2.忘却の記憶
雨もすっかり上がり、ぬかるみを一歩一歩踏みしめながら歩く。
地面と対照的に空気は澄んでいて、歩いていてとても清涼感がある。
今はこうして集落の方へと向かっているのだが、この辺りは人一人いない。
集落は集落で、高齢化に伴って動いている人を見ることは稀である。近所の駄菓子屋もつい最近、シャッターが上がることがなくなった。
「うおっと」
一段少し地面が下がっていた。
ここは昔、畑だった場所だ。
今ではすっかり手入れがされず、森の一部となっている。
「昔にタイムスリップでもしたら、未来と勘違いするかね」
昔の方が活気はあった。
時雨島。
昔は縁結びの島としてご利益があったという。
が、今ではそんなことは無かったかのように神社は廃れ、観光客などろくに来ないそんな島となってしまった。縁結びの逸話も伝承も今では曖昧なものとなっていき、「運命の人と固く結ばれる島」なんてキャッチコピーだけが残された、それはそれは怪しい島となったわけだ。
僕こと、篠原ミナトは別に運命の人に合うためにここへ来たわけではない。
というか、なんでここに来たかも、正直分からない。
なんとなく、昔少し暮らしていたからとか、家が港に近かったからとか、目にとまったからとか、そんななんとなくな気持ちでここに来た。
なんて、振り返っていると大通りまで戻ってきた。
「うわ」
「いきなり、うわ、とは失礼じゃないか?」
大島ハル。
昔島に来たときできた友達。
つまるところ幼馴染ってやつだ。
昔は明るく活発だったんだが、島に戻ってきたときには活発とは対照的な落ち着いた感じに育っていた。
「いや、森の中から湿った人間が飛び出してきたら驚きはするだろ」
よく見たら、服や髪もまだ少し濡れていて、それでこんな鬱蒼とした森から人が出てきたら、うわの一言も飛び出すか。
「で?こんな森の中に何しに行ってたんだ?」
「いやまぁ、探検だよ探検。それにしては何もなかったけどなぁ。廃屋一つあったくらいで、ホント何しに行ってたんだろうな」
ハルは呆れたとでも言わんばかりに、盛大にため息をついた。
「そうだハル、ここって昔はもっとにぎやかだったんだろ?だったらその名残がある場所とかない?」
「ない」
まさかの即答だった。
僕としては何かしらの好奇心を満たせて、なおかつハルとたまにはどこか行けたらいいなーってだけだったのに。
「あ、それならさ、神社ってまだあるのかな。いやー興味あるんだよな、縁結びだろ?僕も決して興味ないわけじゃないんだよな、運命の人って」
ハルが少し反応した気がした。
もしや、ハルは僕に気があるのではないか?
それで運命の人って言葉に反応してしまったのではないか?
「やめときな、あんなボロ屋。いつ崩れるか分かったものじゃない。行きたいならお得意の探検でもして探してみるんだね」
気のせいだったか。
そりゃそうだよな、ハルは戻ってきた僕に対しては何か距離を感じる。
割と他の友人とは親しげに話している様子はあるが、僕に対してだけは話を切り上げたいような、一段落ついたらそそくさとどこかへ行ってしまう。
きっと昔、僕が何かしてしまったのだろう。
そしてハルはまた、ヒラヒラと手を振りながら、嫌味一つこぼして集落とは反対側へと向かっていく。
「またあの灯台か?」
「……そうだね。あの場所はとても……落ち着くんだ」
昔からハルはあの場所が好きなんだ。
位置関係的に、あの洋館、廃灯台から近い位置にあった……ような気がする。
まぁ、灯台があって、船着き場があそこにあったと考えるなら建物があったところで不思議はないか。
「あ、そうだ」
廃灯台へと歩いていたハルが振り返り、声をかけてきた。
「ミナトは、運命の人ってできたことある?」
突然変なことを言う。
僕がそういう色恋沙汰とは無縁なこと、ハルが一番よく知っているじゃないか。
つまり、これは、こういうことか。
「運命の人は、ハルのために残しておいてあるんだよ」
遠くてよく分からなかったが、ハルは何かをいいかけて、呑み込んだようにも見えた。
しかし苦虫を噛み潰したようなしかめっ面をしていたのは確かに見えた。
……そんな嫌か?
「ばーか!」
一言、そんな捨て台詞を吐いて、ハルは灯台へと駆けていった。
空は快晴。
雨など降りそうな気配はない。
こんな天気なんだから、雨が降るなんて予想も出来なかった。
きっと気象予報士も正答率30%ほどの難問となっていたことだろう。
改めて、かばんに折りたたみ傘入れてなかったことを確認するため、かばんの中をまさぐる。
コツっと、あまり慣れない感覚が僕の指にきた。
それをつまみ、取り出す。
「……髪留め?」
僕がこんなもの持っているはずがない。
髪を結う必要がないのだから、持っていても仕方のないものだ。
じゃあ、あのすれ違いざまにハルがかばんに詰め込んできたのか?
いや、そもそもハルもこんな可愛らしいデザインの髪留めなんて持っていないだろう。
見たことない。
見た記憶もない。
なのになぜか
「誰の……なんだ……?」
返さなきゃいけない。
渡さなきゃいけない。
そんな焦りや、忘れてしまった不安がのしかかってくる。
僕はもしかしたら、何かを忘れてしまったのだろうか。
忘れたことを、覚えている。
僕は髪留めを少し強く握りしめた。
縁結び。運命の人。
そう、この島は元々そういう逸話のある島だ。
僕は再び集落の方へと視線を向ける。
「たしか……あっちだったか」
昔の記憶を頼りに、ハルから止められていて今まで行ったことのなかった空間へと足を踏み入れる。
「あんな運命の人と結ばれるなんてまやかしだ」
いったい、ハルはなぜそんなにも時雨神社を蔑視しているのだろうか。
ただ、今の僕はこの髪留めの謎を解かなくてはならない。
だからこそ、この運命の人を探しに、時雨神社へと足を向けた。