買い物
流れ星を見に行き橘 麗亜と出会った翌日の午前9時。
俺は車の中にいた。正確には父さん、母さん、それから麗亜も一緒だ。
「麗亜ちゃんの服見るの楽しみね!」
母は上機嫌でハンドルを握っている。
俺たちが車に乗っているのは、母が言うように麗亜の買い物のために他ならない。
発案者は意外にも、父さんだった。今日は有休をもともと取得していたそうで、これから必要になるものもあるだろうからと母に提案したそうだ。
母は勿論大賛成。まるで自分に新しい娘ができたような歓迎振り。麗亜は遠慮したらしいが二人に押し切られて買い物へ行くことを決めたらしい。幸恵さん達からも養育費の名目で麗亜用のお金を預かっているのでそれを使うそうだ。
先ほどから「らしい」や「そうだ」という表現を使っているのは、それを知ったのが車に乗る15分前で、それまで俺は寝ていたからだ。俺のあずかり知らぬところで本日の予定が決まり、ご機嫌な母にご機嫌エルボーをお腹に決められ目覚め最悪なまま最低限の身支度を整え、スマホ以外着の身着のまま車に乗って揺られていた。
昨日は午前2時までゲームをしていたので睡眠時間が足りていないが、車に乗って30分ほどが経ちようやく頭がさえてきた。
結局麗亜とは、荷物の整理以降話していない。何を話せばいいのか分からないというのが正直なところだし、自分をよくわからない理由で嫌っている人間と話したいとも思わないだろう。
父さんも当たり前のように麗亜のことを認識しているし、車に乗る前に母さんにした質問と似たようなことを確認したが齟齬は発生していなかった。
願いごとが叶って新しい人間が誕生する。そんなことがあるのか。普通に考えればありえないことだが、そのありえないことが今目の前で起きていた。
麗亜と父さん、母さんは楽しそうに会話を楽しんでいる。まるで俺の方が本当の家族ではないようだ。まぁ、不愛想な息子よりはかわいくて話して楽しい女の子の方がいいだろう。俺だって父さん、母さんの立場ならそう思う。
「さっきもいったけど、今日はとりあえずショッピングモールで服とカーテンに雑貨なんかも買うから」
会話に入っていない息子を思ってか母さんが俺にはなしかける。
「わかった」
「直哉もなんか欲しいものとかあったら買いなさいね」
「ゲームか漫画がほしい」
「それは自分で買いなさい」
とりつくしまもない。
「急いでたから財布家に置いてきた」
叩き起こされたから、財布を忘れたのは仕方がない。自分の財布があれば自分で買ったに違いないが、無い袖は振れない。…勿論、確信犯だ。
「あ、大丈夫。そういうと思って家を出る前にあんたの部屋の机の上にあった財布持ってきたから」
母は抜け目なかった。
「…それはどうもありがとう」
このありがとうは、ありがた迷惑の方である。
「ふふっ…」
このやり取りが面白かったのか麗亜は少し笑っていた。しかし、俺と視線が合うと直ぐに無表情へ変わる。
そんなに俺が嫌いか。こんな状況はずっと続くのだろう。もともとそんなに関係改善など望んでいないが、これからうまくやっていくことに諦念すら抱く。
ショッピングモールがある鹿児島市内まで車であと1時間ちょっと。
居心地の悪さを感じた俺はスマホの漫画アプリを起動して時間を潰すことにする。
それから一時間ほどでショッピングモールの入口に到着した。
「はーい、つきましたー。麗亜ちゃんが話してくれるから今日はあっという間だったわ」
意気揚々と母が告げる。
「私も2,30分くらいしか乗っていない気分です。本当にあっという間でした」
「帰りも沢山話しましょう」
「ぜひ!」
父も同意見なのか二人の話にずっと頷いていた。
俺は当然蚊帳の外だ。
外を見ると月曜日ということもあり、駐車場はかなりすいている。目的の店は三階にほとんどあるため、母さんは立体駐車場の三階、店の入り口付近に駐車した。
「母さん、運転ありがとう」
父はお礼を言うときは必ず言葉にする人間だ。
普段は父さんが運転係だが、昨日は夜遅くまで飲んでいたため、運転は母に任せていた。
「今日みたいな運転だったらいつでも大歓迎」
この二人は結婚して20年経つが、息子から見ても仲がいい。俺と麗亜の状況とは正反対だ。
ーーー
ーー
ー
「このカーテンの柄かわいい…」
「部屋の雰囲気にもあっているんじゃないかしら」
俺はあくびを噛み殺す。
車を降りてからは、小物やカラーボックスなどの収納ケースなどを見て回ったが意見を求められることもないのでひたすら暇だ。他の三人は和気あいあいとしているのでいいが、何もしないのは苦痛だ。
この店で三件目。この苦痛を味わい続けるのはごめんだった。
「母さん、俺この階にある本屋に行ってくるわ」
俺はそれだけ言うと本屋がある方に足を向けた。
「あ、放っておいてごめんなさいね。ほら千円あげるからこれでなんか買っていいわよ」
「まじで! 母さんありがとう!」
親の財布は期待できないと考えていたため、この千円は非常にうれしい。
母さんから千円を貰った俺は振り返ることなく本屋に向かった。
読んでいる漫画の最新刊が出ていたので、それを手に取り、店内を意味もなくぐるりと一周する。活字が読めないというわけではないが、琴線に触れる本がない。
手を伸ばしてはしまって、手を伸ばしてはしまってを繰り返し、気付くと本屋を一周していた。
結局最初に手に取った漫画を一冊買っただけだった。
麗亜達は買い物がおわっただろうか。
母さんに「いま何してるの?」とメッセージを送ると直ぐに既読がついた。
『大体の買い物は終わったんだけど、まだ服を見れてないのでもうちょっとかかるかも! 時間潰してて!』
「時間潰しててか…」
これ以上本屋にいても仕方がない。財布を開く。資金は十分。
「久しぶりにゲームコーナーにでもいくか」
『ゲームコーナーにいるから』と連絡をすると、またしても即既読がついた。
『了解』
このショッピングモールのゲームコーナーは割と充実している。
メダルゲームにクレーンゲーム、アーケードゲームにプリクラとバラエティー豊かだ。
俺は500円をメダル60枚に変えるとメダルコーナーで時間つぶしを始めた。
30分ほどが経過し、メダルは残り2枚となっていた。一時は100枚以上まで増やしたのだが、一発当たれば数百枚のメダルをゲットできる台で遊んでいたらボーナスステージに行くことなく所持していたメダルをほとんど吸われてしまった。
最後の2枚もあっけなく吸われてしまった。まぁ、いい時間つぶしにはなったんじゃなかろうか。
そう思って立ち上がると背後から視線を感じた。振り返って見るとそこには母さんと父さんがいた。
「うわ! びっくりした。あいつの買い物は終わったの?」
「夢中で遊んでいたみたいね。メッセージを送ったのに気付かないからわざわざ探しに来たのよ」
そういわれてスマホの画面を開くと確かに母から呼び出しのメッセージと不在着信が届いていた。
「ごめん、結構夢中になっていたみたいだわ。あれ、そういえばあいつは?」
母さん達に尋ねると、父さんがクレーンゲームのある方向を指さした。
「クレーンゲームで遊んでんの?」
「なんかね、気に入ったぬいぐるみがあるみたい。始めは一緒に直哉を探してたんだけど、ぴたりと止まっちゃってね。直哉がここで遊んでいるのはみえたからとりあえず私たちだけこっちにきたの」
「ふーん、何がそんなに気に入ったんだ」
「水色のなんかのキャラだったわよ」
「それまた、水色以外何の情報もないですね」
「だって私そういうのには詳しくないから。直哉、ああいう取るやついつもやっていたでしょ?取ってあげれば?」
「何で俺が…」
「もしかしたら仲良くなれるかもしれないじゃない」
母さんは言葉には出さないが、俺と麗亜の仲があまりよくない様子を気にしているようだ。
「私とお父さんは少しコーヒーを買ってくるから。その間に男を魅せなさい!」
母さんはそういうとグッと親指を立てて見せた。思わずうんざりする。
「そういうのいいって。てか、クレーンゲームで男って魅せるってなんだよ」
「もぉー! いいから、いいから。あ、そうだ、直哉も何か飲む?」
「話きけよ…。んん…じゃあ、アイスコーヒーのブラック」
「了解! 行ってくるわね」
母さんと父さんはそういうと本当に近くのコーヒー屋へ向かった。
「気が重いな」
別に仲良くはなりたいわけではないが、呼びにいかないのも変なので、手に持っていたメダル入れを両替機横の棚に戻し、麗亜の元へ向かう。
麗亜は、水色のかなりゆるくデフォルメ化されたトカゲのぬいぐるみをアクリル版に手を当ててじっと見ていた。
まるで磁力でひきつけられているように見えて、少し笑いそうになった。大人っぽい姿ばかりみていたので年相応の態度を見て俺と同じ年代の人間なんだと改めて認識した。
そういえば、麗亜って何歳なんだろうか。同い年?それとも違うのか。
湧き上がる疑問は近い内に聞くとして。とりあえず俺は麗亜の斜め後ろから声をかけた。
「そんなに気になるなら取ればいいじゃん」
石像のように固まった麗亜の体がびくりとはねた。
「!? いつそこにいたの? 雀さん達は? というか私もしかしてここにずっといた!?」
自分でも気付かないくらいクレーンの景品の人形に夢中だったようだ。俺への悪態も忘れ恥ずかしそうに焦っている。てか、母さんのこと名前で呼ぶようになったんだな。短い時間でかあさんとの心の距離は近づいたらしい。
「母さん達ならコーヒー買ってくるって。それよりそんなに気に入ったならやってみればいいだろ」
母さんは俺に取れっていっていたけど、こういうゲームは自分でとるから楽しい。俺はとりあえず自分で取ることを促してみる。
「難しそうだし。何よりお金がない…」
車の中で麗亜のためのお金を預かっているみたいな話を聞いた気がするが気のせいだったのだろうか。
「幸恵さん達からお金もらっているって聞いたけど。全部母さんに預けてるの?」
麗亜は首を横に振る。
「自分用のお金も貰っているけど。でも私は本当の娘じゃないし。今日使ったお金だって本当は使っちゃいけないはずでしょ。こんなことには使えない。使っちゃいけない」
先ほどまでふれていたクレーンゲームのアクリル板から手を離す。その手の甲には364の数字が見えた。
目の前にいる少女は、自分が幸恵さんの娘として存在しているのに、娘という自覚はないのだろうか。
「自分がいた存在として、周りは認識しているし、お前が存在した場合の記憶ももっているみたいなこといってたじゃん。幸恵さん達との思い出とかあるんだろ? それなら別にそのお金を使うことに罪悪感を覚える必要はないじゃん」
麗亜はこちらに顔を向けることなくクレーンゲームのぬいぐるみを見ていた。先ほどとは違い、欲しがる視線というよりは周りを何も見なくていいように、逃げるようにぬいぐるみを見ているように感じた。
「確かに、お母さんとお父さんとの記憶もこの世界に生まれた瞬間に認識はしているけど、実際には経験していないことだから自分の記憶というよりは物語を読んだときに感じる追体験くらいにしか感じられないの」
うっすらとアクリル板に反射して見える麗亜の顔は初めて出会った帰り道で見せた悲し気な表情と同じだった。
「お母さんとお父さんはしっかり私を娘と認識しているはずなのに、私にはそれが感じることができない。きっと目の前にお母さん達がいてもお母さんたちが私に向ける愛情と同量の気持ちを私は示すことはできない。…私はこの世界で存在しているのに偽の記憶と偽の命で寄生しているような偽物の存在だから」
声はかけられなかった。
俺の願いから生まれたという彼女はきちんと感情を持つ人間だ。まだ出会って一日なのにそれをひしひしと感じる。
それこそ、自分をだまそうとしているんじゃないかと疑うくらいには、人間味にあふれている。彼女が自分の願いによって生まれて消えるだけの人生しか送れないのが本当ならば、今更ながら、自分は何かとんでもないことをしてしまったのではないかという気さえした。
これまで俺は、麗亜の気持ちまで考えることはできていたのだろうか。であって1日そこらで全てを知るなんて事はもちろん出来ないが、知ろうとすることは出来たはずだ。
ただ見た目がよくて、頭がおかしくて、自分が嫌いで。そんな表面的なことしか自分は見えていなかった。
俺のくだらない願いのためだけに生まれたというのが事実だとしたら。本当は存在しない人間で、せっかく生まれたのに少し経ったら消えるのが決まっていて……。自分が同じ立場になったときそんな状況を作り出した人間を許せるのだろうか。
麗亜は両手で頬を叩く。そして俺に笑いかけると横を通り過ぎ母さん達のいるコーヒー屋の方へ向かおうとした。
「変なことをいってごめん。さっきのは噓。忘れて。本当はこんなことにお金を使いたくないだけ。もったいないでしょ。ほか、早く雀さん達のところに行こ」
麗亜は、さっきと何一つ変わらない。
変わったのは俺の方だった。まるでこれまで見ていた景色は、曇ったレンズ越しに見ていた気分だ。
俺は先ほどまで麗亜が張り付いていた台に向かって歩き出した。麗亜は驚いた表情をみせる。
「ちょっと何でそっちに行くの?」
俺は財布を開き、500円を取り出す。
「幸恵さんのお金だから使えないんだろ。なら俺のお金なら別に構わないだろうが」
そして取り出した500円をコインの投入口に押し込んだ。
1回200円の500円で3回プレイね。
クレーンから音声が流れ操作ボタンが点灯する。
「こちとらクレーンゲーム歴10年だぞ。アクリル板に張り付くくらい好きなら遠慮すんなよ。こんなトカゲくらいすぐにとってやる」
俺は得意げな顔で麗亜に言い放った。
ーーー
ーー
ー
「あのーすみません」
低姿勢で俺は店員さんに声をかける。
「はい、どうしましたか??」
「実はあの台のぬいぐるみ結構プレイしてるんですけどなかなか取れなくて…。位置をずらしてもらうこととかできますか?」
店員さんは満面の笑みで頷く。
「もちろんです。すぐに行きますね!」
「ありがとうございます!」
ぬいぐるみをとるために3000円使ったが取れなかった。
とてもじゃないが麗亜の方は見られない。
「はい! これでいかかですか?」
店員さんは落とし口のぎりっぎりまでぬいぐるみを移動してくれた。
「あ! ありがとうございます。いけそうです」
それから2回ほど挑戦してぬいぐるみをとることができた。
結構大きめのぬいぐるみではあるが、これが3400円の価値があるかどうかと言われれば、きっと否だろう。
俺はいたたまれない気持ちを押さえながら麗亜に渡した。
「取ったからやるよ」
「重い、重すぎる…。このぬいぐるみ」
途中もういいと麗亜は言ってくれたが、もはや最後あたりは意地との勝負になっていた。
達成感はまったくなかった。重量はさしてなかったので麗亜がいっているのは精神的な話だろう。
「……母さん達きっと待っているから行こうぜ」
俺は軽くなった財布を持ちながら母さん達が買いに行ったコーヒー屋に向かう。
ふと視線を感じた。嫌な予感を感じながらも視線を感じる方を見る。コーヒー屋の方向、少し離れたところで、にやにや笑う母親とサムズアップした父親がいた。
この様子だと一部始終を見られていたことに違いない。
俺のライフは0になった。