8.共に歩む
ハルを僕の自室へと連れていく。
端から見れば事案だが、そんなこと考えている余裕は無かった。
「大丈夫?大丈夫?ハルちゃん?」
シロさんは初対面で、しかも最悪の出会い方をしたのに、僕の家に着くまでずっと声をかけてくれていた。
ただ、ハルのシロを見る目は尋常じゃないものを感じた。
だから不安そうにしてはいたが、シロさんは家へと帰した。
その際、連絡先を貰ったので、復調したら知らせてあげようか。
「……ミナト……」
「起きたか?」
ハルはまだ目を開かない。
どうやら寝言だったようだ。
いったいどんな夢を見ているのやら。
「……ミナト……待って……やめて……」
途端、とても苦しそうにしたかと思えば、顔色が急に悪くなってきた。
「……置いてかないで……」
僕は布団を剥がし右手を……いや、左手を力強く握った。
「ここにいる、大丈夫だ。置いていくわけがないじゃないか」
「……忘れ……ないで……」
すぅすぅと、再び穏やかな寝息を立て始めた。
「……もぅ……ミナト……食べ過ぎだよぅ……」
こいつの夢の中の僕は果たしてどんな人なのだろうか。
数時間後、パチっと電源が入った機械のように目を開けた。
「……事後?」
「おまえなぁ」
数時間永遠と看病して、第一声がそれかよ。
「ごめん、迷惑かけちゃったね……それじゃまたお礼は……」
「待て待て待て待て」
ふらふらと立ち上がろうとしたところを、抑え込んだ。
「やっぱり事後?」
「違うっての」
なぜそんな既成事実を作りたがる。
だいぶ体調も安定してきたようで、喋るのは問題ないくらいにはなっていた。
とはいえなぁ……
「さっき体温測らせてもらったけど、高熱だったじゃないか。しばらくは僕の部屋で安静にしていてもらう」
「熱、測ったんだ。てことはあんなところ、こんなところも見たんだ」
「まぁ……その……多少は」
へーと、イタズラっぽく笑っている。
その笑い方は灯台のときよりかは、幾分かマシになっていた。
「とにかくだ!しばらくはうちにいてもらうから!いいね!」
「……はーい」
おかゆを食べさせ、薬も飲ませ、着替えもしてもらってから、再度言い聞かせるようにビシッと言った。
ハルも諦めたように、また目を閉じ、布団に潜っていった。
「ほら、電気消すからな」
ソファに寝転んで、毛布をかけて、電気を消す。
「お人好し……昔から」
ポツリとハルは小さくつぶやいた。
「僕そんな昔からお人好しだったか?」
「……知らない」
翌日。
ハルの熱も少しずつ下がってきた。
素直に一日の大半を寝て過ごしていて、なんかこんな素直なハルは珍しいと、ふと思った。
そのまた翌日。
「……ハル!?」
布団にハルがいない!
まさかまた灯台に!?
急がないと、また……!
「いや、そんな大きな声出さなくても」
ハルはなんてことはない、キッチンにいた。
「熱は……大丈夫なのか?」
「いやぁ、情熱的な呼びかけで体温上がっちゃったかもなぁ」
カチャカチャと手際よく、食器を用意しながらそんな軽口を言ってくる。
灯台で見た、あの痛々しい姿はだいぶ消えかけていた。
「おおー、すごい、すごいよ!」
「照れるだろー?褒め過ぎだって」
お米に焼き魚に味噌汁。オーソドックスだが、手間のかかる朝食だ。
そしてそのどれもがおいしい。
「ホント……おいしい……おいしい!」
「ちょっ、なんで泣いてるの」
なぜだろうか、食べてたらあまりの美味しさに涙が出てきた。
食後、向かい合ってゆっくりとお茶を飲んでいる。
「さて」
聞かなくてはならない。
たぶん聞いてはいけないことを。
「ハル、どうして灯台であんなボロボロになっていたんだ?」
ハルは俯き、ゆっくりと考えを整理しているようだ。
喋っていいものか、そんな葛藤がたぶん、心の中にはあるのだろう。
「ごめん、やっぱりまだ、全部は言えない」
まぁ、そうだろう。
戻ってきてから日も浅い。
それほどの関係性ではまだないということだろう。
「でも、これくらいなら、話せるかな……いや、話しちゃっても、いいかな」
ポツリ、ポツリと言葉をこぼす。
「私、何度も何度もミナトをあの灯台から見送ったんだよ」
『……置いていかないで……』
あのうなされていたハルの様子がフラッシュバックした。
何度も何度も置いていかれる夢を見てきたのだろう。
「シロちゃんとさ、手をつないで私からどんどん離れていくの。何人も、何人も」
??
なんでそこでシロさんの名前が出てくるのだろうか。
「私はね、抱えてきたんだ。色んなものを。
私はね、止めてきたんだ。色んなことを」
さすがに少し見ていられなくなって、ハルの頭に手を添える。
抵抗してくるかと思ったが、思いのほか、そのまま撫でられていた。
「でもね、その色んなものってさ、増えてくから。どんどん、私のキャパなんて知らずに。だから、さ。ちょっと……疲れちゃってさ」
僕はゆっくりと撫でながら、話を聞いていた。
一番重要なことは何もわからない。
でも、一人で無理して抱えてきたってことは分かった。
「そっか。一人で……抱えてきたんだな」
「うん、だから、もっと褒めて」
きっと、僕には想像もつかないほど、辛い経験になっていたのだろう。
あんな元気なハルが、あれほどボロボロになるくらいに。
「なぁ、ハル。その荷物ってさ……僕も背負えないかな」
あのハルを見てしまった。
あのハルを知ってしまった。
そんな僕に、力になるなと言う方が難しい。
「へへ……こうなるから、言いたくなかったんだけどなぁ……」
「ごめん」
「そんな事言われちゃうとさ……甘えたくなっちゃうからさぁ……」
「ごめん」
「もう……さ、……無理しなくても……いい……のかな……」
ハルの嗚咽が聞こえてきた。
とうに限界を迎えていたのだろう、体がピクピク震えている。
「ごめんね……これ、二人じゃ背負えないものだからさ」
ハルは顔を拭い、真剣にこちらに向き直った。
「もし私の代わりに背負ってくれるなら、私、もう一歩だけ踏み出せる気がするんだ」
全てを背負うことに自信はあまりなかった。でも、やれないなんて、そんな言葉僕に言えるはずが無かった。