天沢理央
非常に恥ずかしい思いをした。
麗亜にぬいぐるみを取った後はショッピングモールのフードコートで昼食を取った。
俺と麗亜はラーメンを食べて、母さんはタコ焼きで、父さんはうどんを食べていた。
俺が本気で恥ずかしがっているのを察して麗亜が抱えているぬいぐるみのことを茶化す者はうちの家族にはいなかった。時折母さんがニマニマしているのは腹立つが我慢だ。
ご飯を食べたら他には用事がないため家に帰ることになった。
帰りは父の運転だった。
「麗亜ちゃん、そのぬいぐるみは座席の後ろに乗せなくて良かったの?」
助手席に乗り込んだ母さんが後ろの座席に座った俺たちを見た時に、麗亜の膝の上に乗ったぬいぐるみを見て言った。
「せっかく貰ったものなので」
(ぬいぐるみが気に入っているから! ぬいぐるみが気に入っているからそういってんだ!!)
麗亜の言葉に他意がないのは分かるが、頬がゆるみそうになった俺は右手を口元に当てて高速で揉みしだく。
「喜んでもらえたならよかったわ。まぁ、直哉のお小遣いは私たちがあげているものだし、実質私たちのプレゼントみたいなものよね」
母がふざけたことを抜かし始めた。
「なんでそうなんだよ」
俺は母に噛みつくが、母はどこ吹く風の様子だ。
「じゃあ、そうですね」
麗亜まで母の言葉に乗っかる。3000円近く払ったのは俺なのに。なんでこんな扱いを受けなきゃいけないんだ。それにしてもこいつ母さんに対してイエスマンすぎる。
「ああもういいよ。じゃあ、母さんのプレゼントってことで」
自分でもいじけていることは分かったが無性にイライラしてしまったのだから仕方がない。俺はスマホのゲームを起動して自分の世界に入った。
「もぉー、冗談なのに。直哉は冗談が通じないわね」
俺は母の言葉に反応せずにゲームに没頭した。
麗亜には一瞥もくれなかった。
俺の態度のせいで行きよりも盛り上がらずに車での移動は続いた。
途中で父は何も言わず、アイスクリーム屋に寄った。俺は最初はアイスもいらないと言っていたが、父にオレンジソルベとレモンシャーベットのダブルを渡され食べた。
「うまい…」
俺の苛立ちはアイスとともに消えていった。
父さんは、ダブルチョコのシングル。母さんはバニラとナッツ。麗亜はホッピングシャワーとラブポーションを選んでいた。
言葉には出さないが父さんには感謝していた。父さんは黙って人を助けたり、悪い空気を換えてくれる。そして決してお礼を求めることもない。こういうところを見せられると、いかに自分が子供なのかを再認識する。最近は自分も大人になってきているのではないかと考えていたが、こんな様子では本当の大人にはまだまだなれなさそうだ。
アイスを食べた後も俺はゲームを止めることは無かったが、行きと同様の賑やかさで車は走った。
家に帰り着いた時間は15:30。麗亜の荷物を麗亜の部屋に運ぶと俺は巣へと戻る。
カーテンや雑貨の設置などは母さんがやってくれるだろう。
俺は机に向かうと、今日本屋で買ってきた漫画の新刊本を読むことにした。
買った漫画は安定的に面白く二回も読んでしまった。この本が連載しているのは月刊誌なので、次の新刊は半年先になるだろう。
最新刊を読んだことでこの漫画の一巻からまた読もうと漫画を並べられている本棚に向かったところで部屋の外から母さんの声が聞こえてきた。
「いけない!忘れてた」
嫌な予感がした。それから直ぐに部屋の扉が叩かれる。
「ねぇ直哉、一つ頼み事受けてくれない??」
「何?」
俺の返事を聞いて母が扉を開ける。
「実は公共料金払うの忘れてたのよ。近くのコンビニで払ってきてくれない?」
「えぇ…。車でいけば?」
「今日は結構体力使ったし。もう外に出たくないのよね」
「父さんは?」
「リビングのソファーで寝てる」
父さんはよく新聞を開いたまま寝ていることがあった。
「まじか。あー分かった、なら行ってくる」
「39,000円くらいだったから40,000円渡すわね。おつりでなんかジュースとかお菓子とか買ってきていいわよ」
散財した自分にとってありがたい提案だった。
「いいの? 昼も1,000円くれたし、今日は大盤振る舞いじゃん。んー、何買おうかな~」
「ついでに麗亜ちゃんも連れて行ってよ。あのこまだこの町に来て2日目だし、コンビニとか道とか知っておいた方がいいでしょ」
確かに、麗亜はこっちに引っ越してきたばかりってことになっているし、この町についての知識はあんまりないのだろう。
「いいけど、模様替えは終わったの?」
「大体はね。あとは雑貨類だから、麗亜ちゃんの好みに任せるわ。それじゃあ下でお金渡すから。もう今行ってきちゃって。期限が今日なのよ」
こういうお金の管理を徹底している母さんにしては珍しいうっかりミスだ。
「麗亜ちゃん、悪いけど直哉と一緒にコンビニに行ってきてくれる?」
隣の部屋が開き麗亜が顔を出す。
「分かりました。買い物ですか?」
「そうじゃないの。公共料金払い忘れていたから払いに行ってもらおうかと思って。麗亜ちゃんはこの町に来たばかりでコンビニの位置とか分かっているといいかなって」
今後何か買うときとかに助かるわよと母はつづけた。
「なるほど。それじゃあ行ってきます。少し準備したら行きます」
「あーじゃあ、俺先に玄関で待っているから」
「わかった」
俺はお金を受け取ると玄関で麗亜をまった。麗亜は10分ほどでやってきた。黒いTシャツにベージュのショートパンツ。髪型はおさげでダークブラウンのキャップをかぶっていた。
「ごめん、掃除で汗をかいたのとほこりで汚れたから着替えていたら少し時間がかかった」
似合っていると思ったが口に出しても嫌な顔をされるだけだろうから服装については何も言わない。
「いいよそれくらい。じゃあ行くか」
最も近くにあるコンビニは『ブルー』という店だ。場所的には昨日の坂道を下った五叉路を南方神社に行く右手側ではなく、修一たちが祭りに行くために向かった左側の道を、五分ほど歩いた先にある。
本当は家の真ん前の道路を突っ切って行くルートが3分ほど早くつくのだが、今回は横断歩道をつかった正規の道順で行くことにした。昨日、帰り道で通った場所だし、一度通った道から覚える方が覚えやすいだろうと思ってのことだった。
俺が前を歩き、その少し後ろをついてくる麗亜。
家の裏手、今でいえば、下っている坂道の右手側、そこには小さい山があるのだが、そこから聞こえる蝉の音が騒音レベルでうるさい。今日は日差しも強いし余計に不快感を覚える。そういえばネットニュースで気温が35℃まで上がるとか言っていた気がする。家を出て少ししか経っていないのに肌が汗ばんできた。
お使いをとっとと終わらせよう考えたところで、五叉路にたどり着いた。
横断歩道の信号は赤。今日は月曜日だし、ただでさえ人口の少ない町だ。俺は人が右の曲がりからやってくるなど考えず、目線の先にある、電柱にできた影の中で少しでも休もうと考える。
電柱の影まであと数歩のところで、右から出てきた人とぶつかった。
「うわっと!」
「っ!?」
その人とぶつかった右肘に感じた衝撃はやわらかさだった。まるで低反発のクッションに当たったようなすばらしい感触だった。
「もう、何をしているの!」
麗亜の注意も最もだった。人が来ることを全く予期できていなかった。
「すみません、よそ見していて、怪我はないですか?」
謝りながらぶつかった人物を見る。そこにいたのは見知った人物だった。
こげ茶のわずかに癖のついたショートヘア、首にはヘッドセットをつけており、服装はぶかぶかのジャージの上着に黒のスキニー姿。最も視線がいくのは胸部であり、ぶかぶかの服の上からも分かるくらい盛り上がっていた。その胸部には今手が当てられており、切れ長の目は細められており、眉間に皺が寄っていた。
彼女の名前は、天沢理央。昨日ここで会った天沢修一の妹だ。彼女の学年は自分達の一個下で、高校一年生。あまり絡んだことは無いが、かわいい外見と身体的特徴のせいで主に男子達の中で有名だった。
彼女の表情と胸部を守るようにした姿から、俺の右ひじは彼女の胸に当たってしまったことが伺えた。思わず目が彼女の胸元に向いてしまう。
それを感じたのだろう。彼女はわなわなと震えてから口を開いた。
「最っ低!!」
彼女はそういうと右手を思いっきり引いて、俺の左頬を叩き、青に変わったばかりの横断歩道を走り去ってしまった。
「あの、ちょっと!!」
見覚えのある光景と痛み。ただ、今回ばかりは俺が悪かった。天沢理央は引き止める間もなく少し先の角を曲がって見えなくなった。
そして彼女の渡った信号が赤になる。
麗亜を見る。
「あれは、ギルティー」
麗亜は俺に向けて、サムズダウンされた右手で首をかっきるポーズをした。
「……だよな。修一に今度謝る機会を設けて貰おう…」
「もう少し注意力をつけたら?」
「返す言葉もない」
それにしてもやわらかかった……では無く、彼女は何故こんな場所にいたのだろう。修一達が暮らす天沢家があるのは、港の方でこちら側ではない。
修一の方は、五叉路の右手、少し進んだ先にバス停があるので、ひよさんを待っていたのだろうと推察できるが、理央の場合は、汗もかいていたし多分歩いて長距離を移動していたんだと思う。
方向的には南方神社があるが、まぁ、別に他に選択肢が無いわけでもない。知人の家に向かっていたとか、あっちの方にもコンビニがあるので何かを探していたとか。
偶然、天沢兄妹と連日この場所で出会っただけ。それだけなのだろう。
とりあえず俺がやるべきなのは、天沢理央へもういちどきちんとした謝罪を行うことと、麗亜から刺さる絶対零度の視線、それに耐え抜くことだ。
「なんで連日左頬を殴られないといけないんだよ」
「あんたのせいでしょ」
結局、ブルー方向の横断歩道の青信号は、一度見送ってしまったので、再度青になるのを待って歩きだす。理央が消えた曲がり角を念のために見たが、彼女の姿はどこにもなかった。
麗亜は先ほどよりも一歩後ろからついて来た。
「何でさっきより遠いんだよ」
「だって、あんた事故を装って女の子の胸に触れてくるじゃない」
「装ってねぇよ、れっきとした事故だよ! それにお前のそのつつましい胸には興味ねぇ」
「それ、セクハラだから」
何でこんな数分のコンビニの道でラブコメみたいな事故が起きるんだ。俺は昨日から呪われているのかもしれない。
「あー、もううるさい。さっさと公共料金を支払って家に帰ろう」
「あ、逃げた」
「はいはい、逃げるが勝ちですからねー」
そんなやり取りをしばらく続け、ようやくブルーが見えてきた。
ここのブルーは、コンビニにしては広い駐車スペースがある。歩道側から二十メートルの場所に店内への入口があり、車は二十台以上が止まれる広々空間。イートインスペースもあるので、利用客に優しい店だ。俺もこのコンビニは重宝していた。
車は1台だけ止まっていた。月曜日はどんな店も人が少なくていいな。
店の敷地内に入ったところで、麗亜が俺の背中をつついてきた。
「ねぇ、店の横誰か倒れていない??」
麗亜の言葉に店の右横を見ると小太りの男が仰向けになって寝ていた。
ジーパンにカーキ色のTシャツ。よく見ると汗でぐっしょり濡れており、もとはカーキ色ではなかったのかもしれない。無精ひげを生やしたその男はこの町の有名人であった。
「うわぁ、中原敏也じゃん」
「知り合い? というか、倒れているけど大丈夫なの?」
「知り合いじゃなくてこの町の有名人。しかも悪い方での。ほら見ろよ。アイツの横にストロング缶が何本もある。大方酔って寝ているんじゃないの?」
中原俊哉のお腹の横には500mlのロング缶が三本ほど並んでいた。中身が入っているかはわからないが、缶の口は開いているように見える。
「あ、本当だ。それにお腹が上下しているから息はしているみたい」
麗亜の言葉に呼応したように右手が動き出し、顎のあたりを掻き始めた。だが、起き上がることは無いので眠っているのだろう。
「確か年齢は30歳。元は上京して働いていたらしいけど、なんか問題を起こして戻ってきたらしい。いろんな場所で飲んだくれていて深夜に大声で叫んだり暴れたりするからみんなかかわらないようにしている。俺の友達も昔、目があったとかで石を投げられたこともあるっぽい」
「くわしいんだ」
「田舎はこういう話が音よりも早く広がるから」
「とりあえず、やばい人みたいね……」
「かかわらない方がいい類の人であることは間違いない」
「起こさないように気を付けて店に入りましょう」
「そうしよう」
俺と麗亜は中原敏也を起こさないようにゆっくりと店内に入った。
俺たちはそれぞれジュースとお菓子を選んで公共料金の支払いを済ませた。
俺はエナジードリンクと堅あげのポテチ。麗亜は緑茶とハード系のグミを買った。
「ハード系のグミって食べた記憶すらないの。どんな味と食感なんだろう」
知的探求心が強いことで。
「まぁ、単純に固いグミだよ。それ以上言いようがない」
「そうなんだ家に帰ってから食べよう」
「その前に、怪獣を起こさないように静かに店の敷地を抜けなきゃな」
「確かに」
俺たちは思わず笑っていた。それから静かに店の敷地内を抜ける。中原怪獣は、いびきをかいて寝ていた。
ブルーの店員にも外の状況は伝えているので、警察を呼ぶなり起こすなり対応してくれるだろう。
帰り道は来た時とは違い、一番近い道のりを選んだ。精神的に疲れていたから早く帰りたかったのだ。
家に帰ってから麗亜はハードグミを嚙み切れず何故か立ったまま格闘していた。