scene 4-1
『そんな顔するなよ。お前だって先方に頭下げたり、ちびすけ探すのに、これ以上時間とられたくないだろ?』
義行が卯月に耳打ちした内容から察するに、マウロはちょっと目を離したすきにどこかへ行ってしまう子のようだ。
座学がダメなら、外泊先でいろいろ学んでもらおうと試行錯誤するも失敗。
そんな子が慧といたいと言い出したところで、長続きするのだろうか。
身支度を整えるためにも1度管理局へ戻ろうと諭すが、それを口実に回収されると疑わないマウロは、カアナと一緒に慧の家に押しかけた。
*
その翌日。
まだ日も昇らぬ早朝に、2人は慧に借りた寝間着姿のまま、声を潜めてリビングに立っていた。
「なんにもないな」
「ほんとね」
ソファーやローテーブル、ラックにモニターと家具は揃っているのに、モニターを置いてる台も3段あるラックにも、家主の私物らしい私物が一切ない。
寝室に繋がる扉の横にウォーターサーバーがあるが、飲みきれないで溜まったタンクが2つ、カウンターキッチンのカウンター部分を占領していた。
その合間から見えるキッチンには、マグカップとインスタントのカフェオレの箱があるだけで、実に片付いている――――というには、物が少なすぎる1LDKの家だった。
――朝ごはん、食べにおいで。
復学してまもない慧に義行が声をかけた理由が、カアナにも分かった気がした。
「……お腹すいたな」
「なにか買ってくるわ。お留守番――」
できる? と聞く前に、Tシャツ1枚のマウロはカアナの手をがっちりと掴んだ。
じっと待っているつもりはさらさらないようだ。
***
歩いて3分もかからない距離にコンビニがあった。
隣のマンションの1階部分にある、コンパクトにまとまっているコンビニは、早朝という時間もあって、ヒトの定員さん以外誰もいない。
人目を忍ぶのは、トラブルに巻き込まれたくないから。
ARが単独で行動しているのは許容範囲だが、複数となると事情が変わってくる。脱走や共謀、逃亡など、大変よろしく思われない。
カアナがARに見えなくとも、同族からは匂いで分かる。ニット帽で隠しているが、マウロもまた然り。
しかも、追跡機能の役割を持つアクセサリーを、2人とも付けていないため、いつ管理局に通報されてもおかしくないのだ。
カアナの心配をよそに、あれでもない、これでもないと、マウロはペット用品の前で迷いに迷っていた。
そんな彼を横目に、カアナは適当な猫缶をカゴへと放り込む。美味しそうなら、なんでもよかった。
「慧のごはん、選んでるから」
「ぬ」
「……」
どうしてそばにいないんだ、と面倒なやりとりをしなくていいように声をかけたのだが。それを返事として受け取っていいのか、確認したくなる衝動を抑えたのは、ここからお弁当やお総菜の棚が見えたからだ。
紙皿や紙コップ、割り箸にスプーンと買うものをあげたらキリがないので、とりあえず今必要なものだけを手に取った。
あの家、本当になにもないのだ。
コンビニから足早に戻り、カアナは朝ごはんの準備を始める。といっても、電子レンジで温めるだけだ。
パックのご飯を紙ボウルに盛る。
そのまま食卓に並べるより幾分見栄えがいい。
鮭の塩焼きとお漬け物を紙皿に盛り、納豆のパックを添えて、マグカップにインスタントのお味噌汁を入れれば、朝ごはんっぽい雰囲気は出た……はずだ。
フライパンさえあれば、もう少しやりようがあるのだが、今はこれが精一杯。
自分たちのごはんと一緒にリビングのテーブルに並べれば、この空間の異様さが和らいだ。
「おこしてくるな!」
時刻は8時すぎ。
ARの手続きで義行が事務所を空けるので、今日は臨時のお休みだ。
大学も土曜日だから心配しなくていいが、そろそろ起こしてもいいだろう。
「ケイ、朝だぞッ」
隣の部屋からマウロの声が聞こえる。
「なぁってばッ!」
慧は、
夢を視ていた。
いつかの真っ白な世界に、また佇んでいた。
――にゃぁ。
今日も、美人さんなあの子と一緒。
一定の距離を保ったまま、とくになにをするわけでもないのが、最近の夢だ。
『 』
自分じゃない自分が愛おしそうに彼女の名を口にする。その声色に怪訝な顔をする自分がいた。
すると、こっちに寄ってきていた彼女の足が止まった。
彼女と目が合う。
『ごめ、ん……そんな、つもりじゃ』
悲しい顔、しないで。
『にぃ……』
彼女が消える。
嫌だ。
やだ、行かないで。
目が覚めたら、最期。
二度と逢えない気がした。
真っ白な世界に溶けていく彼女を止めようと、手を伸ばす。
『待って――――カアナっ!!」
掴んだのは、
腕、だった。
革のロンググローブに包まれた、カアナの右腕を掴んで、慧は飛び起きた。
突然の起床に、頭上ではなくヒトと同じ位置にあるカアナの右耳が反応する。
そりゃ猫だもの、と反対の手で押さえ込みながら、慧に笑顔を振りまいた。
特別なことなんてしていない。
マウロのモーニングコールに無反応だった、安らかな慧の寝顔をただ見つめていただけだ。
「朝から積極的ね、慧。おはよ」
「――……」
血色のよくない顔が、ゆっくりとカアナのほうを向く。
朝は、弱いようだ。
体が追いついていない。
掴んでいる手は、氷のように冷たかった。
少しでも温かくなればと、耳から慧の手に。
直に触れる彼の手は、やっぱり冷たい。
じんわり……。熱が伝わったのか、はたまた怒濤の昨日を思い出したのか、慧の瞳が揺らいだ。視線が定まると、顔に赤みが差す。
「お、おはよっ」
カアナはそっと、手を離した。
慌てて慧も離せば、今度は一変、顔が真っ赤になる。
「ごはん、用意したの。食べられそうな「早くー!!」
待ちきれないマウロがスプーン片手にやってきた。
「おそいぞッ、冷めるだろッ」
「う、ん。行くから、ちょっ、あ、待っ……」
朝から元気なマウロに袖を引っ張られながらリビングに行くと、そこには食卓が広がっていた。
慧がソファーとローテーブルの間に座れば、その隣をマウロが陣取る。
「おまえも早くすわれッ」
「……っ、はいはい」
2人の世界と思いきや、カアナもしっかり数に入っているようだ。マウロに促され、慧の隣……は、さすがに狭いので、角を挟んで90度の位置に座った。
「よし」
いったんスプーンを置き、小さな手を合わせる。
「いっただっきまぁすッ!」
「いただきます」
「い、ただき……ます」
つられて、カアナと慧も手を合わせた。
勢いよく食べ始めたマウロから、カリカリッと軽快な音が。幸せそうに頬張る姿はとてもかわいい。
カアナもシリアルとコンビーフを食べているヒトにしか見えず、品よく美味しそうに口に運んでいる。
2人の食べっぷりに、慧も割り箸を手に取った。
自宅で食べる朝ごはんらしい朝ごはんに戸惑いを感じつつも、まだ温かいご飯をひとくち、口に含んだ。
ゆっくり咀嚼していくと、口いっぱいにご飯の甘みが広がる。
「……美味しい」
「ホントか!」
「うん、美味しい」と、三角に並ぶホクロが動く。
上っ面でもない、愛想笑いでもない、いつもよりちょっと控えてない笑顔を、慧は2人に向けていた。




