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クールな義妹の心は()の中に住んでいる  作者: 創綴世 優


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15/19

(14)約束の前日


 金曜日の朝。


 黒羽を校門で見送り、俺はそのまま駅とは反対の道を歩いた。

 今日は大学がない。こういう日は、ジムに行くと決めている。


 玄関の読み取り機に携帯の会員証をかざし、更衣室でジャージに着替える。


 まずはストレッチで関節を起こし、体を慣らす。


 鏡の前で姿勢を確認しながら、背中、脚、肩、胸――順に筋肉を刺激していく。

 呼吸を意識し、一定の速度と負荷を保って反復する。


 重要なのは力の強さではなく、積み重ねだ。


 ――鍛える理由は単純だ。

 何があっても、黒羽を守れるように。


 作家として机に向かう時間が長くなっても、体だけは鈍らせたくない。

 文章を書く手と同じように、守るための力も磨いておく。


 誰かに見せるためではなく、ただ黒羽のために。鈍った体では、いざというとき彼女を守り切れない。


 〝八年のあいだ兄として過ごし、そして五年のあいだ、一人で彼女を守ってきた〟


 〝黒羽を幸せにすること自体が、生きる一番の理由になっている〟


 いつかの繰り返しになるが――彼女に何かあれば、俺は死んでも死にきれないほどに後悔する。


 ならば、できる備えは全てしておくべきだ。



 インターバルで水を飲み、心拍が落ち着くのを待つ。

 今度はランニングマシンに向かった。


 フォームを崩さず、最初は遅めの速度で走る。


 頃合いを見て、徐々に速度と傾きを上げていく。

 身体が温まるほど、頭は冷めて静かになっていく。



 最後に体幹を整えた後、軽く汗を拭く。


 ロッカーで着替えを終える頃には、頭の中の雑念はほとんど消えていた。


 今日も、やるべきことはやれただろう。



(♡♥)



 夕方、いつも通り黒羽を高校まで迎えに行き、二人で帰宅した。


 夕食と風呂を済ませてから、寝る支度だけ先に終えて、俺は自室の机に座った。


 ここのところ他の用事が多かったので、本業の原稿がかなり溜まっている。



 俺は、執筆の時に決めていることがある。


 ――余計なものを盛らない。むしろ、削れるだけ削る。


 明確に映る情景だけを残し、そこに嘘は混ぜない。


 行間や装飾で語れるものは、文字数だけに頼らない。


 そうやってできた量の〝薄さ〟は、むしろ物語の〝厚み〟を支えてくれる。


 できるだけ簡潔に、自分の頭の中にある真実だけを映し出す。


 キーボードの打鍵音が、夜の静けさに細く響く。

 モニターの光が部屋を淡く照らし、机の上のマグからはまだわずかに湯気が立っている。


 キーボードが一定のリズムを刻む。

 段落を一つ落とし、描写が不要と見れば打ち直し、言動に違和感があれば語尾を変える。


 迷ったら戻るのはいい。

 全てを一度で正解に表現できるのなら、俺はとっくに黒羽のことを理解できているだろう。


 俺に課せられた課題は、『最終的に、どれだけ正確に答えを導き出せるか』ということだけだ。




「……」

(はぁ……はぁ……好きな人が知的な小説書いてる後ろ姿とか眼福すぎるんだけど……♡集中してる雪透さん素敵すぎるよぉ……♡はあぁかっこいい……♡)


 扉の隙間から、光の帯に浮かぶ雪透さんの横顔が見える。

 息を潜めても、自分の胸の鼓動までは止められない。




「……?」


 ――部屋の扉の方から、ごく小さな気配がした。


 気のせいかもしれないし、気のせいじゃないかもしれない。


 今はただ、原稿と向き合う。



 そのまま打鍵の音だけが続く。一文を整え、句点を一つ置く。




(……ああぁ……っ♡ 邪魔しちゃダメなのに、かっこよすぎて目が離せない……♡♡ はぁ……はぁ……っ♥)


 指先で扉の縁をつまむ。心臓の音がうるさくて、雪透さんに聞こえてしまいそうで。

 数歩の距離なのに近づけないもどかしさが、私の心臓の鼓動をさらに早める。




 ……段落の区切りで一度保存した。


 指を組んで軽く伸ばし、また続ける。


 画面の中で、物語だけが前に進んでいく。



(♡♥)



 ――どれくらいの時間が経っただろう。


 最初から全てを読み直し、最後に章末を整える。


 原稿を区切りのいいところで保存し、ようやく背もたれに体を預けて――ふと振り返ってみれば、先程感じた気配は消えていた。


(やっぱり気のせいだったか)


 小さく息を吐いて、モニターに映る最終行をもう一度見つめる。

 その白い文字列の向こうに、黒羽の姿がぼんやりと重なった。


「……」


 ……そういえば、明日は黒羽と服を買いに行く日だ。


 約束をした火曜日、「俺が選んだ服を買ってほしい」と黒羽は言った。


 あの時の言葉は、間違いなく本心だった。


(……最近、ほんの少しだけだが……黒羽の心が見えてきたような気がする)


 そんなことを考えると、胸の奥がすっと軽くなるのを感じた。


 モニターを落とし、スタンドの明かりを弱める。


 俺は明日のために、静かに床へ就いた。



(♡♥)



 ――夜、黒羽の部屋。


(~~っ、きゃ~~っ♡♡あした……っ!! あしたはお兄さんとデートの日なんだ……!!!)


 ……黒羽の方は当然、『明日の約束』を一瞬たりとも忘れていなかった。


(きゃああああ♡♡デート! デート! デートだよ!! あしたはお兄さんとデートなの~~♡♡)


 ベッドの上の黒羽は、ぬいぐるみを抱きしめて転げまわり、

 枕に顔を押しつけて、足をばたばたさせる。


(お洋服何着ようかな……♪初デート、お兄さんに可愛いと思ってほしいから気合入れてたくさんおしゃれしなきゃ……!! でもでも~っ、明日以降は〝お兄さんが選んでくれた服〟着れるんだもんね……♡更衣室の前でお兄さんに褒められちゃったりして……♡えへへ、お兄さんどんなの選んでくれるのかなぁ……?♡お兄さんの好みなら私、何でも着ちゃう……!!)


 視線の先には、机の隅に立てかけた雪透の写真。

 黒羽はそれを見つめ、もう一度ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。

 声にならないにやけを、誰もいないのに誤魔化そうとぬいぐるみに顔を埋める様子は――恋する少女そのものだ。


(ちゃんと可愛くして、最高の一日にしなきゃ……♡昨日のあれで少しは意識してくれたと思うし、明日のデートではお兄さんのことドキドキさせちゃうんだから……♡)


(――っあああああっ!!! 昨日のこと思い出したらまた恥ずかしくなってきた!!! あんなの一日経ったくらいじゃ頭から離れないよおおおお!!!)


(……はぁ、はぁ……落ち着いて私……大丈夫、深呼吸して……お兄さんとの楽しいデートを想像するの……♡)


 深く息を吸って、吐いて――


 明日のデートを夢想しながら、布団に潜り込んだ。


 枕元のスマホに指を伸ばし、明日のアラームを一つ増やす。


(はああ楽しみすぎて眠れないよぉ……♡お兄ちゃんとの初デート……♡うぅ、はやく朝になって……♡)


 胸の高鳴りはなかなか静まらない。


 それでも、黒羽は幸せそうに微笑みながら――ゆっくりと、瞼を閉じていった。

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お部屋の外から覗いてはあはあしてる黒羽ちゃんかわちい(ᐢ⸝⸝› ̫ ‹⸝⸝ᐢ)
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