scene 3-1
全てが灰かぶりに見えてしまうせいか、慧はFOCUSの外掃除があまり好きではなかった。
けれど、時間の融通だけでなく、朝ごはんも、最近はお昼ごはんまで持たせてくれるバイト先で、自分ができることをしたかった。
なにかするごとに、彼女は「ありがとね、慧」と、もったいないぐらいの笑顔を向けてくれる。
くぐもった世界でも眩しかった――――そんなカアナの役に立ちたい。
黄色や赤に染まっているはずの、灰かぶりの落ち葉に息が詰まりそうになる。
「おい!」
ほうきを握る手に力を込めた。
「おまえ!!」
……声を、
「むしするなッ」
かけられて、
「きこえてるだろッ」
いる?
灰色の世界を見渡すが、それらしい人はいない。
気のせいだと掃除を続けようとしたら「なあってば!!」とズボンのポケットを引っ張られた。
下を向くと、小さな男の子がいる。
目深に被ったニット帽から見え隠れする、くりっくりでぱっちりな瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「――っ!!」
緑がかった金色の瞳、カーキ色のパーカーに、黒のサルエルパンツ。
くすんでないし、灰もかぶっていなかった。
見間違いや錯覚ではないのかと目をこするが、少年は色褪せない。
ほっぺがぷくーっと膨らみ、眉間のしわが寄ってくる。
「ここ、ごはん屋だろッ!!」
「そうだけどっ!?」
色味に気をとられ、反応しない慧にしびれを切らし、八重歯むき出しで尋ねてくる少年は、どこか鬼気迫っていた。
その理由は――――
『ぎゅるる』
短くも説得力のある重低音に、慧はcloseの扉を開けた。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
険しい顔つきから一変、今にも泣き出しそうな少年をFOCUSに招いた。
「ねぇ慧。ちょっと提案なんだ……け、ど?」
外掃除から戻ってきたと思っているカアナは、自分の腰の高さにも満たない小さな来客に、言葉を詰まられた。
「え、なに。子ども?」
「もろぷち、くれ!」
「ごめん、カアナ。この子に」
「もろぷち!」
「なぁに、それ?」
「きゃっとふーど!」
少年は目をキラキラさせながら、ニット帽を脱いだ。
黒と茶色が入り交じる、ふわふわというより、もふもふとした髪から、立派な“猫の耳”が飛び出した。
窮屈な思いをしていたようで、しきりに動いて。
正真正銘、ARの……子どものようだ。
それなら、話は変わってくる。
人の形こそしているが、食に関しては動物寄りだった。猫に与えるとダメな食べ物は彼らにも当てはまり、AR専用のものがあるわけではないので、一般的なペットフードが彼らの主食になる。
「……ない、のか?」
「――!!」
「ごはん屋……ご、はん」
美味しそうな匂いで溢れているのに食べられないなんて。
期待に満ちたまなざしが潤み始める。
2人を見上げてなければ、零れてしまいそうだった。
「それじゃなきゃダメなんでしょ。もうちょっとだけ、我慢してて」
「俺が買ってくるよ。もろぷち、だね?」
「う」
慧は涙声で返事をする少年の頭を撫でた。
*
走れば10分もしない距離にある、義行が大量買いしていた、あのスーパーマーケット。
あそこなら、ペット用品も豊富にある。
空腹で動けないだろうと、1人で行く気満々だった慧に少年はついてきた。
手を繋いで歩く姿は、年の離れた兄弟に見えなくもない。
目深に被ったニット帽から見える表情は生き生きとしていた。
「待っててもよかったんだよ?」
「もろぷちはたくさんあるんだ、きっと分からない。ごはん屋がそーぞーしてるより、たーくさんあるんだぞ!」
スーパーに向かう途中、少年は身振り手振りで『もろぷち』に対するこだわりを話してくれた。
少年の色味は健在だ。
「ごはん屋だって、べちゃべちゃなごはん、きらいだろ?」
「まぁ、うん?」
べちゃべちゃなごはん=白米、なのかは分からないが、もし白米ならあまり好きじゃないし、水分の含んだパンなんてもってのほかだ。
良かれと思って買ってきたごはんが少年にとって『べちゃべちゃなごはん』だったら、今度こそ泣いてしまうかもしれない。
そんな顔させたくないし、ごはん屋の端くれとして提供したくなかった。
スーパーのペットコーナーは、思った以上に充実していた。
ARが普及しているこの街ならではなのか、少年も目移りするほど、とにかくたくさん。
ゆっくり見ている時間はないので、もろぷち社のものを慧は探す。
少年以外、灰色一色の彼には文面だけが頼りだ。
「この猫缶、どう?」
「ねこかん?」
缶詰を見せると、少年は首を横に振る。
「角切りとか、ほぐしてあるのとか」
「カンはちがう」
「パウチのスープもあるよ」
「うーん……それじゃない」
「これは?」
「ちがう」
「こっちは?」
「ちがう」
手当たり次第見せていった。
少年の言っていた通り、本当に種類が多い。が、どれも好みじゃないらしい。
万人ならぬ、万猫受けだと思っていた猫缶なんて見向きもしなかった。
慧はふと、ここに来る前の会話を思い出す。
最終的に好まない食べ物として解釈したが、難しく考えすぎていたのかもしれない。
単純に、
水分の多いもの。
「おぉ!! それそれッ!!」
少年も見つけたようだ、もろぷち社のカリカリを。
俗に言うキャットフード。今思えば、もろぷちの説明を求めたときに、はっきり言っていたじゃないか。
カツオにまぐろ、チーズにささみと味も豊富だが、1歳まで、7歳から、など年齢を指定するものも……。
どれだ。
少年のことだから、この中ならなんでもいいわけがない。
「これッ」
「これ!?」
少年が指さしたのは、『毛並みケア』
――ARの髪に効くのだろうか。
慧はこんなものまであるのかと関心しながら、そのまま少年に手渡した。
両手で受け取った少年は満面の笑みで、早くレジにと駆けていく。後ろ姿までかわいかった。
追いかけようとした瞬間、慧がぶるっと震える。
足を止め、上着のポケットに手をつっこむと、ケータイが着信を知らせていた。
「……もしもし?」
『杉浦、ごめん……っ』
大学の友人からだった。なにか、すごく急いでいるように聞こえる。
『ちょっと、今日の講義、行けそうにない』
「うん、分かった。ノート、しっかり取っておくね」
『ありがとう、助かる。今度、必ず埋め合わせするから』
だんだんと早口になる友人に、慧も簡素に言葉を返した。
「うん、楽しみにしてる」
『じゃ、また』
“お昼をご馳走になって講義に出る”
その予定が無くなる。
時間に余裕が生まれたことを物悲しく感じながら、慧はレジに急いだ。
「――合計937円のお買い上げになります」
カリカリの両隣に、かつおぶしと乾燥タイプのカニカマが並ぶ。
レジを待つ少年に、帰りがけに食べられそうなおやつの提案をしたところ、腰をすえて食べたいらしく、しかし買ってもらえるならと、この2つが追加された。
慧が財布からお札を取り出していると、少年は自分のポケットに手をつっこんだ。
「これも使ってくれ!」
小さな手に握られていたのは、50円玉と10円玉2枚。
少年の所持金なのだろう。
これでは小袋のカリカリを買うことさえ難しい。比較的融通がきくFOCUSを選んだのは正解だと思う。
少年ぐらいのARなら、対価を支払うことを知っているだけで十分だけれど。
「ここはお兄さんに任せなさいって、子猫くん。社会勉強、がんばってね」
慧が受け取れずにいると、レジのお姉さん、ネコ型のARが声をかけてくれた。
彼女にも立派な耳と、おしゃれなチョーカーが巻かれている。
「おう!」と、元気よく返事をする少年の首には、なにも巻かれていなかった。




