夕飯と片付け
手を洗った俺と麗亜はリビングに向かう。
家に入るからデミグラスソースのいい匂いがしていたので、予想はついていたが晩御飯はハンバーグだった。
食卓に目を向けると、ご飯、味噌汁、サラダ。数は3人分ある。
しかし食事の皿が並べられている場所は、自分の席と母の席、そして以前まで祖母が座っていた自分の右隣であった。
父の席に食事が並んでいないのを見ていたのに気付いてか、母さんが声をかけてきた。
「お父さんは祭りの撤収作業と打ち上げがあるから今日はご飯いらないんだって。多分12時過ぎに帰ってくるんじゃないかしら。そういうわけだから今日は3人で晩御飯よ」
麗亜が隣にいても少しも気にする様子はなく、麗亜の分の夕食が当たり前のように並べられている。
不自然が当たり前になっているような光景に少し恐怖を覚えた。
「そうなんだ…。なぁ、母さん。へんなこと聞くけど麗亜って昔はどんな子だったっけ」
俺は麗亜のことがドッキリなどではないかを確かめるために母に質問することにした。
麗亜はただ立っているだけでなんのリアクションも示さなかった。
俺の言葉に母さんはいぶかし気な表情を浮かべた。
「藪から棒に何よ。隣に麗亜ちゃんがいるのに本当に変なことを聞くのね」
「いいから大事なことなんだ。簡単な話でいいから教えてよ」
「おかしな子ね…。麗亜ちゃんというか、幸恵さん達一家は、東京にいたから昔はそんなにあったことはないけど…。あ!そういえばあんた小学6年生くらいの頃、誰かの葬式のために幸恵さん達がこっちに帰って来ていて、その時に初めて会った麗亜ちゃんにあんたがセミの抜け殻をつけてちょっかいを出していたわね。それで麗亜ちゃんにビンタされてあんた泣いていたっけ」
母さんは思い出した内容が面白かったのか懐かしそうに笑っていた。
幸恵さんとは、父さんの姉のことであり、祖母や親戚の葬式などで数回あった程度の人だ。
確かに東京にいることは知っているが子供がいるなんてことは聞いたことがない。
それに俺には母が話したような記憶はない。母はのんびりした人で嘘をつくのが非常に苦手だ。それなのに自然と俺の記憶にない思い出を語っている。小学校低学年だったら記憶にないのも頷けるが、小学6年の頃であれば間違い無く覚えているはずだ。こんな顔の女の子をみて忘れるわけがない。
自然体な母の様子を見て麗亜の話が真実味を帯びてくる。
「なんでこんなこと聞くのよ?」
「いや、別になんでもない…」
母さんは不思議そうな顔をしたが、いつまでも動かない俺と麗亜を見て早く動くようにせっついてきた。
「ほらほら、いつまで麗亜ちゃんを立たせているの! それにせっかくのご飯も冷めちゃうでしょ。ほら麗亜ちゃんは向こうの席ね。その隣が直哉だから」
母はてきぱきと動いてサラダ用のとり皿と箸を並べた。
「あの、取り皿と箸、ありがとうございます」
感謝する麗亜に母さんはにこやかに返す。
「こんなことで感謝されるなんて、うちの男陣にも見習ってほしいわ」
俺は上機嫌な母を尻目に、隣に座った麗亜という少女に視線を送った。
どうやらこいつは本当に橘 麗亜という一人の人間として存在しているらしい。
まるでアニメのような展開であり、100信じたわけではないが、目の前に突きつけられた証言を受けとめないわけにはいかない。他にこいつが急に現れた可能性としては催眠術などでうちの家族をだましてとか…。
俺が願い事以外で麗亜が自分の前にやってきた可能性を思案していると母から声が飛んできた。
「こら、直哉。女の子のことを盗み見ないの」
母さんの言葉を聞いた麗亜がジロリとこちらを睨む。
「いくら麗亜ちゃんがかわいいからって失礼でしょ!」
俺は全力で否定する。自分は今起こっている不可解な現象について考察していたに過ぎない。
「違う。そんなんじゃないって。お前もそんなに睨むなよ」
「別に睨んだりしてないから」
麗亜は顔を背けた。
俺のことをからかっていた母さんは俺の顔、正確には左頬をみて何かに気付いたようだった。
「…あら?直哉。よくみたら左頬が赤くなっているじゃない。…もしかして、また麗亜ちゃんにセミの抜け殻をつけたりしたんじゃないでしょうね」
あまりにも的外れな回答に俺は苛立ちを覚えた。生まれてこの方、俺はそんなことをしたことはない。
「そんなことはしていない!! むしろ、こいつに急にぶたれたの。自分は星の願いから生まれた存在とかうんたらかんたら言って!!」
麗亜はすました顔で口を開いた。
「そんな変なことは言っていません。直哉君の左頬に蚊がいたので蚊を仕留めようと叩いただけです」
「お前、ふざけんな! めっちゃシリアスに語ってたじゃないかよ!」
麗亜は知らぬ存ぜぬといった様子で俺を無視する。
これじゃあ俺が妄言をのたまっているようじゃないか。
「もう、おかしなこと言っていないでご飯を食べなさい。…まったく、ゲームのやりすぎでうちの子パーになったんじゃないかしら」
俺は真実しか言っていないのに母はあきれた様子でため息を吐いた。
「本当なんだって! 流れ星に願い事をしたら…」
これまでは大人しく聞いていた母の眉間に皺が寄る。
「あんた次変なことを言ったら本気で今持っているゲーム機捨てるからね?」
母の表情はマジだった。
昔、この表情の母の忠告を無視して持っていた玩具を全部捨てられた過去が頭をよぎる。
「あんたがおかしいと、親である私たちまでおかしいって世間では思われるんだから……」
もうこれ以上は何も言えなかった。
「へんな直哉は放っておいて冷める食べましょう! さぁ、いただきまーす!」
母さんの言葉に合わせて麗亜は手を合わせた。
「いただきます」
せめてもの抵抗で手は合わせなかった。
「…いただきます」
ハンバーグは俺の好きなメニューの内の一つなのにあまり味が感じられなかった。
反対に麗亜は一口、ハンバーグを口に運んでから目に見えて上機嫌だった。
「このハンバーグも、ソースもお米も、味噌汁もサラダも全部美味しいです!! こんなの生まれて初めて!!」
(そりゃ、そうだろうよ)
俺は失笑しながらも、思ったことは口に出さず味噌汁をすする。味噌汁は豆腐とわかめ、えのきの味噌汁だった。
目を輝かせて夕食に舌鼓を打つ麗亜。母さんは家の男共からは得られない賛辞を受け終始にこにこ笑顔だった。
麗亜は、ご飯もこれが生まれて初めて食べるであろうに、綺麗な箸遣いと美しい所作でどんどん食べて行く。同じものを食べているはずなのに食べ方が違うだけで、一人高級料理でも食べているようだ。
「うちの人たちはみんな反応が無いから、こんなに褒めてもらえてうれしいわ。麗亜ちゃんも良かったら今度一緒にご飯を作ってみる?」
上機嫌な母は麗亜に首ったけだった。
母の言葉を受け、麗亜は俺に見せたことのない輝く笑顔で頷いた。
「ぜひやらせてください!」
「あらー、それじゃあ何をつくろうかしら」
「いろいろ作ってみたいですが、このハンバーグも作って見たいです!」
「なら今度作りましょうね」
笑顔で料理のことについて語る母さんと麗亜。
麗亜の笑顔はなんというか凄い破壊力があった。見ているだけで幸せになれるというか飽きない美しさというか、俺は気付いたら食べる手を止めて、笑顔でご飯を食べ進める麗亜を見ていた。
右脛に感じた痛みで現実世界に引き戻される。
「あ痛!」
犯人は俺の右斜め前に座る母さんだった。
「もう…。直哉、鼻の下伸びているわよ」
「はぁ!?」
右手で思わず鼻の下にある口元を覆った。
母さんの言葉に顔が熱くなるのを感じる。そしてバッと右隣を見ると先ほどとは打って変わって絶対零度の表情でこちらを見る麗亜がいた。
「恐れ入りますが、食べてる様子を見るのはご遠慮ください」
さっきもあんなに悪態をつかれ、ぶたれたというのにそんなことも忘れ見惚れていたという事実を再認識し、俺の顔は更に赤くなった。
「あいや、そんな、ええと!! 違くて…ああぁ!!」
何か言おうと思ったがテンパった俺は言葉にならない言葉しか口には出ず、残っていたご飯を急いで口の中に掻きこみ部屋に逃げることにした。
「ご馳走様っ!!」
茶碗をシンクの中において2段飛びで階段を上がっていく。
その様子をみた母さんはくすくすと笑っていた。
「青春ねぇー」
「そんなんじゃないから!」
俺は自分の部屋に入ると勢いよく扉を閉めてベッドに寝転がった。
目元に両手を当てて恥ずかしさを追い払うかのように両足をバタバタとさせる。
「うぅーーーーー!!ああ!!」
落ち着くまでに10分ほどかかった。
ーーー
ーー
ー
冷静さを取り戻した俺はベッドに寝転がったまま、動画アプリのショート動画を手持無沙汰に閲覧していた。
部屋に帰ってきてしばらくは麗亜の話が本当なのか、あり得ることなのかを考えていたが、自分の頭では答えを導くことができず、思考を放棄して、スマホに手をかけていた。
自分の立場になって初めて知ったのが、人間というものは本当に信じられないようなことが起きたときは逆に冷静になるのだ。
もし仮に麗亜のことがどっきりであったり、麗亜が悪い人間であれば何かアクションがあることだろう。だから俺はのんきに暇をつぶすことにした。
「ヴィラの2階の突き上げポジってここなんだ。へー」
自分が何時もやっているゲームの小技集を見ていてやりたくなった俺はゲーム機の電源ボタンを押そうとする。
すると扉がこんこんこんとノックされた。このノックの仕方は母だ。
「直哉、麗亜ちゃんが暮らす部屋の用意ができていないから手伝ってちょうだい」
「えー今からゲームやろうと思っていたんだけど」
俺の応答を聞き、扉が開くと両手を合わせた母が現れた。
「隣の部屋を麗亜ちゃんの部屋にしようと思うんだけど、邪魔な段ボールが結構あってどれも重いのよ。男手が欲しいの。ね、お願い」
本当は今すぐゲームがしたかったが、ここまで頼まれて断るとあとが怖い。大人しく手伝うことにした。
「あー、分かった。手伝うよ」
俺はしぶしぶ部屋から出ると自分の向かい側の部屋から季節ものの服や様々な用品が詰め込められた段ボールをスペースが空いている一階の納戸に運び出した。
10分ほどで部屋の中の段ボールはすべてなくなった。段ボールの隙間にあったほこりは、母がクイックルワイパーで除去済み。何もないので殺風景ではあるが、結構綺麗になったのではなかろうか。
「よし!粗方片付いたわね。麗亜ちゃんの荷物は明後日届くらしいから届いたら一緒に模様替えしましょう」
母も片付いたこの部屋の様子にご満悦のようだ。
「そうしてもらえるとうれしいです!」
麗亜も自分の部屋が片付いて嬉しそうだ。
母と麗亜が談笑する姿を見た俺は、用は済んだだろうと、何も言わずに部屋に戻る。
「直哉」
鈴のような声が耳に届いた。
後ろを振り返るときまり悪そうな顔の麗亜がいた。
「…荷物運んでくれてありがとう。いまだけは感謝してる」
俺に向けたこんな態度は初めてだった。
神社からご飯を食べるまで思い出されるのはビンタされた痛みと害虫でも見るかのような冷めきった眼差し。
こんな姿を見られるなんて母さんの頼み事をきいて良かったと心のそこから感じた。
俺は少し微笑んでから思いっきり舌を出す。
「お前のためじゃねーわ。バーカ!」
「な! あんた!こっちはしぶしぶ感謝してやったのに!!」
それを聞いた麗亜は顔を真っ赤にすると、今にも殴りかかろうとしてきた。
「ははは、そんな感謝でこっちが満足すると思っているとか馬鹿みてぇ」
俺は笑いながら脱兎の如く部屋に戻ると、先ほどの様子を思い出し、こらえるように笑いながらゲーム機を起動した。
別になんということはないが、この日は全試合で勝利を収めた。
俺が部屋に戻った頃、母はこの様子を見て笑っていた。
「青春ねぇー」
「違います! 違いますからね!!」
麗亜はこれまでにないくらい必死に弁明していたらしい。