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それぞれの決意

●用語解説

『アポカリプス』

古より封印されていた四体の魔神が復活し、世界が滅亡の危機に瀕した事件の事。


《ティーレ》

いわゆる獣人の事。獣耳とか尻尾が生えている。


“レル・ロアイズ”

【ローレエルデ】では医学の神様のようなもの。


 ──鬱蒼と茂った森は、白む木漏れ日の中にあってもなお、暗い。静止した風は全ての音を殺し、静謐を纏う神聖な空気の中に僅かな不穏を孕ませていた。

 まるで時間が静止しているかのような、そんな錯覚さえ覚える。


「相変わらず怖いくらい静かだ……。ここっていつもこうなの?」

「え? あ、いえ、そんな事は。でも最近はずっとこんな感じですね……」


 先を行くセレナに問い掛けるツヴァイだったが、答えるセレナはどこか上の空だ。


(? セレナさん、どうしたんだろう? 森の異常に心当たりでもあるのかな?)


 あれこれと詮索しながら歩く内に、二人は少し開けた場所に出た。

 木漏れ日は日溜りへと替わり、辺りの空気はにわかに温かいものに一変。そこでふと立ち止まったセレナが、振り返って言う。


「ここですここです。手早く済ませてしまいますので、ツヴァイさんは少し待っていて下さい」

「へえ、ここが採取ポイントなんだ。てっきりもっと奥なのかと……あ、そうか。前までは一人で来てたって言うし、近場なのは当たり前だよね」

「そうですね、でもツヴァイさんが抱くイメージは間違いではありません。薬草の群生地帯は普通、こんな村の傍にはありませんから。養分豊富な土壌に綺麗な沢もあり、陽光と雨が程よく当るこの森のこの場所は、植物達にとっての楽園です。だからこそ、近場も穴場になり得る訳です」


 満面の笑顔で話すセレナの口調は、僅かに得意気だ。それは自身に対するものではなく、森へ対する感情。

 村や村人達を紹介した時もそうだったが、セレナは誇りに思う事は隠さず誇るが、自分の博識をてらう人間ではないとツヴァイは理解していた。


「あのさ。突然なんだけど、セレナさんはどうして薬師になろうと思ったの?」


 本当に突然だった。

 今日には別れる筈の人。知ったところで意味の無い疑問。だが、何故か突然……無性に知ってみたいと思ったのだ。


「どうしてだと思いますか?」

「え!? あ、いや……想像もつかないけど……でもほら、オレにはそこらの雑草と薬草の違いがさっぱり判らなくて……それを迷わずホイホイ見極めるセレナさんは、きっとかなりの勉強をしたんだろうなって思ったら、その理由が知りたくなって……それだけなんだけど」


 しどろもどろに答えるツヴァイ。セレナは何度かそれに頷いたあと、手に採った薬草をしばし見つめていた。


「──私は……」


 言いかけ、そこでまた途切れる。言いたくない……という訳ではない。それとは別の、もっと沢山の感情が混沌と渦巻き、セレナは言い淀んでいた。

 その感情の多くは……哀しみだから。


「──私は……元々、ルビスの住人ではありませんでした」

「……!」

「私がルビスに来たのは、今から三年前の事です。それまでの私は両親と共に、世界中を放浪する旅人でした。今のツヴァイさんと一緒ですね」


 一緒、という単語を嬉しそうに強調するセレナだったが、言葉の端に揺れる哀しみは隠せない。

 だがツヴァイにとって大きな衝撃となったのは、今から三年前という言葉……。



 それは世界の滅亡を示唆した刻。


 それは世界が希望を求めた刻。


 それは──最愛の兄が旅立った刻。



滅世の黙示アポカリプス)……蒼褪めた死の覚醒……」


 ツヴァイの呟きに、セレナが頷く。


「そうです……そのとばっちりを受けた私達一家は、瞬きの内に瀕死の重傷を負いました。死の際、やっとの思いでこの村に辿り着き……そこで私の両親は息を引き取ったと聞きます。両親が命懸けで護ってくれたお陰で深手ながらも致命傷を免れていた私だけは、村の薬師だったメリッサ先生の懸命な治療により一命を取り留めたのです」

「……そっか。それでその先生に憧れて薬師になったんだね」


 なるほど、としきりに頷くツヴァイだったが、セレナは意外にもそれを否定した。


「それもありますが、それだけではありません。先生はとても有能な素晴らしい薬師でしたが、すでにかなりのご高齢でした。その上自分ではどうする事も出来ない、不治の病に侵されていたのです。私の治療に身骨を砕き、極度の疲労を抱え込んでしまった先生は病魔に対する抵抗力を失い……私の回復と同時に、亡くなりました。先生の死期を早めてしまった責は私にあり……しかも先生は村唯一の薬師で……村の人々が困らない筈は無いのに、それでも私を責める人は一人も居ませんでした。だから、私はそんな村の人々の役に立ちたいと思い、村の薬師になると決めたのです。幸いというか、先生の家には勉強に事欠かないだけの蔵書が揃っていましたし、お陰で迷わず薬師になる事が出来ました。この通り、未だに半人前なのですが……えへへ」

「そんな事ない。セレナさんはもう立派な薬師だよ」

「とんでもない事です!! 私はまだまだ未熟者なのです! そんな事言われても困ります!」

「あ、いや……ごめん」


(しまった。この人、褒めても喜ばないんだったっけ。う~ん、謙虚というか厳格というか……)


 滞在中にツヴァイが学んだ、セレナへのタブー。

 それは“彼女自身を褒める”事。村や村人を褒めるのは大変喜ぶのだが、彼女自身を褒めても何故か怒り出す。他者より低くある事を望んでいるのか、とにかくセレナは意外に難しい人格の持ち主だった。

 無論ツヴァイにとって、褒めて怒られたのは初めての事だ。


「ま、まぁつまり、亡くなった先生の代わりに、そして村人達の役に立つ為に薬師になったのか」


 なろうとしてなったという時点でその努力を評価すべきではとツヴァイは思ったが、声に出せたのは、それとは関係の無い呟きだけだった。

 しかし、セレナはそんな呟きさえ否定した。


「そんな殊勝なものではないですよ。今はその……薬師でいる意味も、違ってきてますし……」

「どういう事?」


「今私が薬師なのは、単純に……そうありたいから、です。私はいつしか、役に立ちたいと思う気持ち以外に、薬師という仕事が本当に素晴らしい事だと、楽しいと思うようになりました。結局──私は、自分の為に薬師をやっているのです」


 自嘲気味に独白するセレナ。だが、それにはツヴァイも大きく交感するものがあった。


「途中で目的がすり替わるのはよくある事だよ。オレもそうだし」

「ツヴァイさんも……ですか?」

「うん。オレの旅の目的は最初、とにかく“逃げる”事だった。偉大だった兄の弟であるオレ、そして図らずも『オフセットスクエア』を受け継いだオレを、世間は簡単に認めたよ。オレはまだ……何一つ成してはいないのにね。でもすぐに、世間が見ていたのはオレじゃなくて、その肩書きだって事に気付いたんだ。大きくて眩しすぎる肩書きが影を作って、本当のオレはそれに隠されてしまった気がした。だから……オレはそんな世界から逃げた。全てをかなぐり捨てて、一心に。……気付いた時には何も失くなってた。ただの旅人になって、初めて。自分は本当にカラッポだったんだって気付いたんだ。誰もオレを見ないし、認めない。最初はそれが堪らなく辛くて……寂しかった」

「ツヴァイさん……」


 ツヴァイの語りに涙ぐむセレナ。しかしツヴァイは、すぐにそれを制して続ける。


「泣かないで。まだ続きがあるんだ。……でさ、その辛くて辛くてどうしようもないって時に、オレはある村に辿り着いたんだ。そこでちょっとあって、《ティーレ》の女の子を一人助けたんだけど……それが結果的に村そのものを救う大事になったんだ。そしたらさ、もう経験した事ないくらい物凄い感謝されて……あんな思い、味わった事なかった。──でね。その時、ふと思ったんだ。ああ、オレは何でこんなに弱かったんだろうって。“逃げる”じゃ、駄目なんだ。“立ち向かう”じゃなきゃ駄目なんだって。こんなに弱いんじゃ誰もオレを認めてくれない訳だって、痛感した。それから世界はガラリと変わったよ。実際に変わったのはオレなんだけどね。とにかく見る物聞く物全部が楽しくて、嬉しくて。世界も自分も、許せるようになった気がした。その瞬間からオレの旅の目的は変わったんだ。こんなにもオレを変えさせた旅は素晴らしい。オレはこの眼で、こんなにも変わった世界を見てみたい。偉大な兄が命懸けで救った、この世界を旅したいんだってね。つい最近の話なんだけど、まあこんな感じ」


 長い身の上話を終え、一息つくツヴァイ。それを黙って聞いていたセレナも、同じように溜め息をついた。


「大変な人生を──歩んでこられたのですね」

「そうかもね……正直大変だった。でもさ、辛くはあったけど……それを嫌だと思う事はなかったよ」

「えっ? 何故です?」

「何でだろう……あぁ……多分……自分で選んだから、かな。全てを捨てたゼロからの旅……苦しくない訳が無い。始めから分かってた事だ。でも、選んだ。自分の意思でね。だからそれで苦しかったり、辛かったりするのは全部自分の所為で、自分だけのものだ。それなら誰を責める必要も無いでしょ?」

「でしょって……それって普通は逆ではないですか? 他人からの押し付けで苦しいのならば、これは自分の意思ではない、自分の所為ではないと、自分自身に言い訳が立ちます」

「そうかな……考えた事もなかったよ、それは」

「そうなのですか……? でも……ツヴァイさんらしい考え方だと、私は思います。そしてそんな考えが出来る貴方は、とても強い人だとも」


 眩しそうに目を細めるセレナ。けれどその眼差しはそれ以上に眩しくて、ツヴァイは思わず目を逸らす。


「オレなんかまだまださ。でも──」


 木々の切れ間から覗く空は、白い。雲が遮ったのだろう。ただ一色だけの空。そこを染める僅かばかりの色彩は、時に速く、時に遅く……しかし確かに流れゆき、留まらない。覗いていた空が再び白に戻った時、ツヴァイは静かに口を開いた。


「強くなった事は、自惚れじゃなく……確かに感じてる。旅立つより以前、オレが抱いた最も古い最初の衝動は……兄さんを越える事なんだ。その力が欲しい。守りたいもの、守りたい誰かを守る、その力が。その為に歩むべき道は、もう分かってる。それはオレに、変われる強さを与えてくれた。そしてそれは、きっとこれからもオレの力になる。オレを、導いてくれる筈なんだ」


 セレナは何も言わない。次の言葉は分かっていた。だからこそ、そこに掛ける言葉などない。

 告げる者の決意。告げられる者の決意。双方の思いは、ここに固まった。無言の催促を受け、ツヴァイは続ける。


「今日までありがとう。オレ……旅を続けるよ」

「──正直、寂しくなります。でも、そうすべきだと、私も思います」

「うん……。でも、さよならは言わないよ。これは別れじゃない。いつか、再会する為の旅立ちなんだ」

「再会……」


 不意に、セレナの表情に深い憂いが刻まれる。その変化はあまりに異常だった。まるで、幽明相隔てるかのように。


「どうしたの?」

「えっ? あ、あの……いえ、再会──したいですね。でも、もしかしたらルビスには居ないかもしれません。私もいつか旅に出て、“レル・ロアイズ”の知識を学ぶのが夢でしたから」

「セレナさんにも夢はあるんだね。……ん? でも“でした”って、何で過去形なの? 旅するならいつでもできるじゃないか。あ、何ならオレと一緒に来る事も……」

「えと……それは、無理……です。今のところは村唯一の薬師ですし、お世話になった恩もありますし」

「ソレはソレだよ。セレナさんを大切に思うなら、夢を叶えさせてあげたいって思うじゃないか。そうだ、出来れば使いたくない手だけど、ラスティードの名を出せば別の街から薬師を呼び寄せる事も出来るよ。セレナさんが望むなら──」

「いえっ、それでは駄目です。私の受けた恩は、私が返さなければ。旅は、貴方が言うようにいつでも出来ます。だから……今は……」

「でもさ、じゃあその恩ってのはいつ返し終わる……って……ゴメン、わがままだった。その……困らせるつもりはなかったんだ。ホントにゴメン」

「いえ……私の方こそすみません。折角のご厚意を無下にしてしまって」


 互いに謝り合い、それきり会話は途切れた。静寂に溶けた沈黙は、気まずさ以外の何物でもない。耐えかねたツヴァイは何とか現状打破を試みる。


「え~とえ~と……あ! そうだあのさ、セレナさんって薬草とか詳しいよね?」

「は、はい。これでも一応は薬師ですので」

「うんうん。じゃ、旅立つオレへの手向けって事で一つ、何か簡単な薬学を教授してくれないかな。素人でも判る薬草の見分け方、とかない? オレ、結構ドジ踏んで怪我するんだよねぇ。最初君を助けた時も転んだでしょ?」


 しばし中空を仰ぎ思案するセレナは、つい五日前の出来事を思い出す。確かに派手に転んでいた。──二人とも。


「【ローレ・エルデ】の植物には数千にも上る種類があり、予備知識のない人間がそれを判別するのは非常に困難です。下手に手を出さないのが一番の薬──と言っては身も蓋もありませんので一つ、見分け方と言うか、薬草をお教えしましょう」


 言いつつその場にしゃがみ込んだセレナは、方々に生えている草の一つを摘み取った。


「これ。そこら中に生えているので雑草かと思うかもしれませんが」

「へぇ、確かに見回すと視界のどっかしらに生えてるな。どれどれ……」

「ああっっ!! 駄目、駄目です食べないで下さいッッ!!」


 バシッとツヴァイの手元を素早く払い、その手から薬草を遠ざけるセレナ。ツヴァイはセレナの意外過ぎる行動と素早さに目を丸くしていたが、これはセレナがツヴァイという人間の浅はかさを理解していた結果だ。


「全く予想通りというか……子供ではないのですから何でも口に入れようとしないで下さい!」

「う。面目ないです」

「いえ、私の説明も悪かったですから。これはですね、ソレ自体は薬草ではなく、見た目通りの雑草です。でも……葉の裏側にほら、何か付いているでしょう? これが薬になるので、薬草とされているのです」

「ホントだ。どれ……う、味が無いや」


 早くも口に入れるツヴァイの知能はニワトリ以下のようだった。それをセレナが止めなかったという事は、食べても害は無いという証に他ならないだろう。


「食べましたね。それ、昆虫の卵なのですが何の虫か分かりますか?」

「いんや全然」

「草原ゴキブリです」


 途端、青ざめた顔でセレナに非難の目を向けるツヴァイ。


「私のせいではないですよ! でも聞こえは悪いかもしれませんが効能の良さは確かです。草原ゴキブリ、以下Gの卵は何故か栄養豊富で、食べれば新陳代謝が高まり傷の治りが早まります。即効性を望むのであれば食べずに磨り潰して粒子状にした後、傷口に塗り込むと良いですよ。煎じた物は毒や麻痺にも効果を発揮するという優れものです。そしてこれを勧めた最大の理由は、Gが産卵場所としているこの植物が『エザヴェラ地方』ならどこにでも生えているからです。Gも『エザヴェラ地方』ならどこにでも生息していますし。因みにこの植物の名前はチリ草。どこにでも生えているのでまるで塵のようだという事からその名が付けられたと言われています。きっと旅の助けになる筈なので、ツヴァイさんもGを見つけたら無闇に殺さず逃がしてあげて下さいね」

「……うん……出来るだけ善処するよ……」


 卵の効能が早くも出ているのか顔色が良くなったツヴァイはしかし、弱々しい声で答えた。



 ……──その時、それは起こった。



 カンッ、カンッ、カンッ! カンッ、カンッ、カンッ!


「っ!? 何だこの音──セレナさんっ!?」

「こ、これは村の半鐘の音です! 村が……まさか、また……!?」


 半鐘の音は止まらない。村で、ただ事ではない何かが起こっている。それが何なのかは分からない。だがそれが凶事である事だけは明白だった。取るべきは一つ。これも、明白。

 二人は全速力で、村への道を駆け出した──。



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