scene 4-2
――くさッ!! なんだそれ!!
――納豆だよ。
――く、くさってるッ!!
――そういう食べ物なのよ。アタシたちも食べられるかもよ?
――いらない、いらない!!
――こら、立ち上がらない。
――ひぃぃ!! なんかのびてる、ねばねばしてるッ!!
ほぼ捨てるだけの後片付けはすぐ終わり、出かける準備をする慧の足どりは軽かった。
賑やかな時間だった。
FOCUSとはまた違った朝ごはんは、灰をかぶることなく。起きてしばらくすると訪れる現実は淡く色づいていた。
始まる1日が、こんなに億劫でなかったことがあっただろうか。
物思いにふけりながら厚手のパーカーを着込む傍らで、マウロが玄関に駆けていく。
それに続こうとした慧をカアナが止めた。
「義行さんから」
彼女から手渡されたのは、細長いなすびのイラストが描かれた封筒だった。
「ぼーなす、だって。なにかと物入りでしょ?」
「大丈夫、なのに」
「いいじゃない。ありがたくいただきましょ」
「いいの、かな」
「2人ともお迎えって言い出したのは、義行さんなんだし。慧が遠慮することないって」
ささ、たっくさんお買い物するわよー、と意気込むカアナと玄関に向かう。
「おそいぞッ!!」
本日2回目の待ちぼうけに、マウロのご機嫌はナナメだった。
「ちょっと話してただけじゃない」
「あるきながら話せばいいだろ」
「アンタにはまだ早いのよ」
「む」
「なによ」
「すぐ大きくなってやるからなッ」
「望むところよ」
仲がいいのか、悪いのか。
「ほら、帽子」
「ん」
耳を押さえながら器用にニット帽を被るマウロに、慧は思わず声をかけた。
「前、見えてる?」
「見えるぞ」と慧の脚にしがみついて、ぐいっと顔全体で見上げてきた。
……。
違う、それは見えているとは言わない。
もう少し浅く被ったほうがいいのでは、と慧はニット帽に手を伸ばした。
「――!?」
まんまるなマウロの瞳孔が、いきなり縦に鋭くなる。
慧もよく知る、猫の目だ。
「これも猫だった頃の名残ね」
カアナはサングラスをかけながら、マウロのニット帽を目深に下げた。
ゆっくり、まんまるな目に戻っていく。
「強い光に弱いから、こうしないとダメなの。朝はとくにね」
そう言って、両者は手を繋ぐ。
視界の悪いマウロの処世術なのか、面倒見のいいカアナだからなのか。親子のように、ごく自然に。
玄関を出て歩道を歩き出すと、マウロは空いてるほうを慧の手に重ねた。
「つめたい!」
「ご、ごめん」
「てぶくろも買おう。カアナ、買ってくれッ」
「はいはい」
外の世界は依然として灰色に染まっていた。
けれど、今日は……今日からは、そんなこと気にしていられないくらい、賑やかで変化の絶えない日々になっていくのだろう。
慧がそれを嫌だと思わないのは、彼らがヒトの形をしている動物だからだ。
*
FOCUSのある中心街で揃えられないこともないが、階で区切られてるお店が多く、買ったものを引っ提げてうろうろするのはいかがなものか、と。慧たちは、スプーンからベッドまで1フロアで買える、郊外にある大型の生活雑貨店へ向かった。
陶器、木製、プラスチック、金属……など。
食器ひとつ取っても、さまざまなテイスト、幅広い品揃えにマウロのこだわりが炸裂しないわけがなかった。
まくらコーナーから動かない。
カアナも調理器具を見比べて、使い勝手が良さそうなものを吟味して。
そんな2人を眺める慧はカートのお守りだ。
「どう、慧。これで足りそう?」
調理器具の他にタオルや食器など、細々したものも。慧とカアナでギリギリ持って帰れそうな量で選んでくれる。
ARの衣類は遅くても夜には届くらしいので、買わなくていいとのこと。
「あと、これ。マウロの」
カアナが追加したのは、唐草模様のバンダナだった。
色違いで数枚ある。
「ダミーとはいえ、首に巻いておかないと。慧が選んだって言ったら、大人しくやってくれると思うから、よろしくね」
「う、うん」
――カアナは、なにも巻かなくていいのだろうか。
慧はつい、彼女を見てしまう。
「アタシはこれがあるからイイの」
視線に気づいたカアナは、革手袋に包まれた右手をひらひらと振った。
憧れ、尊敬、姉のような存在でもあった彼女は、たしかにARだった。
アシンメトリーの長いほうに隠れた、猫の耳。
寝起きで頭が回らないながらに――
(……あれ?)
今朝の様子を思い出す慧に、1つの疑問が生まれた。
「カアナ、どこで寝てたの?」
ベッドにはマウロと寝た。
日が落ちるまで粘って、FOCUSで晩ごはんを食べ、帰宅後あっという間に寝てしまって。
マウロがいくら小さいからって、シングルに3人一緒は無理だ。
「リビングのソファーだけど?」
「え!?」
「あ、ブランケット借りたわ」
「あれ夏用っ」
「ARだし、大丈夫よ」
「布団も買わないと」
「いらないわよ」
「いるよっ」
「猫に布団なんていらないでしょ?」
「猫だけど、猫じゃないでしょ!」
「これに布団一式は持って帰れないわよ」
「ちょっと待ってて!」
慧は寝具コーナーに行ってしまった。
入れ替わりにマウロがほくほくな顔で戻ってくる。触り心地や大きさ、顔をうずめたときのしっくり感など、お気に召したものがあったのだろう。
カアナの呆れた視線をものともしないで、あたりをきょろきょろ見渡した。
「慧なら布団を探しに行ったわ。ちょっと待っててって」
「ふとん?」
「いらないって言ったんだけどねぇ」
「いるだろ」
意外な返答に次の言葉を待つと、
「ボクが落ちても、カアナがいるなら痛くない!」
「……、そうね」
ごもっとも。マウロはそういう子だった。というか、落ちる前提ならマウロが布団を使えばいい。
「アンタが布団で寝たら?」
「いやだ! ケイのとなりがいい!」
「アタシだって慧の隣がいいわ」
「大人だろッ、がまんしろよ!」
「あら、そこは子どもぶるのね」
しばらくマウロをからかっていると、一式を抱えた慧が戻ってきた。その足取りは軽く、表情も明るい。
「義行さんが来てくれるって!」
寝具を選んでいると、管理局に出向いていた義行から連絡があったらしい。
「おぉ、やったな!」
「うんっ」
これで痛い思いをしなくてよくなるマウロと、無事布団を入手できた慧の、少々すれ違っている2人のやりとりに、お互いの心情を知るカアナは思わず笑ってしまった。




