scene 6-2
簡単なカウンセリングを兼ねる定期検診はカフェスペースでは行わない。これ以上できることはないと、泣かせた張本人は肩に鼻水をつけたまま、慧を連れて中2階の事務所へ行ってしまった。
下に残された義行とカアナが、必然的にマウロの相手をすることになる。
「はい、ちーんして」
「じゅびびびびびッ」
「どう? 落ち着いた?」
「う、ぐッ」
「ほら、おいで。アタシの胸も鼻水だらけにしていいわよ」
マウロはぶんぶんと首を横に振る。
両手で両目を拭い、真っ赤な瞳で平常を装った。
分かっていたことを言われ、改めて理解すると、マウロにだってこみ上げてくるものがあるようだ。
「……前の飼い主のこと、覚えてるのね」
ARになる前のこと、
大半は忘れている。
忘れたほうが幸せだからだ。
飼い猫出身のARは主の間違った判断で捨てられた子たちばかりだ。なのに、マウロは飼い主が付けた名を捨てず、捜そうとまで。
仮に逢えたとして、どうするのか。
言葉を交わせるようになって、なにを言うのか。
「生きてるのか?」
「……分からない」
義行は生きている前提で考えていなかった。
マウロの話から推測して、飼い主は白砂病にかかっている。
白砂病にかかれば、死に目に逢えない。骨も残らない。
小瓶に入った微量の白砂がIDタグと一緒に送られて。目の前で白砂になれば別だが、そう簡単に受け入れられるものではない。
「名前は?」
「ホーズキ、サクラ」
「鬼灯……桜……」
変わった名前だった。
白砂病患者のリストはここにはないが、先生や義行の上司に頼めば、すぐ手に入るだろう。
「義行さん、アタシたちに名字の概念はないわ。ARになる前なら、なおさら」
「みょーじ?」
「ほらね」
「じゃあ、鬼灯と桜と一緒に住んでたってことか」
「ホーズキがオスで、サクラがメスな!」
2人は結婚していたのか、ただの同棲だったのか。
当時猫だったマウロには分からない。
今の理解力で思い出せることにも限界があった。
「ホーズキはおひさまのにおいがして、サクラは――」
感覚的すぎて、捜す材料にならなかった。
それでも耳を傾けたのはマウロが2人の特徴を、涙をこらえながら懸命に伝えようとしていたからだ。
「サクラはよくだっこするやつでな。やめろって言うまでずっとすりすりしてきて。ぎゃくにホーズキは、ボクとのきょり感を分かってくれて、かじょーにさわったりしなくて。でも、だれよりもボクのことが好きだったんだ!」
「水を差すようで悪いんだけど」
「水なんてどこにもないぞ」
「物の例えよ。2人のこと悪く言うつもりはないんだけど、って意味」
「む」
「だから悪く言うつもりはないんだって。ちょっと気になったのよ」
「なにがだ?」
「2人いっぺんに入院したわけ?」
そうでなければ、どちらがマウロを手放したことになる。
そんなことを再確認するために捜すのであれば、綺麗な思い出のまま、胸にしまっておけばいい。
「……サクラが先にいなくなった。たぶん、にゅーいんした」
「じゃあ――」
「なら、捨てたのは鬼灯か」
これ以上カアナが悪者になる必要はないと、言葉を濁すことなく1つの可能性を告げたのは義行だった。
「すて、た?」
「じゃないと、どうやってARになる?」
「しらないッ……でも、でもッ!!」
くりっくりの瞳がまた揺れる。
しかし、避けては通れない。
2人を捜せば、もっと辛い事実を知ることになるかもしれない。
それでも捜すのか。
また泣き出してしまいそうなマウロは深呼吸をすると、義行をにらみつけた。その瞳に強い意志が宿る。
「ホーズキはボクをすてたりしない!!」
義行やカアナの憶測は、可能性でしかない。
もし、そうだとしても全て受け入れるつもりでいる。そのためにARになったのだ、と。
「――そうか」
義行は満足そうに微笑むと、マウロの頭を撫でた。
「そこまで言うなら、捜してみようかな」
「しゅっせばらい、な!」
どこでそんな言葉覚えてきたんだとマウロ節が炸裂するが、やっといつもの小生意気が戻ってきた。
マウロはこうでないと、こっちの調子が狂ってしまう。
「ボク、ホーズキと住んでた家ならわかるぞ!」
誇らしげに腰に手を当て、胸を張った。
「……うん?」
「なっ!?」
「ん?」
「なんで早く言わないのよ、それっっ!!」
「と、とっておきッ」
「とっておきすぎるの!」
「でもでもッ、今は入れなかったんだッ!」
「そりゃ、見ず知らずの子どもがきたら開けてくれないわよっ」
「そーじゃなくて! ふーさされてるからダメだって言われたんだ!」
「……ふーさ?」
「ふーさ」
2人のやりとりを聞く義行は、1つだけ思い当たる節があった。
先生の言っていた、進入禁止区域――慧が眠っていた、中立都市・国衙地区だ。
一応、独立はしているが、本州と繋がっているので関所らしい関所はなくマウロも突破できたようだ。が、さすがに禁止区域は入れなかった、と。
「――俺なら、そこに入れる」
「ホントかッ!」
ただ、そこが本当に鬼灯と住んでた家なら、鬼灯も砂になっている。
当時、国衙地区以外にいたのなら、どこかで生きてる可能性はあるが、マウロはそれに賭けているのだろうか。
「案内してやるぞ、つれてけッ!」
「それはかまわんが、1つ条件がある」
「なんだ?」
「定期検診を受けてくれ」
「ぬッ!?」
ここでまさかの交換条件だった。
「封鎖されてるってことは、その先が危険だからだ。マウロの体調が万全じゃないと、途中でなにかあったら鬼灯の家までたどりつけないだろ?」
「ぬぬぬッ、そうきたか。やるな、ボス」
「ARが入っていいのか、卯月と相談もしてみないといけないしな。どうする?」
「……てーきけんしん、行く」
偶然とはいえ、これで1つ、問題はクリアした。
かつての主が自分を捨てるはずがないと、マウロの声は中2階にも届いていた。
「やれやれ。よく声の通る子だ」
鬱陶しそうな口振りとは裏腹に口角は上がっている。慰めるどころか逆撫でしているような会話からの嬉しそうな出世払い宣言に、先生は聴診器を外した。
「それにしても、子どものARなんて初めて見る。お嬢さん“との”子かい?」
「はひっ!?」
「冗談だ」と、くつくつ笑いながら、慧が落ち着くのを待った。感情の乏しい子と思っていたが、そうでもないらしい。
意識的に口調だけを和らげていた先生から自然な言葉を投げかけられた慧は、たどたどしくも返事以外を口にする。
「……マウロは共存テスト中、というか。あんまり外泊、得意じゃないみたいで。本人が乗り気なうちに、カアナと――あっ、カアナがARだってこと最近知って。それで3人で暮らすことになったんです」
「そうか」
「まだカアナのスキンシップに慣れないし、マウロに振り回されてばっかりだけど……毎日新鮮で」
三角に並ぶホクロをゆがませて穏やかに微笑む慧に、先生も目を細めた。
「充実しているようだね。ちゃんと食事もとっているようだし、血色がいい」
「カアナのおかげです」
「目の下のクマもだいぶ薄くなってる。良い睡眠がとれているようだ」
「……えっ、と」
困惑する慧を待てば、
「マウロと一緒に寝てるんですけど……寝相が、その」
踏んだり蹴ったりな、言葉通りの状態を容易に想像できてしまった。
「カアナも、よく起きないわねって」
「ふっ、……くくっ」
「せ、先生っ。笑いすぎ……」
「……っ。……あぁ、すまない」
楽しそうでなによりだ、と慧の経過をカルテに書いていく。
震えるペン先に埋まっていく余白が、どこか淡々としていた定期検診を完全に消していた。
***
その夜。昼間得た知識を忘れないうちに、お風呂上がりの、まだ体を拭き終えていない慧に、マウロは問いかけた。
「慧はふーさしてるとこにいたんだろ?」
「う、ん。そう……だけど」
髪を拭きながら慧を見上げると、慧も頭を拭いていたようでタオルで顔が隠れていた。歯切れが悪くても、義行や先生のように察するマウロではない。
「すっごい強いモンスターがいるのか!?」
「うんっ!?」
なにがどういう理由で、そんな質問になるのか。
突拍子もない質問に、故意に合わせなかった視線がぶつかり――――そらされた。
視線の先は慧の、右側の肩口。
慧はとっさにタオルで隠してしまうが、そこには確かに傷痕があった。なにかに抉られたような、古いものが。
しかし、先生曰く禁止区域内でできたものではない、らしい。
もっと前。
病院に行かず、化膿してしまった結果だと言う。
「てーきけんしんで強くなってやるぞ!」
それをどう説明しようか考えていると、肯定と捉えられてしまった。断然やる気になったマウロは、慧の濡れたままの脚に飛びつく。
“こうしてくるときは、頭を撫でてほしいから”
一緒にいて、分かってきたことだった。しずくが垂れるマウロの髪を拭きながら、そんなことを思っていると、
「アタシも毛繕いしてあげる」
背後から現れたカアナが慧の後ろ髪をすくった。
「アンタたち、いつまで素っ裸でいるつもり? 風邪、ひいちゃうわよ」
「ケイ、寒い?」
「え、いやっ、ちょっ――」
タオル越しに感じるカアナのぬくもりに、慧はオーバーヒート寸前だった。マウロに脚をホールドされているため、逃げることもできず。
慧の反応見たさに、2人のARが故意にしているとも気づいていなかった。




