少女の願いごと
8月17日(月)午後13:00 天気:快晴
心地よい風を受けながら俺は木陰に座り本を読んでいた。
聞こえてくるのは風によって揺れる木の葉の音と、紙をめくる音だけ。
蝉の声も聞こえはするが、少し遠い場所で鳴いているのか騒音による不快感はなかった。
俺が座っているのは苔むした階段で、日差しが当たっていないためか丁度いいひんやり加減だった。
俺が今いる場所は、南方神社の入口の階段だった。
この場所にいる理由に麗亜は関係ない。……いや、大きくいえば関係あることと言える。
俺がこの場所で本を読んでいるのはある人物が来るのではないかと考えてのことだった。
「フィクションとはいえ、推理小説に出てくる探偵役は本当にすごいな」
俺はもうすぐ読み終わる小説への感想を漏らした。
今回読んだ小説の探偵役は、事件のトリックだけではなく、鋭い洞察と客観的な視点から犯人の事件を起こした動機まで当ててしまっていた。俺から見ればこんなのは超能力の一種だ。きっとこんな力を俺が手に入れることは難しいに違いない。
だが、しかし。そんな俺も今回は、神社に来た目的を達成することができそうだった。
神社の敷地から出てすぐの曲がり角。そこから一人の人物が姿を現した。
こげ茶のショートへやーに、もはやトレードマークのヘッドセットとだぼだぼの上着。何か悪いことでもあったのか浮かない顔で地面を見ながら歩いてくる少女。
天沢理央だった。
理央は、神社の入口で本を読んでいた俺に気づかずに近づいてくる。
まぁ、神社の入口で本を読んでいる奴がいるなんてわかるわけがないか。
俺は浮かない顔の理央に声をかけた。
「よぉ、浮かないだな」
「!?」
突然声をかけられた理央は目を見開き、声にならない声を上げ、息が詰まるほど驚いた様子を見せた。
「そんなに驚かせるつもりはなかったんだけどな」
あまりにも驚くものだから俺は思わず小さく笑ってしまった。
そんな俺をみた理央はすぐに眉間にしわを寄せて、俺から遠ざかるように数歩だけ後退した。
「やっぱりストーカーだったんですね! 前回は私を付け回して、今回に至っては待ち伏せ!? 本当に気持ちが悪い」
「今回の待ち伏せは確かにそうだけど、前回のもその前の接触事故も冤罪だからな」
一応、大切なことなので修正しておく。
「冤罪っていうなら、何で待ち伏せなんかしたんですか! 説得力がありません!」
理央の立場から見れば、ストーカー疑惑からストーカー確定にグレードアップした瞬間だから説得力はないだろうな。
「お前と話がしたくてここで待ってた」
それをきいた理央は更に数歩後ろに下がった。
「告白なら絶対無理です!」
「告白じゃねぇ!!」
なんで俺の周りの女共は、こう自分に自信があるやつしかいないのか。
俺はあきれるしかなかったが、また面倒な言い合いに発展しそうだと思ったので、思ったことは口には出さない。ある麗亜という少女のおかげで俺は学んだのだ。
それよりも俺は目の前の友人の妹に確認したいことがあった。
「確かめたいことがある」
俺は真面目な顔でそう告げたが、彼女は取り付くしまもなかった。
「私にはありません! もう本当にやめてください! 私にはあなたみたいな人に構っている時間はないんです!!」
理央は叫びながら目に涙を浮かべ始めていた。
落ち着いた状況で話したかったが、このままではこれまでのように逃げられる可能性があった。
俺の確認したいことについても間違っていたら頭のおかしいストーカーへとさらに一階級昇進することだろう。
だが、俺にも彼女と同じように無駄にしていい時間はなかった。
「修一はお前の願いが生み出したのか?」
「え……?」
それまでハリネズミのように態度を尖らせていた彼女だったが、俺の言葉を聞いて耳を疑った様子だった。
「もう一度だけ聞く、違うなら帰ってくれて構わない。修一はお前の願いによって生み出されたのか?」
少しの間だけ生まれる沈黙の時間。それは理央によって破られた。
「何で……。何でお兄ちゃんのこと知っているの?」
ここでいう「何でお兄ちゃんのことを知っているの?」というのは純粋になぜ知っているかの確認ではないだろう。だって、俺は修一の前で理央を見かけたこともあるし、何より彼女の息をのんだような様子からは誰にも言っていない秘密がばれたような必死さがあった。
俺は、自分の予想があたっていたことを理解し、空を仰いだ。
自分の記憶が消えていたことからほぼ間違いないと考えていたとはいえ、これで確定的になった。
修一は去年のクリスマスに天沢理央によって生み出された存在だ。
「何で知っているのかを聞いているんです!!」
理央はすごい形相で俺につかみかかった。胸倉をつかまれ揺さぶられるが、女の子の力なのでそこまで大きく揺れ動くことはなかった。
「答えてくださいっ!!」
俺は理央を引きはがすことはせず、荒ぶる彼女の目を見て答えた。
「……この間の流星群に俺も願い事をした」
「え……?」
俺の答えをきいた理央は俺の胸倉をつかむ力を緩めた。
理央が求める回答にはなっていなかったが、その言葉は理央の関心を引くのに十分だった。
「うそ……」
彼女は信じられないといった表情で固まった。
「本当だ。俺はあの日、この神社にきて流れ星に願いごとをかけた。その結果、一人の女の子がこの世界に生まれた。冗談みたいなことに、周りの人間はその女の子が昔から存在したみたいに扱うし、右手の甲には、この世界にいられる残り時間が刻まれている。そして、この間お前の兄貴と市内に遊びに行ったときにバスの中で、お前の兄貴の右の手のひらを見た」
理央は俺から完全に手を離した。
そして、知られてはいけないことがばれてしまったかのようにわななき始める。
「私のせいだ。私が子供みたいに拗ねたせいでお兄ちゃんの友達にお兄ちゃんのことがばれちゃった……」
理央は口に手を当て早い呼吸を繰り返した。
「私のせいで、私のせいで……」
焦点の定まらない目をした理央は体をぶるぶると震わせた。
様子がおかしい理央に気付いた俺は彼女に近づいた。
「おい、大丈夫か?」
理央は口に手を当てたままぶつぶつと話を続けていた。
「やっぱりあの時の流星群でも願いは叶ったんだ。それなのに、私がここに来なかったから、お兄ちゃんは消えちゃうんだ。私の願う気持ちが足りなかったから、だからお兄ちゃんはまたいなくなるんだ。わたしのせいで、わたしのせいで」
理央は突然走り出そうとした。
「ちょ、おい!」
流石に三回目。俺は理央が走り出す可能性を考慮していたため、なんとか彼女の右手をつかむことができた。
「離して!!! んん!!ああああぁああ!!」
彼女は体を左右に激しく振って俺の手を振り払おうと試みる。だが、これは修一と麗亜に関係することだったからここで逃がすわけにはいかなかった。
「何で逃げようとするんだよ」
「私のせいで、お兄ちゃんが消えるの!せっかく願いが叶うチャンスだったのに! お兄ちゃんが消えなくても済むかもしれなかったのに……」
理央はそういうと脱力して座り込んでしまった。
「私なんかの、私なんかのせいで…あぁぁ」
このリアクションは想定外だ。
「なんでそんなに自分を責めるんだよ。いったん落ち着け。落ち着けって」
理央はずっと自分のせいだと言いながら泣き続けていた。俺は彼女が何とか落ち着くようになだめようとするが効果はなかった。
ここまで自分を責める人間を見るのは初めてだった。一体何が彼女をここまでさせたのだろうか。
修一のことも大事だが、目の前の少女が泣き続ける理由についても俺は気になった。
それから俺は、泣き続ける理央が落ち着くまで待ち続けた。
理央はあれから30分も泣き続けていた。その間もずっと自分のことを責めてばかりで、見ていてかわいそうだと感じるくらいだった。きっと彼女がこうなってしまった理由に修一が関わっているのだろう。
「おちついたか?」
俺は理央が涙をこらえられるほど落ち着いたタイミングで話しかけた。
彼女はなんの反応も示さなかった。
俺は少し困ったがとりあえず話を続けることにした。
「さっきも言ったが、俺は修一が願い事から生まれた存在であることを知っている人間だ。だけど、あいつが友達であるということには変わりないし、あいつが嫌がるようなことはしたくないって思っている」
理央が少しだけ顔を上げた。
「……」
話は聞いてくれていると思いたい。
「理央が泣いたり自分を責めている様子から、生半可な気持ちで願ったわけじゃないのはわかる。俺は、修一の秘密を知ってしまったからこそ、俺にできることを修一にやってやりたい。修一が残りの時間を幸せに、楽しく過ごせるようにしたいと考えているし、消えたくないと望むなら消えないですむ方法を見つけ出してやろうと思っている」
理央は黙って聞いていた。
「俺の願いから生まれた子も同じ状況なんだ。せっかくこの世界に生まれたのに1年で消えてしまうってわかっていて。俺はそれをどうにかしたいと思っているんだ。さっきも言ったように修一のこともそうだ! でも修一がどんな願いから生まれたのかも分からないから修一のために何ができるかがわからないんだ。俺は自分の行動を間違ったものにしたくない! だから、何も知らないこのままじゃできることが限られるんだよ。だから理央、教えてくれ。お前は流れ星に何を願ったんだ」
家族が欲しいから、兄弟が欲しいからそれを流れ星に願ったのか? いや、予想ではあるが、そんな単純なことではないような気がした。
「理央は一人で神社にお参りに来てたし、何か修一のためにしようとしているんだろう? 俺にできることがあるなら何でも協力する。だから教えてくれ。理央は何を願ったんだ」
俺の思いが通じたのか理央は小さく口を開けた。そして、口を震わせながら言葉を出す。
「本当に私のことを手伝ってくれるんですか……?」
「誓う。俺だっていたずらにお前の願いを暴こうとしているわけじゃない。できることならなんでも手伝う」
「……もう自分じゃ兄を救う方法も見つからないんです」
そういって理央はまた静かに泣き出した。
「私は去年のクリスマス。流れ星が夜空を埋め尽くした日に、家の近くの公園にいました」
理央はとめどなくあふれる涙を上着の裾で拭う。
俺は黙って聞いていた。
「いた理由は単純です。家に帰りたくなかったからその公園で時間をつぶしていたんです」
理央はごまかすように泣きながら笑った。
「その日、流星群がやってくることすら知りませんでした。だからですかね。これまで感じたことがないくらいすごく感動したんです。それから、急に出てきた流れ星を見て、今ならどんな奇跡も起こせるんじゃないかって……そう思ったんです」
似ている。俺が流星群を見て願った状況と。
その時のことを思い出すように理央は目をつぶり手を組んで、祈るようなポーズをとる。
「そして奇跡は叶ったんです。願い事を終え目を開けるとそこには修一お兄ちゃんがいました。背格好が少し違ったけど変わらず優しい笑顔を向けてくれる兄がいたんです。無邪気な私はお兄ちゃんとこれからもずっと一緒にいられると思い、泣きながら抱き着きました」
彼女が願った願いの輪郭がどんどん鮮明になる。まさかという考えと、彼女の様子に納得の沸く考えがせめぎあう。
理央はゆっくりと目を開けて祈るように組んでいた手を解いた。
「私は、自分が死なせたお兄ちゃんを生き返らせました」




