、牧野は、また微笑みを浮かべたまま、

「ああ、言い忘れました。私、牧野佳菜子と申します。どうぞお見知りおき下さいな?」

と、あの微笑みで、言ってしまうと、では、明日またと言い残して帰って行く。章一は、あとを見送って、いそいそとして居間へ戻った。やった!あの子とデート出来る!凄いぞ、俺。なかなか俺も捨てたものじゃないな、この調子、この調子。

 食卓で、貰った好物の蜜柑を味わいながら、もう頭の中は、明日の妄想の世界である。有頂天で、はしゃぎ回りたい気分である。章一は、明日に備えて気持ちを抑え、ここは頭の切り替えだとばかりに、趣味のひとつである電子工作の世界に浸ることにした。作業机に向かい、電子基板を置いて、

マイコンチップや、トランジスタ、RED発光部品などバラバラに散らかして、簡単なプログラミングにかかる。時間の経つのも忘れるから不思議だ。これをハンドメイドの愉しみというのだろうか?何だかんだしているうちに、あっという間にお昼になる。何だか腹減ったな、コンビニ行って飯でも買ってくるか? 

 空腹を抱えて、章一はマンションのエレベーターを降りる。彼は、5階に住んでいるから、階段だと、ちと骨が折れる訳だ。それで1階まで降りると、玄関ホールを抜けて外へ出る。外は人気のない住宅街だ。彼は、大事そうに財布を握りしめて、コンビニへと向かう。駅前だから少し距離があった。やっぱり彼女、何度見ても可愛いな、明日はデートか?ちょっと気取っていい服でも着ていくか?そんなあんなと考えていると、駅前まで来ていた。角にコンビニが建っている。入店する。店内に客は多かった。その中を掻き分けて、章一は、まるで狩猟民族になった気分で獲物の天津飯弁当の大盛りと、餃子2人前とマカロニサラダのパックと缶コーヒーを購入するためにとレジに並ぶ。そしてそつなく購入し、店を出て帰宅する。部屋では、ペットのセキセイインコの花子が待っていた。彼女にただいまを告げて、居間で買ってきた飯を食う。まあまあいける。あと午後は、ミニチュアとフィギャアの整理や、通販での購入やら、何だかんだで時間が潰れて、あっという間に夕方から夜になる。今頃何やってんだろ、彼女。ヌードでお風呂か?実にいやらしい。それとも、夕食か?何喰ってんだろ?まあいい。それで、章一は早めの夕食を取る。手作りのキーマカレーに、肉入りのポテトサラダに、枝豆を少々とビールを一杯。何だかんだとほろ酔いにはなって心地よくはなったが彼の本意ではない。それで、缶コーヒーを飲み干して酔いを覚ますことにした。いくらかシャンとした。それで、また晩も電子工作に、はまる。明日はデートだ、もう寝るか、と彼は寝室へ入る。居間では、籠に入ったセキセイインコの花子が、相変わらず、キョロキョロして彼におやすみを告げているようだ。何とも可愛い。


 翌日の日曜は、朝から章一の機嫌がいい。花子におはようを告げて、朝食を取り、食後のドリップコーヒーを飲んで、目を覚ますと、外へ散歩に出ることにした。近くの公園で、煙草でも吸うか?

 そう考えて出ると、外は、いくらか人がいる。さすがに休日である。そんなこんなで、公園の安っぽい青ベンチで、マルボロの煙草を一服。煙をふう。おかしな話だが、煙草はストレス解消になっている。これは矛盾しているのだが、章一にとっては、どうでもいいのだ。

 帰宅して、軽くツナ野菜サンドと紅茶で昼食を食べ終えて、カジュアルな衣装に着替え終わったころに、佳菜子が訪れた。今日も綺麗に着飾って、可愛いポシェットを持っている。一緒に出かける。何でも、佳菜子が車を持ってるらしい。乗っていこうという。これはありがたいと、マンションの駐車場へと向かう。車に乗り、アクセルを踏む。向かうは、隣街の映画館だ。何でも西洋のメロドラマらしい。面白いかな?

 映画館では、隣同士の席に座った。映画が始まり、辺りは暗くなる。やっぱり綺麗だな、佳菜子さん。由里子に似てるよな、ぽちゃっとしたとこ。それにしても彼女の微笑み、何だろ?何が嬉しいのか分からない。謎の微笑みである。謎の微笑みの美女か?不思議だなと思っていると、映画がアクションシーンになって緊迫する。すると、隣にいた佳菜子が章一の手をギュッと握ってきた。恐いのか?やったー!手を握られた。嬉しくて、そのままにしておくと、やがて手は引っ込んだ。

 映画のあとで、喫茶店に行った。ヨーロッパ風の洒落た可憐な店である。隅のボックス席に陣取り、佳菜子はカルピスを注文した。章一は、アイスコーヒーを頼み、話し始める。

「面白かったわね、映画。でも、恐いシーンもあってドキドキしたわ。あなたは?」

「良かったよ、トムクルーズが名演だったね。また行こうよ、ぜひ。でもさ、佳菜子さん、どこに勤めてるの?興味あるな、僕」

「ふふっ、実はね、証券会社なの、大手だから、仕事がきつくて、たまの休みはこうやって息抜きしないと、ストレスが溜まるわ、やってられないわよ」

「でもさ、証券会社なら、いろいろと株の情報が入ってくるじゃないの、いいなあ?」

「まあね、それなりにいろいろとね。今度も、あるIT企業が、新製品を開発したらしいのよ、凄いわよね。これ、極秘よ。で、あたし、こっそりとその企業の株、買おうと思ってるの。これ、人には言わないでね、私、ヤバいから」

「へえ、IT企業の新作か、これは金になる情報だな?凄いな、佳菜子さん」

「へへっ、あたしって悪い女でしょ。でも、今の時代、お金だもんね、仕方ないわ」

「で、どこの会社なの?それ」

「さすがに言えないわよ、それは。私が首になっちゃうから」

「じゃあさ」

と、章一は身を乗り出して、

「僕がお金出すから、一緒に購入してよ、その株。駄目かな?」

「うーん、何とか出来るけど、保証できないわよ、信頼できる情報だけど」

「じゃあ、決まった。お金は用意するよ。頼むよ?」

「分かったわ、隣の仲でね。でも期待しないでよ、あくまでも、株式市場だから」

「お金が入ったら、一緒に旅行でも行きたいな、君と」

「面白い人ね、あなたって」

と、いつもの謎の微笑みで言うのだ。

 それから、株式の話や、IT企業の話、佳菜子の会社での失敗談や最近の物価高と、話に花が咲いた。喫茶店を出て、一緒に帰宅し、マンションの5階の廊下で別れると、部屋に帰った章一は小躍りして喜んだ。儲け話である。嬉しくてしょうがない。それでも、冷静さを取り戻して、次の日を待って、早速、会社を抜け出して、銀行で、とりあえず現金で500万円を下ろした。それを銀行の長椅子で、鞄に詰め込んで、初老の銀行の係員には素知らぬ顔で、帰社して、そのあと帰宅した。

 急いで、隣の佳菜子に現金を手渡し、部屋に戻り、遅めの夕食は、好物の八宝菜と、味噌ラーメンと、野菜の炒め物ですませて、寝室で寝てテレビを見る。それにしても、吉高由里子はよくCMに出てるなあと思いながら、ウトウトする。そのうちに、睡魔が襲ってきて、テレビをつけたまま、寝込んでしまった。

 翌日は、土曜で、休日である。

 朝寝坊して、慌てて置き時計を見ると、午前11時過ぎである。急いでパジャマを脱ぎ、ゴシゴシと歯を磨いて、顔のチェックをすると、また遅めの朝食を取り、食後のダージリンティーを飲む。今日も佳菜子さんとデートの約束で、日本武道館で、KARAグループのライブを聴きに行くことになっている。それで、章一はウキウキして、午前中は、電子工作していたが、何か気にかかる。彼女が、もしも風邪でも引いてデートを休んだらどうしよう?気になって、ICチップどころではない。それで、ついに玄関の扉を出て、隣の部屋を訪ねる。インターホンを押す。

しばらく待った。しかし、応答がない。おかしいな、どこかへ出かけたなと思い、試しにドアノブを回すと、簡単に開いた。あっけない。中へ入って、驚いた。

 部屋は、空き部屋になっていた。家具ひとつない。空っぽなのだ。開いた窓から、そよ風が舞い込んでいる。しかし、章一の心は、それどころではない。なぜにいなくなったんだ?どこかに移ったのか?とりあえず、マンションの管理人に聴いてみよう。それで、震える指で、エレベーターのボタンを押して、1階へ降り、管理人室へ急ぐ。そして、いつもの野暮ったい中年の管理人に聴いたが、さっぱり要領を得ない。それで諦めて、エレベーターに乗り、5階についた頃、章一は、はっと閃いた。

 やられた。欺された。

 あの佳菜子という女、詐欺師ではないか?俺から、500万円を巻き上げて、どこかにドロンしたわけである。やられたなあ。

 そう考えると、あの蜜柑も、映画館で俺の手を握ったのも、株の話も、すべて彼女の計算ずくであったのだ。なかなかのやり手だな、彼女。それで、あの謎の微笑みも納得いく。あの微笑は、詐欺師の悦びからきていたのか?今まで、あの美貌と微笑みで何人の男を欺してきたんだろう?そう思うと、腹が立ってきた。

 でも、欺された俺も馬鹿だよな、こんなことに気づかないなんて。俺の馬鹿。

 部屋へ帰り、章一は、がっかりと落胆して、ベッドに座り込んだ。でも、もうお金も佳菜子も戻っては来ないんだ。彼の儚い恋は終わりを告げた。淡い陽炎のような恋であった。出るのは、溜息ばかりである。彼の元気が戻るのは、いつのことやら...................。





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