scene 8
卯月は高校時代を中立都市で過ごしていた。
銀髪で粋がってる、と当時よく絡まれていた卯月だが、基本スルー。自分から吹っ掛けることはなかった。
しかし、2年生の中盤で1度だけ。
路地裏で火遊びしていた3人組に突っかかった日があった。やつらはゴミだけでは飽きたらず、段ボールに――中から仔猫の鳴き声が聞こえてくるにも関わらず、火を付けようとしていた。
ライターを握っていた男を、卯月は問答無用で殴った。殴って殴って、鼻血で顔が真っ赤になるまで殴った。
注意が段ボールから卯月へ。
火がつくことは阻止できた。
『――っ!!』
安堵する卯月の頭に鈍い痛みが走った。揺らぐ視界に、一斗缶を持ったデブとひょろいのが入り込む。
『ウサギちゃんじゃねーか』
『不意打ちとか、ヒキョーじゃん?』
デブの膝が鳩尾に。
よろけた卯月の胸ぐらをひょろいのが掴んだ。不敵な笑みを浮かべて、卯月の左頬に一発。見た目と違って重いパンチに口の中が切れた。
『男前が台無しー。アハハッ、ぶっさいくー』
仰向けに倒れた卯月に追い打ちをかけた。
腹を、踏み潰す。
『がっ、は……』
『ウーサちゃん』
息が入ってこない。
『くるちーいー? ねぇーってばぁ、答えなよー』
『おーおー。最初の威勢はどこいっちまったのかねぇ、ウサギちゃん』
朦朧としてきた。
遠くなのか、近くなのか、猫の鳴き声が聞こえる。
『……っ、うっぜ』
『強がりなウサちゃん、かーわーいーいー』
デブに羽交い締めにされ、卯月は無理やり立たされた。
ひょろいのがライター片手に顎を掴んでくる。
『ぷっ』と善悪のつかなそうな、いけ好かない顔に血が入り交じった唾を吐き捨てれば、目の前にかざされたライターに火がついた。
『よーく燃えそうな髪だねー』
楽しそうにいたぶる2人は、完全に卯月に意識が向いている。
これでいい。
――そう、思っていたのに。
『お巡りさんっっ、こっちですっ!!』
突然聞こえた声に、ひょろい奴の手が止まり、羽交い締めからも解放される。
デブは慌てて最初に殴ったヤツを担ぎ逃げ、ひょろいのも面白くなさそうにそれに続いた。
投げ捨てるようにその場に残された卯月に、逃げる気力はない。
『あ、あのっ』
お巡りを呼んだヤツが駆け寄ってくる。
それが、のちの慧で。
卯月はわざと無視をした。
『う、うさぎくんっ』
『……あ?』
『だだっ、だい、じょぶ?』
震えながら身を案じる慧に、卯月は訂正させる。
『ウヅキだ』
『う、ず?』
『……旧暦。4月の』
絡んでくるやつらはそれをもじって、卯ちゃんなんて呼んでくるが、腹立たしいことこの上なかった。
初対面だった慧にも、当然イラッとしたわけで。
『卯月くん、大丈夫っ?』
それでも慧は心配することをやめない。
『俺のことはいいから、早くどっか行け。……お巡り、来んだろ』
『こ、来ない!』
『は?』
『交番、見つけれなくて……その』
どうやら、ハッタリだったらしい。
腕っぷしに自信のない慧の、苦肉の策だったようだ。
非行とは無縁の、普通の生徒だった慧が、なぜ毛色の違う卯月を助けたのか。
よく見れば同じ制服。
学年で違うネクタイも同じ色。
普通の進学校で、風紀が乱れてるのは卯月ぐらいだった。誰も近寄らないし、卯月も近づかない。
だから、よけい助けた理由が分からなかった。
切れた口の端をハンカチで押さえる手も震えている。
本当は、関わりたくないはずだ。
『いい。汚れる』
『あ、うん』
『……』
『……』
手が離れない。
露骨に苛立ちながら慧に視線を送ると、卯月越しになにかを探していた。
『……おい』
ようやく視線が交わる。かと思えば、『みー』という声にすぐそらされた。
――ついでに助けられた感が半端ない卯月は、そのまま慧の家で手当てされる。
そのとき居合わせた慧の義妹やらに撮られたものが、パスケースにあった“傷だらけの卯月と仔猫を抱えた無傷の慧”の写真だ。
カアナに見られたとは露知らず、卯月は昼間のデータを元に数値が割り出されるのを待っていた。
時刻は、夜も更けに更けた深夜1時すぎ。
いきなりドアが開く。
「……ノックぐらい、してください」
「集中してたら、気づかないだろ?」と、悪びれもせず入ってきたのは義行だった。
差し入れのパンとコーヒーにお礼を言いつつ、こんな時間の訪問に卯月は悪い予感しかしなかった。
「そんな顔するなよ」
「……今、何時だと思ってるんですか」
「あんま、人に聞かれたくなくてな」
「……」
「だから、そんな顔するなって」
「なに企んでる」
露骨に顔に出す卯月は高校時代の悪ガキそのもので、当時を知っている義行はついつい笑ってしまう。
「アンタがそうやって笑ってると、ろくなことがない」
「ひどい言われようだな」
「自分の胸に聞いてみろ」
思い当たる節がありすぎるようで、義行本人は苦笑するだけ。
世間話をするために来たわけではないのだから、さっさと言えばいい。
「実はな――」
そんな思いが伝わったのか、義行は本題をぶつけてきた。
「近々、マウロを禁止区域に連れて行こうと思ってる」
「はあっ!?」
「なんだ、聞いてなかったのか」
全くだ、と卯月は心の中で叫んだ。
「動物は影響を受けないが、ARはどうなのかを知りたくてだな」
「なんでそういうことになった!?」
「話せば長くなる」
守秘義務とやらで教えてもらえない。
義行の常套句に卯月が折れるしかないのだが、ARが絡んでいる以上そうはいかなかった。
「上からの命令じゃないよな。そちらさん、ARには興味ねーだろ」
「禁止区域に行けるヤツが増えたら、俺の商売上がったりだな」
「上には頭あがんねーだろうがっ」
「痛いとこ、つくねぇ」
「義行っっ!!」
「上には、なーいしょ。片道9時間の長距離dri~ve」
だからそんなにまくし立てるな、と余裕ぶっこいてる義行が一変して、落ち着いた口調でまじめに話し出す。
「約束したんだ。定期検診受けたら、連れて行ってやるって」
マウロを連れていくことは、あくまで私事。
なにかあってからでは遅いから、こうして助言を求めに来た。
――最初からそう言えばいいのに、この人はいつもそうだ。
義行の分かりにくい真意にため息をつきながら、昼間の、マウロの奮闘っぷりが頭を過った。
『ぬああああああ、きもちわるいぃぃぃ!!』
『一気に浸からなくていい。一度あがれ、顔が真っ青だ』
『すーち、かおいろ、かんけーあるかッ!?』
『ない。でもな』
『ぞっこーしてくれぇぇぇ!!』
慧の手前かと思っていたが、そういうことだったのかと納得する。
「ARも動物と一緒で、影響を受けない」
「そうか。よかった」
「一応、戻ってきたら――」
扉を叩く音で、会話が止まる。
「須藤博士っっ」と、シバの心配そうな声色が扉の向こうから聞こえてきた。
「博士の声が、そのっ。あの、大丈夫ですかっ!?」
いきなり入ってこないのは、そうしつけたから。さすが、イヌのARだ。
だが、従順な子であっても、この話を聞かせるわけにはいかず、義行は口パクとジェスチャーで「戻った足で、ここに連れてくる」と話をまとめた。卯月も無言で頷く。
「夜分遅くに騒いでしまって申し訳ない」
「し、篠岡さん!?」
扉を開けた義行に、シバはびっくりしていた。まさか口論していた相手が義行だなんて、と顔に書いてある。
「博士、ちょーっとご機嫌ナナメみたいだからさー」
「は、博士っ。すみません、オレっ」
「しーっ、刺激しちゃダメだって。柴犬くんも、このまま自分の部屋に戻っちゃいな」
義行の言うことを鵜呑みにしたシバの顔が青くなっていく。
こういうところもイヌならではというか。
シバと目が合うと、すぐにそらされてしまった。
「し……失礼しまぁす……」
そして、静かに退室していった。
「あんま厳しくしてやんなよ」
「アンタがテキトーなこと言うからだ。用件は済んだろ、お帰り願えますか」
「あーあ、ホントにご機嫌ナナメだ」
誰のせいだ。
〈No.CR510 ReB.97〉
〈No.CRXX2 ReB.92〉
ちょうどよく、要になる数値が割り出され、卯月はそちらに集中し始める。
これはもう相手をしてもらえそうにない、と研究室を後にする義行の足に、なにかが当たった。
それは、口論の最中に白衣のポケットからこぼれ落ちたパスケースだったが、義行も持ち主の卯月でさえも気づいていなかった。
拾い上げた義行は、しれっと中を確認する。
ふたつ折りのパスケースを開くと、鍵たちが擦れた。
その音に卯月が反応する。「預かる。落とし物、だ」と、有無を言わさず抜き取ると、そのまま白衣の内ポケットにしまい込んでしまった。
――落とし物、ね。
なら仕方がないと、義行はあえて、なにも言わず。今度こそ卯月のラボを後にした。




