scene 6-1
最初は単純な理由だった。
寒いから。
雨が降りそうだから。
風が強いから。
だから、定期検診には行けない、と。
――なら、あったかい格好をして、車で行こう。
そう提案すると、今日の占いは室内にいることだったと、根も葉もないことを言い出して。
ある時はお風呂に入らず。翌日、朝風呂に入り、湯冷めを理由に外出拒否。慧が「今日はやめようか」と言うまで、1歩も動かなかった。
またある時は、誰よりも早く起きて(検診の際、朝ごはんは食べないようにと言われているのに)ごはんを食べるという荒技に。
自発的に行くと言うまで、待つしかないのか。
見かねた義行が手を貸してくれるが、『子どもと思って油断した』と撃沈する。
ポラロイドカメラをゲットしたマウロは、それはもうご機嫌で。いろんなものを撮っては、その都度出てくるフィルムに目を輝かせていた。
*
オフィス街に人気がなくなる休日はFOCUSもゆっくりしている。
お昼のピークもなく、勉強にも休息が必要だろうと読み書きもお休みで。いつでもcloseにできる定期検診日和でもあったが、マウロはそんなこと二の次で、厨房でお皿を拭く慧をカメラに収めていた。
「ケイ、こっちむいてーッ」
「ん?」
「もっと笑ってくれ」
「こ、こう?」
「かたい!」
「えぇ!?」
先延ばしにしたところで、定期検診が無くなることはない。
卯月が気にしている、心と体のバランスがとれているかの数値と同じぐらい、栄養状態もARには大切で。ぶっ倒れて管理局に担ぎ込まれたら、しばらく動けなくなることを知らないはずはない。
まさかと思ったカアナは、納得した1枚が撮れて満足そうなマウロに声をかけた。
「アンタ、いい加減にしないと」
「よくとれてるだろッ」
ゆっくり浮かんでくる慧を突きつけられて、そちらに意識がいく。
「……まァ、そう……ねぇ」
困ったように、ぎこちなく。
三角のホクロは綺麗なままだが、
「ケイがよく笑うようになったからなッ」
「――そうね」
同じことを思っていたカアナは、つい口角を上げてしまう。こういう部分をしっかり見ているマウロに、自分でも分かるぐらい、やわらかな眼差しで返事をしていた。
「おまえもなッ」
マウロは瞬時にシャッターを切った。レンズの下から出てくるフィルムには、カアナの微笑みが。
まんまと、激写されてしまう。
よく笑うようになったのは、慧だけではなかったようだ。
「おー、マウロくん。素敵な写真じゃないか」
表のテーブルに並べて、完全に浮かび上がってくるのを待つマウロを、義行がちょっと大げさに褒め讃えた。
「この調子で須藤博士も撮りに行こう!」
「すどーはまた今度!」
即答だった。
今日も失敗のようだ。
落胆する義行を写真に収めると、1本取ってやったぜと、フィルムをひらひらさせながら厨房に戻ってきた。
「なにがなんでも行きたくないのね、定期検診」
諦め気味にカアナは問う。
「かえれなくなったら、どーするんだよ」
「よっぽど栄養が偏ってないかぎり大丈夫よ」
マウロの口がヘの字になった。
「そーじゃない。ケイのとこ、もうダメって言われるかもだろッ」
マウロはちゃんと自覚していた。今が“共存テスト”で、この状態がいつまでも続くとは限らないことを。
見上げる瞳が、少し潤んでいた。
カアナがなにも言えずにいると、マウロはぷいっとそっぽを向いて、厨房から出て行ってしまった。
表には義行がいるから、1人どこかへ行こうとするものなら止めてくれるだろうと思っていた矢先、木の乾いた音がする。
ドアベルが、鳴った。
白昼堂々逃げる気か。
カアナが厨房から出ると閃光に目が眩むが、こちらに向けられたものではなかった。
ちかちかする視界には、人影が。
そろそろ来るはずの者の、不意を狙ったようだが…………知らない声だった。
「いつからスタジオになったんだ、ここは」
卯月や義行よりもうんと低く、慧とはまた違った心地よさに目を凝らすと、ウエーブのかかった茶髪に、フレームが下だけのメガネをかけた、義行と同じくらいの男が立っていた。
革張りの鞄は重厚感漂うが、コートから覗く黒いYシャツに、ゆるく結ばれた同系色のネクタイ、火こそつけてないが、くわえ煙草もしている。
……金融業の人? 非合法の。
カアナとマウロは思わず身構えた。
「なんだ、アンタか」
「こ、こんにちは。影津先生」
「元気そうでなによりだ」
影津と呼ばれた男は子どもがいると分かったのか、くわえていた煙草を箱に戻した。慣れた足取りで義行の隣に座ると、これまた慣れた様子の慧がコーヒーを運んでくる。
カアナは初めましてだった。
シュガーポットから山盛り2杯半、甘そうなブラックコーヒーに口をつける男を義行が紹介する。
「影津元貴先生だ。慧の主治医の」
「しゅじい?」
「慧のお医者さん……ってことよね?」
「いしゃ? ケイが?」
2人の関心は一気に慧へ。
「ケイは元気じゃないのか?」
「どこか悪いの?」
「……えっと、その」
矢継ぎ早の質問に慧の歯切れが悪くなる。
言いたくないのではなく、どう伝えていいか迷っているようだった。
――これは、本人より主治医に聞いたほうがいい。
そのことに気づいたカアナは先生と目が合った。
「お嬢さん」
先生は先生で『あの子たちに言ってなかったのか?』と、義行に確認をとっていて。
その答えが――聞かれなかったんでいいかなと。
教えてないなら仕方がないと、声をかけようとしたところだった。
「本州の最西端に“進入禁止区域”があることは知ってるかな?」
「皆が一瞬で消えてしまった街……のこと?」
「慧くんはそこの生き残りだ」
「えッ!!」と、一番反応したのはマウロだが、どこまで理解しているのか。
「ちょっと、えっ……」
だが、カアナは知っている。
原因不明の魔の区域は今も健在で、踏み入れた人間は一瞬にして砂と化す。そんなところから、無傷で生還できるわけがない。
だから主治医がついている――にも結びつかなかった。
「慧は、治った?」
「末期だな。髪の色素が抜けている」
「なら、病院にっ」
「義行が見つけた時、もうこの色だったらしい。体内で砂が生成されることもなければ、砂にもならずに……1年半ぐらいか。眠り続けて、ある日目が覚めた。そのかわり、なんにも覚えちゃいなかったがね」
「でも慧は慧なんでしょっっ!?」
慧の顔が強ばるが、カアナは例の区域にいて砂にならなかったことに気をとられていて、それどころではなかった。
『違う』
そう否定しそうな慧を横目に、先生は間髪を容れず「あぁ」と、どちらともとれる返事をした。
慧の現状と今日訪れた理由を付けたし、微妙な質問を完結させる。
「普通に生活する上でとくに支障はなかったからね。俺の都合で今日はここだが、定期的に診させてもらってるよ」
奇跡的に症状が出なかった。としか言えないのだと仄めかされたカアナは、自分を納得させるために慧のそばへ歩み寄り――――彼の首筋を嗅いだ。
「かカ、ナっ」
「やっぱりイイ匂いしかしない」
――白砂病にはニオイがある。
ヒトより鼻のいいARならではの感想だったが、先生は彼女の行動1つでコロコロ表情を変える慧のほうが気になるようで。首筋から耳の裏まで念入りに嗅がれる慧は、顔を真っ赤にさせながら、ぎこちない手つきで抵抗を見せていた。
「しし、仕事のときはっ……そのっ」
「おうちなら、もっとしてイイ?」
「そそそ、じゃなくてっ」
こうしてじゃれていると疎外感を感じて参加してくるマウロは、ポラロイドカメラを握りしめたまま、先生のそばにいた。
「なぁなぁ」
「なんだ? 分からなかったら、義行に聞くといい。あと、慧くんのことは他言無用で頼むよ」
基本的なことを説明する優しさは持ち合わせていない。ましてや、子どもに理解できる話だと思ってない先生は、遠回しに門前払いをする。
「砂にならない人もいるってことだよな!」
しかし、マウロには伝わらない。希望に満ちた眼差しで見つめられ、先生はため息をついた。
「いない。慧くんが例外なだけだ」
「ほかにもいるかもだろ!」
「ありえない」
「おまえが知らないだけだ!」
「ないな」
「もしかしたら、まだ……ッ、……ま、だッ!」
泣きべそをかくマウロに、先生はさっきよりも大きなため息をついた。
「よぼッ、えす、えーッ……ッ、あい、がッ」
「……あれは発症する前でしか効力を発揮しない」
“SAiD”
最近承認されたばかりの対白砂病予防薬の単語を口にしたマウロに、先生は関心したようで「白砂病になってからでは遅い」と、わかりやすく言葉を噛み砕いた。
「小さなお前には酷な話かもしれんが、白砂病になれば遅かれ早かれ、死ぬ」
ポラロイドカメラを奪い、テーブルの上に置いたその手で赤子をあやすようにマウロを抱き上げた。
先生を見上げていたマウロが同じ目線になると、まんまるな瞳に溜まっていた涙が流れた。ぐしゃぐしゃになっていく顔を見られたくなくて、先生の首にすがる。
「う、ッ……」
じゅびじゅびっと粘着質な音とともに、首筋から襟足にかけて冷たくなっていく。
涙だけで濡れているわけではなさそうだ。
引きはがしたくなる衝動を押さえ、もふもふの後頭部を軽く撫でれば、先生の首に負荷がかかり冷たい範囲が広がった。
「義行」
「泣かしたのはアンタでしょうが……」
「この坊やの飼い主、生きてるのか死んでるのか、はっきりさせてやれ」
「……捜せってことですよね」
「お前の本業だろう」




