scene 11-2
慧のケータイが鳴る、少し前。
時刻は朝の4時を過ぎていた。
「戻ったか」
マウロを管理局に届け、本社に報告した足で、影津診療所にやってきた義行は疲労困憊だった。
「珍しいな、お前がクマなんて。イイ男が台無しじゃないか」
「車で行ってたもんで……」
「ご苦労なことだ。白砂病の抗体様々だな」
義行の中の、義行だけにしか効かない抗体は、30代後半でも遊びに明け暮れる学生のような体力を維持していた。
今の環境も相まって、義行の老化はほぼストップしている。
近々、世に出回る予防薬SAiDも同じ効果をもたらすだろう。
20代の外見、体力のまま。
60歳まで生きられればいいほうだ。
「元貴さん、これ」
「ほー、あったか」
出向いた甲斐があった、と先生はパケ袋に入れられた手紙を受け取った。
「いろいろ聞きたいんですけど……」
「寝不足な頭で理解できるなら、してやってもいい」
「そんな複雑?」
「――にしたがってるのはおまえだ、義行」
“影津診療所にいる、サクラに宛てた手紙”を回収するには、ざっくりとした依頼をするしかなかっただけのこと。
「部屋は開けてある。さっさと眠れ」
「起きたら、教えてくださいよ」
ふらふらと診察室を出ていく義行を見送って、改めて依頼品の確認をする。
淡いオレンジ色の唐草模様があしらわれた、かわいらしい手紙は封が開いていた。
封緘シールの招き猫は乾ききっており、自然に開いた……にしては、手紙全体に張りがなく、故意に開けられた形跡がある。
サクラに向けて綴られたものであっても、穂瑞の遺族にとっては形見であり、彼を感じる数少ない物品だったのだろう。
なにはともあれ、手紙があってよかった。
そうとなれば、今度は時間が迫ってくる。
早朝だということもはばからず、先生は慧に電話をかけたのだ。
『おはよう、慧くん。
坊やに逢わせたい人がいる。
できるだけ早く、診療所に来てほしい』と。
丸くおさまりつつあったところの着信だったので、慧もカアナもすぐに対応ができた。
「博士にはアタシから連絡するわ。慧は先に支度して」
半裸のカアナは着替えれば出られるため、慧を急かして。
「もしも――」
〈すどーは、かみんちゅーにございますので、またのきかいをおまちみます〉と、不思議な音声が流れてくる。
「……あぁ、マウロね。ちょうどよかった。影津先生のとこ行くわよ、すぐ出られる?」
〈あいてるのか、そーちょーだぞ〉
「早く来てほしいんだって」
〈ちょっとまってろ。――――すどー!! おきろッ!! たいへんだッ!! うるさい……どう、した。すどー、うんてん、できるよな! 分かった、分かったからっ。暴れるなっ〉
「も、もしもし?」
〈やっだぞ、よろこべッ。すどーがつれて行ってくれるって!〉
「それは、ありがたいんだけど……マウ」
〈男にニゴンはないよな! なッ! 代われ――そっちに迎えに行く、30分後だ。ボクのリュックはーッ!? ここにあ〉
ツー、ツー……。
通話終了の画面を見つめたまま、カアナは立ちすくんだ。
声が。
むしろ声だけだったから、よけいに伝わる。
マウロが、空元気なこと。
叩き起こされた卯月も、動揺を隠しきれなかった。
*
車内は静かだった。
電話の時とは一変して、慧の膝の上に座るマウロは外を眺めていた。
早朝の道は空いている。
海沿いに差しかかると景色がよく見えた。
朝日に反射する白波は眩しくも綺麗だ。
マウロは目をしばしばさせて、胸に抱きかかえてるリュックをふみふみし始めた。
「もうすぐだ」
「海沿いにあるなんて、おしゃれね。全室オーシャンビューだったりして」
「海の近くは白砂病の影響が少ないからな」
「そうなの?」
「あぁ。最近、分かった」
いつになくおしゃべりな2人に、慧は聞くことしかできない。
「今から行くところの所長さんは、ずっと前からそれを提唱してきた人で、研究者や医学会ではちょっとした有名人だ。『白砂病は海を越えない』ことにいち早く気づいて、独自の解釈で患者を受け入れてる。隔離もしないし、面会もできて、普通の病院となんら変わらない。どんな施設よりも人らしく長く生きていられるのは、そこぐらいだ」
「すごいじゃないっ。ちょっと想像できないけど」
この中では一番付き合いの長い慧に、マウロは尋ねた。
「あいつって、じつはすごいやつ?」
「そう、みたい」
慧も初耳だった。先生自体、自慢するような人ではないし、辺鄙な場所にあるのも、騒がしいのが苦手だからと思っていた。
「……ただ、白砂病の根本的な治療に関しては消極的らしく、ヤブだの医者失格だの、反感を持つ輩も多い」
言い終わって、卯月は蛇足だと気づいた。マウロの空元気に拍車を掛けてどうするのかと、バックミラー越しに様子を伺う。
「あいつは、ヤブじゃないだろ」
マウロは落ち着きはらって、そう言った。
防護服に身を包んだ医者や看護師に徹底的に管理され、誰にも看取られることなく、孤独に散って逝く。
ヒトが人らしく終えられなくなった今、最期まで人らしくいられることが、どれだけ尊いことか。
意地こそ悪いが、それを大切にしている先生の、どこかヤブだと言うのだ。
「……そうね」
カアナも賛同する。
「慧の主治医だもの。ヤブじゃ困るわ」




