もうひとり
修一は、右手がぬいぐるみからずり落ちた衝撃で、目を覚ましたようだった。
「あれ、もうバス停に着くのか」
修一はのんきにあくびをしながらスマホを弄る。
「ふわーー。ん? なんか母さん達、今駅前のスーパーで買い物をしているらしい。直哉、俺は終点の枕崎駅で降りることにするよ」
修一に声をかけられているが、俺の頭の中は真っ白だった。
バスが停留所に止まった。
修一は、バスの通路側の席に座っていたので、俺が通れるように通路を渡り左隣の席に移動した。
「おい! 直哉。停留所に着いたぞ!!」
俺はハッとした。修一は何を呆けているんだと言いながら笑っていた。
頭の整理がつかない。
「ほら、もたもたするなよ。運転手さん待ってるぞ?」
前方を見ると、運転手が目線で、降りるなら早くしてくれと訴えかけていた。
他に乗っている数人の乗客も、俺に視線を向けていた。
「あ、ああ……すまん。降りるよ」
「へんな直哉だな」
俺は乗車券とともに、運賃を料金箱に落として外に出た。
バスは発車する。
先ほど修一がいた座席に目を向けるとぬいぐるみを見せびらかしながら右手を振る修一がいた。
見間違いではない。修一の手のひらには確かに132の文字が刻まれていた。
俺は照りつける日差しのことも忘れ、その場に呆然と立ち尽くした。
「そんなわけない。修一は俺が中学頃からの友達で親友で」
俺は地面に落ちる汗のしずくを見ながら両手を顔にあてる。
「中学はずっと一緒に……あれ?」
昔の記憶を思い出そうとするが、俺の記憶の中に修一はいない。
一緒に競い合ったはずの運動会の記憶にも、京都に行った修学旅行の時の記憶にも、そのほかのイベント、日常生活に至るまで、記憶の中に修一は存在しなかった。
血の気が引くのを感じた。
「そんなはずはない。あいつは、修一はずっと昔から一緒にいた!!」
俺は自分の恐ろしい考えを振り払うように叫んだ。
俺がおかしいだけなんだ。よく物忘れもするし、これは一時的なもの!!
だが、一向に修一との記憶が蘇らない。
高校に入ってすぐに人気者になった修一。その記憶は、ついこの間まで鮮明に記憶に残っていた。だが、今思い返すと高校入学時に天沢修一という生徒はいなかった。
中学にも、高校入学時にも、修一はいなかった。
「はは……。そんなはずない」
俺は、修一がいつから居たのかと振り返る。
修一との記憶があるのは、今年から……。年が明けてからのものだけだった。
あるはずなのに、ない。ないはずなのにあったことになっている。
どこかで聞いた話だ。
考えてはいけないことが頭をよぎる。
「修一って誰なんだ……?」
複雑に入り混じった感情が俺の頭をおかしくする。噎せ返るような不安と、突然現れた恐怖。
「う……」
吐き気を覚えた俺は近くの茂みに急いで移動して胃の中にあったものを全部吐き出した。
「うぅ……おぅぇえっ!」
ーーーーー
ーーー
ー
どうやって帰ったかは覚えていない。
おぼろげに自分の足で帰ったようなきがする。
気づいたら俺は部屋のベッドに寝転がっていた。
スマホを開き、メッセージアプリを起動した。
修一からメッセージが届いている。
『無事に家に帰れたか? 俺はぬいぐるみを持って店内を歩いているから注目の的だ』
修一のメッセージからは楽しそうな雰囲気が伝わってきた。
あいつはこうして確かに存在している。
でも……。
俺は返信を返さず、画面をスクロールして、過去のメッセージのやり取りを確認する。
今年に入ってからのものは、どれも覚えがあった。
そして年明け頃まで、メッセージをさかのぼった。
新年の挨拶より前のメッセージは、存在しなかった。
その後はずっと何もせずにベッドに座っていた。
一度母さんがご飯だと呼びに来たが、食欲がないとだけ答えた。
「修一が、本当は存在しない人間? 麗亜と同じ?」
突然の出来事にやはり頭が追いつかない。自分は夢を見ているんじゃないか。そうに決まっている。そう思って自分の顔を殴って、ここは現実の世界だと再認識した。
生涯の友と呼べる存在。それが修一だった。頼りになっておもしろく、一緒に馬鹿をやれるそんな人間だった。それなのに、それが全部嘘だなんて。
すべてを掻きむしりたい気分だった。両手を額に当て、歯を食いしばる。
「何がどうなっていて、俺はどうすればいいんだ」
そんな時、部屋がノックされた。
「ねぇ、大丈夫? 直哉、家に帰ってからまるで生気が抜けたような顔してたけど」
麗亜だった。
「本当に大丈夫なの? 一端、中に入るわよ」
そういって扉が開いた。
「起きているんじゃない。でもさっきよりひどい顔をしているわよ。どうかしたの?」
俺は今、自分の抱えている物を誰かにも分かってほしかった。
「どうすればいいか分からないんだ」
麗亜は心配そうな表情を浮かべながら近づいてきた。
「何かやらかしちゃった?」
俺は力なく、首を振った。
「違う、違うんだ。俺の友達が……俺の友達が麗亜と同じかもしれない」
俺の言葉を聞いた麗亜は、驚きに目を見開いた。それから、急いで部屋の扉を閉めると、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「詳しく教えて」
それから俺は、麗亜にすべてを話した。今日あったことと、修一の手のひらに麗亜の右手の甲に似た数字が刻まれていたこと。そしてつい最近まで鮮明だったはずの修一との記憶が消えてしまったことを。
俺は結構支離滅裂に話をしていた気がするが、麗亜はそんな中でもしっかり話を聞いてくれた。
「直哉の友達である、その修一君との記憶は今年からしかないのね」
俺はうなずいた。
「そうだ」
麗亜は右手を口元にあてて思案顔を浮かべる。
「私と同じ存在である可能性が、有るか無いかで言えば……有るでしょうね」
「そんなはずない!」
俺は思わず大声で叫んでしまった。
修一はずっといたはずなんだ。
麗亜が俺をなだめる。
「今は落ち着いて。しっかり情報を整理しよう」
真剣な麗亜の眼差しが俺を見つめる。
麗亜は俺のために話を聞いてくれているのに、急に叫んだりして何をやっているんだ俺は。
「ごめん、取り乱した。……だけどさ、何で修一が麗亜と同じって言えるんだ」
麗亜は核心を持っているようだった。
「思い出して見てよ。去年は何かあったでしょう。今年の夏に起こったことと、同じことが」
その言葉を聞いて思い出した。
「カシオペア座流星群……」
「そう。考えられるとすればそれしかない。その修一君の、手のひらには132の数字が刻まれていたんでしょ?」
「間違いない」
「一旦日付が合致しているか、確認してみましょう。確証は無いけれど、私と同じ、365日だけ存在できると仮定して逆算すると……233日が経過していることになるから」
「233日前だな!!」
俺はスマホを開き、ネットで今日から233日前で検索をかける。
出てきた日付は、12月26日。麗亜の右手の数字は、麗亜が生まれた瞬間に364になったからその1日前に調整すると。
「……12月25日のクリスマス。そして、ばあちゃんの命日で流星群が到来した日だ」
これを偶然という言葉で片付けるには証拠がそろいすぎていた。
「絶対、とはまだ言いきれないけど。やっぱり去年の12月25日の流星群が到来した日。その日に修一君はこの世界に生まれたんだと思う」
修一が?……本当に?
ふと、祭りのあったあの日、修一に流星群観測をしに行くと言った時に、修一の様子が何かおかしかったことを思い出した。
信じたくない。信じたくなかった。
そんな時、俺は修一の記憶が祭りの日までは確かにあったのに、消えていることを思い出した。
「そうだ。そういえば何で俺は修一との記憶を忘れてしまったんだ? 祭りの日に会った時は、入学した頃の記憶を、間違いなく覚えていたのに」
「それについては分かる気がする。多分、願い事をした人には、存在しない記憶が適用されないんだと思う。直哉も他の人は覚えているのに、私が8月9日以前にいた記憶がなかったでしょう?」
麗亜の説明を受けて府に落ちた。よく考えてみれば麗亜と出会ってから修一との昔の思い出は振り返っていなかった。そのせいで抜け落ちた記憶に気づけなかったのだ。
「それが原因で、前まで鮮明だった嘘の記憶が無くなってしまったんだと思う」
”嘘”という言葉を体が受けつけない。受け入れるわけにはいかなかった。
「修一は本当に存在しない人間なのか……?」
麗亜は口を結んで頷いた。
「あなたの記憶が消えていることと、手のひらにあったという数字。それから流星群のあった日のことを考えるとおそらくは。日付けが経過して数値が減っていたらまず間違いないと思う」
「こんなことってないだろ!!」
俺は右手の拳を膝に打ち付けた。このやるせない気持ちはどうすればいいんだ。
怒りなのか、悲しみなのか、喪失感によるものか体は震えていた。
「待って。まだ、情報の整理は終わっていない」
「他に何を整理する必要が有るんだ!」
麗亜は終始冷静だった。
「さっきも言った通り、修一君が流れ星への願いから生み出された存在だとしたら」
そういわれて俺は何かに気づいた。
「そうだ……。修一が誰かの願いによって生み出されたのだとすれば、願い事をした人間がいる」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ただいまー」
玄関からお兄ちゃんの声がした。
私は暗い部屋の中、ベッドの上で膝を抱えてうずくまっていた。
「ただいまーりおー?」
お兄ちゃんの声が部屋の前から聞こえる。そしてドアを何度かノックする音が聞こえた。
「入ってもいいか?」
「駄目。入ってこないで」
お兄ちゃんはきっとドアの前で困った顔をしているだろう。
もう口を効かなくなって4日になる。
「今日な。直哉と一緒に遊んで来たんだけど、そこでお前の好きな『投げやりトカゲ』の景品をとったんだ。これ、部屋の前においておくから、よかったらもらってくれ」
直哉と言えば、私の胸を触り、ストーキングしていた変態だ。なんでそんな人と遊んでいたのかと怒りを覚える。
お兄ちゃんは何かを置くと、部屋の前から離れていった。
私は部屋の扉を開けておかれたものを確認する。
そこにあったのは、非常に大きなぬいぐるみだ。龍がモデルになっているというが、もはや原型をとどめていない、ゆるすぎるフォルム。それは私が好きなキャラの『ドーラ』だった。
私はそれを大事に抱え上げて部屋に戻ると、ベッドの上で抱きしめた。
お兄ちゃんがくれたドーラに顔をうずめると、さっきようやくおさまったのに、また涙があふれてきた。
「う……。ううう……お兄ちゃん、またいなくならないでよ」
私は暗い部屋の中で泣き続けた。




