scene 1-2
大通りから少し入り組んだ、オフィスビルが密集する場所の一角に、看板を出さずに営業している、きっさてん ふぉーかす。
もとい、喫茶店FOCUSは4人がけのテーブル1つとカウンター席4つの、お茶請けの延長線で軽食を提供しているうちにできた、小さな小さな喫茶店だ。
内側のノブにかけられた木目調のプレートが、closeを引っ提げて揺れている。
「……」
しばし扉と向き合う。
右手に牛乳、左手に小麦と両手に花状態の義行に、引き戸であるこの扉を開けるのは無理だった。
各々、重い。
まとめて持てば、ビニールの持ち手が破れてしまいそうだ。
「おかえりなさい、義行さん」
ドアベルとプレートの絶妙な調和音をまとって扉を開けてくれたのは、ちょっと控えめで、華奢な、ミルクティー色のさらさらヘアが綺麗な21歳の野郎だ。
左頬の三角形に並んだホクロを動かすことなく、これまた控えめな笑顔で出迎えてくれる杉浦慧は、世話になってる人の弟で、大学に行く前に朝食をここで済ましていく従業員でもある。仕込みの手伝いをしていたようで、エプロンがよく似合う。
買ってきた品物をテーブルに置き、義行はカウンター席の端っこに座った。
空気清浄機が唸る。
まだタバコに火をつけていないのに、だ。
「……なに、買ってきたのよ」
ため息混じりの声は厨房から。テーブルにでかでかと置かれた買い物袋2つが見えたようだ。
義行におつかいを頼んだ張本人が顔を出す。
茶髪ベースのアシンメトリーに、白と黒のメッシュを入れた、右腕だけ革のロンググローブをしている、自己主張強めな店主のカアナだ。秘書も兼任している。
「……1個ずつで良かったんだけど」
「最近の牛乳はいろんな種類があってだな」
「普通のだけでいいのよっ」
慧が牛乳を並べてくれる。
成分調整牛乳。
低脂肪。
無脂肪。
乳飲料、と表記された牛乳。
義行にとって、どれも別物だった。
「こっちも」と、心なしかワクワクしている慧は、小麦粉たちまで並べて。
強力粉。
中力粉。
薄力粉。
全粒粉。
勢ぞろいだ。
「……セモリナ粉まである」
「小麦の粉、だろ?」
間違った物を買ってくるよりは断然良い、と上機嫌な義行に、カアナはかける言葉が見つからなかった。
「冷蔵庫、入れてくるね?」
慧は慧で、そんな日常に慣れていた。
「ふあ……」と欠伸を噛みしめてる義行に、眠気が襲う。
「ブラック、おかわり?」
「……はふっ。いや、いい。今日は……あー、特になにもなかったし、昼まで上にいるよ」
上、というのは中2階のこと。下をカフェスペースにしてから寝床と化した義行の事務所だが、ファイリングされた書類がずらっと並んでいる。
そのため、慧は絶対に立ち入らない。
単に手すりのない、片持ち階段が嫌いなだけかもしれないが。
*
遠くで鳩が鳴く。
一定のリズムで、くるっぽー。
規則正しく、くるっぽー。
機械的に、くるっぽー。
12時間置きにしか鳴かない、怠惰な鳩時計。
そこから発せられているものだと、覚醒しきらない頭で理解する。
――もう、少し。
離れていきそうな睡魔を引き寄せた。
鳩が、子守歌に変わる。
睡魔とランデブーに洒落込もうとした矢先、店内にケータイの着信音が響き渡った。
超、大音量で。
義行の睡魔はヘソを曲げて消えてしまった。
寝ていたソファーに座り直し、ローテーブルで暴れ回っているケータイを手に取る。またマナーモードになっていなかったようだ。
画面には、『紀子』
見知った名前だった。
出会った頃は恋人を亡くした直後というのもあって、とーってもしおらしかった彼女も、今や会社の代表取締役だ。
FOCUSにお昼を食べに来てくれる常連であり、喫茶店をしたらどうかと、カアナを焚きつけた人物でもある。
……それにしても、手荒いモーニングコールだ。
「も……もしもし」
「『ちょっと約束忘れてない!?』」
約束? いや、それより、声が二重に聞こえてならなかった。
「さっさと起きる! 貴方ご自慢の階段、危なっかしくて上る気にならないんだから!!」
どうやら、すでに下にいるようだ。
「義行!!」
これ以上爆発しても困るので、足早に階段を下りた。
グレーのパンツスーツを着た、黒髪のショートボブがカウンターに座っている。
『来てたのか』
『悪かった』
何食わぬ顔で声をかけても謝罪の言葉を述べても、火に油を注ぐような気がして、
「――話って?」
義行は真面目なトーンで、本題をぶつけることにした。扉のプレートに手をかけると、紀子のボルテージが下がっていく。
「閉めなくていい」
「そうか? 助かる」
……怒りが治まってくれて。
そんな心の声が伝わったのか、紀子からため息が漏れた。
「貴方ねぇ……」
「まぁまぁ」
貴重な昼休憩が減ってしまうだけだと、紀子は話を進めることにした。義行も彼女の隣に座り、聞く体制になる。
「ゴローさんのこと、お願いしたいんだけど」
レプリカント化されていない、ポメラニアン♂のゴローさん。
動物は白砂病にならないのに、九州や四国は本州からの持ち込みを許可していない。そのため、紀子が出張のときは、ゴローさんを預かっている。
大切な忘れ形見だ。
「明太子な」
「残念、今回は四国だけ。九州のメディカルチェック、通らなくてね」
「そういう時こそ、俺に言えよ」
「いくら義行でも、適齢期間近の人間をOKにはできないでしょ」
「俺と一緒なら大丈夫だろ」
「ゴローさんはどうするのよ」
「――慧に任せる、かな」
トレーを持った慧が厨房から出てくる。
「あらっ、慧くんっ」
「こ、こんにちはっ」
「今日、お休みだったんだっ?」
紀子が来店した時、お皿を洗っていた慧は、彼女の剣幕に出るに出られず。なにも見てない、聞いてないよろしく微笑んで、紀子の前にワンプレートを置いた。
「熱いので、気をつけてくださいね」
つやっつやのデミグラスソースをまとったハンバーグに、ぷるんっと揺れた目玉焼きがメインの、今日の日替わりワンプレートごはんに、彼女の口角があがる。
「日取りが確定したら、連絡するから。ゴローさんのこと、よろしくね」
「はいはい」
話はこれで終わり。
「今日も美味しそうっ」
「……太るぞ」
義行自身が聞き取れる程度の呟き。のはずが……
「――――ッ!!」
ハイヒールのかかとが足の甲に食い込んだ。踏みにじらないのは慧の手前。
(ヒールが離れるまで、厨房に戻らないでくれっ……)
痛みに耐えながら、しかし顔には出さず。涼しい顔を保つ義行に、慧は苦笑しながら、置きかけていたカトラリーケースから手を離していいものかと躊躇する。
「ちょっと、慧くん」
それを指摘するのかと思えば、紀子の声色は嫌悪感よりも驚きの方が強く、前のめりで慧の左頬を触り始めた。
同時に足の甲からヒールが離れ、義行は事なきを得る。が、慧の左頬にある三角に並ぶホクロについて、今更感が否めない。
珍しいよね~、綺麗に並んでるよね~、ぐらいだ。
現に最初がそうだった。
しかし、見つめる顔は真剣そのもので……。
「慧くん、クマ!」
「く、ま?」
目の下をそっと撫でられ、ビクッと肩が跳ねた。
「義行にこき使われたら、すぐ言って。秘書でも付き人でも、そばにおいてあげるからっ」
慧の顔に力が入る。
どろっとしたなにかが触れているような、言いしれぬ不安と悪寒が慧を包む。
紀子の心配を拒絶しているわけではない。
触れられることが、左頬を触れることが、今の(・)慧にはNGなのだ。
彼女はおろか、義行だって知らない。
「紀子さん、ご・めーんっ」
そこに割って入ったのは、カアナだった。
「今日はスープ付きなの。すっかり忘れてて。ね、慧?」
「あ……う、うん」
「クリームスープなんだけど、お口に合えば」
「新作ぅ~?」
「試作ぅ~。感想、待ってまぁす」
あったかいうちにどうぞー、厨房に引っ込むカアナに、慧も「ご、ゆっくりっ」と続いた。
その場の空気をなんとか壊さずに済む。
それもこれもカアナのおかげだと、俯く慧を彼女は咎めるわけでもなく、
「たしかに。クマ、ちょっとひどいかも」
鼻先がくっつきそうな距離まで顔を近づけて、まじまじと観察する。
「あ、の」
「ちゃんと寝てる?」
「かぁ、な」
「根、詰めちゃだめよ?」
「……ふぁ、い」
「自分のこと、もっと大切に――って、免疫なさすぎ!」
ぼふんっ。と音がしそうなくらい茹でだこ状態の慧から顔を離して、憂いの消えた彼を密かに安堵した。
紀子を筆頭に、14時まで地味にバタバタする。その後、遅めの昼食をとって、後片づけをして。
そうしていると、時間はあっという間に過ぎていく。
「今日もお疲れさま。明日は、なに食べたい?」
「……サンドイッチ」
「また?」
「カッテージチーズ入りのハムサンドとか、美味しそうじゃない?」
「ほんと好きね」
仕事を終え、慧はバス停、カアナは明日の買い出しに行くため、大通りに出る途中まで一緒に歩いていた。
「カアナの作るサンドイッチ、本当に美味しいんだって」
「もう。褒めたって、量が増えるだけだぞっ」
「じゃあ、もっと褒める」
決して歯を見せて笑うことはないが、三角のホクロが少しだけ歪む。
他愛のないこの時間が、カアナには一番の憩いでもあった。
「――それじゃ。また明日」
ミルクティー色の後頭部が雑踏に溶けていく。
名残惜しそうに見つめるカアナは、真逆の方向に歩き出した。
□
バスに乗って、3つ目の停留所で降りる。
17時ちょっと前。今日のバスは空いていた。
短くも長くもない距離だけど、突っ立っているのもどうかと、窓際の席に座る。
色味のない世界だ。
黄色く色づき始めたイチョウも、グラデーションが綺麗な夕焼けも、慧には灰が被ったように視えていて。
一時的なものだと言い聞かせて、今日も目を瞑る。
目覚めた時にはそんなことなかったのに、と。




